真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第百八話
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「…………ん?あれは馬車、か?」

 

「みたいだな。どこぞの商人のようだ。

 

 まあ、俺たちの仕事はいつも通りだろ」

 

「だな。

 

 おい、そこの馬車!止まれ!」

 

建業の門前を任された兵は、前方より姿を現した馬車に停止を掛ける。

 

その声に逆らうことなく、馬車はすぐに止まった。

 

「見たところ商人のようだが、悪いな、上からの命令だ。馬車の中身を検査させてもらう」

 

「はぁ。それは構いませんが。

 

 何やら緊張感があると言いますか……何かあったので?」

 

兵に応対した男人相や大陸南方風の服装なんかもさりげなくチェックしながら、兵は男の質問に答える。

 

「特に何かあったってわけじゃないんだけどな。

 

 上の人らは近々何かあると踏んでいるみたいで、こういうわけだ」

 

「はぁ……大変なんですねぇ……」

 

何とも気の抜ける相槌に兵の方も思わず気が緩みかける。

 

そのタイミングを狙ってか、はたまた偶然か。馬車の中から新たな人影が降り立ち、男の方に声を掛けてきた。

 

「ふぅ、どうやら問題なく建業に着いたようだな。

 

 すまなかったな、主人。助かった」

 

「いえいえ。華佗先生の頼み事とあらば、私共のような者は喜んでお引き受けいたしますよ」

 

二人の会話を中断させて誰何しようとしていた兵は、しかし会話の中に出てきた名前に耳を疑う。

 

「なあ、あんた。突然で悪いんだけど、城内の誰かに取り次いでもらえないか?

 

 周瑜殿の回診――いや、再診に来た、と伝えてくれ」

 

しかも、その真否を問う前に逆に向こうから話しかけられたものだから、兵はすっかり混乱してしまった。

 

「かっ、華佗殿がご一緒でしたか。承知致しました、すぐに。おい!」

 

「あ、ああ!行ってくる!」

 

話していた兵の方が立場が上であったようで、もう一人の兵に声を掛けてすぐに城に向かわせた。

 

「あ、あの〜……私共の商品の検査の方は……?」

 

「あ〜……見たところ特に不審なものは持ち入っていないようだな。

 

 華佗殿がご一緒していたのであれば、一応は信の置ける者なのだろうし……

 

 よし、検査はこれで十分だ。ああ、露店商はあちらの方へ向かってくれ。

 

 こちらの道を行けば、先に商人用の厩舎と馬車置き場がある」

 

兵が街の一角を指差してそう告げた。

 

「へぇ。ご丁寧にありがとうございます」

 

兵に礼を述べ、男――変装した一刀は馬車を指示通りの道へと進ませ始めた。

 

ある程度進んだところで、馬車の中から鶸が顔を出して囁く。

 

「随分うまくいきましたね」

 

「ああ。今回は中々に運がいいみたいだな。

 

 出来ればこれが最後まで続けばいいんだが」

 

華佗というイレギュラーがもたらした影響は、結果的に一刀達に大いにプラスに働いた。

 

ここ、呉の地においてスパイ行為を行うには、実力もさることながら、幸運値が高く無ければままならないだろうと一刀は予測を立てていた。

 

その意味では幸先よいスタートを切れたと言える。

 

「さあ。さっさと置くもの置いて。まずは宿探しだな」

 

出来れば少々日数を掛けて調査したい。

 

そう考えている一刀は、周囲に怪しまれぬよう体裁として用いた”商人”らしい行動を取るために動き出した。

 

 

 

 

 

 

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”庶民らしく”宿を取り、”商人らしく”商売許可を取得する。

 

いずれの手続きも一刀は変装したままで行っていた。

 

一先ず行うべき手続きを全て終えると、一刀は鶸と共に取った宿の部屋へと籠る。

 

そこで呉の地での行動を改めて話しておこうと考えたのであった。

 

