折れた角の火葬 |
角が折れた。昔から、角が折れたら、火葬しなくてはいけない決まりになっていた。私は角を持って、母に、折れたよ、と言う。母は、角を一瞥してから、あらまあ、と言う。とくべつ、何の感情もない声で言う。私としては、もう少し、情感の篭った声で、心配するなり、褒めるなりして欲しかったところである。しかし、母としては、それはもう、決まった行事になってしまったのだろう。兄弟が五人もいれば。乳歯が抜けるように、角も折れてしまうものだと。
私たちは角をきれいな布に包む。母は、棺を作りなさいという。棺は、角を入れるのに相応しい大きさのボール紙などで作ることになっている。私は、ボール紙がない、と言って、母を困らせる。ボール紙などたくさんゴミで出てくるのに、必要な時には出て来ないものだ。私は仕方なくスーパーへ行きダンボールをもらってくる。折れた角を認めた店員が、ちらりと私の頭を見る。私は、誇らしさと、気恥ずかしさを感じて、逃げるように店を出て行く。
棺を作っていると、一つ上の兄がやって来て、角が折れたんだ、と言う。私は、うん、と言って、棺を作り続けた。作るといっても、ダンボールを切って、テープで貼って、角の大きさぴったりにするだけのことだ。すると、兄はマジックを持ってきて、私の棺に私の名前を書いた。そんなことをするものではない、と思って、兄を睨みつけると、兄はもういない。私は、私の名前の書かれた棺を変な恥ずかしい気分で見下ろしながら、しかし、もうダンボールはなかったから、そのまま使い続けるしかない。
やがて棺が出来た。布で包まれた角を入れると、棺は神聖なものに思えてくる。私は、その棺をずっと、部屋の中に飾っておいてもよいような気がしてくる。でも、折れた角は、火葬しなくてはならない。それが私たちの決まりだからだ。
私は母に、棺が出来たよと言う。母は、そう、とだけ言って、庭の片隅の、かつてブドウの木のあった場所に、薪や、牛乳パックを切ったものを並べ始める。そこは、長兄や次兄の角を火葬した、神聖な場所だと言えるかもしれない。
初めて角の火葬を見たのは、三つ上の兄の角が折れた時。もう夕刻で、兄は泣いていた。私は、変なのと思った。角が折れたって、どうせまた新しい角が生えてくるのに。でも、兄は泣いていた。三つ上の兄は、体も弱かったから、しかたがないのかもしれない。不思議な光景。兄の泣き声と、蝉の鳴き声と、夜空に映える炎の照り返しを私は縁側に座ってずっと見ていた。パチパチという火花の散る音。パーンと、ときおり角の爆ぜる音がした。夜になっても、炎の色が目に焼き付いていた。私は、その夜、寝つきにくかったことを覚えている。
そのことを覚えているからだろう。私は、自分の角が折れても、大して動揺もしないだろうと思っていた。そして、実際にその通りだった。私は大して動揺もしないまま、薪の上に、自分の名前の書かれた棺を置いた。母が、なにその名前、と言う。兄に書かれた、と私はさりげなく呟く。
母は燃えやすいように、着火剤を棺に噴きつけた。黄色い着火剤が、箱の中の白い清潔な布を、汚物のように薄汚くしてしまうのではないかと思うと、私は嫌なような気がした。
火が放たれた。火は蛇の舌みたいにちろちろと私の棺を撫でる。私は自分の折れた角の跡に手をやる。痛みや感覚は無い。でも、今までそこにあった重みがなくなっているから、私の頭はバランスが取りづらい。しばらくはそんなふうに違和感を感じ続けるのだろう。しばらくすれば、私はそのことも忘れてしまう。私の頭に生えていた前の角のことも。
そこへ、三つ上の兄が帰ってきた。自分の角を火葬して泣いていた兄だ。兄は、私の横に並んで、「もうそんな年か」と言った。私は黙って頷いた。兄は私の頭の、折れた角の部分に指を触れさせた。いつもなら払いのけるけれども、その時は、兄のしたいままにしておいた。
「おまえは泣いたりしないんだな」
兄は言う。兄もあの晩のことを覚えていたのだろう。私は頷く。時間が流れているような気がした。あれから、もうずっと本当にたくさんの時間が。
私の棺は着火剤のせいか、緑色の炎を上げて燃えている。私は泣きはしなかった。しかし、喪失感のようなものは感じているのだ。そしてそのことなら、私は兄と共有できるかもしれない。私は喪失感を言葉にしようと思う。でも、なんと言ったらよいか分からないでいるうちに、兄はいなくなっていた。私は兄に、燃え尽きるまで一緒に見ていてほしいと、その時思っていたことに気が付く。庭にはもう誰もいない。私は、燃え尽きるまで、私の角のあげる炎をじっと見ている。炎の色が私の目に焼き付き、私は今夜も眠りづらくなるだろう。
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