【新2章】
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【砂縛の解放】

 

迷っても良いのだから

道はたくさんあったほうがいい

 

自分で選べるということが

「自由」というものなのだから

 

■■■

 

薄暗い石壁と無骨な鉄格子で作られた狭い一室で、ひとりの少年が目を覚ました。牢屋と呼ばれるこの部屋には、日差しを取り込むための窓などない。

故に目を覚ましても朝なのか昼なのか夕なのか夜なのかなど、彼には判断が出来なかった。少年が目を覚ましたときが1日の始まりで、力尽き意識を失うときが1日の終わり。

檻の外にある通路から漏れいる灯りはほんのりと、ヒトの気配はうっすらと。

ああ頃合いだと少年はゆっくりと立ち上がる。そのまま彼は鉄格子に向けて、括り付けられた拘束具を振り下ろした。

 

容易く歪んだ鉄格子に別れを告げて、少年は身体を引き摺るように廊下へと歩を進める。身体に巻き付く丈夫な鎖とその先にある重い石球。そう、身なりでわかるようにこの少年は「囚人」と呼ばれる立場にいた。

檻の中に囚われた、監獄で沙汰を待つだけの哀れな囚人。

何の罪を犯したのかなど少年には知る術もない。なんせ彼は物心ついたときからここにいて、これまで一度もこの監獄から出たことはないのだから。

囚人同士の子なのか、それとも捕まった囚人が子を孕んでいたのか、それすら彼は知らなかった。それを知る必要があるのかすらも。

 

■■■■

 

覚えているのは「何か」が食べ物を口に運んでくれた記憶と、水分を与えてくれた記憶。

「それ」はよく音を鳴らした。

そのおかげだろう。よく耳に入る音が「言葉」なのだと知れたのは。

「それ」はよく己の頬を撫でていた。

そのおかげだろう。己がヒトのぬくもりを知れたのは。

しばらくしてそれが一番最初に

「どうして」「こんなところに」「赤ん坊が」

そんな言葉を発していたことを知った。

 

幸いだったのは「そのヒト」が赤子を発見した時、監獄内が騒がしかったことだろう。

毎日のように囚人が放り込まれ、毎日のように騒がしく、毎日のようにあちらこちらで啜り泣く声が響いていた。

監獄全体が騒がしい中、奥の外れの小さな檻の中にいた、死にかけの赤子の泣き声などささやかで。誰にも存在を認知されていなかった。

そのヒトが赤子を見つけられたのはたまたま。目が合ってしまい見捨てることはできず、所持していたものを少しずつ与え、こっそりこっそり育てていく。

いつしか赤子は2本の足で立てるようになっていた。話しかければ顔を向け、触れれば嬉しそうに頬を擦り寄せる。

そのヒトはとても喜び「もう少し元気になったら一緒に外に逃げよう」と子どもを抱き上げた。それからだ、そのヒトの話に外の世界の話題が増えたのは。

 

そんな生活に終わりが来たのはその後すぐ。

子どもの目の前でそのヒトは物言わぬ肉塊に成り果てた。

 

明らかな殺意と敵意の中で己の目の前でそのヒトの身体が崩れ落ちる。

「どうして」「こんなところに」「侵入者が」

と言葉を投げつけられながら。

 

敵意に見つかる直前に、彼は子どもを物陰に隠した。

「危ないからここから出てはいけない」「動いてはいけない」「音を出してはいけない」

「岩のようにじっとしていなさい」

そのヒトはそう優しく諭しながら、子どもの頭を撫でひとつの単語を口にした。

それが何かはわからなかったけれども。

 

侵入者を排除し終えたと判断されたのだろう、敵意の気配は消えていた。誰もいなくなった檻の中はただただ静かだ。

もぞりと子どもは隠れ場所から這い出て、冷たくなった「恩人」に手を伸ばす。

いつものように撫でてはくれない、撫で返しても笑ってくれない。

いつものように喋ってくれない、色々なことを教えてもくれない。

いつものように暖かくない。

どうしてだろうと思った。

何故だろうと思った。

けれどもこの答えを教えてくれるひとは、もうここにはいなかった。

 

不意に声が出た。獣のような咆哮のような鳴き声のような泣き声が。悲しみと怒りが混ざったような、そんな声が己から。

そのまま子どもは開いた扉から飛び出した。

初めて檻の外に出たが、感慨も感動も何もなくただ「こんなことになった原因」に怒りを悲しみを憎しみをぶつけるために。

檻の中しか知らない子どもがそんなことをしても、返り討ちに合うだけだというのに。

 

案の定その子どもはあっという間に地に伏して、それでも獣のように声を荒らげ手足をバタつかせ暴れようとする。

反抗的だ危険だと看守はその子を手近な牢に叩きつけた。これで大人しくなるだろうという看守の目論見は外れ、恩人のいない知らない檻、それを嫌がったその子どもは大いに騒いで檻の中で暴れ出す。

それが何日も続いたものだから、看守も辟易しその子に鎖を巻きつけ石で出来た錘を括り付けた。この年頃でここまで拘束されるのは珍しいと看守はその子にあだ名を付ける。

枷を付けられた子、「ロック」と。

 

■■■■■

 

鉄格子を破壊し何度目かの脱獄を果たしたロックは、辺りをきょろりと見回した。これまでロックは幾度となく脱走を試みている。とはいえ「外」を目指していたのではない。

産まれて育ったあの檻を求めて彷徨っていたのだ。少し休めば己の身体の痛みは引いた。ならばもしかしたらあのヒトも治っているのではないかと、もしかしたらまたいつものように笑顔を向けてくれるのではないかと。

なんせロックの世界は、あの小さな檻の中が全てであったのだから。

まあその都度看守や見張りに見つかって、ボコボコにされた上で近くの空いている檻に放り込まれている。なんせ脱走するたびに檻を壊すのだ、看守としても適当な檻に突っ込むしかない。

 

見張りをやり過ごし息を潜め「オレは岩オレは岩」と大昔の言いつけを守り、辿り着いたのは未使用の檻。そこでロックは笑顔で己に向けて話かける「何か」に出会った。

それはあのヒトのようにロックを見て、あのヒトのように笑い、あのヒトのように音を鳴らす。体躯はロックと同じくらい、恩人とは違いつぎはぎだらけの鎧を着ていた。

 

「おっ!お前も脱走か!」

 

ロックが反応出来ずにいると、それは「久しぶりにヒトと会ったな」とロックを観察しはじめる。ロックが怪訝な顔を浮かべ「変なモノ」を見るかのような目線を送ると、そいつはにぱっと表情を変えロックの背中を叩いた。

 

「お前そんな重そうなの持って脱走とか根性あるな!」

 

どうやら枷が味方して「看守側ではない」「脱走仲間」と認識されているらしい。ニコニコ笑う彼は、ふたりのほうが安全だから、とロックに協力を持ちかけてきた。

それと共に、彼はぎゅっとロックの手を握る。ロックは自然と頷いた。その手がとても暖かかったから。

久しぶりに、あの時以来に感じた、ヒトのぬくもりだったから。

 

手を繋いでふたりは区域の廊下を歩く。どうも彼はかなり頻繁に脱走しており、あちこちの区域から使えそうなものを掻き集めているらしい。

「脱走はイケんだけど、監獄から出られないんだよな」と頬を掻き、どこかに地図でもあればとため息を吐いた。

物資回収も監獄探索も最近はどっかの誰かが頻繁に暴れてるのか妙にやりやすいと笑う彼に、ロックは「それはオレかもな」とポツリと漏らす。看守がキレ散らかすほどの頻度で暴れるのだ、必然的に看守の注意はをロックに向かう。

そんな状態ならば、他の囚人はあれこれやりやすくなるだろう。自分のやりたいようにやっていただけではあるのだが、どうやら彼はそれに感謝をしているらしい。

 

「お前かよ!本当凄いな……お前名前は?」

 

「…名前、…」

 

「ん?あー、オレはジェイル。いやせっかく会えた脱走仲間だし」

 

友達というか同士というか次も生きて逢おうぜ!みたいな相手がいるとモチベーションが違うというか、とジェイルは照れ臭そうに頬を掻く。

他の囚人は怯えてじっとしているか、看守の言うことを大人しく聞くか、絶望して泣き暮らしているモノが多い。そんな中頻繁に大暴れしている音を聞くたびにジェイルは「生きてたらそいつと仲良くなりてえな…」と考えていた。

全てを諦めているような奴らよりも、諦めずに自由を求めて暴れる奴のほうがよっぽど好感が持てると。

かなり褒めて貰ったがロックは口を開けない。そんなロックを見てジェイルは「初対面だし信用出来ねーのはわかるし無理にとは言わねーし」とワタワタ慌てたように手を動かした。

ジェイルは「信用出来ないから本名を教えることを躊躇している」と判断したのだが、ロックとしてはそういうレベルの話ではない。

なんせ自分に名前などないのだから。

看守どもが勝手に呼ぶ「ロック」という名はある。しかしロックには親から貰える初めての愛情と表される「名前」はない。

なんせ記憶の片隅にも「親」というものはいないのだから、産まれてこのかた愛情込めて名前を呼ばれたことなどない。

それ故、名を問われたロックは固まっている。教えるべきものを持っていないのだから。

するとジェイルはみるみるうちにしょぼんと萎れていった。明らかに落ち込んでいる。産まれてから今までヒトと接する時間が極小だったロックが見ても、あからさまにわかるほどに。

ロックは迷った、この名を教えても良いのだろうかと。なんせこの名は、「ロック」という言葉は、常に疎まれ怒りと憎しみと敵意の中でしか呼ばれないモノなのだから。

そんなものを、名前としてジェイルに教えて良いのだろうか。でもなんかすごく落ち込んでいる。

だからロックは迷いながらも、曖昧に目線を泳がせながらも、口を開いた。

 

「…ロック、って、呼ばれて、る、」

 

名前だとは言えなかった。名前なのかわからなかったからだ。

なんせ己がそれを名前と上手く認識出来ていない。他者から識別される際称される言葉、程度の認識。

それでも、先ほどまでのしょんぼり顔はどこへやら。ジェイルは打って変わって晴れやかな笑顔でうんうん頷き「おう!オレはジェイル」と何故だかまたもや名を名乗る。

今さっき聞いたばかりだ、そんなすぐさま言葉を忘れるほどロックは馬鹿ではない。怪訝な表情を浮かべたロックを見て、ジェイルは「まあまあ」と楽しげに笑顔でロックの背中を叩いた。

 

「よろしくな、ロック!」

 

ジェイルに名を呼ばれたロックは目を見開く。姿形も声も服装も何もかもが違うのに、不思議とジェイルの姿と恩人の姿が重なった。

忌み名かのように呼ばれていた「ロック」という音は、今この瞬間名前と変わりロックの体にじんわりと馴染む。識別番号などではなく、親しみとともに奏でられるロックのための名前として。

どうにも胸がぽかぽかと暖かい。かろうじてロックは「おう」と返事を返したが、むず痒いようなくすぐられているかのようななんとも言えない感覚にロックは戸惑った。

そんなロックを見てジェイルはキョトンとしたあと嬉しげに笑う。「なんだお前笑えるんじゃねーか」と。

名前通りにカチコチの岩みたいな奴なのかと思ってたわと語るジェイルの言葉は、ロックの耳を通り抜けた。笑う?そうかこの頬の緩みが「笑顔」というものか。

ぽかぽかとした喜びを感じた時にヒトの表情はそう動く。ならば恩人は、ロックを見てぽかぽかしていたのだろうか。

何故だろう、とロックは正面でニコニコ笑うジェイルを見て首を傾げた。

 

■■■

 

ロックとジェイルは監獄内をトコトコ歩く。まあ流石に石球がくっついているロックは歩みが遅いがジェイルは気にならないようで、むしろゆっくり進む分たくさん話せるとばかりに口を動かしていた。

「いやむしろそんなもんぶら下げて、その速度で歩けるのスゲーわ」とジェイルは呆れたように笑ったがそうなのだろうか?

付けられた石球を外そうとはせず連れ歩く選択をしているおかしさに、ロック本人は気付かない。脱獄に挑むものならば、枷を外すことは必須であるのに。

ジェイルとしても不思議に思ってはいるのだが、この枷は外せないのだろうと、丈夫すぎて外せないのに脱走しようとしているのだろうと納得はしている。きっとどうしても外に逃げ出したいのだろうと。

だからロックがその石球を振り回して、ひとつの牢の鉄格子をひしゃげさせ「よし」とほざいた暁には「そのために拘束外さねーのかよ!?」と盛大に突っ込みをいれた。こいつにとってこの拘束は拘束ではなく武器だった。

そりゃ看守らはロックを危険視する。拘束を取り外すのも出来ない、例え武器のように扱われようとこの石球のおかげでロックの動きは遅いのだ。外した瞬間どうなるかわからない。あっさり逃げられるか、この監獄に甚大な被害が出るのか。

監獄が破壊された場合、囚人を逃した場合、あの魔王がどれだけ不機嫌になるかなど考えたくもない。

ならば多少の被害は容認し、確実にロックを捕らえられる方法を維持するだろう。現にロックは暴れては捕まり暴れては捕まりを繰り返している。

その内拘束増やされそうだなとジェイルはロックの肩をポンと叩き「無茶はするなよ…?」と心配そうに声をかけた。ロックが怪訝そうな表情を浮かべたのは言うまでもない。

 

檻の中を探索すながら、しかし、とジェイルは不思議に思う。拘束を付けられた状態でこの馬鹿力、錘すら気にしないかのような歩み、そんなロックが何故こんな監獄にいるのか。

確かに魔王軍の襲撃は強く過激で、ジェイルですら逃げ切れずとっ捕まってここにいる。他の奴らもそうだろう、中には他者を庇って捕縛された者もいたがロックならば庇った上で逃げきれそうなのだが。

だからジェイルはそれを問うた。「なんでお前は強いのにこんなところにいるのか」と。まあ返答としては、誰かを庇ったからとか、みんなを逃すためだとか、そういったものだろうと予想しながら。

しかし返ってきた答えは

「知らない」

のひと言だけだった。

…寝ていた合間に連れてこられたとかなのだろうか。ジェイルは「そんなことあり得るか?」と首を捻る。

なんせ魔王軍はド派手に襲撃をかましてきた、こっそり人攫いなどしないだろう。よっぽど寝汚い、だとしても魔王には見逃されそうだ。「つまらない」と。

ジェイルは質問を重ねた。「外に会いたい奴がいるのか」と。

こちらもロックからの返答はひとつだけ。

「別に」

声色的に照れ隠しとかではない、本当に興味がないかのような答え。

考えてみればロックは外へと向かうわけではなく、監獄内を暴れ回っているだけだ。ならば「魔王を倒したい?」とジェイルが問えば「…まおー…?」と変な顔をされた。まるでそんなモノ知らないとでも言いたげに。嘘だろこの土地であの魔王を知らないはずがない。

どういうことだとジェイルの疑問が膨れ上がり探索の手が止まる。それに気付いたロックはジェイルのめぼしいモノが無かったのだと判断したのだろう、「別のとこに行くぞ」と声を掛けた。

 

次の牢。とはいえこの区域は古い区域なのだろう、半ば物置のように、要らない物を放り込む場所であるかのように雑多である。

先ほどの牢もいつからあるのかわからない布や朽ちた鎧、虫喰われた書物などが乱雑に重ねられていた。

だからなのだろう、この区域は見張りが甘い。先ほどロックが鉄格子を破壊したド派手な音がしたにも関わらず看守らの音沙汰無いのがその証拠だ。

とはいえ。

 

「開いてる!開いてるから!壊さなくていい!」

 

ド派手な破壊音は心臓に悪い。ジェイルは足早に入り口をチェックし、無意味に破壊する必要はないとロックを制止する。ロックが若干不満げな表情を浮かべたのは見なかったフリをした。

扉を開きゆっくりと牢の中に入る。ここも同じく物が雑多に、…いや、雑多というか荒れている?