「さて。鶸、君にはここで特に間諜系の仕事をしてもらおうとは思っていない。

 

 ただ、俺が活動している間、偽装のための露店を開いておいてほしい」

 

「はぁ、それは構わないのですが……

 

 一刀さんが主人ということになっていますし、いつまでもおられないとそれはそれで拙いのでは?」

 

「その為のこの服装だよ、鶸」

 

鶸の持った疑問に、一刀は軽く両手を広げて自身の服を示して見せた。

 

「この服は大陸の南方、ほとんど蛮族の地と言ってもいいいだろうな、その地の民族衣装だ。

 

 基本的に誰も見覚えの無いであろうこの服であれば、第一印象はまずこの服に引き付けられるだろう。

 

 あとは市中のごく平均的な、言ってしまえば地味で記憶に残りにくいような髪型と表情を作っておけば……

 

 似通った背格好の者に中身を入れ替えてもそうそう気付かれはしないはずだ」

 

「あ……だからそのような格好だったのですね」

 

鶸が納得を示したことを確認して、一刀は鶸の行動指示を続ける。

 

「俺がここでどう活動するかはこれから現場判断で決めていくから、基本未定だ。

 

 場合によっては日を跨いで潜入する必要もあるだろうから、俺がここに帰って来るか来ないかでは単純に撤退判断は出来ないだろう。

 

 そこで、不安定かも知れないが、状況を合図としておきたい」

 

「状況を、ですか?」

 

「ああ。もしも潜入に勘付かれた場合、その場での対処が不可能と判断すれば、俺は敢えて大騒ぎを引き起こす。将が複数人出て来るくらいの騒ぎは起こしておきたいな。

 

 それだけの規模の騒ぎが起これば、今回の任務は失敗したと決めつけてくれ。

 

 そして、その時こそ鶸をお供に選んだ最大の理由が生きて来る。

 

 鶸が為すべきことはただ一つ。それまでの報告書を持って、許昌まで全力で逃げること。以上だ」

 

「全力で……分かりました!私も馬家に名を連ねる者です。その時は必ずや、責務を全う致します。

 

 ところで、その、報告書、というのは?」

 

「ああ、そうだったな。

 

 俺は基本的にここに戻って来たら得た情報を報告書にして仕上げておく。

 

 滞在する日数が長引けばそれも必然的に増えていくわけだが、出来る限り全て持って帰ってくれ。

 

 厳しそうであれば新しいものから。最低でも最新の報告書は持って帰るようにしてくれ」

 

「なるほど。分かりました。

 

 もしも全てを持って帰れない場合、残りはどうすれば良いのでしょうか?」

 

「そんな状況ならきっと処理する時間も無いだろう。その場合は捨て置いて構わない。

 

 元よりその状況を想定して、報告書は全て暗号で記すから、残してもそれほど問題は無い」

 

「分かりました。ではそのように」

 

実を言えば、完全に問題が無いわけでは無い。が、そこはこれだけの任務を行うに当たって許容すべきリスクだと判断した。

 

全てを聞いて鶸が諾を返し、建業での活動方針がこれで決定となった。

 

「それじゃあ、鶸。頼んだぞ」

 

「はい、お任せください」

 

到着した日だからと言ってゆっくり疲れを癒す、などという選択肢は一刀の中には無い。

 

まだ日が出ていて明るいならば、否、これが暗くなってからでも、一刀にとっては”仕事”の時間だ。

 

鶸と言う予防線を張って後ろを固め、一刀はようやく間諜として建業の街に一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

 

 

 

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街に繰り出した一刀がまず手を付けたのは、民の世間話からの情報収集だった。

 

ただ、これはどうにか建業に潜入を果たしている黒衣隊員からの報告に主として上がるもの。

 

故に、一刀はこれに主体的に力を入れるというよりも、城内への抜け道のヒントが無いかを探るために耳を傾けていた。

 

――――今日も孫策様がお酒を買っていかれた

 

