とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第二章 信仰に殉ずる:十三 |
薄暗い部屋の中心に、ガラスの筒がぽつねんと佇んでいる。その中は、成分の知れない真っ赤な液体で満たされている。
時折、呼吸するように泡がこぽりと立ち昇る。それもそのはず。ガラスの筒の中で、人が呼吸しているのだから。
「元は天草式に所属していた魔術師を一蹴したか。想定よりも費用対効果が高いようだ」
緑色の手術衣を着ながら、液体の中を逆さに浮く人間は、ほんのり嬉しそうに呟いた。
学園都市統括理事長『人間』アレイスター=クロウリー。その見た目や声からは性別も、老若も、貴賎も伺えない。
「あれは何でありけるのよ?」
設置されている液晶モニターに、煌びやかな金髪に彩られた貴婦人が映される。
科学分野の総本山とも言うべき学園都市の、それも統括理事長に謁見の叶う人物が、そこらの町娘であるはずがない。
見た目十八歳ほどの彼女、ローラ=スチュアートが務めるのは、イギリス清教の最大教主《アークビショップ》である。現在の天草式十字凄教が所属する必要悪の教会《ネセサリウス》の最高責任者でもある。
「人間だ。普通の、どこにでもいる人間だ」
「それで通ると思うてか」
流暢ながらも、どこかおかしい古文調で問うてくるローラは、その苛立ちを隠そうともしない。
「あれは魔術のように、くどくどと隠すようなことはしない。見て目ありのまま、あれが全てだ。それでも分からないと言うのは、研究の程が足りないと言わざるを得ない」
教師が生徒に教えを諭すような口ぶりで、アレイスターはモニターに向けて語りかける。
それを遥か西の彼方、イギリスはロンドンの聖《セント》ジョージ大聖堂に置いてある説教壇で受け取ったローラは、自身の不勉強を指摘された子供のようにむくれている。
「只の人間が、無手にて魔術師を倒してのける。そんな御伽噺《おとぎばなし》は、『幻想殺し《イマジンブレイカー》』で間に合っているのことよ」
自分で言った言葉に、ローラのほうがはっとした。
「あれは、第二の『幻想殺し』?」
「まさか。『幻想殺し』を複製などしない。あくまで擬似的に、似たような結果を生み出したにすぎん」
「『幻想殺し』を擬似的に再現して、何をしようと言いけるの?」
「あれだけでは何も起こらん。今回のような事態になれば、適宜投入する。『幻想殺し』の手が空いてないときには、いつでも貸し出そう」
ローラは不信感も露に、その端正な顔を歪めた。彼女のことを知るシスターが見れば、思わずあとずさるであろうしかめっ面だ。
「只の人間を魔術師とぶつけて、一体何を企みけるのか?」
「単に戦闘経験を積ませているだけだ。君らはあれを使い潰せばいい」
相手の不満も不審も振り払う、高慢な言い様だった。
「……なら、せめて有効に使わせてもらいけるのよ」
画面を切る寸前にそんなことを言い捨て、ローラの映っていたモニターは回線を途絶した。
一室が暗澹たる闇に包まれ、アレイスターの姿もまた、暗い影に包まれる。
外部との交通がほぼ遮断されている学園都市には、バスで直接向かうことは出来ず、途中まで天草式に送ってもらった廷兼朗は、十数キロの道のりを徒歩で進むことになった。
自分の信仰に、文字通り身も心も捧げ尽くした菊池の姿が、目に焼きついて離れない。
廷兼郎もまた、一つのことに身も心も捧げようとしている。『武』の一文字の探求に、生涯を捧げようと決意している。
形は違えど、それもまた信仰の一つなのかもしれない。
残暑のきつい日差しの中、廷兼朗は早く着きたくて走り出していた。帰ってから網丘に伝えたいことを整理しているだけで、学園都市への道のりはあっという間に走りきってしまった。
ゲートの前では、網丘が仁王立ちして待ち構えていた。自作のスポーツドリンクを入れていたであろうベッコベコのペットボトルを持ちつつ、腕を大仰に組んでいた。
そんな網丘に向かって、廷兼朗は爽やかな笑みを浮かべながら、手まで振って走り寄った。
「いろいろと、説明してもらおうかしら?」
「はい!」
廷兼朗としても、網丘に話したいことが沢山あったので、快活に返事をした。てっきり悪びれるものと考えていた網丘は、廷兼朗の明るさを疑問に思った。
「何かあったの?」
「ええ。とても良い体験をしました」
魔術との邂逅は、思い返せばこれ以上ない実地訓練だった。魔術師のと戦闘は、廷兼朗にとって新たな発見の連続であり、技術の精練に大いに役立った。
「強くなったのね」
網丘の一言に、廷兼朗は力強く頷いた。
「はい。以前より数段」
「それなら、構わないわ」
網丘はそれ以上何も言わず、労うために肩を叩いた。色々と聞かねばならないことはあるだろうが、廷兼朗の実力を向上させる出来事であったのなら、それは網丘にとって喜ばしいことあり、それ以外のことに目くじらを立てる必要はない。
『対抗手段』計画の一助になることなら、廷兼朗の身に何が起ころうと構わない。
説明 | ||
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。 総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。 男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。 科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる |
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