まあ牢であるならば荒れることもあるだろうとジェイルは気にせず探索を始めた。が、不意にロックに目を向ける。動いた気配が無かったからだ。

当のロックは目を見開いて牢の中を見廻していた。ようやく動いたと思ったら、ノロノロと床に落ちている薄汚れた布を手に取り呆けている。大きさ的に外套だろうか。

知り合いの所持品か?とジェイルは首を傾けた。実際ジェイルは監獄に放り込まれた際、所持していた道具類は没収されている。

ならば己の没収品もここらにしまわれているのだろうかと、ジェイルは手近な箱を開封してみた。しかし中にあったのは数枚の薄汚れた紙切れ。ハズレかと舌打ちしつつも中身に目を落とす。

 

「…アタリだ。ロック見つけた、地図だ」

 

厳密に言えば地図というより見取り図とか図面というのが正しいのだろうが、ともあれこれでジェイルは脱獄へと一歩近づいた。これさえあれば外へのルートは当然のこと、この監獄のウィークポイントも主人の部屋への道順も把握することが出来る。

逃げて良し、混乱させても良し、親玉に一泡吹かせるも良し。出口の無かったこの監獄生活に、複数の光が見え始めた。

喜び図面を掻き集めるジェイルを尻目に、ロックはぽつりと言葉を紡ぐ。

 

「なあ」

 

「ん?」

 

「もしもここに死体があったら、それはどうなる?」

 

ロックからの質問にジェイルは首を傾げながら「多分処理されるんじゃないか」と素直に答えた。例え物置だとしても死体を放置するメリットはない、放置しておくとアンデッドなるものに変貌するという噂もあるし。

ジェイルの言葉にロックは天を仰ぎながら「そうか」とだけ答えた。ヒトは涙を堪える時に空を見るとはよく言ったものだ。確かにこれなら多少なりとも堪えることが出来る。

黙り込んだロックを不思議に思いながら、ジェイルは監獄の図面に目を走らせた。ここがこうでここに繋がってここが…、…?

ジェイルは気付いた、何度も脱走し監獄を見回ったことがあったからこそ気付けたことだ。

この図面は不完全だということに。

一部の通路の記載がない。一部の区画の見取り図がない。つまりは監獄に新しく建てられた、増築されたのであろう箇所が丸々存在しない。

古い図面なのだろうかと疑問に思う。その割には紙は朽ちていないしインクも掠れていない。その割に、捕まる前に触れたことのある太古の資料と同じもの、つまり紙もインクも今は失われた素材が使われている。

不思議だとジェイルは図面を撫でる。隣の牢屋の物品は、大半が朽ち果てかけていたというのに。

不思議な牢屋、否、変な牢屋だとジェイルは小さく息を吐き出す。なんかちょっと不気味だな、と。

 

しばらくしてロックが復帰し「んでどうすんだ?」とジェイルに声を掛けた。地図と睨めっこしていたジェイルは顔を上げ「どうとは」と目をぱちくりさせる。

そんなジェイルにロックは呆れたような声で「このままその地図を頼りに逃げ出すのか、それともまだなんかやることがあるのか」と問いかけた。逃げるのならば囮をやってやるとも。

 

「へ?お前は逃げねーの?」

 

「オレはいい」

 

悩むそぶりすら見せずロックは言う。ジェイルは言葉を失い口をはくはく動かした。どうして?だってここにいる囚人は皆、外に出ることをここから逃げることを切望しているだろうに。

ジェイルの疑問に一切気付かず、ロックはぶんと石球を降る。「思い切り暴れたいから、喜んで騒ぎを起こしてやる」と物騒なことを呟きながら。

やべーやつという言葉を飲み込んで、ジェイルは「もうちょいこの地図を調べたいから、まだ逃げねーよ」と笑った。だから暴れなくて良いです。

ジェイルの言葉にやや不満そうな表情を浮かべたロックだが、ふと気付いたように「調べるって?」と首を傾げた。

ジェイルはロックに説明する。この地図は未完成だと、故に不足部分を補いたいと。

すると、

 

「…ということは、お前が地図とここを照らし合わせるために、…オレが暴れて注意を引くと、良い?」

 

「どうして」

 

思わず素直な疑問を口に出したジェイルだったが、もうロックの中でそれが決定事項となったらしい。「じゃあちょっとそこらへんぶっ壊してくる」と軽やかに駆け出していった。

「捕まるなよー」という声をかけて残して。

制止も間に合わずジェイルはロックを見送り、しばらく呆けている間に監獄そのものが揺れるほどの音と衝撃に襲われた。もしやロックは鉄格子や檻を壊したのではなく、壁を壊したのではないかという疑問にジェイルは、

 

「やっぱやべーやつだった…」

 

という呆れた声を誰とも無しに呟く。

そんな中ヒトの気配が近付いてくるのを感じ、慌ててジェイルは身を隠した。看守が騒ぎを聞きつけてロック捕縛に動いたのだろう。

同意はしてないがロックのおかげで結果的に調べやすくはなったのだ、出来る限り調べてみるか。

捕まるな、は無理だろうが、死ぬなよとジェイルはロックに念を飛ばす。今度会った時はもっと色々話せるといいなと願いながら。

 

■■■

 

監獄の区画には多少種類がある。

ロックはまあ毎日のように脱走し、その際檻を破壊するものだから固定された牢屋はないが、大半の囚人はほぼ固定された牢屋で過ごしているようだ。

今回ロックが暴れた区画は、割と身なりの整った比較的健康的な囚人の居住牢だったらしい。とりあえず壊した牢屋の中で驚きつつも周囲を警戒していたのは、ロックと同じ年頃の少年だった。

ここは特別な区画なのか、いつもより看守の襲撃が早くロックは割とあっさり捕まり、とりあえずと言わんばかりにその区画の空き牢に放り込まれる。ついでに壊した牢屋の住人も一緒に。

 

「だあー!もう!」

 

「えっと…大丈夫か…?」

 

恐る恐るという風体だが、少年はロックを気遣う素振りをみせた。驚いてロックは少年をマジマジと見つめる。

以前他の牢屋を破壊したとき、そこの住人らに「共謀したと思われたらどうするんだ!」と怒鳴られフクロにされたりしたのだがこの少年は違うらしい。

そもそも牢屋にひとりで入っているのも珍しい。大抵の檻の中には複数のヒトが詰められていたのだが。

不思議に思いながらロックはぶっきらぼうにいつものことだから平気だと言い放つ。しかし少年は心配そうに見返し、そうだと己のマントをビリと引き裂いた。

その切れ端を配給されていたらしい水に付け、看守に殴られ赤くなったロックの頬に当てがう。ひやりとした感触に驚きロックがそれを払いのけると「冷やしたほうが良い」と少年は再度治療を行おうとした。

 

「いい!」

 

「良くない」

 

口調は穏やかなのだが問答無用な迫力にロックは押され、最後の抵抗として口を横一文字に結びながらも大人しく冷えた布を受け入れる。

礼は言わないからなと突き放してみたものの「つまりキミはお礼の気持ちを抱いたということだね」とへらりと笑われた。その笑顔に虚をつかれ目を泳がせながら、言葉がなんだか伝わらないとロックは不機嫌そうに息を吐く。

 

「オレに構うとロクなことにならねーぞ」

 

「ん?ああまあ多少は大丈夫だと思う」

 

少年曰く、ここの区画は闘技場に出演する囚人の居住区兼控室のようなものらしい。言うなれば少しばかり特別な、選ばれた囚人。だからか多少は融通がきくのだと言う。

「闘技場?」とロックが怪訝そうな声を漏らせば、少年は廊下の奥を指先ながら「多分この監獄で唯一太陽を拝める場所」と苦い顔を浮かべた。

闘技場とは囚人同士が闘ったり、猛獣との死闘が行われたりといった「戦闘」を見世物にする施設。魔王がヒト狩りを行った際、イイ感じに反抗してきた輩同士で闘わせたら面白くなりそうだと思い付きで建築されたらしい。

これまで何回かの「闘い」が開催されてきたが、どうやら魔王はその催しに概ね満足しているらしくいまだ解体されていない。

闘いがメインだからか、ここにいる囚人は「闘士」と呼ばれているそうだ。他の囚人とは一線を画す、特別な囚人。

特別な扱いをされてはいるが、魔王を楽しませられなければ降格、つまらない闘いをしたら降格、もちろん逃げたり反旗を翻したら降格。降格した闘士がどうなったかはわからないが、この区画から追い出されるのは確か。と少年は語った。

 

「万全な状態で闘技場で闘ってほしいのか割と融通がきくし、牢屋で殺し合いされてもつまらないからか個室になってるみたいだ」

 

ふーん、とロックは鉄格子の外を眺めた。ということはこの区画にいる奴らは戦闘能力の高い囚人なのだろう。その割には先ほどロックが暴れた時、周囲が大人し過ぎたと思うが。

そもそも体調が万全な強い奴であるならば、脱獄だの反抗など容易いだろうに。何故言いなりになって大人しく見世物になっているのか。

 

「それは…条件を出されたから、かな?」

 

条件?とロックが首を傾ければ、少年は「僕の場合は勝ち続ければ解放される、…だったな」と言葉を吐いた。少しばかり言葉を飲み込み目を逸らしながら。

それに気付いたロックは「ほかには」と問い詰めた。少年は驚いたようだがそれでも首を横に振り「それだけだ」と頑なに答えない。

呆れたようにロックは「んじゃお前は、ここにいる奴らは、歯向かう力があるのに贅沢で快適な暮らしのため、そして自分だけが助かりたいからと言いなりになって他の奴らを見捨てる腰抜けども、になるぞ?」と詰めたが、少年は「……それで、いい」とホザきよった。

良くはないとロックは思う。そもそもそんな利己的なヒトであるならばロックを手当などしないし、この闘技場の説明などしない。

なんせロックは彼の目の前で暴れ檻を壊した「自分の平穏を壊す危険物」だ。同じ檻に入れられるのも関わるのも嫌だろう。嫌なはずだ。

まあ話したくないなら仕方がないとロックは少年から目を背け、ぽつりと呟いた。

 

「外か…」

 

ロックのその言葉に少年はいたく痛ましげな表情を浮かべ「…うん、そうだよな…」と目線を牢の外へと向ける。視線の先にあるのはかつて檻であったもの。と、それを片付けるために派遣されたらしい小さなモノ。

あいつあんなことまでするのかとロックは少しばかり関心した。あいつら徒党を組んで追ってきて、スクラムを組んで壁になる防衛装置だとばかり。

素早くてクソ面倒なんだこれが。とロックが憎々しげに思い出していると、少年が何やらその小さなモノに話しかけていた。

「カクニン スル」と小さなモノはふよふよ飛び立ち、すぐにふわりと帰ってくる。そのままカシャンと牢の鍵を開けた。

 

「うん、許可が出た。行こう」

 

「いや何の、行くって何処へ」

 

まあまあと少年はロックの手を引き立ち上がらせる。そしてロックに括り付けられた石球をよいしょと持ち上げ「よし」と牢の外へと歩を進めた。

繋がっている鎖を引っ張られたのならば、ロック本体も動くしかない。戸惑いながらもロックはされるがままについて行った。

ふたりが進んだのは区画の奥にあった扉の外。

重そうな扉が開いたその先には、闘技場が広がっていた。

 

「どう?」

 

少年はへらりとロックに笑いかける。久しぶりの外の空気と太陽の光はどうかと。

ロックは全く動けなかった。

肌を撫でる風、閉じた空気もカビ臭い匂いなどどこにもない。

目が眩むような明るさと焼けるような熱気と果てしなく高い青色。

眩しい眩しい眩しい。

これはなんだ?

ここはなんだ?

知らない。

 

微動だにしないロックをみて「まあ久しぶりの外ならこうなるかな」と少年は頬を掻く。薄暗さに目が慣れてしまっているから、この砂縛の太陽は眩しすぎるだろうし。

うんと頷きながら少年は微笑む。きっとこの子はこの後酷い目に合わされるだろう、なんせあれだけ大暴れしたのだから。

だから少しだけ、酷い目に合うその前に、心休めて欲しくて。たとえ辛くとも「監獄の外に帰る」という希望を思い出せるように。

一緒の牢に入ったのも何かの縁だと、外の景色を見られるようにと少年は取り計らった。その分ペナルティが入り、自分の闘技場での催しはヘビーなものになってしまうようだが、別に良い。ヒトは希望を捨てては生きていけないのだから。

 

「なあ」

 

そんな少年の気遣いなど露知らず、ロックは思わずといった風情で声を漏らした。「ん?」と少年が首を傾げればロックは「闘技場に出れば、闘士ってのになれば、またここに来られるのか」と問う。

ロックの言葉に困ったような表情で少年は語る。確かにそうだがそれは、闘士になるということは死と隣り合わせなのだと。

 

「気持ちはわかる、けど。僕も明日には死ぬかもしれない、それくらい危険な、」

 

「別にいい」

 

この世界をまた味わえるなら。

産まれて初めて浴びた太陽の光は、感じた空気は、目に映った景色は、ロックの脳を焼くに充分すぎるほどだった。

また、この明るさを。

また、この空気を。

また、この景色を。

また、この世界を。

ロックの中に初めて欲が産まれ、これを欲した。これが得られるならば、他には何もいらないと願うほどに。

それはもちろん、己の命でさえも。

外の世界に恋い焦がれた。

 

でも、とまだ渋る少年を振り払い、ロックは看守の元へと走る。「自分を闘士にしろ」と脅すために。

ちなみにかなり揉めたのだが、ロックの「オレを闘士にしないならここの檻全部ぶっ壊す」というひと言が決め手となり一応無事に登録されることとなった。

かなり重たい条件を付けられたが。

武器は与えられず身なりも最低限、枷は大きくなり拘束も増え錘も倍以上に増えたというか石ではなく鉄になった。が、ロックは問題ないと鼻で笑う。

あとはまあ、「無様な姿を晒した時はお前の仲間を皆殺しにする。大人しく見世物になれば仲間は無事だ」とも言われたが、ロックにそんなものはない。帰るところも待つヒトも。

出る必要はないのだ、ただあの景色に触れられれば良いのだから。

というかあの時の少年が口を濁した理由はこれかと、遅ればせながらロックは理解した。恐らく闘士となった囚人は皆、仲間を人質に取られているようなものなのだろう。

ひと通りの睨み合いが終わった後、ロックは牢の中に戻された。少年と出会ったあの闘士用の区画だ。まあ牢屋は「お前が壊したんだろ」と他のに比べて突貫気味の質素なものではあったが。

ロックが牢の中を確認していると「キミ、大丈夫か…?」と聞き覚えのある声が鉄格子の外から響いた。顔を向ければあの時の少年が心配そうにこちらを見ている。

 

「あーお前…お前……、…ナマエは?」

 

「今聞く?」

 

少年は心配そうな表情から一瞬で呆れたような顔となり、とはいえきちんと「タクスだ」と教えてくれた。そうかとロックは少しばかり吃りながらそれでもしっかりと己の名前を告げる。

 

「オレは、ろ、ロックって呼ばれてる」

 