――――あそこの路地裏の荒くれどもが甘寧将軍に捉えられたらしい

 

――――最近孫堅様が来られることが少なくなって寂しい

 

――――呂蒙様がこの前眼鏡を新調されたらしい

 

軽く街を歩いただけでも意外と呉の主要人物の話が耳に入って来る。その内容はほとんどが他愛ない世間話程度ではあるのだが。

 

それだけ民との距離が近いことを示していて、民たちも居心地が悪そうどころか好く受け入れている様子。

 

魏や蜀とはまた異なる形なれど、これもまた理想的な治世の一つと言えるのだろう。

 

ただ、今一刀が欲しい情報は中々入ってこない。

 

やはりそうそう簡単には得られはしないか、と手段の変更を講じ始めたところで、不意に気にかかる会話が一刀の耳に飛び込んで来た。

 

「周泰将軍が今日もあの路地裏に来られていたらしいぞ」

 

「へぇ〜、今日もねぇ。あの方もよくよく諦められない方だね」

 

「だよなぁ。別に嫌われてるってわけじゃないんだろうけど……

 

 生まれつき相性が悪い方なのかも知れないな」

 

基本的に、これまで一刀が集めた情報では呉の上の者たちは民に好意的に捉えられていた。

 

それがここにきてこの会話である。

 

あの周泰が、どうやら苦労している案件があるらしい。

 

話の流れからすると、或いは誰かが周泰を避け気味であるのだろうか。

 

もしもその人物と接触し、取り入ることが出来れば……

 

そこまでを瞬時に思考し、一刀は踵を返した。

 

向かうは話に出ていた路地裏。

 

民の会話を拾い集め、繋ぎ合わせ、目的の地を目指して街を歩き回り始めた。

 

 

 

 

 

「ここか……」

 

やがて、日が落ち切る前に一刀は目的の路地裏の特定に成功していた。

 

ただ、特定出来たのはそこまで。その先の細かい情報は中々会話に挙がらず、思うように情報が集まらなかった。

 

「取り敢えず、一通りの様子を見て……細かいことは明日、になるなぁ」

 

それも仕方が無いか、と軽く溜め息を吐く。

 

本音では出来れば一息に進めてしまいたかったのだが、今回は任務の都合上、一刀は絶対に目立ちたくは無い。

 

そのため、情報を収集していこうにも取れる手段が限られ、行動が進まない時は全く進まない、となり得る状況なのであった。

 

「ま、進まないよりはマシだ」

 

敢えて口に出すことで自身を納得させる。

 

兎にも角にも、日が落ちて暗くなれば調査など進めようにも進められなくなってしまうので、それまでには路地にざっと目を通そうと決めて一刀は足を動かし始めた。

 

 

 

それなりに整備された街並み、比較的行き届いた警備。

 

そんな建業の街の体制ゆえか、路地裏と言えども特別治安が悪いというようなことは無かった。

 

路地が入り組んでいて分かり辛い、といったようなことも特に無く、焦らずとも日没までにざっとした地図を頭に叩き込むことは完了していた。

 

ただ、そこに周泰へと繋がるヒントらしきものは得られていない。

 

仕方が無いとは思いながらも、やはり少しは残念に思いながらその路地を離れようとした時だった。

 

不意に側面の建物の隙間から鳴き声が聞こえてくる。

 

(猫?そう言えばさっきまでその類は目にしていなかったな)

 

鳴き声を聞いた一刀はふとそう思う。

 

許昌では恋の家族がいることもあってか、街中の色々な場所で犬や猫を見ることが出来る。

 

それは恋がオーナーである犬猫カフェがオープンしてからも見られる光景。

 

その特殊な状況と単純に比べられるものでも無いのだろうが、ここに来てから一刀は初めて猫を目撃したのであった。

 

どうやら向こうは一刀の姿を認めて鳴き声を上げたらしく、そのまま一刀の足下へと近づいてくる。

 

