とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第二章 信仰に殉ずる:十 |
幾ら巧妙に足音を消し、動きを隠しても、電撃より速く動ける人間などいない。ましてや魔術も扱わぬ者に後れを取るなど、以ての外だ。
「二度目は無い!!」
ハルバートの穂先に電荷を蓄える。スタンガンに匹敵する威力を秘めたそれを、目の前の人間に放つ。
「うぐあッ!!」
次の瞬間、痛みに身を仰け反らせたのは、菊池だった。
左脇腹を抉る衝撃で、体がくの字に折れ曲がる。衣服どころか、全身くまなく施してある対衝撃用術式を貫いて、廷兼郎の繰り出した右の抜き手が内臓を抉る。
それに留まらず、吹き飛ぼうとする菊池の体は、肋骨にめり込んでいる指に捕獲されていた。
肉を破って直接骨を握られる感覚に菊池は怖気を感じつつも、まだ冷静さを失っていなかった。
(掴んだ。動きを止めやがった!!)
むしろこれは好機。ハルバートの槍から『雷』の属性を拾い上げ、今度は全身に纏う。密着している状態なら、幾ら殺気を読もうと避けられない。
菊池の顔が必勝の感触に引きつる。敵を打ち倒す多幸感が、脇腹の痛みを打ち消す。
密着状態からの攻撃方法は、何も魔術に限ったものではない。
足裏から昇る力を腰、背中で増幅させ、一切のロス無く、肋骨を捕獲している右の掌に伝達する。正しい姿勢から、正しいタイミングで、正しく放つ。そこに僅かな齟齬も許されない。
元より廷兼朗は、それしか出来ない。基本に忠実に、愚直に倣う。学園都市に移ってからは、網丘の指導の下、あらゆる武術の基本を徹底的に習得した。それはむしろ、体力強化や模擬戦闘よりも重点的に行われた。
全ては基本から。基本にこそ、武術のコンセプトや思想が色濃く表れる。そして、それをさらに突き詰めると、人の体こそが基本であることに行き着く。
それは体力を強化することだけではない。極限状態にあっても、冷静に自分の体を俯瞰して鑑み、真っ直ぐに正すことの出来るバランス感覚こそ重要である。その追求は、『対抗手段《カウンターメジャー》』計画の目的の一つでもある。
『対抗手段』計画の成果を、廷兼朗は着実に身につけていた。
体を寸分も動かさず、廷兼朗は二撃目を放ってみせた。
単按。按《あん》とは掌による打撃を指す。そして殆ど体を動かさない静止状態から力を生み出す技法は暗勁。密着状態の場合は寸勁と呼ぶ場合もある。
脇腹に食らった二度目の打撃で、とうとう菊池の体が廷兼郎から離れた。全身から紫電を放ちながら勢いよく登山道を転がり、斜面の縁にある岩に体をぶつけてようやく停止した。
衝撃で肋骨は砕け、廷兼朗の指が食い込んでいた部分から、湧き上がる血に混じって僅かに白く覗いている。体を起こす動作だけ、全身が引きつるように痛む。
魔術を介した刃さえも通さないはずの術式が、只の人間の打撃によっていともたやすく破られた。その衝撃は体の芯まで残り、内臓が悲鳴を上げている。琴弾原と大阪で相見えたときから薄々感じていたことだったが、何故か目の前の一般人の攻撃は、魔術による防御が意味を成さないらしい。
「……てめーのは、よく効くな。こりゃ、倒されても仕方ねーよ。打ち方に、秘密でもあるのか?」
話しかける菊池に、間合いを計りながら廷兼朗が近づく。肋骨を折られて膝を負っている相手に、微塵も油断を見せない。
「まるで自分には、打撃など効かないとでも言いたげだ。秘密が無いと、打ち倒されるのに納得がいかないのか」
小馬鹿にしている様子を隠そうともせず、廷兼朗は漏らした。何ら遮る物のない空間では、よく通る呟きだった。
「お前だって、ここに来るまでに少しは魔術を見知ってきただろーが。なら分かるはずだ。普通の人間など、魔術師の敵じゃない。実際、魔術が使えなくなった天草式はどうした? 一目散に逃げちまったじゃねーか」
菊池の言葉に、廷兼朗は汚らしいものをみるようなしかめ方をした。
何をか況んや。要するに『俺は強いから戦う前に降伏するのが当たり前だ』と言いたいらしい。
いっそ清々しいほどの口上であるが、その意図に反して何とも反抗心を刺激する内容でもある。廷兼朗は、先ほど自分の回避方法を鼻で笑われた仕返しに、これ見よがしに失笑した。
「彼我の実力差など、立ち合いとなれば瑣末事。単なる条件の差異に過ぎない。それを論《あげつら》い、敵の戦意を殺ぐも兵法ながら、あまりに美徳を欠く」
実に静かな語り口で、廷兼郎は諭すように言う。
「僕のやっていることに、秘密などありません。『先ず身体の中心正す可《べ》し。中心崩るる時身体弱く、業《わざ》自ずから速ならざりけり』」
