キャラメルピジョン |
ばたばたとすごい勢いで二階へ駆け上がってくる足音が聞こえて、僕はテキストから目を離した。
ため息をつき、そのまま閉じる。
と同時にバンと大きな音を立てて、僕の部屋のドアを開ける輩がいる。
いつものことながら、僕は閉口する。
「ねえ、聞いて!今日ね、キャラメル色の鳩を見たんだよ!」
頬を上気させて、美雨が言った。
階段を駆け上ってきたせいか、肩で息をしている。
「何があったのかと思えば」
僕はまたすぐに机に向かい、テキストを広げた。
いい加減、僕がそういう反応をするということを美雨も学習しているだろうに、彼女は相変わらず面白くなさそうにため息をつく。
「何でいつもそうなのよーもっと感動しなよ。じゃないと損だよ?」
一体何が損だって言うんだ。僕は呆れた。
「それよりドアは開く前にノックするのが常識。そんなことも出来ないようじゃお前、そっちの方が将来損するぞ」
ぶう、と頬を膨らませて、美雨は黙り込んだ。
「でもほんとなのに」
「…」
僕はとうとうテキストを机に置いたままで彼女を見た。
美雨は僕が振り返ると、途端にこにこして僕のベッドに座った。
全く、何と調子のいい。
「キャラメル色の鳩って何?」
僕が半信半疑でそう尋ねると、美雨は更ににこっとした。
「あのね、羽がね、綺麗な淡い茶色なの。キャラメル色なの。でも所々濃い茶色い羽も混じってたよ。でね、その羽の下つまり身体は真っ白なの。だからね、ぱっと見キャラメルミルクって感じなんだよ」
一生懸命説明している美雨を僕は冷静すぎるほど冷静に見ていたが、想像するとそれは何だか面白かった。
キャラメル色ねぇ…
「それ、何処にいたのさ」
「ん?あっ、その鳩?公園だよ。中央平和公園。淳一郎も見に行く?」
見に行きたいとか、何もそんなことは言ってない。
なのに美雨はもう僕の手を掴み、階段を駆け下りる。
「おい、ちょっと待て。別に僕は…」
当然ながら美雨に僕の声は届いていない。いつものことだ。
彼女は僕の手を掴んだまま、鼻歌交じりでずんずんとその公園に向かって歩く。
僕は観念した。
明日のテストはあのテキストから出るから、もっとちゃんと復習しておかないといけないのに…
僕が憂鬱な気持ちでそんなことを考えていると、美雨はぱっと僕の手を離して駆け出した。
公園に着いたのだ。
「あれー、いないな。ここら辺にいたのにな」
美雨はきょろきょろと、黙って突っ立ったままの僕を置いて
そのキャラメル色とやらの鳩を探している。
僕も辺りを見回したが、いるのはごく普通の色をした鳩が数羽だけだった。
僕はため息をついた。
「美雨、僕帰るからね」
その声に気づいているのかいないのか、美雨は一向に公園から出てこようとしない。
僕は肩をすくめ、そのまま公園を後にした。
家から公園までは近かったが、僕はちらりと振り返る。
美雨はさっきと同じように空を見上げては一心に鳩を探しているようだった。
僕は前を向いて、また歩き出した。
美雨は、僕の幼馴染だ。
同い年なのにも関わらず、兄妹と間違えられるのは美雨の背が低いからだ。
妹にだって抜かされたんだよ、と先日悔しそうに言っていた。
そんなことを思い出している間に家へとたどり着き、僕は玄関門に手を掛けた。
その時ふと視線を感じて僕は顔を上げた。
すると玄関の小さな軒下のその縁に、キャラメル色の鳩はいた。
それはさっき美雨が説明した通りで、
淡い茶色と濃い茶色の羽がまだらになっており、その下は真っ白い身体をしている。
僕が言葉を失っていると、鳩は首をニ、三度傾げ、すぐに飛び立ってしまった。
「あー!いたあ!」
背中から美雨の大きな声がして、僕は振り返った。
見ると美雨は、彼女の頭上を越えて飛んでゆく鳩をずうっと見ている。
そしてもうその姿が見えなくなると、勝ち誇ったような顔で振り返って、言った。
「キャラメルだったでしょ?」
僕は悔しかったけれども頷いた。
確かにあれはキャラメル色の鳩だ。
まさしく、キャラメルとしか言いようがない。
「はいっ淳一郎の負けだよー」
「は?」
美雨の言葉に僕は思わず、目の前でにやにやしている幼馴染の顔を見た。
「キャラメルアイスおごってねー」
またもやぐいぐいと僕の腕を引っ張り、歩き出す美雨。
彼女の足は今度は駅前のアイスクリームの店へと向かっているようだ。
「お前、無茶苦茶だないつも」
僕は怒りを通り越して、力なく呟いた。
「そうかな?」
美雨はにっこりと笑った。
僕ももう引っ張られずに、美雨と並んで歩いた。
何やかんや言いつつ、久しぶりに食べたキャラメルソースの入ったそのアイスクリームは、強引におごらされたとはいえ、とても美味しかった。
「また見られるかな、あのキャラメル色の鳩」
帰り道、美雨がにこにことして言った。
僕はそんな彼女を横目で見ながら、
「鳩が見たいんじゃなくて、アイスクリームが食べたいんだろ」
と言うと、美雨はばれたか、と笑った。
いいよ、また食べよう。
と、いつものように素直じゃない僕は言えなかったのだけれども、美雨は家に着くまで始終、いつも以上にご機嫌だったので、僕まで嬉しくなった。
結局のところ僕はいつだって、この幼馴染には勝てないのだ。
そしてそれはきっと、これからもそうなんだろう。
「淳一郎、ありがとね」
美雨のその言葉に、うん、と僕はやっと笑った。
キャラメル色の鳩。
とびきり甘い、幸せの象徴。
END
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