そっかと微笑み「よろしくな、ロック」とお互いほのぼの挨拶したところで、タクスは「いやそうじゃなくて!」と声を荒らげた。忙しい奴だな。

タクスとしては、突然ロックを外に連れ出した際のペナルティが無くなったため、何かあったのかとこっそり抜け出して来たらしい。「バレる前に戻るけど」とチラチラ周囲を警戒している。

なんとか会いに来てみればロックには以前よりも拘束が増えてるわ、なんか質素な所にいるわで扱いが悪い。故に冒頭の「大丈夫か」に繋がるのだが、なんかほのぼのとした空気になってしまった意味がわからない。

 

「それはあれだな、オレがオレにハンデをつける代わりにタクスのペナルティ解除させたからだな」

 

話し合い(物理)を行った際、タクスがロックを連れ出したペナルティのことを知ったため「あんな弱そうな奴になんかするよりオレにハンデ入れた方が面白くなるだろ」と煽ってみた。

それ故に一件落着。まあ交渉(物理)のおかげで部屋は酷い有様になったのだが。

それをタクスに伝えれば「えぇ…?」と困惑の表情を浮かべる。まあ確かに魔王らを楽しませるためにはそういったものがあったほうがウケは良さそうだが。

 

「…そこまでして守りたいヒトや帰りたい場所があるのか?」

 

「いねーしねーよ」

 

ロックがそう答えればタクスは驚き目を見開く。戸惑ったように口を開き、閉じ、また開きを繰り返し、最終的には「…ごめん」と何故か謝罪の言葉を口に出した。

ロックは何に対しての謝罪なのか問おうとしたが、その前にヒトの来る気配を感じとったタクスは慌ててロックの傍から離れる。

 

「っロックは!生き延びて、くれ!」

 

「…元よりそのつもりだ」

 

そんなささやかな会話を最後に、牢には静寂が訪れる。

他の区画とは違い、泣き声や恨み言は聞こえない。

熱い闘いを繰り広げる闘士たちの控室は、不気味なほど静かだった。

 

■■■■■■

■■■

 

じゃらんと鎖の音が檻の中に響く。

カシャンと鉄球が壁を叩く。

太陽の熱で火照った身体が冷えていく。

はあとロックの口から思わず漏れた吐息は、監獄の壁に吸い込まれていった。

闘士として闘技場で闘うのも、はじめの内は割と楽しかった。一方的な暴力ではない対等な「闘い」というものは初めてだったから。

歓声を受けるのも割と面白かった。暴言や怒鳴り声以外の言葉は新鮮だった。

勿論外の世界に触れられることは、この上なく嬉しかった。

けれども。

同じ日々に嫌気がさしてきた。

見世物になるのは不快に思えてきた。

切り取られた狭い空に不満が出てきた。

あの空はもっとずっと遠くまで広がっているらしい。闘技場の上だけではなく、この監獄の外だけでもなく、もっともっと遠くの果てまで。

長い日々を過ごしたロックは知る。欲望というものに際限がないことを。

昔は生きられれば良かった。

次は心に燻る怒りを発散したくなった。

外の空気を知ってからはそれに触れられれば満足だった。

それなのに今は、もっと広い世界に飛び出したくなった。

たまに闘技場に鳥が訪れる。ああこいつらは自由に外の世界を飛び回れるのだと気付いたときに、己でも驚いたが、なんとも言えぬ怒りを感じた。

オレはこんな狭い場所で見世物になっているのに、どうしてこの翼のある生き物は自由に動き回っているのだろう。オレよりも弱いくせに。

一度思ってしまうともう駄目で、自由になりたいとイライラする日々。歓声も闘いも何もかもが煩わしく感じた。

そんなロックが思い出したのは、昔聞いたタクスの言葉。「勝ち続ければ外に出られる」。それは遅効性の毒のようにロックをじわじわ蝕んでいく。

勝てば、勝ち続ければ、自由を得られる。

聞いた当初は興味がなかった、外の世界など知らなかったから。場所もヒトも、そもそも外の世界がどうなっているのかすら知らない。

しかし今は知っている。眩いばかりの太陽の光を、優しく輝く月の光を、カビ臭くない爽やかな空気を、大きく広がる青空と星空を。

こんな世界を知って、外に出たいと、自由になりたいと願うのは当然のことだろう。

故にロックは闘った、嫌になっても不快に思っても怒りを増幅させたとしても。「勝ち続ければ自由になれる」と。

 

しかしその「ご褒美」はいつまで経ってもやってこない。

どれだけ勝ち点を上げようとも、どれだけ連勝しようとも、どれだけ魔王を楽しませようとも。

催し物が終われば、すぐに牢屋に戻される。次の試合が組まれまた闘いに放り込まれる。勝ち続けても勝ち続けても、全くもって終わりがこない。

 

「クソっ…!」

 

苛立ちの声と共に、ロックは怒りにまかせて石球を檻の鉄格子に向けて叩きつけた。昔はこの程度で簡単にひしゃげたものだが、どうやら強化されたらしい。揺れはしたがそれだけで、鉄格子はびくともしない。腹立たしさに拍車が掛かる。

ロックが舌打ちをすると同時に、檻の外から「あらあらあら」と呆れたような声が投げかけられた。顔を上げればそこにいたのは頬に手をついたここの獄長。「壊れちゃうからヤメなさいね」と幼子を諭すかのようにロックを叱る。

 

「無駄なことはおやめなさいな。アタシがいつでも見守っていてア・ゲ・ル」

 

「うるせえ!オレはここから出るんだ!!」

 

ロックが怒鳴り返せば、獄長は「じゃあこれからもせいぜいガンバって愉しませなさい」とケラケラ笑った。他のコたちよりチャンスがあるだけマシなのだから、と。

ふざけるなとロックは獄長を睨み付ける。そんなロックを見て獄長は「まだまだ元気そうね」と嬉しそうに笑い、もうちょっと出番を増やしましょとご機嫌な足取りで牢から離れていった。

小さな声で「……檻に傷が入ってきたわね、早めにもっと強化しないと」と呟きながら。

獄長の笑い声に神経を逆撫でされたロックは、今度は拳を鉄格子に叩きつける。石球をぶつけたときとは比べ物にならないほどの小さな音が鳴った。そんなささやかな反抗の代償に、ロックの手から赤い血が滴り落ちる。

 

「…ムカつく…」

 

「ロック!?大丈夫か!?」

 

ちょうど試合が終わったのだろう。慌ててロックの檻に駆け寄ってきたのはタクスだった。タクスも順当に勝ち星を上げている、目立つ怪我も欠損もない。体躯もロックと同じくらいはがっしりとしてきていた。

ほとんど接触は出来ないのだがお互い試合の前後、檻から解放される僅かな時間に顔を合わせることは出来た。時にはすれ違えたり、移動する姿が檻から眺められたり。

とはいえだいたい看守か獄長が側にいるため話すことは出来ない。僅かなタイミングで一瞬だけ目を合わせ、軽く合図を送り合う。

「今日もお互い生きているな」と。

ロックとしては昔のようにもう少し会話をしてみたい。が、タクスは違うのかすぐに視線をロックから外す。それもまたロックの不満を増やしていた。

ただ今日は、ロックが破壊行動をしたためかタクスに付いていた獄長が早々に離れている。故にタクスはロックに声を掛けることが出来たのだろう。

しかし運の悪いことに、今はロックの虫の居所が悪い。

ロックの手を心配そうに見るタクスに、つい「オレが怪我したからライバルが減ると思ったか」と言葉を吐く。実際「勝ち続ける」ことが目標の闘士にとって、他の闘士が負傷するのは喜ばしい事だ。なんせ自分の勝率が上がるのだから。

ロックの言葉に唖然とするタクスだったが、ロックのイライラはおさまらない。久しぶりの会話のチャンス、こんなことを話したいわけではないのに口さがない言葉が止まらない。

 

「良かったなオレはもういい、元々外なんか出ても何も知らないし誰も知らねーんだ、もう勝ち続ける必要なんかねえ」

 

そんな心とは真逆の言葉が口から飛び出るほどには荒れていた。いや、もしかしたら本心だったのかもしれない。終わらない闘いに疲れて、全てを諦めようとしていたのかもしれない。

喋り続けたロックが荒い息を吐きながらようやく言葉を止める。するとようやくタクスは静かに口を開いた。「ロック」という、ほとんど呼ばれない名前を呼ぶ。

 

「希望を捨ててはいけない」

 

悲しそうな顔で困ったような顔で、諭すようにタクスは言葉を紡ぐ。

何を言われるのかと身構えたロックは、そんなタクスの言葉を聞いて一瞬で頭に血が昇り、目の前が真っ赤に染まった。そのままカッと感情のままに口を開く。

 

「うるさい!お前に何が解るッ!」

 

ロックは再度鉄格子に拳を叩きつけた。怪我をした手だ、さらに血が滴り落ちる。手を鉄格子に押し付けたまま、ロックは俯き短い呼吸を繰り返した。

タクスとは鉄格子で阻まれている。それなのにロックの手にぬくもりが伝わってきた。怪我した拳を包むように、タクスは両手を伸ばしている。

 

「ロック。大丈夫だ、大丈夫だから…」

 

そんな泣きそうな顔をしないでとタクスはゆっくり言葉を紡いだ。

ヒトは絶望で死んでしまうと、だから希望さえ持ち続けられれば大丈夫なのだと。

死んだらそこで終わりだからと、叶うものも叶わなくなってしまうと。

希望さえ抱き続ければ、いつかきっと。

生きてさえいれば、いつか。

 

ロックの目からは涙が流れていた。

何故だかはわからない、悲しいのかそれとも安らいだのか。

ひとつだけわかったのは、タクスも泣いているのだろうということだけだ。

だって声が震えていたのだから。

 

■■■

 

あの後タクスは看守に気付かれ引き摺られて行ってしまったけれども、恐らく厳重注意程度で済むだろう。再度見付かったらどうなるかはわからないが。

なんせタクスは闘士として価値が高い。ロックと双璧を成す「負け無しの闘士」なのだから。闘技場を沸かせる事のできる貴重な人材を下手に害したりはしないだろう。

ふうとロックは息を整え、壁に背を預けた。

感情を吐き出したせいか若干頭がスッキリしている。いやまあ現状に対する怒りと苛つきはおさまらないが、多少は冷静に思考を回せるようにはなった。

 

恐らくこのままダラダラと闘い続けても、例え勝ち続けてもロクなことにはならない。

というか、そろそろタクスとのマッチングがされそうだ。どちらから死ぬまで闘うタイプのデスマッチで。

先ほどまでのロックならば「手加減しねーぞ、負けてらんねーんだよ」と己が自由になることだけのことしか考えられずタクスに拳を振るっただろうが、なんというかこう、もうそれはない。無理だ、とロックはタクスの顔を思い浮かべる。

嫌な奴とかムカつくやつならともかく、タクスは非常に良い奴なのだ。こんな精神が荒むような環境にいるにも関わらず、出会った当初から今に至るまで変わらず優しい。

監獄側もそれを把握しているのか、新しい闘士が補充されるととりあえず一旦はタクスの檻に放り込まれる。ロックがそうだったように、タクスは新人への説明役兼世話係にされているようだ。

「キミも捕まったのか」と同情し慰め「負けたら終わりだ」と基本的なルールを教え「一瞬の油断が命取りだ」とアドバイスする。それくらい監獄側がやれよとも思うのだが、以前獄長が「アンタが説明の時に暴れて部屋ぶっ壊したからよ?」と強めに小突かれた。

どうもあの後から「檻の中で囚人にやらせよう」という方向になったらしい。職務怠慢だと思う。

ともあれ、故にタクスが無下にされることはないだろうが、代わりに恐らく勝ち続けても外に出られない。便利なモノだと監獄側に認識されてしまっているから。

つまりタクスの望みを叶えるには、

 

「脱獄させるしかねーのか…」

 

ロックはぽつりと呟いた。ロック自身もこのまま勝ち続けてもゴールなどないと理解はした、というか多分派手に死ぬことを望まれている。

ならば外に出るには自由を得るには、この檻から逃げ出す他ないのだ。

しかしどうやって?

過去のやらかしにより檻はとても丈夫なものになった、壊すことは不可能。闘技場での闘いも回を増すごとに厳しくなっているため、隙を見て逃亡するのは無理。

いっそのこと檻の中で大暴れして寄ってきた看守を人質に。と物騒な思考となったロックの目の前に、ドスンと何かが落ちてきた。

幸いだったのは、常日頃からロックは苛つくと檻の中で暴れることがあったため、看守が「またあいつキレてるぞ」「放っときゃ静かになるだろ」と確認にすら来なかったことだ。

おかげで天井から落ちてきたモノ、昔出会ったツギハギ鎧の男は、誰にも気付かれずロックに接触出来たのだった。

 

「ロッ…!」

 

口を開いたツギハギ鎧の男、ジェイルを制するようにロックは手を翳し、同時に石玉を振り上げ鉄格子を叩いた。ガッシャン!という派手な音が檻の中に響き渡る。

「えっ何機嫌悪い?出直そうか?」と天井裏に戻ろうとするジェイルに「違ぇから誤魔化すためだから」と小声で怒鳴る。このくらいの声量ならば大丈夫だろう。

バレそうになったらジェイル囮にして、看守人質作戦実行しよう。うん、とひとり頷いてロックはジェイルに顔を向けた。

久しぶり、とか、元気だった?とかの挨拶もなく、ジェイルは笑顔で「監獄の図面が完成したぜ!」と自慢げに紙切れを突き上げる。

最近はどっかの誰かが闘技場で頻繁に暴れてるのかやりやすかったと語るジェイルに、ロックは「それはオレかもな」と、出会ったときと同じように返す。違ったのはジェイルが「知ってる、お前くらいしかいねーだろ」とケラケラ笑ったことくらいだろう。

おっとそろそろ音鳴らしとくか、とロックが拳を床に思い切り叩きつければ「怖いんですけど」とジェイルがドン引いていた。うるせーな文句あるなら要件を手短に話せ。

 

「もっとこう、監獄の図面を完成させたオレを褒め称えても良いぜ?」

 

「ワー、スゴーイ」

 

「棒読み!!!」

 

ジェイルが大声を出したものだからロックは慌てて石球を檻に叩きつける。睨み付けるとジェイルは「悪い悪い」と全く悪びれていない態度で謝罪した。

まあまあとジェイルは図面をロックに押し付け「やる」とへらりと笑う。キョトン顔のロックにジェイルは「オレだと進めないとこがあったんだよ」と頬を掻いた。

 

「それに無事に脱獄出来そうなのは、オレよりお前だろうよ」

 

外に出れたら仲間を連れて助けに来てくれと、ジェイルは爽やかな笑顔でサムズアップをする。あっけにとられたロックは、いや、それは、ちょっと、無理かもと目を泳がせた。

なんせ外の世界に知り合いなどいない、というか外の世界そのものを知らない。知っているのは闘技場から見える狭い空だけ。

そんなロックを見てジェイルは、恐らく錘も付いてしかも檻からすら出られないのにどうやって?とロックが疑問に思ったのだと勘違いしたのだろう、「あ、大丈夫大丈夫ちゃんと作った」と懐をゴソゴソ漁り出した。取り出したのは鉄格子のカケラ。

 

「違えーよ鍵だ、鉄格子のカケラで作った鍵」

 

これをチョイとこのように、とロックにくっついている一番大きな石球をカチャコチョ弄る。と、カシャンと音を立てて石球が鎖から外れた。

首枷自体はまだ残っているのだが、重石がなくなったそれだけで身体が軽くなった気がする。驚くロックを尻目にジェイルは、ちょっと待ってろその手じゃ無理だろうからとロックの手枷に目を落とした。そっちも外せりゃ良かったんだがなと申し訳なさそうに。

