護る力、剛き心
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時は少し遡るが、夏休みも終わりに近い、ここは尚壽館。

「……ほんとに、おかしいわねえ」

道場の入り口を見ながら、何度目になるだろう溜め息を吐きつつ言うのは、この剣道場の主である、草壁真穂。土御門佑介の恋人・草壁栞の母親だ。

「ばーば。ゆうちゃんこないね。どうしたの?」

「まほせんせい、ゆうにいちゃんなんでこないのー?」

「そうねえ…。どうしちゃったのかしらね」

孫の芙美や、『ゆうにいちゃん』こと佑介に会えるのが楽しみで通ってくる子供たちに問われて、真穂は曖昧な表情で答えるしかなかった。

……そう、一度たりとも稽古を休んだことがない佑介が、この一週間のうちの木・土と立て続けに稽古を休んでいるのだ。もちろん今日…日曜日も。

土曜日は警視庁での稽古だったため、佑介が来ないことを心配して、真穂の警察官時代の後輩、東山昇が電話してきたくらいだ。

 

(小都子さんに聞こうと思っても、何故かここ数日留守にしているし…)

佑介の母・小都子と祖母の梅乃も、どこに出かけているのか家に帰った様子はほとんどない。たまに、電気がついていると思ったら、また大きな紙袋を持って出かけているらしい…とは、土御門家のお隣さんの話だが。

 

「紙袋?」

「そう。なんか衣類が入っている感じの。服装も普段着だから、近くにいるんだろうと思うんだけどね。…そういえば息子の佑介くんもここ数日は全然見かけないね。いつも挨拶してくれて、とてもいい子なのにねえ〜。あの子の姿が見えないと寂しいよ」

「………」

 

なにか、あったのだろうか。

真穂の中に不安が広がっていった。

 

「え、佑くん?」

「ここのところ、稽古に来ないのよ。栞だったらなにか聞いてるんじゃないかと思ってね。……なんたって佑介くんの『想い人』なんだし」

「お母さんっ」

にーっこりと笑ってそういう真穂に、栞は真っ赤になってしまった。一緒に夕食を食べていた父の直哉も苦笑している。

夏休みに入る前、佑介が栞に想いを告白したことで、二人は晴れて「仲のいい幼なじみ」から「恋人同士」になった。

その後も佑介自身には、先祖である安倍晴明の宿敵・蘆屋道満の怨霊に命を狙われるなどといったことがあったりしたのだが、今は平穏に過ごしている…はずなのに。

「…ま、それはおいといて。冗談抜きで、本当に聞いていない?」

「………っ」

「……栞?」

途端に黙り込んでしまった娘に、直哉も怪訝に思いながら声をかける。

「か…風邪でも引いてるんじゃない? すぐに元気になるわよ」

動揺を隠しつつ、答える栞。

 

―――えっ、佑くんが!?

 

―――ええ、木曜日から入院しているの。…栞ちゃんには話したほうがいいと思ったから

 

―――そんな…! おばさま、佑くん大丈夫なんですかっ

 

―――…今は意識不明だけど…大丈夫よ。絶対大丈夫。

 

―――あたしも病院に…!

 

―――今は面会謝絶だから、身内しか会えないの。…ごめんね

 

―――っ…

 

―――そんな顔しないで。大丈夫、栞ちゃんみたいな可愛い恋人を残しておいていくような男じゃないわよ、佑は

 

―――おばさま……

 

―――もしそんなことしたら、私がしばき倒してやるわ。「この馬鹿息子」ってね

 

そう言って笑っていた小都子の姿が、栞にはかえってつらかった。

…佑介に会いたい。今すぐにでも病院に飛んでいきたいのに。

 

「栞、あなたなにか隠してるわね?」

そんな栞の様子に、真穂は問いただす。

「な、なにも隠してないよ」

「嘘おっしゃい。ただの風邪なら小都子さんも梅乃おばあちゃんも、家にいるはずでしょ」

「………」

「…栞。正直に話してくれないか。佑介くんになにかあったのかい?」

直哉の、優しく諭すような口調に、栞は顔を歪めてついに話し始めた。

「……あのね…っ、佑くんが…!」

 

涙声で栞が話す内容に、真穂と直哉は血が引くような思いがした。

 

 

変わって、ここは区内の総合病院。

 