折角寄って来てくれるなら、と一刀はその場でしゃがみ込むとゆっくりとその猫へ向けて指先を差し出した。

 

猫も警戒心を保ちながら差し出された指に近づき、その匂いを嗅ぐ。

 

これによって一刀に危険が無いと判断したのか、再び一声鳴いてからその猫はコロンと横になった。

 

更に、鳴き声を合図にしたかのように、同じ隙間の先から次から次へと猫たちが現れ始める。

 

一体どれだけの規模の猫の集会が行われていたのかと、その数にさしもの一刀も驚いてしまった。

 

その驚きで暫し固まっていた一刀の指先に、さきの猫と同じようにするや次々とその場で寛ぎ出す猫たち。

 

その自由な姿を見て、一刀は思わず笑みを零していた。

 

「はは。ここにも野良猫がこんなにいたんだなぁ。それにしても……

 

 セキトといい恋の家族たちといい、どうしてこっちではこんなにも動物に好かれるのかねぇ……」

 

現代にいた頃の一刀は特別動物たちに好かれるような印象は無かった。

 

と言っても、現代の街中にはそうそう野良がいるわけでも無く、サンプル数は不足していると言える。

 

しかし、それを踏まえても一種異常とすら呼べるくらいに、大陸に来てからの一刀には動物たちが心を許す。

 

赤兎が例外だったと言えるくらいなのだ。

 

まあ、動物嫌いでは無い、むしろ動物好きなくらいである一刀にとっては役得とも言える状況ではあるのだが。

 

「にしても……これは恋も連れて来た方が色々捗ったかも知れないなぁ。

 

 俺じゃあ懐かれはしても、そこ止まりだし」

 

動物による私設部隊、などというファンタジー染みた妄想も、恋を間近で見ている人間には案外可能かも知れないと思わせるだけのものがある。

 

実際、身近の犬猫を動員してカフェを開設してしまったほどなのだ。

 

それだけに、恋をお供にする選択肢はかなり有用だったかも知れない。

 

しかし、これは無い物ねだりもいいところだ。

 

今はそのような無駄な思考は置いておこう、と一刀は軽く頭を振った。

 

暫し猫たちと戯れて気疲れを癒した後、一刀はこの日の調査を打ち切り、宿へと帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

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翌日、一刀の姿は早朝から例の路地にあった。

 

目立たぬ場所に陣取り、路地全体の様子に目を配る。

 

人の動き、会話、そういったものを一日かけて観察し、周泰へと繋がる情報を浮かび上がらせようとの試み。

 

民の話を耳にした限りでは、彼女はそれなりの頻度でここに来てはいるらしい。

 

出来れば一両日中くらいにはその姿を補足しておきたい。

 

だが、それは結局のところ理想なのであって、一刀の主たる目的はやはり周泰がそこまでして接触したがる人物の把握であった。

 

路地を行く人々の人相を覚え、挙動を観察し、路地へ踏み入れた目的を探る。

 

この作業をひたすら繰り返し、しかし一刀自身が怪しまれないように。

 

自身の配置や挙動にはかなり気を配りながら、そうやって地道に情報を積み重ねる。

 

この作業がやがて目的の人物へと至る道となると信じて。

 

ところが、一日目が終わり、二日目も過ぎ、三日目も半日が過ぎた頃になると、一刀はどうしたものかと首を捻ることとなる。

 

既に、新たに積み上がる情報はほとんど無く、ただただ何も起こらない静かな路地が目の前にあるだけ。

 

こうなってくると最初の情報を疑いたくなってくるが、それがガセである可能性は限りなく低いと考えられる。

 

もしも一刀が直接的に情報収集を掛けていたのであればいざ知らず、実際はただ民同士が話していることに耳を傾けただけなのだ。

 

工作員が潜入者を炙り出すために仕掛けた、などという高度な罠で無い限りは情報は本物であろう。

 