どうしてジェイルがそんな顔をするのだろうとロックが不思議な気持ちを抱く間に、ジェイルは鉄格子の隙間から手を伸ばし「この檻は確かこの辺に…」とカチャカチャ器用に指を動かす。

すると。

「よし…」というジェイルの声と微かな金属音がしたかと思うと、何をしても微動だにしなかった檻と扉がゆっくりと動き出した。

唖然とするロックにジェイルは笑い「んじゃヨロシク!」と、先ほど落ちてきた天井裏へと飛び上がる。「あ、ちなみに、」と言葉を落としながら。

 

「その扉、開けはしたがな」

 

「お、う…?」

 

「開く時めちゃくちゃうるせえんだわ」

 

「お、ぅ………、ん?」

 

だから多分出るなら早く出ねえとすぐとっ捕まえるぞ、とジェイルは捨て台詞を残して「オレは隠れるから!あとは任せた!ヨロシク!」と天井裏の蓋を閉めた。

実際、動き始めた扉は油が切れたかのようなギィぃイイという騒音とも言えそうな金属音を響かせている。確かにそうだった、闘技場に連れて行かれる時、この扉はものすごい音を立てていた。

今までは「うるせーな早よ直せ」としか思っていなかったが、今は。

 

「バレんだろ馬鹿!!!!!!」

 

慌ててロックは牢から飛び出した。飛び出したはいいが案の定、すぐそこまで看守やら脱走対処要員が集まってきている。

「おおおおおおおおお!?」と叫びながらロックは逃げ出した。時には拳や蹴りで追手を蹴散らし、時には追手を飛び越え道を開く。重石が無くなったのは僥倖だった、身体が非常に軽い。

以前ならばここらで適当に大暴れして満足していたのだが今回は違う。ジェイルに「任せた」と言われたのだ。錘すら外して扉も開けて信じて任せてくれたのだ。ならばそれを叶えなくては。

捕まらないように立ち回りながら、ロックら逃亡最中にひとつの牢の前を敢えて通った。騒ぎに驚いて格子の隙間から外を覗き込んでいるのはタクス。騒ぎの元の正体に気付いたタクスは「ロッ…!?」と声を漏らすが、ロックは「喋るな」と指を動かし口の動きだけで「生きろ」と伝える。

逃げ切って迎えに行ってやるから生きて待ってろと。

ルートも方法も外に出た後どうすりゃいいのかも全くもってノープランだが、タクスがロックを立ち直らせジェイルがロックの牢を開いて出来たこのチャンス。

逃すわけにはいかない、とりあえず逃げ切ってやる!

 

■■■

 

いまだに手足の枷やら鎖やらがロックの身体を拘束しているとはいえ、最も動きを阻害していた重石が無くなったのだ。以前とは比べ物にならないほど軽やかに、ロックは監獄内を駆け回る。

監獄内の階層が多く複雑な構造となっているからだろう、気付けば見える範囲に追手の姿は無くなっていた。まあいまだ警戒モードらしく、ヒトが動き回る気配はしているが。

撒いたかとロックは足を止め、周囲を素早く見回し物陰に身を隠す。勿論警戒は怠らない。

胸に手を当て数度呼吸を整えた。最後にはあと息を吐き出したロックはガサゴソと懐を漁り、ジェイルが押し付けてきた監獄の図面を取り出す。

完成させたという言葉は事実だったらしく、昔ちらりと見た時とは違い、図面には赤色で大量の書き込みがなされていた。そう、追記はされている、完成はしている。見る人が見れば容易く理解出来るだろう。

しかしながら。

 

「………?」

 

ロックは図面をくるくる回し、首を傾げ、再度図面に目を戻し、ちらりと物陰から見える監獄に視線を流した。

うん。

この図面とモノの配置のカタチは同じだな。

多分このデカいのが区画の広いとこで、周りにある四角いのが檻だろう。

で?

あちこちにもじゃもじゃ書かれてる、細長い模様はなんだ?

 

そう。生まれが監獄、運良く恩人に発見され育てられはしたが、ロックは「文字」というものを誰にも教わっていなかった。

恩人がよく話しかけていたからか、会話は聞き取れるし言葉の意味も理解している。話すことは苦手だったが、ジェイルがたくさん話しかけてくれたから他人と会話も出来るようにはなった。闘技場に出るようになってからは、ウザい実況のおかげで語彙も増えた。

が。言葉を「文字」として知るタイミングは一切なかったのだ。檻の中にそんなものはないし、闘技場に出たときも、もしかしたら何かあったのかもしれないがロックからしてみれば「何か模様が貼ってあるな」程度にしか認識できなかった。

生まれてこのかたロックは「文字」に触れることがなく、教わるすべもなく、知る必要もなかった。

つまるところ。

ロックはジェイルから渡された図面を「図」としてしか理解することしかできず、そこに書かれている「文字」は読めない。たとえそこに「←罠アリ!注意!」などと書かれていたのだとしても。

ロックは図面と監獄を見比べ、不思議そうに首を捻る。なんせ現実の監獄にはない変な模様が赤色ででっかく図面に描かれていたのだから。

 

「赤い模様なんかねーぞ…?」

 

怪訝に思いながらもロックは図面片手にその位置に近寄る。見えないほどの大きさの模様が、そこに描かれているのかと考えて。

図面に描かれた位置にロックの足が乗った瞬間、足元で魔法陣が展開しロックの身体を光が包んだ。

突然のことにロックは思わず「え?」という声を漏らすが、次の瞬間その場からロックの姿が消える。

 

気付いた時には、ロックは見知らぬ場所に立っていた。状況を把握しようと周囲を見回しても、真っ暗でよくわからない。

なんせ目の前に己の手を翳しても、そこにあるのかわからないくらいは暗いのだ。どうしようもない。

混乱しながらもロックはさっきの魔法陣を起動させれば戻れるのかとその場で足踏みしてみるが、ただ足音が響くだけ。真っ暗な部屋の中で、ロックはひとり途方に暮れる。

いやそんな暇はない。早くここから脱出してジェイルやタクスを助けなければ。

パンと己の頬を叩き、ロックは気合いを入れ直した。ぼんやり突っ立ってるだけじゃ何も進まない、きっとどこかに灯りか扉があるだろう。

意を決してロックが暗闇の中に足を一歩踏み出すと、突然部屋の中央からほわんと光が漏れ出した。緑色の淡い光。

「!?」とロックは驚きそちらに顔を向ける。そこにあったのは台座の上に鎮座するツボ。光っているのはそのツボの模様のようだ。

なんだこれ、とロックはツボに近付き中身を覗き込む。真っ暗でよく見えないが、多分中身は空っぽだろう。

ツボの灯りでささやかながらに周囲が見えやすくなった。ロックは慌てて周囲を確認するが、上下左右四方八方壁に囲まれているということがわかった。

勿論、扉などという部屋を構築する際に最も重要なものなどどこにもない。

えっこれオレ閉じ込められてる?いやどうしたら?

戸惑いながらロックは目の前にある淡く光る謎のツボに目を落とす。この部屋にある唯一のオブジェクト。

つまり、

このツボを、

叩きつければ

壁に穴があくのでは???

それしかないと確信し、ロックはツボに手を伸ばす。割と大きくて重そうだが、いつもの石球に比べれば軽いだろうと。

ロックがツボを持ち上げようと掴むとふいに紋様に指が触れた、その瞬間先ほどよりも強い光が場を包む。ロックは驚いてツボを落としたが、それは落下の途中で宙に浮き止まる。

ふよふよ浮くツボを見て呆気に取られるロックだったが、そんな暇は与えないとばかりに空っぽだったツボの中から大きな風の塊が勢いよく飛び出してきた。

ツボから発する荒れ狂う風のせいで小部屋の埃が舞い踊る。「うっわ」と思わず目を瞑り咳き込むロックだったが、それと同時に凄まじくデカい笑い声がロックの耳に届いた。

何、誰、何、とロックが混乱しつつも目を開くと、そこには人型の大きな緑色の物体が腕組みしながらロックを見下ろしている。目をパチクリさせながらロックが目の前のものを見上げると、それは「なんだオマエ?」とロックに話しかけてきた。

話しかけられてはいる、つまりは意思疎通が出来るらしい。が、なんだ、この…ナニ?とロックが返答も出来ず戸惑っていると、緑色のナニカは少し考え思い出したように手を叩き、納得したように「そうか…仕方ない」と呆れたように首を振った。

 

「力を貸してやらんでもないが、オマエにその資格があるかな?」

 

「え!?ちょ…ま…、別に…え?…」

 

何の話?

よくわからない場所でよくわからないツボからいきなり出てきたよくわからないナニカが、よくわからないまま話を進める。そんなことを目の当たりにして戸惑わないヒトはいるのだろうか、いやいないだろう。多分。

とはいえ一応多分きっと恐らく普通に意思疎通が出来るのだ、ならば話の意図を問いかけても罰は当たるまい。そう思いロックが口を開くと同時に、緑色のナニカは「ならばここは良くないな。うむ、良くない」と不機嫌そうに頷くとふわりと腕を回した。下から上へ持ち上げるかのように。

「こんな狭っ苦しいところに風を閉じ込めるなど、不愉快だ。ああとてもとてもとても」という強い語気とともに緑色のナニカは光を増していく。いつしか視界は真っ白に輝き、ロックは思わず頭を守りつつ目を瞑る。

目を瞑っていても感じる明るさは、体験したことのないほど眩しかった。

 

ロックからしてみれば暴力的な眩しさに消し去られたかと思うほどだったのだが、現実としては一瞬のことだったのだろう。

なんせすぐに暗闇に戻り、肌を撫でる風とそれが舞う音がロックを包み込んだのだから。靴の裏の感触は石畳ではなく柔らかな砂。…風?砂?監獄の中にあった小部屋なのに?

不思議に思ったロックが恐る恐る目を開くと、そこは知らない世界だった。

目に届く全てが砂に囲まれたどこか。空に天井はなく高い高い星空と大きな月が輝いている。

目から耳から肌から送られてくる情報の多さにロックの脳は混乱を起こし、その感情は口から漏れた。

 

「えーーー!!?」

 

確かに外に出たいとは思った。檻から監獄からあの小部屋から。つまり願いは叶ったのだが、しかしながらこうも突然意図せず急に望みが叶ってしまうと、喜びよりも戸惑いの方が強い。

混乱するロックの耳に大きな笑い声と「これならば良い!」という満足気な言葉が届いた。先ほどの緑色のナニカは先ほどの不機嫌そうな顔はどこへやら、豪快な笑顔を浮かべでロックの前に降り立つ。

 

「我は大魔神ジン!」

 

退屈で仕方がなかった、とニコニコ笑いジンと名乗った緑色のナニカは大きな風を身体に纏わせた。「さあ始めるか!」と。

何を、というロックの言葉はその豪快な風に掻き消され、夜の砂漠に溶けていく。

ビュンビュンとやかましい風の音の合間に、遠くではカラコロという不思議な音が鳴っていた。

 

■■■

 

「はーっはっはっは!!面白い!」

 

しばらくして高らかにジンが笑い、吹き荒れていた風が止む。一方的に襲いかかってくるものだから、慌ててロックはいつものように立ち回り、避けて、時たま「マジふざけんな」と殴り掛かった。

石球を外したのは失敗だっただろうか、あれはあれで武器として優秀ではあった。

ロックが殴り掛かればジンは満足気に笑みを浮かべるものだから、結構な苛つきとまあ若干の恐怖を抱きはしたが。

しばらくそれを繰り返し、なんか満足したらしいジンが先ほどの高笑いと共にロックの拳を軽く受け止めロックをぽいと地上に落とす。砂の上だったからか痛くはない。砂まみれにはなったが。

ロックが口の中に入り込んだ砂を吐き出しジンを睨めば、ジンは変わらずニコニコしながら「ちょいと力を貸してやる!」とロックにふわりと手を翳す。

契約だった?らしいからな!という、どこかふわっとした言葉を最後にロックの目の前からジンはいなくなった。

いや厳密にはジンがロックの前からいなくなったのではなく、ロックがジンの前から飛ばされた、というのが正しいのだろう。

なんせ先ほどとは景色が変わりロックの目の前にあるのは、ささやかとはいえ緑色の植物が生え、美しく透明な水たまりのある所だったのだから。どこだここ?という小部屋から、どこだここ?という砂原に移動し、どこだここ?という水場に辿り着いたロックは、月に向かって大きく吠える。

 

「…っ、っ、ッ!説明しやがれあの野郎ー!」

 

そんなロックの怒りと驚きと混乱を含めた怒鳴り声は、夜の砂漠に虚しく溶けて消えていった。

心の底からの大声を上げたロックは苛つきながらも水場に近寄る。水を両手で掬い上げ、近くで見ると本当に澄んだ色をしているな、と驚きながらもそれを口に運んだ。

ひとくち喉を通してロックは目を瞬かせる。美味しい。

なんせ監獄では、絶妙に濁った微妙な水らしきものしか渡されなかった。こんなに冷たく、飲みやすく、美味しい水は産まれて初めて口に含んだと満足いくまで喉を潤した。

ジンとかいう奴に腹は立ったが、美味しい水のある場所に飛ばしてくれたことで若干許しかけている。

水分を得て少し落ち着き、ふうと口元を拭ったロックだったが、不意に周囲からの殺気を感じ取った。殺気というか視線か。

獣などではなく恐らくヒト。しかもひとりではなく複数。闘技場で散々暴れていたのだ、ヒトと獣の視線の区別くらいつく。

ロックはすぐに動けるように体勢を整え、周囲に視線を回した。監獄からの追手だろうか。

しかしそのロックの予想は外れたようで、見覚えのない紫髪の変な女が怒ったようにロックの前に姿を現す。変な女は変な刃物を突きつけながらこう言った。

 

「この…、水ドロボー!!」

 

「……ん???」

 

次から次へとわけのわからないことが起きるなとロックは頭を掻き「ドロボーって、お前のじゃねーだろ」と言い返せば、紫女は何言ってんだとばかりに「ここだと水は貴重なんだからルールは守りなさいよ!」と怒鳴り返してくる。

知らんがなとロックが紫女を睨みつければ、彼女は「最近こんなヤツばっか…こんなことしてる場合じゃないのに」と憎々し気に睨み返してきた。

 

「アンタどっから来たの、ここはもう…、……!?」

 

周りの奴たちが掲げていた松明やらの灯りがロックにも届き始めたのだろう。ぼんやりとした炎に照らされたロックの姿を見た紫女はピタリと声を止め驚きに目を見開く。「アンタ…その格好…」と武器を落とすほど。

いやまあ確かにボロを纏ってはいるがそんなドン引くほどの格好ではないと思っていたのだが、もしや外の世界だと結構アレな格好しているのだろうかオレは。確かにタクスもジェイルも割としっかり着込んでいた気もするし。

一瞬ロックが己の姿に気を取られた隙に、紫女は距離を詰めロックの手を掴んだ。逃すまいとばかりに非常に強く。

 

「アンタ、その格好、もしかして、」

 

「あ、ああいや、これはその、」

 

着る物が無くてというロックの言い訳と、あそこから逃げてきたの!?という彼女の言葉が見事に重なった。ロックは「は?」と戸惑うが、彼女は「本当にあそこから」と呟いて、背後にいた他の奴らに顔を向けコクリと頷いた。

周囲から「生存者だ」とか「これでようやく」とか小さく声が発せられ、次の瞬間ロックはわっと取り囲まれる。混乱するロックにかけられたのは敵意でも殺意でも勿論暴力などではなく「よくやった」だの「頑張ったな」だの「大丈夫か」たのという暖かい言葉たちだった。

 

その後ロックは彼らに連れられ集落に案内された。一応断るつもりではあったのだが紫女、確かさっきランチュラとか名乗った気がする、彼女がロックの手を全く離さなかったため、済し崩しに連れてこられてしまった。

「話を聞くまで離すもんか」と強い瞳で圧をかけられた気がする。若干怖かった。

とはいえもう夜も遅いしロックも疲れているだろうから休んだほうが良いだろうとテントのひとつを提供されたのだが、ランチュラはガンとして手を離さない。

周囲が説得して手はなんとか離されたが「テントの外で見張る」と言い出した。どうしてもロックを逃したくないらしい。

見張りだの監視だの逃がさないだの、嫌な言葉が並んでいた。だからついロックは、

 

「……あそこと変わんねーな…」

 

と呟いてしまったのだが、それを聞いたランチュラは、いやランチュラ含む周囲全員がピタリと止まり口をつぐんだ。しばらく黙ったランチュラは「わかった…しない…」と絞り出すように声を漏らす。

でも、でも、ととても必死に訴えてくるものだからロックも「逃げねーよ」とぶっきらぼうに返した。疲れてるし!ちょっと絆されたとかじゃねーし!疲れてるからだし!