ICUの近くの個室。ドアには「面会謝絶」と書かれた札。そして患者名のプレートには…「土御門佑介様」の名があった。

中では、小都子か包帯だらけの佑介の体を拭きながら、祖母である梅乃は椅子に座って、佑介の目覚めを待っていた。

 

「おばあちゃん。少しでも家に戻って休んで下さい。ほとんど寝ていないでしょう?」

「それを言うなら小都子さんもだろう? 私は大丈夫だよ」

「でも……」

「本当に大丈夫。……なんだかね、怖いんだよ。…祐孝の二の舞になりはしないかって」

「おばあちゃん……!」

 

佑介を護るために命を落とした父・祐孝。

その祐孝と同じように、息子である佑介も人ならざる者の手によって深手を負ったのだ。

…あの時。佑介が満身創痍で帰ってきたときは、小都子も梅乃も息が止まるかと思った。

 

――――数日前。

 

かしゃん。からから…。がたんっ!

 

その音で慌てて玄関に向かうと、今にも倒れんばかりの佑介が、左腕に手をやって壁にもたれていた。

「きゃああっ、佑っ!?」

「どうしたんだい、そんなになって!」

二人の声か聞こえたのか、佑介は力のない笑みを浮かべて、

「…だい…じょうぶ…」

それだけを言うと、すうっと意識を手放してしまった。

そのまま、佑介は病院へかつぎ込まれたのだ。

 

小都子も、梅乃も佑介の怪我の原因は薄々感づいていた。

夏休みになる前に、佑介は自分の部屋で、何者かに寝込みを襲われていた。もちろん、人外の者に。

その正体に佑介は気づいていて、そしてその者に縁のあると言われる兵庫・佐用町に向かい、帰ってきたときがこの状態ということは…つまり。

 

梅乃がふう…っと、深い溜め息を吐いた。

「…大丈夫なのかねえ…この子は。人ならざる者にまで狙われるような、強い呪力を持ってしまって」

「佑を…信じるしかありませんよ。この子だって、少しずつだけど能力を自分のものにしようとしているんですから」

「……そうだね……」

 

赤く染まりつつある空が、眠り続ける佑介の顔を照らしていた。

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佑介の傷は、思っていたより重いものだった。

特に左腕と腹部。腕の裂傷はあわや、腱をもやられるところまで達していた。下手すれば、剣道も弓道も二度とできなくなっていたところだ。

腹部の傷は、道満が操る雑鬼が佑介の体を貫通してできたもの。そのため、抉られたようになっていたのを縫合手術している。病院側も佑介の怪我の状態を不審に思わなくもなかったが、小都子と梅乃の思い詰めた様子に敢えて黙認した。

 

いまだ酸素吸入器をつけ、意識がない状態の佑介。

彼が入院して、もうすぐ6日になろうという、その朝。

つきっきりで看病していた小都子はベッドに寄り掛かるように、梅乃は椅子に座ったまま眠ってしまっていた。

その小都子を、僅かな振動が襲う。

「………?」

なんだろう、と目を開ければ、点滴をつけている佑介の右手がかすかに動いたように見えた。

「佑……?」

更に目をこらすと、確かに動いているのがわかった。小都子は思わず身を乗り出し、叫んだ。

「佑…、佑っ!」

小都子のその声に驚いて、梅乃も目が覚めた。

「小都子さん、どうしたん…」

「おばあちゃん、佑、佑が……!」

梅乃も慌ててベッドに近づく。……その時。

「………!」

 

佑介の目が、うっすらと開いた。

 

 

「―――もう大丈夫ですよ。後は本人の体力次第ですね」

主治医が聴診器を取りながら言う。その表情は心からの安堵そのものだ。

「ありがとうございます」

小都子と梅乃も、深々と頭を下げる。

「まあ、若いからすぐに元気になるでしょう。ただし、2、3日は安静にして下さい」

「はい」

「…あ、それと。彼も目が覚めたことですし、明日には面会謝絶を解きましょう。……早く知らせてあげて下さいね」

と、主治医はにっこりと笑った。

「………え?」

小都子と梅乃、そして意識が戻った佑介は、なんのことかという顔をした。

「あ、いえね。…看護師のひとりが言っていたんですが、何度かこの病室の前で、肩あたりまでの長さの髪の女の子を見かけたらしいんですよ。高校生くらいですか、とても不安げに立っていたって」