何より、もしも罠なのであれば、既に一刀は捕捉されていることになるのだが、そのような気配は微塵も無い。

 

これは何か重大な見落としがあったのでは無いか。

 

そう考えて情報を検討し直しかけたその時だった。

 

「ふんふんふふ〜ん♪いや〜、良いのが手に入って良かったわ〜♪

 

 冥琳に見つからない内に飲めるところを探さないとっ」

 

鼻歌を歌いながら上機嫌に路地を通過する女性が一人。

 

孫家当主孫堅が長女、孫策、その人。

 

手に持つは一見すれば酒瓶だ。発言内容からもそれは窺える。

 

今から何をするつもりなのかは大凡理解出来る。それ故に、一刀はこれをチャンスだと捉えた。

 

そして、誰にも気づかれる事無く、一刀は孫策の後を尾け始めた。

 

 

 

 

孫策は誰かの目を気にしているかのように暫く進み、やがて大通りから離れたとある場所で足を止める。

 

比較的大きく育った、側道から外れたところに生えた木、その根元。

 

時間はまだ遅くないにも関わらず、辺りにはほぼ人影が無い。

 

一種の穴場なのだろうか。ここへと迷いを見せない足取りで進んで来たということは、孫策はこの場所のことを元から知っていたのだろう。

 

孫策はその場に腰を下ろすと、案の定上機嫌に酒盛りを始めた。

 

そこまでは一刀の予想通り。そこから望む通りの展開となるかは孫策次第の運要素。それでも、それが期待出来るのは偏にこの周囲の状況にあった。

 

一方で一刀にとってこの周囲の状況が不利に働いている面もある。

 

人影がほぼ無いだけに、一刀もまた完全に姿を隠さねばならない。

 

こうなってくると孫策とは距離が開くこととなり、必然、孫策の口から洩れる言葉を全て拾い上げることは出来ないだろう。

 

黒衣隊設立より見様見真似ならぬ聞きよう聞き真似で鍛えてきた読唇術を併用しても、小さな呟きを含めて6〜7割も拾えれば上等だと考える。

 

プラス、自らの周囲の状況にも気を配らねばならない。見つかっては元も子もないのだから。

 

それらを踏まえ、一刀は目標を5割拾いと定める。

 

そこまでを定めてしまえば、あとは思考よりも観察に意識の重きを置く。

 

一刀が陰から見ている中、孫策はそうとは知らずにかなりのペースで酒を空けていく。

 

それに応じて瞬く間に孫策が出来上がっていく様も見て取れた。

 

酔うに任せて愚痴でも呟いてくれれば、一刀にとっては万々歳の展開である。

 

しかし、孫策は楽しそうに一人酒盛りをしてはいるがそれだけで、愚痴を溢すような真似はしなかった。

 

時折ポツリと口元が動くも、一刀の耳に僅かに届く呟きは酒の味に言及したものばかり。

 

いくら酒が入っているからとは言え、やはりそういったものを溢すには話し相手というものが無ければ厳しいか。

 

そんな風に感じ始めた時だった。

 

孫策が通ってきた道を通り、彼女の座る場所まで歩み寄っていく人影が一つ、そしてその反対方向からももう一つ。

 

まるで孫策を挟み込むような形で現れた。

 

その片方、孫策の正面の女性が携える武器の形状や呉の将には珍しい白い肌から、一刀は彼女が太史慈であると断定する。

 

太史慈は孫策の側まで歩み寄ると、腰に手を当てて彼女に忠告を飛ばした。

 

「もう、雪蓮!月蓮様の鍛錬が終わったからって気を抜き過ぎ!