その言葉にようやく安心したのか、ランチュラはほっとした笑顔を浮かべる。かわいいなと、少しだけ思った。

 

「約束だからね、逃げたら一生恨んで地の果てまで追いかけてあたしの毒をブッ刺してからアンタの手足をもいで二度と逃げられないようにしてやる」

 

「怖いんだよお前は!」

 

やっぱかわいくはないなとすごく思った。

「おやすみ」という昔聞いたことのあるような無いような不思議な言葉を耳にしながら、ロックは与えられたテントでひと息つく。

話には聞いていたが、産まれて初めて触れて会話した「女性」というものがあいつか…という気持ちになりながらロックはそこらの箱に背中を預けた。優しいとか聞いていたが話が違った怖かった。

しかしまあ、せっかく渡された寝袋のようなものを使えないのは残念だ。鎖が絡むしそもそも首枷が引っ掛かる。

取れねーかなコレ…と鎖を軽く引っ張り手を離す。ジャラジャラという不快な音を耳にしながら、諦めてロックはゆっくり目を閉じた。

 

■■■

 

「おはよう!」

 

「?!」

 

朝日と共に現れた訪問者のクソデカ声に跳ね起きたロックは、反射的に戦闘体勢で迎え打つ。なんだ何事だ誰だか知らねーがやんのかコラ。

どうにも眩しいなと眠りが浅かったためすぐさま目が覚めた。なんだこの明るさおかしいだろ。

そんなロックを見て「元気そうだね」とクソデカ声女、もといランチュラはロックに水差しを手渡す。しばらくしたらご飯が出来るから食べに行こう、と。

 

「普段はみんなバラバラに食べるんだけどさ、今朝はみんなアンタの話を聞きたいからって」

 

大規模な朝食会が開かれることになったらしい。なんだそれと怪訝な表情を浮かべるロックだったが、とりあえず手渡された水を一気に飲み干した。

口元を拭いながら、ここだといつでもたらふく水が飲めるんだなとロックが呟けば、ランチュラは「そうでもないけど…、いやアンタからしてみたらそうなるか…」と目を泳がせる。

微妙な空気を切り替えようと、ランチュラはパンと手を叩き「そろそろ出来たかな、行くよ」とロックをテントの外へと誘った。外はとても明るく目が眩むほどだった。

 

目をしぱしぱさせながらロックがランチュラについていくと、なるほど朝食会と頷けるほど賑やかで暖かで良い匂いのする場所が出来上がっている。ロックの姿に気付いたひとりが手を挙げ「おはよう、眠れたか?」と声をかけたのを皮切りに、あちこちから「オハヨウ」という言葉が発せられた。

ランチュラも先ほど言っていたその言葉。口々に発せられるその言葉にロックがキョトンとしていると、ランチュラが「どうしたの?」とばかりに首を傾げる。なので素直に「オハヨウって何だ」と疑問を口に出せば、周囲が一瞬で静まり返った。

 

「…朝、起きた時に、言う、挨拶」

 

「そうか」

 

あそこだと昼夜の感覚など無いからとロックは頭を掻く。闘技場に出るようになって「昼間」と「夜」というものがあるのは知れたが、その時限定の挨拶があるらしい。

そもそも監獄では目が覚めた時が1日の始まりで、力尽きた時が1日の終わりだ。朝起きて夜眠るなどというサイクルは存在しない。

ということをランチュラに話せば、ランチュラは「………ここ!座る!」とロックを無理矢理着席させた。何だと文句を言う前にロックの目の前に良い匂いのするモノが続々並べられていく。

こうして若干微妙なスタートとなったが、集落での食事会が始まった。

 

食事の仕方など知らないロックは手掴みで目の前のものを口に運ぶ。すごいな、なんか味がするぞこれ。

こうなるとこれは本当に邪魔だなとロックが首枷に目を落とすと、ランチュラも思ったのか「…それ取れなかったの?」と声を掛けてきた。「これとくっついてるから引っ掛かって無理だった」とロックは胸のあたりに垂れ下がる鎖を引っ張って見せる。

 

「そもそもこの先にデケー石の球がくっついてて、…それだけは外せたから」

 

「…そう」とランチュラは少しばかり思案げに目を伏せた。そういえば、とロックはランチュラに「オレの格好、どっかおかしいか?」と問いかける。なんせ昨夜あそこまでドン引かれたのだ、どっか変なのだろう。

おかしいというか、とランチュラは呆れたように「露骨に『捕まってました』みたいな格好してるから、…あそこから逃げてきたヒトなんだろう、って思っただけだよ」と小さく笑った。

 

「…どの辺が?」

 

「全部だけど!?」

 

手足と首に枷をつけられてて、あちこちに鎖巻きついてて、小さな鉄球ぶら下げてれば、恐らく誰しもそう思うとランチュラはピシリと指を突きつける。そうなのか。

だからみんな心配してる、とランチュラは周囲を見回し呟いた。「あそこに捕まったらみんなアンタみたいにされてるんだろうって」と。

 

「あ、それはねーぞ?」

 

みんな檻に放り込まれてはいるが、ここまでガチガチに拘束されたのはロックぐらいなものだろう。だから「ロック」と蔑称がつけられたのだから。

「見かけた奴らはほとんど拘束されてなかった」とロックが言えば、若干安堵したような空気が広がった。まあランチュラは「じゃあなんでアンタそこまで色々くっついてんのよ」と不思議そうだったが。ちょっと暴れただけです。

とはいえ小さく声が上がる。「ならば何故、捕まったヒトらはあんたみたいに逃げないのか」と。ガチガチに拘束されているロックが逃げ出せているのに。

 

「んー…オレが知ってるのは『反抗しないならお前の仲間は見逃してやる』とか言われた奴くらいだから、なんで逃げないのかは知らねーなあ…」

 

そもそもあそこから逃げ出すのは、通常ならば非常に難しいだろう。何度も脱走したロックだから自信をもって宣言出来る。

ロックが外に出れたのは、タイミング良く色々なことがピタリとハマったからだ。針に糸を通すかのような細い細いチャンスがたまたま巡ってきただけ。

それがなければロックは未だに監獄に囚われていただろう。

「それは…」と誰かが言う。あんたはいいのか、と。脱獄などという最も反抗的な態度を取って、仲間は大丈夫なのかと。

 

「…いねーし…」

 

ロックは頭を掻いて困ったように答えた。それだけで何か察したのだろう。誰もそれ以上何も言わなかった。

ロックとしては「監獄産まれ監獄育ちの自分にそういったヒトはいない」という言葉通りの意味ではあったが、ランチュラ含む集落のヒトらからしてみれば「魔王の襲撃により仲間が皆殺しにされ、彼はその生き残り」という若干大きな誤解が生じているのだが、指摘できる者はどこにもいない。

おかげで「ここに住んでいいからね」と優しく受け入れてもらえたのだが、ロックとしては「おう…?」という反応しか出来なかった。

 

食事会も終わりに近付きそろそろ解散という空気になったところで、思い出したかのようにロックはランチュラに紙を手渡す。「なにこれ」と問われたので「あー、あそこの図面」とロックが答えればランチュラの動きが固まった。

「オレはもう覚えた?から、やるよ」とロックが手をヒラヒラさせれば、周囲が俄かにやかましくなった。「これさえあれば」「計画を立て直せ」「集まれすぐに話し合いを」とあちこちで声が飛び交う。

他のヒトに図面を手渡しながらランチュラはロックに「…ありがとう、…そうだねちょっとここで待ってな」とどこかへ駆け出して行った。他のヒトらも話し合い?をするためか各々引き上げていく。

覚えたというのは嘘ではあるが、カタチはともかくよくわからない模様のある図面はロックには理解出来ない。渡したほうが良いだろう。

うんと頷きロックはその場に座ったまま、眩い太陽の光を浴びる。暖けえなあ………いや暑いなこれ!?

 

日向ぼっこなのかじわじわ焼かれているのが若干不明な状態になっていたロックの元に、ランチュラが戻ってきた。手には昨夜の刃物を持って。

「ん???」とロックが身を引こうとするとランチュラは「動くな」と威圧してきた。刃物片手にじわじわ近付いてくんなよ怖えよ。

「うごくな」と再度低い声で忠告してから、ランチュラはロックに手を伸ばす。なるほど図面を渡したからもう用済みってことだな?

逃げようか闘おうか一瞬悩んだロックにランチュラは「動くなっつってんだけど?」と背後に回って刃物を押し当てた。ロックはヒュッと息を呑む。

 

「鎖を切ってやるから、…動くと危ないよ」

 

「最初からそう言え!」

 

怖えーんだわ、とロックが文句を言うのを聞かず、ランチュラは「ここがこう絡まってるから…ここと…」と鎖をぐいと引っ張った。ぐえと音を鳴らしたロックに「我慢しろ」と無茶を言う。

「あとベルトみたいになってる鎖切っていい?」とランチュラが問いかけて来たが、いいわけないだろベルトだぞ。ちょっ、待っ、とロックが制止の言葉を漏らすが「まあいいか切るね」と問答無用でガリゴリ削られ始めたため、一切言葉は届かなくなった。

外の世界はヒトの話を聞かない奴らばっかりか!

 

■■■

 

まあともあれ、なんだかんだで鎖を切るのは時間がかかり気付けば辺りは薄暗くなっている。

鎖が切り離されたため邪魔だった首枷も取り外すことが出来た。久方ぶりの身軽な身体。拘束から解放された。

まあ解放された瞬間「はい着替える!」とテントの中に蹴り込まれたのだが。おかげで露出魔にならずに済んだが釈然としない。

テントの中にはいつの間に用意されたのか衣類が畳まれており、ボロボロな布から解放された。されたのだが、綺麗で動きやすい上等な衣服なのだが、なんかこう物足りない。

長い年月拘束されていた弊害なのか、ゆるっとした服に違和感を感じる。

ロックはテントから顔を出し、外で待っていたランチュラに「落ち着かない」と訴え理由を話せば、「やはり精神がおかしくなっているのでは」的な表情をされたが余っているベルトを分けてくれた。

「昔ここにいた奴の予備だけど…」と微妙な顔で渡されたが、なんかあったのだろうか。まあオレには関係ないかと、気にせずベルトを装着する。

着替え終わって外に出れば、ランチュラは「うん、小綺麗になったね」とケラケラ笑った。なんだ「小」綺麗って。微妙に引っ掛かる言い方だな。

 

「ああそうだ、あの首枷?凄く丈夫だからまだ何かに使えそうだってさ」

 

「あんなもんどうするんだ…?まあ好きにしていいぞ」

 

ロックにはわからないが、外の世界ではあんなものでも何かしらの利用価値があるのだろう。返答を聞いたランチュラはそれを集落のヒトに伝えた後、「ちょっと話さない?」とロックを誘った。

特に断る理由もない。ロックが頷くとランチュラは「ここだとヒトが多いから」と集落の外へとロックを連れ出した。

名目としては「水を汲んでくる」なのだろう。実際少し大きめの皮袋をランチュラは抱えている。

予想通り、到着したのは最初に出会った水場。そこから水を汲み袋の口を縛ってひと仕事終えたランチュラはストンとその場に座り込む。

ロックが隣に座ったのを確認して、ランチュラは期待半分と言った風情で口を開いた。

 

「あのさ、…タック知ってる?」

 

「?」

 

ロックが首を傾ければランチュラは「あそこに捕まっちゃったあたしの仲間」と俯きながら小さく答える。ずっと前小さい頃に捕まっちゃって離れ離れになっちゃって、と。

監獄にいたロックならばタックの安否を知っているのどはないかと、ずっとそれを聞きたかったらしい。昨夜あそこまで必死にロックを逃すまいとしていたのはそんな理由があったのかと、ロックは困ったように頭を掻く。

そもそもあそこで他の囚人の名前を知るタイミングはほとんどない。だいたいが雑に牢に放り込まれているし、接触することはないからだ。囚人によっては同室に放り込まれるからその場合は別だろうが。

ロックのように闘技場に出る囚人だったとしても、タクスとはたまたま名乗り合えただけで、全く馴れ合う暇はなかった。隣の牢の囚人の名前すら知らない。

ジェイルとの時のようにお互い脱走していればチャンスはあるかもしれないが、あの広い監獄の中でヒトと出会える確率はどのくらいのものだろうか。

故に、「知らない」としか答えられない。実際ロックは「タック」などという名前に聞き覚えはないのだから。

ロックの反応を見て、ランチュラは泣きそうな、それを我慢するような表情を浮かべた。

 

「…今日1日、アンタの話を聞いて、他のヒトに構ってられないほど酷い所だってのは、わかったから。…知らないならいいの」

 

ただもしも知っていたら、あの場所でタックに出会っていたのならば「生きていた」のひと言が欲しかっただけだとランチュラは無理矢理笑う。それだけで勇気が出るからと。助けに行くための勇気が。

「助けに行く?」という疑問を口にしたロックに、ランチュラは「元々あたしのとこの集落は反魔王派で、監獄からの仲間を救い出すために色々動いてるんだよ」と小さく笑った。まだ準備段階ではあるのだけれどと。

だから、明らかに監獄から逃げ出した風情のロックを受け入れたし、ロックから渡された図面を喜んだ。他の保守派の集落の近くにいたらアンタ殺されてたかもよ、とランチュラは笑う。

ロックは割とギリギリのところにいたらしい。しかしランチュラの集落の近くに飛ばしたのはジンであるわけで、…あれこれあいつに感謝したほうがいいのか?