 

「……栞……?」

佑介が、ぽつりと言った。

「…ああ、そうか。君の彼女さんか」

にこにこと、主治医が佑介に言うと。

「え。あの、…えっと」

……確かにそうなのだが(笑)。

はっきりそう言われることに、いまだ慣れていない佑介であった。

 

その後、佑介はまた眠りに落ち、夕方には意識もしっかりとしたものになった。

もう安心してもいい、ということで、梅乃は一足先に家に帰っていた。

「…母さん…。俺、もう大丈夫だからさ、家に帰ってもいいよ?」

「なあに言ってんの。まだちゃんと起きられないくせに」

「う。…ごめん」

横たわって頭だけを動かして言う息子に、苦笑しながら小都子も言い返す。

「…ったく。ほんとに心配したんだからね。佑が帰ってきたときは息が止まるかと思ったわよ」

「………」

「お願いだから、あまり無茶しないで。……泣いてたわよ、栞ちゃん」

「……うん。…なるべく、そうならないように努めるよ」

 

絶対にならない、怪我をしない、とは言えなかった。

自分の持つ呪力が、命が、人ならざる者たちに狙われているから、とも。

 

それらに打ち勝つために、剛い心を今まで以上に欲している自分がいる。

大切な、大事な人たちを護るためにも。

 

……今はただ…。栞に会いたいと……そう思った。

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佑介が目覚めた、その日の午後。

草壁家の電話のベルが鳴った。

「はい、もしもし、草壁です」

『……真穂さん?』

「……! 小都子さん! もうっ、なんで言ってくれなかったの!」

『心配させたくなかったから…』

「知らせてくれないほうが心配だわよ」

『…そうね…。ごめんなさい』

電話の向こうで、申し訳なさそうに苦笑しているであろう小都子の姿が思い出される。

「…佑介くんは!?」

一番聞きたかったことを、真穂は口にした。

『……今朝目覚めたわ。面会謝絶も明日には解かれると思う』

「そう…。…よかった……!」

思わず、口を手で覆う。声が震える。

『さすがに、1週間近くも眠っていたから、体力と筋力が落ちちゃってるけどね』

「佑介くんならすぐ元気になるわよ」

『もう、明日からでもリハビリやる気でいるわよ、あの子。まだダメなのに』

小都子の笑い声が聞こえる。

「ふふ、佑介くんらしい」

もともと、じっとしているのが苦手な佑介のことだ。ベッドで寝ているというのが億劫なのだろう。

もっとも、今の佑介の状態では無理ではあるが。

『…あ、そろそろ先生の往診の時間だから、行くわね』

「ええ。お見舞い行くから」

『ありがとう。じゃ、また』

 

一息つきながら真穂が受話器を置くと、隣にはいつの間にか栞と直哉、しかも綱寛までが立っていた。

「…お母さん」

不安げに自分を見つめて言う栞に、真穂はにっこりと笑って、

「目を覚ましたわよ、佑介くん。面会も明日からOKですって」

「………っ!」

たちまち、栞の目が涙で潤み出す。

「よかっ…、よかった…」

両手で顔を覆ってしまった。

直哉も、頷きながら栞の肩をぽんぽんと叩いている。

「これで、ひとまずは安心だね」

「まったく。昔から無茶しおるわ、あやつは…」

そう言う綱寛の目も、心なしか潤んでいるように見えた。

 

佑介が意識不明で病院に担ぎ込まれたと聞いて以来、草壁家にも重い雰囲気が漂っていた。

真穂は表ではいつものように振る舞っていたが、竹刀の切れが悪くなっていると、警察道場の後輩たちに指摘されることもあった。もちろん、東山・中村・佐澤の3人には佑介のことは、風邪だと言うだけで入院のことは話していない。しかし、彼らにわかってしまうのも時間の問題だろう。

こども剣道教室でも、どことなく子供たちに覇気がなくなっていた。

直哉はそれでなくても口数は少ないのが更に少なくなり、食事を済ませると早々と部屋に引きこもってしまっていた。綱寛も表情には出さなかったが、食事以外はほとんど部屋から出てこなかった。