 

 まだ日が落ちてもいないんだよ?」

 

「まあまあ、木春、そう怒んない怒んない。ほら、木春にもあげるから。ね?」

 

当の孫策は太史慈の忠告などどこ吹く風、逆に彼女を酒盛りに誘う始末であった。

 

さすがに戦場でも声を張る必要のある将だけあって、普通に話していてもよく声が通る。

 

これは一刀にとって幸運なことだった。

 

そんな考察もそこそこに、さらに続く会話に一刀は耳を傾ける。

 

「はぁ、もう……冥琳に見つかっても知らないよ?」

 

「だ〜いじょ〜ぶっ!今日のお仕事はちゃちゃ〜っと終わらせちゃったから♪」

 

「へぇ〜、雪蓮にしては意外。

 

 てっきりまた仕事を放り投げてるんだと思った」

 

「ふっふ〜ん!私だってやる時はやるのよ!」

 

ドヤ顔で言い切る孫策の視線を掻い潜って、太史慈は瞬間的に孫策の背後から近づく人物、周瑜に目配せする。

 

周瑜は初め険しい表情で近づいて来ていたのだが、孫策の言葉と太史慈の目配せを受けて表情を和らげ、そのまま踵を返そうとまでしていた。が、その動きは中途で止まることとなる。

 

その原因は続く孫策の言葉にあった。

 

「な〜んてね。前にも使わせてもらった裏技よ、う・ら・わ・ざ」

 

「前にも?…………あ、もしかして……」

 

「そそ♪すぐ出来るのだけやっちゃって、後は蓮華にお願いしちゃった♪」

 

うわぁ、と声に出さずとも明確に表情に出す太史慈は、最早怖くて孫策の背後には目を向けられない様子。

 

実際、周瑜の表情は先ほど以上に険しいものとなっていた。

 

ここで太史慈はどうにか間を取り持とうとする。

 

「あ〜、でもさ、雪蓮。どっちにしても日の高い内からお酒ってのはよくないでしょ。

 

 ついこの間も冥琳に言われたとこでじゃない?」

 

「い〜のい〜の!冥琳は細かいところでうるさすぎるのよ。

 

 全く、あんなお小言ばっかりじゃ、嫁の貰い手も現れるもんじゃ無いわよねぇ」

 

孫策のこの発言に、太史慈は額に手を当て、目を瞑って首を振る。

 

心情としては、こいつ、やってしまったな、といったところだろうか。

 

それは孫策の背後から幻影の炎が上がったことからも容易に察することが出来た。

 

「ほぉ〜ぅ?私が、何だって?ん?雪蓮?」

 

「ぇ……ちょっ……め、めい……」

 

ギギギと音が聞こえそうなくらいにぎこちなく振り返った孫策は、その視界に周瑜が収まった途端にアイアンクローの餌食となっていた。

 

「い、痛い痛いっ!ごめん、ごめんって、冥琳!」

 

「全く、お前という奴は……!

 

 一瞬でも見逃してやろうかと思った私が馬鹿だったよ!

 

 しかも、蓮華様にまでいらぬご迷惑をおかけして……!

 

 少しは当主でありお前の母でもある月蓮様を見習ってはどうなんだ?!」

 

「ちょっ、ちょっと……本気で待って!な、なんかミシミシ言ってる!嫌な音が聞こえるぅ〜〜!!」

 

孫策の悲痛な叫びが響き渡り、ようやく周瑜の指が孫策の顔面から離れる。

 

それでもまだまだ痛いようで、孫策は涙目で自身の顔を押さえていた。

 

「木春、悪いが引き続き雪蓮を連行する手伝いを頼む」

 

「は〜い。ま、仕方無いよね〜」

 

「何が仕方ないのよっ!木春、この裏切者〜っ!

 

 後ろに冥琳がいるんなら早く言いなさいよ〜っ!」

 

周瑜と太史慈との会話に涙目のまま抗議を被せる孫策。

 

しかし、それはすぐに周瑜の冷やかな視線によって抑え込まれてしまった。

 

「そういう問題では無いだろう、雪蓮?