うーん?とロックが頭を抱えていると、「知らないならそれでいいから、気にしないでよ」とランチュラは笑って立ち上がった。

 

「アンタのおかげで凄く前に進めた。…だから今はそれで充分」

 

そう言ってランチュラは水の入った袋を持ち上げる。それを横から掻っ攫い、水袋を片手で抱えながらロックは「行くぞ」とスタスタ先に歩き始める。「あたしの仕事だから」と慌てて追いかけるランチュラの言葉を無視して、ロックはポツリと呟いた。

 

「お前の仲間は、生きてる」

 

「は?」

 

「話しただろ、あそこで『刃向かわないなら仲間には手出ししない』って言われたって。…お前らが無事だっつーことは、そういうことだろ」

 

多分、という言葉は飲み込んだが。

ロックの言葉を聞いて、ランチュラは小さく「…ありがと」と返した。

実際は仲間を案じて居場所を語らず殺された者もいただろうし、捕まって衰弱して死んでいった者もいただろう。そんな末路の肉塊を目に入れたことくらいある。

けれども、希望さえあれば生きていけるのだから。わざわざ希望を奪う必要はないとロックは思った。

 

そのままふたりは無言で集落に戻る。

水を届けたら変な顔をされたが、気にしないことにしてロックはテントに入った。ランチュラに「おやすみ」と言われたから、ロックも「オヤスミ」と返す。昨夜も言われた、だからこの言葉は「オハヨウ」の対になる言葉なのだろうと予測して。

この予測は多分合っているのだろう、何故かそんな確証がある。多分、そうだきっと赤ん坊の頃、誰かが言ってくれていたから。

そうしてロックは久方ぶりにゴロンと床に寝転がる。鎖が食い込む痛みは無く、枷が邪魔になることもなく、柔らかな布の感触だけを感じて。

だからだろうか、軽く目を瞑ればすぐに意識が遠のいて微睡み始めた。こんなに身体を休められたのは、心をすり減らさず1日を過ごしたのは生まれて初めてだなと感じながら。

 

次の日、ランチュラは起こしに来なかった。まあヒトの気配と眩しさに目が覚めてしまい、日の出と共に身体を起こす羽目にはなったが。

テントから這い出たロックに集落のヒトらは「早いな、おはよう」と笑顔を向ける。眩しさに目を瞬かせながらロックも「オハヨウ…」と返してみた。とても嬉しそうにされた。

とはいえ眩しさにはまだ慣れない。眩しさと暑さに身体を慣らすため、ロックはテントの入り口に座り込んだ。

しばらくぼんやりしていると、ランチュラが訪ねてくる。ちゃんと挨拶したら微笑まれた。

 

「朝から悪いけど、ちょっと来て」

 

多少は眩しさに慣れたから大丈夫だろうとロックはゆるゆる立ち上がる。少しばかりよろけたが、まあ問題はないだろう。

メシかなんかかとランチュラの後を追うロックの前に現れたのは、変な形の変なものだった。

丸い何かに棒が突き刺さっているもの、としか形容出来ないのだが、それが非常にデカい。材質は石だろうか、硬そうだ。

なにこれとロックが目を擦っていると、ランチュラが「あれアンタの首枷」という謎の言葉を発した。ちょっと何言ってるかわからないですね。

監獄から仲間を助けるために色々準備してるっていったでしょ、とランチュラは「武器職人というか手先が器用なやつもいるんだ」と、元首枷の横で胸を張っているヒトに目を向ける。

なんか一晩で加工しまくったらしい。微妙にうるさかったのはそれか。

 

「ハンマーとか言ってた」

 

「はんまー…」

 

よく知らないがモノを叩くための道具らしい。道具にしてはデカすぎる気がする。

ランチュラは呆れたように「加工したはいいけど、重くて使えないんだってさ」とため息を吐いた。加工する分には転がしたり道具を使って持ち上げたりはできたらしいが、いざ使おうとしたら持ち上がらなかったらしい。

 

「…アンタあれ持てる?」

 

ロックは頭を掻きながらハンマーに近付き持ち手に手を掛けた。そのままひょいと持ち上げ肩に担ぎ持つ。いけるわ普通に。そもそもオレはこれにプラスして重石も付けて動いてたわけだし。

ロックがハンマーを持ち上げると、周囲から歓声が沸いた。「水の袋を軽々持ってたからいけると思った」という言葉が聞こえたが、どうやらそれもあってロックが呼ばれたらしい。

1番喜んだのは武器職人で嬉々としてロックに性能を語り出す。

これは、

どれだけ高所から落とされようとも

どれだけ硬いものを殴ろうとも

絶対に壊れることはない、と。

それはそうだろう。なんせあの監獄内での攻防戦に耐え切った枷が材料なのだから。

むしろよく加工出来たなと武器職人に顔を向ければ、若干目がヤバい。未知の素材と徹夜テンションとロックの腕力を目の当たりにしたせいか言動がおかしい。

ロックが若干引いていると、他の集落のヒトらが職人を静かに連行していった。早めに休ませたかったそうだが本人が「だれかが持てるまで見届ける!!!」と駄々を捏ねていたらしい。成人男性の本気の駄々を想像してみろ面倒臭い。

「腕は確かなんだけどね…ちょっと変なヒトでね…」とランチュラが遠い目をして呟いていた。

 

「これはオレが貰っていいのか?」

 

「まあ元々アンタのだし…?」

 

ロックのものというが多分厳密には監獄のものなのだろうが、良いなら良いかとロックはハンマーを軽く振るう。すっぽ抜けることもなく、不思議と手に馴染んだ。腕が確かというのは本当らしい。

ロックが関心していると、ランチュラが「これもあげる」とずっと持っていた袋を開く。中には黄色い綺麗な石の飾り、というかこれはロックが元々腰につけていたベルトの飾り。

 

「ここだけは綺麗だったから、…ほら」

 

そう言ってランチュラはロックの頭にそれを巻く。ロックの額が綺麗に彩られ、ランチュラは満足そうに「うん、綺麗になった」と微笑んだ。「あそこを思い出して嫌かも知れないけどさ、似合うよ」と。

そっか、とロックは額に飾られた黄色い石を撫で、少しだけ、頬を緩ませる。やっと笑った、と言われた気がした。

 

「ああ、じゃあ行ってくるわ」

 

「…ん?どこへ?」

 

「世話になったから、ちょっとひと足先に暴れてきてやるよ」

 

ロックはニヤリと笑って、元いた場所、監獄の方向に目を向ける。拘束は無くなった、身なりも整った、武器も揃った。仲間もまあ、出来たということになるのだろう。

もっと掛かると思ったが、欲しいものは全て手に入った。やはりあの緑の巨人には感謝しなくてはいけないらしい。

とりあえず当面の目的はタクスとジェイルを助けよう。なんせ約束したのだから。

この集落のヒトらに対しても恩返しになる。なんせ闘技場で無敗の男と手先が器用で賢い男を仲間にできるのだから。

「ちょっとアンタ…」と混乱したかのようなランチュラにロックは笑顔を返す。

 

「アンタアンタと失礼だな、オレにはロックって名前があるぞ?」

 

それだけ言って、今度は名乗る時につっかえることもなく自然に言えた。満足げに笑ってロックは集落を飛び出す。

監獄の場所の詳しい位置はわからないが、方角さえわかればそこに向かって走れば良い。諦めなければ必ず辿り着くのだから。

 

さあ今ここに【地上を救う】大地の騎士が目覚めた。

地上を護るのが騎士ならば、地上を救う彼はきっと。

 

■■■■■

 

照りつける太陽と焼けた砂、熱い風を新鮮に感じ、少しばかり「暑さヤバくない?」と思いながらもロックは砂原を駆け抜けた。

腹が減ったらそこらの生き物を叩き潰し、喉が渇いたら水場を探し、たまには休んでたまには逃げて。

どのくらい経ったであろうか、気付けばロックは脱獄したばかりの監獄の前に立っていた。

さてどうするか。

このままダイナミックお邪魔しますをかましても良いのだが、今回の目的はタクスたちの救出だ。下手に騒ぐのは悪手だろう。

まあ長い間投獄され頻繁に脱走していたロックは、見張りの死角やタイミング、入りやすい場所危険な場所の全てをなんとなくだが理解していた。

ふうと己を落ち着かせるように呼吸して、ロックは陽が落ちるのを待つ。陽が暮れ夜も更けたころ、今度は自らの意思で監獄の中へと足を踏み入れた。

 

静かな監獄の廊下をロックは進む。ここにいるヒトの数はかなり多いようだが、不気味なほど静かだった。

まあヒトの気配はあちこちの檻の中から感じるし、弱々しい息遣いも生々しい血の匂いも感じられはするのでヒトがいないということはないだろう。

図面の記憶と脱走していた時の感覚を照らし合わせ、ロックは警戒は緩めず歩みを進めた。とりあえずは、居場所がはっきりしているほうから。

トンとロックは見覚えのある区画の前へと降り立った。ひとつの檻の前に立ち、中をそっと覗き見る。

 

「……え?ロック?」

 

幸いにも目的の人物は起きていたようだ。…それともロックの気配で目を覚ましたのだろうか。まあどちらでも良いとロックは檻の中の人物に向けて手をヒラつかせた。

鉄格子越しにロックを見つめ、口をあんぐりと開いているのはタクス。そうここは、ロックもしばらく過ごしていた闘技場に出る囚人のいる区画。

声を上げ近寄って来ようとしたタクスを仕草で制止し、鉄格子から離れろと指示を送る。タクスは戸惑いながらも檻の奥へと移動したのを見届けて、ロックは武器を振りかぶった。

 

「っせえの!!」

 

大きな音が鳴り響き、土煙が辺りに舞い踊る。咳き込むタクスの目に飛び込んできたのは、ひしゃげた鉄格子とぽっかりと空いた大きな穴。

その先にいるのは手を伸ばしたロックの姿。「行くぞ」と、昔タクスがロックを闘技場に連れ出した時と同じ言葉を、ロックが紡ぐ。

故にタクスは迷いなく、ロックの向けて手を伸ばした。彼は自分を、外に連れ出してくれるのだろうと確信できたから。

互いの手が触れ合い、タクスが引っ張られるかのように折の外へと足を踏み出したその瞬間、派手な警報が鳴り響く。

あれだけ思い切り騒ぎを起こしたならば、そりゃ当然異常発生のアラームが鳴るだろう。静かだった監獄が、にわかにやかましくなってきた。

駆け出しながら逃げ出しながら、タクスは先導するロックの背中に声を掛ける。

 

「…無事でよかった」

 

「見ての通りピンピンしてる」

 

まあロックは逃げ仰せたのだろうと予想はしていた。なんせロックが逃亡してから、獄長以下看守全員がかなりピリピリしていたのだから。

闘技場に出された時も、普段は楽しそうに笑って観戦していた魔王がムスッと不機嫌そうにこちらを見下ろしていたのだから。

もしかしたら後1日ロックが来るのが遅かったら、タクスの命が危なかったかもしれない。脱獄犯と仲が良かったから。

 

馳け廻る小さな古神兵と飛び回る小さな古神兵を蹴散らしつつ、ロックとタクスは逃げ走る。こいつら修繕用の雑用係じゃなかったのかとタクスは驚いたが、ロックは知っていたのか武器を振り回し叩き落としていた。

「素早くて邪魔なんだよなコイツら…」と呟いていたから、多分闘技場に来る前にやりあったことがあるのだろう。

それらを叩き潰しながらロックはタクスに顔を向け「ああそうだ、謝っとく」と謝罪のポーズを取った。「何に?」とタクスが戸惑っていると、ロックは足を止め大きく振りかぶりながら「ちょっとゴーインだからな」と笑う。

なに、とタクスの声が飛び出す前にロックは「ぶっ、壊す!」と思い切り壁に武器を振り下ろした。

ド派手な音と目の前が見えなくなるほどの土煙に怯んだのは、タクスだけではないだろう。追手の動きが止まった気配と同時に、タクスの手が掴まれぐいと引き寄せられる。

煙が晴れて視界がクリアになった頃、脱走者を追っていた看守たちの目に映り込んだのはぽかりと開いた壁の穴とそこから覗き見える大きな月。ヒトの姿はもうどこにもなかった。

 

ロックとタクスは壁の穴から飛び出して、監獄の外観を転がるように駆け降りる。外に出れたと喜ぶ暇はない。

ここから離れなければ、追手を振り切らなくては、なるべく遠くへ。ロックがちらりと飛び出した穴を盗みみれば、土煙が晴れたのだろう、逃げた獲物を探すかのように看守共が鋭い視線を走らせていた。

しつこいなとロックが舌打ちしていると、タクスから小さく呆れたような声が出て漏れ聞こえた。

 

「壁を壊すなんて無茶な…」

 

「いや、あそこ赤いマルがぐちゃぐちゃ描かれてたからなんとかなるかなと」

 

ロックの言動の意味が分からず怪訝な顔を浮かべたタクスに、ロックはなんとか頑張って説明する。監獄の図面を完成させた奴がいること、その図面に描かれたあの場所がなんか強調されているっぽく赤マルがついていた事、だからなんかあるのかなと壊してみたこと。

その説明を聞いてタクスはよくわからないのに壊したのかと驚いた。結果オーライとはいえ、実質ノープラン。

 

「図面なら、何か説明が書かれていたんじゃないのか?」

 

「…?」

 

ロックが首を傾げたことにタクスも首を傾げる。図面という物体であるならば、何かしら書き込みされていそうなものだが。そうでなければ他人に伝わらない。

お互い不思議そうにしながら、ただ夜の砂漠をひた走る。ささやかに瞬く星明かりと大きな月を目印にして。

 

気付けばかなり遠くまで来ていた。砂原ばかりの景色ではどのくらい離れたかの確認はできないが、監獄の形は小さくなり追っ手の姿はもうない。

大きくて変な形をしているからまだ監獄の姿そのものは見えてはいるのだが、多分もう大丈夫だろう。

ゆっくりと速度を落とし、ロックもタクスも足を止めた。もう少し、出来れば休めそうな水場に行きたかったのだが、気が抜けたのかどちらともなく砂原に座り込む。

お互い顔を見合わせ、パンと手を合わせて叩き合った。

そのままタクスは砂原に倒れ込む。力尽きたというよりは開放感を示すかのように笑顔で手足を広げていた。

 

「…本当に外だ…広い」

 

そんな嬉しそうな声と共に。

捕まる前は広いだけで何もないこの砂漠にうんざりしていたけれど、とタクスが呟いたがロックとしては曖昧な笑顔を向けることしか出来ない。壁のある狭い世界しか知らないし、このサバクとやらはまだほとんど知らない。

ふうと大きく息を吐いたタクスはゆっくりと起き上がりロックに向けて頭を下げる。「ありがとう」と。

ロックとしては礼を言われるほどの事ではない。返しただけだ、なんせタクスは外の世界があるということを最初に教えてくれたから。

タクスがロックを闘技場という外が見える場所に連れ出してくれたから、今度はロックがタクスを外の世界に連れ出してやっただけ。

だからロックは手をヒラヒラと泳がせ「気にするな」と言葉を伝えた。

 

「しかし、あの後よく外まで逃げられたな。さっきみたく壁を壊したりはしていないだろう?」

 

ずっと監獄にいたタクスは壁の壊れたような音を聞いてはいないし、そもそもそんな事があったならば魔王が黙っていないだろう。住処を荒らしたロックを探して殺すため動き出す気がする。

タクスの問い掛けにロックは説明しにくそうに目を泳がせ言葉を探す素振りを見せた。言いたくないわけではなく、説明するのが難しいと言わんばかりに。

 

「…なんか変な部屋に、なんか変なツボがあって、なんか変な奴が出て来て、よくわからん内に外に連れ出されてて…」

 

なんかわけわからんままに襲われた、というロックの説明に若干どころか意味が分からないと目をパチクリさせたタクスだったが、次に続いたロックの「なんか力を貸すとか言われて、」という言葉に少し引っ掛かる。

なんか昔そんな言葉が出てくる御伽噺を聞いた事があるような?