特に、真穂たちよりも先に佑介の状況を知った栞は、夏休みでの部活でも元気がなく、弓道部の部活に来ていた衣里那がその様子を訝しんで聞き出し、梁河や玲佳たちも知るところとなったわけだが。

佑介の気配がないだけで、周りはまるで火が消えたようであった。

 

「じゃあ、あの子にも知らせるわね」

そう言うと、真穂は再び受話器を取った。

佑介の目覚めを待っている、もう1人の娘に知らせるために。

 

 

――――そして、その翌日。

 

 

「…うん、昨日と比べて随分顔色もよくなったね」

聴診器による診察と検温、血圧検査を終え、主治医がにこやかに佑介に言った。

「ありがとうございます」

パジャマのボタンを、どうにか片手で留めながら佑介はぺこりと頭を下げた。

「さすが回復力も早い。体つきからして、なにかスポーツでもやっているのかい?」

診察しているときに見た、少し痩せてしまってはいたが、包帯に覆われていてもわかるほど鍛え抜かれた佑介の上半身を思い出したのか。主治医は佑介に聞いてきた。

「はい、剣道と弓道を」

「へえ、そうなのか。傷が完治すればまたできるから、安心してもいいよ」

「よかったわね、佑」

そう声をかける小都子に、佑介も嬉しそうに微笑んだ。

 

「あ、そうそう。昨日も言いましたが、今日から面会できますから」

と、小都子に言ってから、

「いくらでも、恋人に会ってもいいからね」

そう言って、主治医はにっこりと佑介に笑った。

「先生っ」

「いやあ、君ほどの男前の恋人なら、とても可愛い子なんだろうなと思ってね。看護師の間でもちょっとした話題になってるし」

「………」

佑介は苦笑するしかなかったが、その横で小都子はおかしそうに笑っていた。

 

そう。

佑介がこの病院に担ぎ込まれて、意識をなくしていた6日間。

面会謝絶中の病室の前で、不安げに佇む栞の姿が何度か看護師たちに目撃されているのだ。

 

そのことを主治医から聞いた佑介は、胸が詰まる思いがした。

どんなに心細かっただろうか。

…すまなかったと…、一言謝りたい。

そして、栞の気持ちを全て受け止めて、抱きしめて「大丈夫だ」と言ってやりたい。

片手だけでは、それが伝わるか不安だけれど。

 

 

まだ自力では起きられない佑介は、ベッドの上部を起こしている状態で座っていた。

その佑介の病室のドアがガラリと開けられ、入ってきたのは栞とその姉の咲子、そして佑介が目を覚ましたと聞き、急遽休みを取って駆けつけた咲子の夫・紘次であった。

 

「ゆ……く…」

その場に立ち尽くしてしまった栞に、佑介はふっと目を細めて。

「……悪かったな、心配させて」

誰をも安心させる、包み込むような笑みをうかべた。

「…っ、…佑くん!」

顔を涙でくしゃりとさせて、栞は佑介の許に駆け寄り、その胸に飛び込んだ。

それを合図にして、小都子も微笑みながらそっとその場を離れた。

 

すがりつくように泣いている栞の背中に、佑介は静かに腕を回した…。

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小都子がそっと病室を出たことで咲子と紘次も外に出、病室には佑介と栞の二人だけであった。

栞は佑介の胸に顔を押しつけるようにして泣き続けていた。

 

 

「佑くんのばかっ…、心配したんだから…っ!」

「…うん、ごめん」

「いつも言ってるじゃない、無茶しないでって…!」

「ああ……悪かった」

確かな佑介の体温を感じ、栞はぎゅっと佑介のパジャマを握り締めた。

「もし、佑くんになにかあったら…佑くんがいなくなったりしたら、あたし…」

「………」

「…そんなの、絶対いや……!」

言いながら、佑介の右側の背中に腕を回す。左側は三角巾でつるされた腕があるため、パジャマをつかんだまま。

 

……あの「橋姫事件」。

初めて佑介と行動を共にして、彼がどんな状況に置かれているのか、改めて思い知らされたような気がした。

強い呪力を持ってしまったが故に、寄ってくるものたち。

今では、弓道場でのことや今回のように命を落としていてもおかしくないところまで来てしまっている。

佑介は栞に、なるべくそういう面は見せないようにしていたが、それは佑介に向かってくるものたちにしてみれば関係ないことだ。

 

