眠られない夜
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 眠れない夜だった。私は、知人がやっているという個展を見に行こうと思った。その画廊は夜でも開いていて、終電を逃した仲間が朝まで飲むための名目で集まってくるような場所であった。私はろくでもないなあとは思いながらも、でも、こんな夜に行くような場所が他になかったから、そこへ行くしかあるまいと思った。

 外へ出ると肌寒くて、私は一枚羽織ってこようかと思ったけれども、不眠のせいか、それもおっくうだった。私はそのまま外へ歩いていった。不眠の目で見る町はちょうどよい塩梅にぼやけて見えた。夜のはじめくらいには下品に見えたネオンサインも、重たい目を通して見ると柔らかくまた優しいように見えるのが不思議だった。私はネオンサインに勇気づけられて歩いていった。

 三十分ほども歩いて知人の画廊に着いた。私がドアを開けると知人が椅子に座っていてうたた寝をしていた。起こしたら悪いなと思ったけれども、ドアの開く音で目を覚ましてしまったらしかった。こんばんは、というと、私のことがはじめは分からなかったらしくて、しばらく黙っていた。私は知人の見たことのない寝ぼけた顔を見ていると、この人が本当に私の知人だろうかと思い始めて、少し不安になった。

 知人はようこそと言ってくれた。それから眠たいのか、伸びをしてから、奥の方へ引っ込んで、コーヒーを入れてきてくれた。私はありがとうと言ってコーヒーをもらう。ほどよいぬるさで、眠たい目にはぬるいコーヒーが合うと思った。

 私たちはひとしきり雑談をした。絵の話、写真の話、個展にやってきたお客さんの話、夜に画廊にひとりぼっちでいるときの、おとなしい幽霊の話。みんな私の知らない話だった。知らない話を、楽しそうにできる知人は好ましいと思った。

 私は手ぶらで画廊に来たことを詫びた。眠れなかったもので、と正直に告白すると、眠れない夜にいてもいい場所を布団以外にも作らないといけないと彼は話した。夜には夜の居場所。不眠の夜には不眠の夜の居場所だと。私は感心した。そんなふうに思ったことはなかった。眠られない夜は、一種の、罪の意識と一緒にあるものだから、と言うと、知人は鼻で笑って、そいつは昼行性の生きもののプロパガンダさ、と言った。

 私はとても楽しんで知人の画廊を出た。ずいぶん長くいたと思ったのに、まだ三時にもなっていなかった。コーヒーのおかげか、私はちっとも眠くなかった。それでまだまだ、外にいてもいいような気がしてきた。眠られない夜の、私の居場所を作ろうと思った。

 私は家に帰るまでに、もうちょっと色々なところを見ていこうと思った。昼間歩いているときに、夜に見たらどんなふうに見えるだろうと思っていた場所のストックが、いくらでもあるものだから。私はその場所の一つ一つを思い出して、まずは昼間でも暗い坂道の麓まで行って、坂の上の方を見上げてみようと思った。

 そうしていると、眠られない夜のことを、私は大切にすることができるように思うのだ。

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眠られない夜の話です
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