これは武術において、正中線を意識するための言葉である。正中線とは身体を垂直に貫く線であり、人の重心のあるべき場所と言える。この線を正すことこそ、あらゆる武術の基本と言っても過言ではない。
武術における技は、身体の中心を正した状態でこそ、最大の効果を発揮するよう設計されている。
廷兼郎の言うように、彼の繰り出す技には魔術や超能力という類の効果は付随しておらず、単に正しき姿勢から正しき型に従い、正しく放っているに過ぎない。
だが、その正しさの追求は常軌を逸している。学園都市の科学設備を用い、鍛錬や成長で生じた骨格の歪みをマイクロメートル単位で割り出し、筋肉量や左右半身の体重の差をナノグラム単位まで算出し、そのデータを常にフィードバックさせ、鍛錬だけでなく日常の動作に取り入れ、僅かな歪みを体から取り去ってゆく。
型の追求は、構えは元より足先に掛かる体重、筋肉の緊張と弛緩の割合、咬合の仕方などに留まらず、血流やリンパ液など体液の循環、横隔膜に代表される呼吸器官の動作、他の内臓器官の自律運動まで計測し、常に開発協力者である廷兼郎に、それらの意識させた状態で行われる。
その分析は、地球上に僅かしか存在しないレアアース《希土類》やレアメタル《希少金属》を探す作業にも似ている。あるいは不純物含有率を限りなく0へと近づける純鉄の精錬とも言える。
理想としては、正中線の一致率が100%となることだが、それは理論上のことに過ぎない。だからこそ『対抗手段』が目指すのは、一致率99.9999999999%《トゥエルブナイン》まで近づけた、言わば『近似正中線』と呼ぶべき代物である。
それは修練と言うより、あらゆる武術の基本をコンピュータによって算出し、導き出された理論値という枠に、人間という不定形を押し込める作業と形容すべきだろう。しかし、科学の粋を凝らしたその作業は、奇しくも廷兼郎の武術の根底を確固たるものにする作業でもあった。
基本だけを修練することは、実戦的な技を幾つも会得することに勝るとも劣らない。中国拳法には『千招《せんしょう》有るを恐れず、一招熟するを恐れる』という言葉がある。千の技を持つ者など恐れることは無く、たった一つの技を熟練した者こそ恐ろしい、という意味である。
基本を学ぶということはあらゆる無駄を捨て去り、『絶対なる一』へと近づく作業である。『絶対なる一』に近づいてこそ、技が活かされてゆく。
「理想だな。絵に書いた餅に過ぎん。演武で人が殺せるか?」
実際の人対人の争いの最中に、基本がどうの構えがどうの立ち方がどうのと、言っていられる訳も無い。
「そういうのを半解一知というんです。それに、理想ですって? 魔術なんてものを嗜んでいる輩の言葉とは思えない」
「……何?」
話しながらも、廷兼郎は摺り足で斜面を降り、菊池に近づいている。
「基本とは、言わば根です。そこから派生する枝葉や花を弄《いら》うよりも、大地に根をしっかり生やすことのほうが大事なのは明白でしょう。魔術と言えど、それが術ならば、要訣は変わらぬと思いますが?」
突如、それを聞いた菊池が哄笑した。肋骨が折れているにも関わらず、腹の底から声を張り上げた。
「魔術師でもない只の人間に、まさか魔術のことで説教を受けるとは思わなかったぜ」
「説教などと。ただ、あなたを含めて自称魔術師の方々は、どうも魔術師じゃない人間を見下す傾向があるらしいので、その認識を改めてほしかったんです」
考えてみれば、そんなことは幾ら言葉を重ねたところで、空しい平行線を辿るばかりだろう。
「それじゃ、ご教授賜ろうじゃないか」
「……肋骨を折ってやったのに、まだ見せろと言うのか」
呆れた声を出しつつも、廷兼郎の口角は釣り上がっていた。
目の前の男を一刻も早くぶちのめして地面に這わせたいという思いと、実力のあらん限りを出し尽くしても勝てるかどうか分からない死闘を長く味わいたいという思いが、二律背反となって彼を苛《さいな》む。
それが笑顔という形で、顔に表出していた。
説明 | ||
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。 総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。 男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。 科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる |
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