そういう奴らに負けたくなかった。―――だから。

「……大丈夫だ」

右腕で強く栞を抱きしめ、静かな口調で佑介が言う。

「…きっと、こういうことはこれからもあるかもしれない…。でも、俺は死なないから」

そう、絶対に死なない。栞をひとり残して、置いて行ったりはしない。

「必ず、栞のところに戻ってくるから…。だから、心配するな」

そう言って、栞の頭を抱えるようにしながら撫でる。

「……ほん、とう……?」

「今までに、俺が嘘ついたことあったか?」

涙に濡れた顔で見上げる栞に、佑介は苦笑して問う。それに栞はふるふると首を振る。

 

「……でも…俺もまだまだだな」

好きな子を泣かせてばかりなんて、男としては最低だ。たとえ、それが不本意のものだとしても。

「そんなことない…!」

「…栞?」

突然の栞の言葉に、佑介はきょとんとした。

「佑くん、今までだって頑張ってたもの。懸命にあたしのこと守ってくれてたもの…! だから、そんなことないよ」

「………」

「そばにいるだけで、なんにもできなかったあたしのほうが…」

その言葉を遮るように、佑介は再び自分に栞をを引き寄せた。

「それこそ違うぞ…栞」

「佑…くん?」

「そばにてくれるだけでいいんだ。…それだけで、俺は強くなれそうだから。おまえがいてくれなきゃ、何の意味もないよ」

「……っ…」

優しい声、笑顔。ずっとそばにあったのに遠かったもの。

それが今、自分のすぐ近くにある。

止まっていた涙がぽろぽろとこぼれる。

「……栞」

栞の頬に、手を添えて涙をぬぐいつつ、触れるだけのキスを栞の唇に落とす。

 

一度触れたそれは、すぐに離れた。

だが、今度はどちらとなく顔が近づき、口づける。

…深く。長く。

 

まるで…、会えなかった不安を、お互いの想いで埋めるかのように―――

 

 

「……あ、あのね。咲ちゃんと紘次お義兄さんも来てるの。呼んでもいい?」

その後、しばらく佑介の胸に頭を預けていた栞が、朱が引かない顔ではにかみながら言うと。

「え? …あ、そうだったのか。ああ、いいよ」

本当に栞の姿しか目に入っていなかった佑介も、苦笑しつつ答える。

 

―――助かった。

 

そう思いながら。

 

このままでいたら、佑介の自制心が崩れかねない状況だったのだ。久しぶりに栞に触れたことで。

咲子と紘次に感謝したくなる気分だった。

 

栞に呼ばれ、咲子と紘次、そして小都子も入ってきた。

「あら〜? もうラブシーン終わり?」

「〜〜っ、咲子さんっ!」

楽しげにからかう咲子にかみつく佑介。栞も真っ赤になってしまう。

小都子はといえば、肩を震わせて笑っていた。……だが。

「……すみませんでした。咲子さん、星野さん」

申し訳なさそうな笑顔で、佑介は言う。

からかってはいるものの、赤い目の咲子に気づかない佑介ではない。

「…っ。……ほんとよ…散々心配させて…!」

咲子は、傷ついていない佑介の右肩あたりをばしばし叩く。

「芙美はもちろん、…やち代さんだって心配していたんだからねっ」

「え?」

咲子と紘次の娘・芙美ならいざ知らず、紘次の祖母の「やち代」という佑介にとっては少々意外な人物の名が出たことで、目が点になった。

 

「やち代さん、佑介くんが心配で、お稽古のときお弟子さんの失敗を叱れなかったのよ。普段なら絶対怒ってるのに」

「………!」

「やち代さん、隠そうとしてたけどね。あれで結構落ち込んでたよ」

紘次も心底安心した表情で言う。

「……そうでしたか…。あの人にも心配させてしまったんですね」

溜め息を吐いて、思わず唇を噛みしめた佑介。

 

どうして。

どうして自分はこんなにも、周りの人たちを心配させ、泣かせてしまうのだろう。

……つくづく、自分の不甲斐なさが悔しい。自分の呪力を使いこなせないことにも。

 

急に黙ってしまった佑介のそばに、紘次が近づく。そして。

「だっ!?」

佑介の額を、指でぴんっと弾いた。

「こーさん!?」

咲子と、端で見ていた栞と小都子も紘次の行動に驚いている。

佑介も額を右手で押さえて、呆気にとられていた。

 