 

 常々言っているが、お前はもっと月蓮様の長女としての自覚をだなぁ――」

 

「久々に交流した昔の親友と悪だくみをしたり?それも国を巻き込んでの?」

 

「む……いや、それは……」

 

「ごめんごめん、冗談よ、冥琳。

 

 母様が何を考えているのかは正直、私にも分からないけど、それでも呉の”民”にとって悪い様にはきっとならないだろうから。

 

 そこだけはさすがに私も信頼しているわよ」

 

孫策の反論が思わぬものだったのか、周瑜が不意に言葉に詰まってしまう。

 

が、当の孫策がその間を気まずく思ってしまったようで、すぐに訂正していた。

 

この流れで場に気まずさが一切残った様子が無いのはこの三人であるからか。

 

そんな細かい考察も交えつつ、一刀はなおも息を潜め続ける。

 

「とにかくだ、雪蓮!月蓮様たちの鍛錬がキツいのは分かるが、もう少しきっちりと事務仕事もしてくれ」

 

「あ〜、はいはい、分かったわよ〜。

 

 っていうか、木春はどうなのよ?」

 

「私はもう終えたわよ。むしろ、冥琳の方が大変そうなんだよね〜」

 

「ふっ、私はいつも通りだよ。今日の分も僅かばかり残っているだけだ。

 

 それにいざとなれば穏がいるし、亞莎も育ってきている。

 

 案外こちらの方は安定していて問題が無いくらいだ」

 

期待していたような答えも無く、孫策はあからさまに拗ね気味となっていった。

 

「ちぇ〜っ」

 

「まあまあ、雪蓮。仕事終わったら一緒に飲んであげるから。ね?

 

 冥琳も、どう?」

 

「そうだな。そこまできっちりやってくれれば、私の方も文句は無いよ」

 

「ホント?言ったわね?

 

 よ〜っし、ちゃっちゃか終わらせて続きを飲も〜!」

 

現金なもので、孫策は最終的に上機嫌となって戻って行った。

 

彼女に付いていくかたちで残る二人もその場を去る。

 

直前までの喧噪が嘘のように静まり返った。

 

 

 

不意にゆらり、と。人が現れる。

 

そこにいると知らなければ、果たして物陰から現れたのかはたまた木陰から現れたのか、それとも突如降って湧いたのか。

 

それすらも定かにならぬほど気配を希薄にして、一刀は潜んでいた場所から出てきたのだ。

 

全ての観察を終えて、一刀はゆっくりと詰めていた息を吐き出した。

 

「思わぬ収穫、か。

 

 気になる点がありはしたが……取り敢えずこれは纏めておくとしようか」

 

目的を達せばその場に用は無い。

 

一刀もまたすぐにその場を去っていくのであった。

 

説明
第百八話の投稿です。


どうも、呉での任務その壱。
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コメント
>>nao様 我が外史髄一の間諜スキルを保持する明命さんならば、或いは……!ちなみに、ドジ踏んだり何だりで描いてますが、呉の中に一番好きなのは明命です!……なんか、前にも言った気がしますね(ムカミ)
>>劉邦柾棟様、本郷 刃様、もずきゅ様、心は永遠の中学二年生様 雪蓮の”勘”って結構議論になるんですね。この外史における設定的には、もずきゅ様が近いものとなります。孫家の”勘”は己の行動の結果を行動前に瞬時に予感するもの、といった体です。(ムカミ)
NTだもんな雪蓮・・・・・・・・・・・(心は永遠の中学二年生)
明命に二重尾行とかされてそうだな〜なんか罠くさいw(nao)
雪蓮の勘って原作通りなら行動の結果が良いか悪いか感じ取る類のものだから隠れてたことまでは気付いてない・・・と思いたい。(もずきゅ)
雪蓮が勘で気付いているかもしれませんし、一刀も実力が上がっているから彼女の勘の範疇に入らない程度になっているかもしれませんね(本郷 刃)
一刀が尾行していたのは、雪蓮の『勘』で気づかれているかもな。(劉邦柾棟)
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真・恋姫†無双 一刀 魏√再編 

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