しかしそれはランプだった覚えがあるし、ランプを擦ったらランプの精が出てきて願いを叶えてくれるはずだし。…確か、多分。いつ聞いたのかどこで聞いたか誰に聞いたかは曖昧ではあるが。

 

悩むタクスに「わけわからんモノのことを考えても無駄」と言おうとしたロックの口がピタリと止まった。突然地面が揺れたからだ。

タクスも不自然な揺れに気付き、辺りを警戒し武器を握り直した。

なんだ?どうした?どこから振動が生まれている?

ふたりの彷徨う視線がある1点で止まる。なんせ地面がボゴリと音を立てヒビ割れていたのだから。

何、とふたりがそこを注視したと同時にヒビの隙間から大きな腕が生え、地面を崩しながらその腕の本体が徐々に徐々に現れた。腕が出て、頭が出て、身体がのそりと持ち上がる。

何事かと固まるふたりが見守る中、その物体は地面から完全に体を起こし悠々と地上に立ち上がった。焦茶色の大きなナニカ。それが黄色い瞳をロックたちに向けている。

えっ何。

戸惑いつつもロックたちは武器を握りしめ戦闘態勢を取った。なんせ目の前の焦茶色の巨人は、あの監獄にいた奴らと配色が似ている。奴らの仲間かもしれない。

監獄にいた時に見かけたことはなかったが、さっきコイツは地面の中から生えてきた。普段は土の中に埋まっており、逃亡した者がいた場合地中から追跡する役割を担っているのかもしれない。

つまりは、監獄からの追手だ。その可能性としてはゼロではない。

ならば取る方法はただひとつ。

 

「タクス、行けるか!?」

 

「ああ!準備は万端だ!」

 

焦茶色の巨人と闘うのみだ。追手であるならば倒さなくては連れ戻されてしまう、最悪の場合この場で殺されるだろう。

それは困る、それでは意味がない。せっかく広い世界を走り回れるようになったのに。

ロックは焦茶色の巨人を睨み付けた。そんなロックの視線を受け止め、焦茶色の巨人は満足気に頷き「貴様らの挑戦、受けようぞ!」と言葉を落とす。

その言葉に若干疑問を感じはしたが、相手はぐるぐる腕を回しやる気満々だ。躊躇している暇はない。

追手を退けるため、ロックたちは焦茶色の巨人に飛び掛かった。

 

■■■

 

「このような力を持つものが現れるとは…。時代は変わったようだ」

 

しばらく交戦し、幾度も攻撃を与えはしたはずだ。しかしなんか焦茶色の巨人はケロっとしている。

それどころか余裕綽々とばかりに満足気に、そしてとても嬉しそうに、焦茶色の巨人はロックたちに向けてそんな言葉を贈ってくる始末。

ふたりとも息を切らしてはいるが、まだかろうじて2本の足で立っていた。立ててはいたがそれだけだ、もはや武器を振るう体力はない。

マズいなとロックは憎々し気に巨人を見上げた。確かにあの監獄の奴らは妙にタフな奴らが多かったが、こいつはタフさが桁違いだ。

しかしこんなところで諦めるわけには、せめてタクスだけでも、とロックが最後の気力を振り絞り武器を振り上げる。と同時に、焦茶色の巨人は「ジン様の仰った通りだな」とうんうん頷いた。

 

「………は?ジン?」

 

「うん?お前だろう?ジン様の仰った『面白い男』というのは」

 

違うそうじゃない。いや多分それはそうなんだろう、なんせこの前ジンと名乗った緑色の巨人に振り回されたのは他でもないロックだ。

そうじゃなくて。

 

「…お前、あそこの…監獄の追手じゃねー…のか?」

 

「?知らんな。我はグノーム、ジン様と同じ魔神だが」

 

あっさりと否定され呆気に取られるロックを尻目に、グノームと名乗った魔神は「いや我はジン様ほど力は強くないのだが、」とごちゃごちゃ言っていた。恐らくジンを讃える言葉と、ジンの凄さを嬉々として語っているのではあろうが、ロックの耳には届かない。

グノームの言葉を遮るように、ロックは力の限り声を鳴らした。

先に言え、と。

 

無駄に闘い無駄に体力を減らしたと思い知らされたロックは、むすっと頬を膨れさせ砂原に座り込む。その姿を見て不思議そうにロックを見下ろすグノームと、その間でオロオロとしているタスクという謎の空間が出来上がった。

杞憂だったわけだし良かったなと、タクスはなんとかロックを宥めようと声を掛けるがロックの機嫌が治らない。困ったようにタクスはグノームに顔を向けた。

 

「それで、えっと…」

 

「我は強き者に敬意を払う。お前らに力を貸そう」

 

ああなるほどとタクスは合点のいったような表情で手を叩く。だから「挑戦を受ける」と発言し、勝敗が付いたわけではないのに手を止めたのか。「強い」と魔神が認識すれば良いのだろう。

しかし「力を貸す」とは?

タクスがそう疑問を口にするとグノームは「我はジン様より力が強くは無いため、出来ることは限られている」と語り少しばかり思案気な表情を浮かべた。

 

「まあ、お前の望みならば問題無さそうだ。『仲間の所に帰る』程度ならば」

 

「…帰る、…帰れる?ということは、」

 

グノームの言葉にタクスは目を見開く。帰れるということに喜んだ、というには不自然な反応に、ロックは怪訝そうにタクスの顔を窺った。

タクスの表情は少し泣きそうでそれでいて嬉しそうで、そんな顔を浮かべたまま小さく震える声で言葉を紡ぐ。「つまり仲間は、ララたちは無事なんだな」と。

「ララ?」とロックが口を挟むと、タクスは口を押さえ少し照れたように「大事な子なんだ」と語った。彼女が無事で良かったと安堵した表情でタクスは微笑む。

初めてタクスのそんな表情を見たロックは、何故か懐かしい気持ちになりながらも「良かったな」と笑いかけた。タクスも嬉しそうに「ああ」と頷く。

 

「まあその、ララってのは愛称で、本名はランチュラっていうんだ。長いからこう呼んで良いと笑いながら言ってくれて…その笑顔に何度助けられたか」

 

「…おん???」

 

その名前には聞き覚えがあるなとロックはタクスの顔をマジマジと見つめた。あれでもあいつは「タック」って奴を探して、あれ、ああいや愛称?タック、タック、タ、クス。

あ。

 

「あーーーー!!お前か!」

 

「えっどうした」

 

突然大声を上げたロックにタクスは驚いてビクリと肩を振るわせる。そんなタクスを無視して、ロックは大きなため息を吐いた。他人の愛称なんざ知るか、あんな聞き方されてもわかんねーよ。

阿呆かとロックは頭を掻いて、呆れたようにタクスに言葉を贈った。別れの言葉の代わりに、ちょっとした苦情を。

 

「ランチュラのとこ戻ったら『探し人は本名で探せよ馬鹿』って言っといてくれ」

 

それはどういう、とタクスが聞き返そうとする前に、タクスの体はふっと消え失せた。グノームの力だろう。

ひとり片付いたとばかりにグノームはロックに向き直る。「お前は…」とグノームは値踏みするようにロックを見つめ、問題ないと頷いた。

そりゃ良かったさっそく頼む。

 

「ついでだ、ちょっと体力回復させてくんねーか?」

 

「それは我の管轄では無い」

 

それはアープにでも強さを示せと少しばかり不機嫌そうに助言を寄越し、グノームはロックに力を送った。瞬間ロックの姿はこの場から掻き消える。

契約を遂行出来たとグノームは満足そうに笑みを浮かべた。どちらの望みも「この大陸内への移動」だったため容易く力を貸せたと。

さて、とグノームは己の力を使い大陸を探る。しばらくして割と好き勝手動いている風の気配を見つけ、嬉しそうに微笑んだ。

グノームを目覚めさせたのはジンだった。ロックの相手をしたその足でグノームを叩き起こし、上がったテンションのまま一方的に喋りそれに満足するとまた何処かへ飛び去ってしまったのだ。

久々だから手合わせ願いたかったのに。

まあそのお喋りの中で語られた「ジン様が気に入ったヒト」に興味を持ち、探して追いかけ闘えたのででグノームとしても概ね満足はしているのだが。

 

「やはりそれとは別腹で、ジン様に手合わせ願いたい」

 

そう考えたグノームは今でもあちこち飛び回っているジンの気配を捕捉して、そこに向かって移動する。近くにウザい水の気配もするが、まあ、100歩譲って良しとしよう。先にジン様と手合わせしていたら先にそいつを殴ろうと、割と理不尽な事を考えながら。

さあ魔神が3体動き始めた。これからは風が動いて水は澄み、大地は元気を取り戻す。これからは少しずつ少しずつ、砂漠の情勢が変わっていくのだろう。

そのきっかけとなったひとりの男は、現在あの忌々しい監獄の中に舞い戻っている。不敵な笑みを浮かべながら。

 

■■■■

 

気付けばまた檻の中にいた。いやそれは良いロックの「行きたいと望む場所」はここだったから。

それは良い、良いのだが。「アープって誰…」とロックは呆れた声で呟いた。グノームが最後に漏らした言葉、助言のつもりだったのだろうが伝わらなければそれは助言になり得ない。

ふうとロックは息を吐いた。魔神とやらには、もう二度と関わらないで済むことを祈る。

無駄に戦ったしわけわからんし、なんかこう、疲れた。が、休んでいる暇はない。

看守共もついさっき脱獄した奴が、こんなにも早く出戻っているとは考えないだろう。恐らく「外側」へと意識が向いており、「内側」にはそこまで気を回さない。

さて、とロックは周囲を見回した。看守たちの意識が薄いとはいえ、タクスと違いどこにいるのかわからない相手を探すとなると多少は骨が折れるだろう。

なんせ探し相手はこの前天井裏から落ちてきたのだから。

 

「…ジェイルを探すのは面倒そうだな…」

 

どこぞの檻の中にいるのか、それともあの後もこっそりどこかに身を隠しているのか。流石に捕まったりはしていないと思うのだが。

ロックは近くの木箱をからひょいと入っていたものを掴み口に含む。どうもここは食糧庫、厳密に言えば食糧庫として利用している牢屋のようだ。

回復は管轄外だが、回復出来そうなもののある場所に飛ばされたのだろう。一応希望は聞いてくれたとらしい。

腹拵えも終わったところでロックはこっそりと鉄格子の隙間から外を確認した。どうであれここは監獄、警戒に越したことはない。

見える範囲に看守の姿は無かった、が、少しばかり遠いが戦闘の音がしている。先ほどのゴタゴタに紛れて脱走した奴がいるのか、それとも。

状況を把握しようと耳を澄ませていたロックは、戦闘の音に混じって聞こえてきた「声」を聞き取り目を見開いた。慌ててすぐさま扉を叩き壊す。

その勢いのままロックは音のする方向へと走り出した。見えてきたのは多数の小さな古神兵に囲まれている、ツギハギだらけの鎧の男。多勢に無勢で追い込まれ、ついには壁際に尻餅をついた。

やっべギリギリ、とロックは己の武器を振り上げ、その中心へと飛び込む。ふわりとたなびくマント越しに、驚愕の表情を浮かべているジェイルの姿が確認出来た。

 

「ロッ…!」

 

声を漏らすジェイルに軽く手を振り合図を送る。話は後だ、とりあえず目の前の邪魔な奴らをぶっ壊してから。

ロックは手始めに数体壁に叩き込み、次は床に叩きつけ、包囲網を崩していく。それでも数はなかなか減らない。次から次へと湧いてくる。

敵の多さに危機感を覚えたジェイルが慌てて立ち上がろうとするのをロックは止めた。まだ息が整っていないようだし、軽く負傷しているようだったから。

「いやでも、」と声を上げるジェイルに視線は向けず、背中越しにロックは「うるせえ」と喉を鳴らす。今はそうだな、

 

「お前は黙って、救われてろ」

 

それだけ伝えてロックは武器を振り回した。大きな棍がかなりの数の敵を巻き込みじわじわ道を切り拓いていく。

流石に全てを潰し切れはしないだろうとロックの瞳は隙間を探した。今は逃げられさえすれば良い。

床に崩れた兵が積み重なってきた頃ロックはジェイルをひょいと持ち上げ、包囲網の隙間をすり抜けるように駆け出した。「うお!?」という鳴き声が聞こえてきたが、口は閉じてろ舌噛むぞ?

 

追手を撒くためあちこち走り回る。ある程度潰したのが幸いしたのか、予想以上に早い段階で鬼ごっこは終わったようだ。気付けば静かな監獄内に、ロックの息遣いだけが響いていた。

周囲の檻を確認し、鍵のかかっていない牢屋に潜り込む。これで多少は誤魔化せるだろう。

ふうとひと息つきながら、ロックはジェイルをポイと床に降ろした。「痛って!」とか聞こえた気がしたが多分気のせいだ。

身体をさすりながらジェイルはロックに顔を向ける。ロックは扉近くに陣取り外を警戒しているようだ。

 

「いやまあ色々言いたいことはあるけどよ、…サンキューな。今回はヤバかった」

 

おうとロックは声だけを返し「落ち着いたら逃げるぞ」と、暗にとっとと回復しろと伝えた。逃げる、か、とジェイルは頭を掻く。

「俺がヘマしたのが悪いんだが、…この辺りは」とジェイルもロックに近寄り、隙間から外の通路を指差した。

「サッカーラの野郎がいる区画だ」と。

その単語にロックはピクリと反応する。

同時に、檻の中にいた時に獄長が言っていた言葉も思い出す。闘技場で戦い終わってすぐに言われた言葉。

「サッカーラ様は相変わらず逞しくて素敵ね」「普段はなかなか会えなくて寂しいわ」「だからアンタもっと試合を盛り上げてなさい、面白い試合だと来てくださるから」

いや最後のは知るか馬鹿と思ったが。そうか、あの先にいるのか。

 

「なあジェイル。…選べ」

 

首を傾げるジェイルに、ロックは2択を提示する。

このままただ逃げるか

こんな所に閉じ込めた親玉をぶん殴るか

そんな選択肢を。

ああなるほどとジェイルは笑った。

んなもん実質1択じゃねーか、と。

 

■■■

 

ロックはジェイルやタクス、ほかの囚人たちと違い、「魔王」に別段思い入れはない。「魔王」に襲われたわけでも捕まったわけでもないからだ。

だがしかし。

ロックが闘技場に出るようになって、どうやら魔王のお眼鏡にかなったらしい。当人が直接激励に来たことがあった。激励というか「面白い試合をするから褒めにきてやった」という態度ではあったが。

当時ロックは枷の多さに辟易してきた頃であり、重石を付けて毎日のように引っ張り出され見世物になることに嫌気がさしてきた頃。

故に訪れた魔王を「魔王」というよりは「監獄の主人」として認識しており、ロックは試合の疲れも相まって監獄の主人を怒鳴りつける。とっとと枷か重石を、こいつを外せ、と。

ロックの主張を聞いた監獄の主人は「ユーはこのキングサッカーラに指図しようというのか?」と鼻で笑った。面白そうに、それでいて不機嫌そうに。

その後試合は過酷になるわ、見上げればサッカーラは愉しげに嗤っているわで生活全てが悪化していく。最悪だった。

面白かったのだろうと思う。どれだけ過酷にしても、喰らい付いて反抗してくるロックが。

不愉快だったのだろうと思う。どれだけへし折ろうとしても、噛み付いてくるロックが。

ずっと喰らい付いて噛み付いて反抗していたロックだが、精神自体は衰弱しており、結局タクスに当たり散らすくらいは追い詰められた。

故にロックは「魔王」には恨みはない。が、「監獄の主人」には怒りを抱いている。サッカーラをとりあえず1発殴りたい。

武器があるのに拳を繰り出す理由は何だ?と問われればロックは笑って言うだろう。

そんなもの、ただ単にそいつを直接殴り飛ばしたいだけだ、と。

 

決断を下したロックとジェイルは隠れていた檻から抜け出して通路を走る。着いた先は大きな広間。きんきらピカピカゴージャスな、絢爛豪華な特別な部屋。

その部屋の玉座に、監獄の主人はただ静かに座っていた。ギラギラとあからさまな殺意を向ける瞳を平然と受け止め、嬉々としてサッカーラはパチパチと手を叩く。よくできましたと褒めるように。

愚かで脆弱で愚鈍なモノの分際で、ここまで成ったことをただ称賛した。しかしすぐに拍手を止め、ロックたちを見下して嗤う。

 

「ユーの愚かさを見せてもらおうではないかッ!」

 

そうだ見せろ晒せ曝せ。

無謀に身を包んで朽ち果てる様を。

羽をもがれた蝶が、愚かにも地を這いずり回る様を。

ああだってそれは何事にも代えられぬほどの愉悦なのだから。

 

「ふざけんな!俺はお前のオモチャじゃねぇ!!」

 

魔王の言い分にロックが激昂する。玩具かそうかそうだな。玩具なのか。

ああ苛つくな、オレはそんなもの生まれてこのかた与えられたことなどないというのに。

 

「ロック、気を引き締めて行くぜッ!」

 

激昂しているロックを引き戻すかのように、ジェイルはロックの頭を叩いた。まあ近くに熱くなってる奴がいると、逆に冷静になるわなと苦笑する。

あれだけ怒鳴られても、あれだけの殺意を浴びせられても、サッカーラは笑みを絶やさない。

ヒトが木々の声を理解しないように、獣から求愛行動を取られても心動かされないように、サッカーラにとってロックたちの言葉はその程度のものなのだ。

 

ロックとしてはサッカーラを倒す気はなかった。というかひと目見て「無理だ」と判断は下せた。恐らく経験もパワーも何もかも全てがロックよりも上だ。

それでも監獄というものを作り上げたことに対する怒りを、数々の恨みを、どうしても直接、せめて一撃だけでも叩き込んでやりたいと。そう思った。

 

■■■

 

ロックもジェイルも幾度もサッカーラに飛び掛かった。その度に避けられその度に弾かれ舌打ちの数だけ増えていく。

ロックの苛つきが天井に達した頃ようやく。ロックの怒りを込めた一撃が、サッカーラの頭に叩き込まれる。叩き込めた。

残念だったのは、殴りかかった瞬間目の前は真っ赤で頭の中は真っ白で、ほとんど何も覚えていないことだ。ただ理解できたのは、殴った時の感触だけ。

当のサッカーラは無言で殴られた頭に手をやり呆けている。何が起きたのかわからないとでも言わんばかりに。

刹那サッカーラの顔がギュルンとロックに向き直り、激しく大気が揺らされた。離れていれば一瞬の間にサッカーラから無数の拳が放たれたことがわかっただろう。サッカーラが「玩具で遊ぶ」という余裕を消し去り、「不快なものを排除する」という思考に移行したと。

全て食らっていたならば、ロックの存在そのものが欠片も残さず消えていた。そうなっていないのは、ロックが異様な殺気を感じ取れたからだ。そういうものを察するのは長けている、なんせ毎日闘技場でそれを味わっていたのだから。

すぐさま回避の挙動に移れたのは枷と重石が無くなっていたからだ。あれのおかげで身体は鍛えられ、外れた今では身軽に動ける。

闘技場での過酷な日々がロックを助けた。つまりは過去のサッカーラがロックに与えたもののおかげで助かったのだ。認めたくはないけれど。

とはいえ完全に無傷とはいかず、ロックは拳の風圧で吹き飛ばされる。吹き飛んだ身体はジェイルが受け止めたが勢いはほとんど殺せない。

このままでは壁に叩きつけられる、と思ったがサッカーラの拳の威力は凄まじく、同時に壁を破壊していた。

ぽっかり空いた壁の穴にそのまま吸い込まれ、ふたりは転げるように外に、監獄の外に放り出された。

多少地面に落下したダメージはあるが、痛みに呻く暇はない。ふたりはすぐさま身体を起こし、月の輝く夜の砂漠に飛び出して行った。

サッカーラは追いかけてはきていない。怒りでそれどころではないのか監獄の外には出なくないのか、それはロックたちにはわからないがひとまず安心といったところだろう。

それなのにロックたちは走り続けた。怒り狂ったサッカーラが真後ろにいるような、そんな感覚が離れない。

逃げて、逃げて、逃げた。

それでもその恐怖感と威圧感は、ずっとふたりを襲う。それが消えるか力尽きるまでは、ただ延々と砂の上を走っていた。

 

■■■

 

いつしかジェイルの速度が落ち、砂に足を取られて倒れ込む。ジェイルが倒れたのに気付いたロックもようやく止まり、「大、丈夫、か」と駆け寄った。

まあロックも限界だったのだろう、ジェイルを起こそうと手を伸ばしたは良いものの、そのまま砂の上に膝を付く。自然とロックもパタンと倒れ込んだ。

 

多少聞こえてくる呼吸音が落ち着いて辺りが静かになってきたころ、ふたりはゴロンと寝返りを打ち空を見上げる。

空には多数の星が瞬き、丸い月が淡く光っていた。

「ヤバかったな…」とジェイルが漏らせば、ロックは「でも負けてねーし…」と返す、なんせ一撃は与えられたのだ。あのサッカーラから「怒り」という感情を引き出してやったのだ。余裕を崩すことができたのだ。

手が届かない相手ではない。まあちょっとヤバかったのは認めるけど。

寝転んだままロックは手を伸ばし、掌で月を握るように動かす。

次はきっと、もっと、絶対。

ぐっと月を握り締め、ロックは悔しそうに笑った。

 

「ああそうだ…これロックのか?」

 

ジェイルがロックの目の前にパラパラと小さな塊を落とす。銀色の細長い、変な形の固いもの。

ロックが不思議そうな表情を向けるとジェイルは「ほらあの、図面見つけた檻。そこのすみっこに落ちてたんだよ」と懐かしそうに説明した。あそこに落ちてた布を大事そうに掴んでたからお前のかなって、と。

実際あの布は闘技場にいた時に腰布として身につけていたが、こんな塊は知らない。「何だこれ」とロックが問えば「多分弾丸?」という答えが返ってきた。

 

「知らねーのか…じゃあこれとかもお前のじゃないよな」

 

そう言ってジェイルはガサゴソと様々なガラクタを引っ張り出す。こんなもんどこにしまってたんだとロックがドン引けば、鎧の隙間と言われた。

変な形の鎧だなと思ってはいたが、そう言う用途があったのかとロックは呆れを通り越して感心した。脱走中に興味深いものが大量に見つかるから「これは是非借りなくては」という気持ちになったらしい。

「借りる?」とロックが怪訝な声を出せば「おう借りてるだけだ、俺が死ぬまで」とジェイルはケロリと笑った。それは実質強奪と同義では。

 

「いや本当珍しいもんが多くてな、古文書とか」

 

嬉々として盗掘品を語るジェイルは、「これとか超状態が良くて!」とコトンと砂原に古美術品を取り出す。それは金色のピカピカしたランプで赤色の紋様が描かれていた。

あれ?とロックは首を傾げる。この模様に似たものを、いつだったか見たことがあるような。そうだあの古いツボの周りに、これと似たような模様があったような。

いやまさか、と思う。しかし、二度あることは三度あるのでは、とも思う。だからロックはついそのランプの模様を擦るように、ついと指を這わせた。

 

「ワハハハハハハハ!!我が名はイフリート!炎を司りし精霊の王である!」

 

ピカッとランプが輝いた。もふんと煙が飛び出した。そして大きな笑い声とともに、真っ赤な巨人が夜の砂漠に姿を現した。

予想はしていたが、確信は無かった。

まさか本当に出てくるとは思っていなかった。

ロックは巨人の、イフリートと名乗った魔神の姿を見て驚愕の声を上げる。

 

「ええ!?また?マジーー!?」

 

ロックの叫び声と目の前で繰り広げられた不可思議な現象にジェイルは一瞬驚いたものの、イフリートの視線がロックのみに注がれていることを察しこっそりひっそり身を隠した。

何だろう、ランプに素手で触れたものだけが対象なのだろうか。ランプの御伽噺にそう書かれていたか?思い出せないな、どうだったか。

ジェイルがこっそり観察すると、イフリートは「我が禁断の封印を解きしはキサマか?」とロックに問い掛けていた。御伽噺を知っているジェイルからしてみれば「そうっぽいよなあ」と思うのだが、ロックはブンブンと首を振っていた。

まあ実際ランプからなんか出てきたら戸惑い否定するだろう、怖い。しかしそんなジェイルの考えとは裏腹に、ロックは「封印って何だそれ知らねー!!」と怒鳴っている。

知らない?この砂縛で産まれたならば大概聞かされる御伽噺を「知らない」?

…聞かされる、はず、だよな?とジェイルは不思議な感覚に襲われ首を傾げた。そんなジェイルには目をくれず、イフリートはロックに笑いかける。

 

「そうか?まあ、古の契約に従い、力を貸してやろう!ただし、キサマにその資格があればだがな!」

 

何、という疑問はロックの中にはない。なんせこの言い回しを知っているのだから。ジンは言っていた「資格があるか」と。グノームは言っていた「挑戦を受ける」と。

そして魔神は両方とも、闘いを挑んできた。

恐らくイフリートの言う「契約」とは魔神と闘い、勝つか実力を認められれば、望んでいることが叶う、といったものだろう。

ロックがジンと出会った時になんとなく想像したことが、グノームによって確信に変わってはいた。

だからこの後どんな展開になるかくらいは、わかっている。

 

豪快に笑うイフリートは、手心を加える気は無いとロックに対して好戦的な気を放った。

「我らに勝てばキサマの願いを叶えよう。さあ何を望む?」そう問いながら。

ほらなんかやる気満々だし!ジェイル!ジェイルはどこに、…あの野郎!!!

砂原にこっそり身を隠しているジェイルを発見しロックはキバを剥く。対してジェイルは「ガンバレ」とばかりにガッツポーズを贈ってきた。バーカ!

涙目でジェイルを睨み付け、ロックはイフリートに向き直る。願い?願いか、そう言われても。

 

「ねーよ、そんなもん!!」

 

わざわざ叶えてもらう願いはもうない。

外に出れた、外の世界を知れた、タクスを外に出せた、ジェイルを外に出せた、サッカーラを1発殴ることも出来た。

監獄のことはランチュラたちがすでに色々動いているからもう、魔神の力は必要ない。

だから帰れ。

 

ロックがそう答えると、イフリートは大きな声で笑い出した。人知の及ばぬ力を「いらない」と言われたのは初めてだと。

過去に力を得たものは、ギラギラと己の欲望を露わに願いを口に出したというのに。

止まらぬ笑いを抑えながら、イフリートは目の前にいるロックに嬉しそうに声を落とす。

 

「ならばそれを叶えよう。まあ我と闘って勝ったらの話だが!」

 

その言葉が終わるか終わらないかの瀬戸際に、イフリートは炎を生み出しロックに投げ付けた。冷えた砂漠に熱が舞い、辺り一面が炎に包まれる。

戯れに投げられた炎から跳びのきながら、ロックは慌てた表情で笑みを浮かべるイフリートを見上げた。

 

「結局やるのかよ!」

 

帰って良いと言ったのに。そんなロックの呆れた声が大気を揺らす。

それすら始終楽しそうなイフリートの笑い声に掻き消されていった。

 

■■■

 

「わーはっはっはっはっは!よかろう!!」

 

辺り一面に焦げ臭い匂いが広がっていた。砂原のあちらこちらが黒く焦げ、熱された地面からは薄ら湯気が上がっている。

かろうじて2本の足で立てているロックは、ぜーはーと辛そうに息を吐いていた。身体中に火傷の跡が残っている。

魔神とかいう生き物はみんなこんなんかとロックはイフリートを睨み付けた。ジンは一方的に喋り空気を翻弄し砂を巻き上げ暴れ回り、グノームは一切説明せず地面を揺らし時にはひび割れ足場が消えた。

そして目の前のイフリートは、会話が成り立った上で襲ってきて 痕に残りそうな火傷を大量に与えてきた。

 

「テメーらなんか嫌いだ!」

 

ロックの心からの叫びにイフリートは少し首を傾け、ずいとロックに顔を近づける。驚いたロックを尻目にイフリートは「ふむ?」と非常に不思議そうな表情をしていた。

その後何かを探るかのように目を瞑り「おや」と納得したような、まだ疑問の残るような変な顔を浮かべる。最後にロックに向き直り、イフリートはニィと笑った。

「幾度も我らに挑戦し、ピンピンしている者は初めてみた」と。

むしろ複数の魔神に挑戦することが稀なのだ。そもそも見つけ出せないし、例え魔神に出会えたとしても強さを示せないものが大半だ。最後まで辿り着いたとしても大抵の者は力に溺れて身を壊す。

目の前の男は何も持たなかったのが幸いしたのだろうとイフリートはひとり頷いた。願望そのものが動物的な「生きたい」という欲求したなかったから、ジンも困っただろうなと笑う。…いやあいつは困らないな「なるほど?」と勝手に解釈して、いつも通り過剰に力を与えただろう。

今回で言えば安全な場所で理解のあるヒトがいる、ロックに都合の良い所を与えた。というか元々は「外に出たい」だったのだがジンが先走り戦う前に叶えてしまっていたため、そうするしかなかったのだ。

そのせいで多少は欲が産まれたようだが、とイフリートは微笑む。それもまだ幼子のような、言うなれば「何でも願いを叶える」と言ったのにそこら辺で安価に購入できる掃除用具を望まれたかのような愛くるしい欲。

ならばと大量に与えても「置き場所に困るからこんなにいらない」と突っぱねられたような。ああそうだ太古の昔、一番最初に叶えたものはそんなささやかな望みだった。

だから我らはヒトに興味を持ち、ずっと、とイフリートは昔を懐かしみながら目を閉じる。そのまますっと姿を消して行った。

 

イフリートが突然煙のように消えロックは若干戸惑ったものの、まあ良いかと頭を掻く。ジンやグノームの姿を思い出し、話を聞かず好き勝手動く輩の挙動を気にしては負けだろうと。

はあとため息を吐くロックの前に、ジェイルが「オモロかった」と満面の笑みで近寄って来た。ので、つい思わずジェイルの頭を殴ったロックは悪くない。

 

「お前、ジェイルお前、」

 

「いや、あの魔神お前だけをロックオンしてたし…」

 

置き去りにされたことに対する恨み節をロックが呟けば、ジェイルはまあまあと宥めるように手を広げた。

お前もなんか手慣れてたしさ、とジェイルが言うもんだからロックは「それは」と口を開く。ジェイルが鍵を開けた後の、ジンと邂逅した頃からの出来事全て。

 

愚痴のような御伽噺のような、おかしなロックの冒険譚を聴きながら、ジェイルは思う。

そんなに慌てて喋らなくとも時間はたっぷりあるのにと。なんせもう檻はない枷はない、自分たちはあの監獄から解放されたのだから。

 

気がつけば日が昇っていた、砂縛にようやく朝が来る。

遠くからヒトの声が聞こえた。ロックの名を呼ぶ男女の声。互いに再会を喜んで、各々口々喋りながら砂原を歩く。

跡に残るは4人分の足跡、それは太陽に向かって進んでいた。

 

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新2章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け【シリーズ完結】【改稿済み】
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