「……自覚があるなら無茶するんじゃない」

「!」

「咲子だって泣いたんだからな。…俺も…」

俺も心配だったんだぞ、という言葉を飲み込む紘次。

妻から佑介の秘密を聞き、それによって最近になって、以前より佑介のことが無性に可愛く思えてきた紘次だったが、自分がまだ、そういうことを佑介に対して言える立場ではないと、敢えて言わなかったのだ。

その紘次の心を知ってか知らずか。

 

「…すみませんでした、星野さんにもご心配かけて」

 

苦笑しながらそう言う佑介に、紘次は何も言えなかった。

 

 

その後もしばらく談笑して、夕食の時間になったことで3人は帰っていった。

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「あれ……?」

佑介が目覚めてから、早5日目。夏休みも終わっていつもの日常が戻ってきた。

そんな頃、最近再び尚壽館に通い出した、佑介の小学生時代からの友人である千葉 航(ちば・わたる)は、本来そこにいるはずの姿がないことに気づいた。

(佑介…いないな。休みかな?)

航がそう思っていたところに、尚壽館の主の真穂が道場に入ってきた。

「あら、航くん。こんにちは」

「こんにちは。……あの、真穂先生」

にっこりと笑いかけた真穂に、航は挨拶もそこそこに気になったことを口にした。

「今日、佑介は休みですか?」

航のその問いに、真穂は。

「え。……あ、ああ、佑介くんね…」

いささか逡巡して、黙ってしまった。……だが。

「実は…ね。佑介くん、大怪我しちゃって……」

「!?」

航の顔からさっと血が引く。

「意識不明だったんだけど、やっと目が…航くん!?」

真穂が言い終わらないうちに、航は道場を飛び出していた。

 

「行っちゃった…、病院どこか言ってないのに」

思わず苦笑を漏らす真穂。しかし、その表情はとても嬉しそうだ。

「本当に幸せ者ね……佑介くんは」

佑介が目覚めた翌日から面会謝絶が解かれたが、栞を先頭にして実に毎日、たくさんの人が見舞いに来ていた。もちろん、真穂と直哉も見舞いに行っている。

孫の芙美や、剣道教室に来ている子供たちが見舞いに来たときは、大泣きされて大変だったらしい。それも、佑介が子供たちに慕われているからこそである。他にも、他校の生徒まで見舞いに来たとか。

みんな、佑介のことが大事で大好きなのだと、改めて感じずにはいられない真穂だった。

 

 

一方、入院中の佑介は順調に回復してきている。抜糸も終え、自力で起きられるようになった。そろそろ、リハビリを始めようかと主治医からも言われている。左腕はまだ動かせないが。

栞も毎日見舞いに来ていて、新学期になってからは学校帰りに寄っている。そうしてノートを取ったり、その日の学校や日常の様子を話す…というのが基本的なパターンだ。

 

「じゃ、また明日ね」

「ああ、気をつけて帰れよ。……栞」

「え? あ…」

不意に、頬に添えられる手。

その意味がわかって、栞も恥じらいながらベッドに手を置く。

自然と、近づいていくお互いの顔。

 

「こらっキミ、廊下を走っちゃダメよ!」

 

「っ!?」

その声で慌てて顔を離す佑介と栞。

そうしていると、パタパタ…という足音が近づいて。

 

ガラッ!

 

「佑介っ!!」

勢いよく開けられたドアの向こうにいたのは。

 

「…え、わ、航!? なんだよ、その格好」

佑介が半ば呆気にとられて、その姿を見た。

剣道着のまま、全力で駆けつけた航。佑介の顔を見た途端、へなへな……と座り込んでしまった。

「なにやってんだよ……もう。心配したぞっ!!」

その目は少し涙ぐんでいた。

 

改めて一言二言話して、栞は帰っていった。……その時。

「……なあ、佑介」

「ん?」

不意に声をかけた航に、佑介がなんの疑いもなく振り向くと。

「さっきさ…、もしかしてお邪魔だった?」

にっと笑って佑介に言う航。

「……っ! わーたーる〜、おまえなっ」

「照れない、照れない。…そっか〜、ついに佑介と栞ちゃんも『恋人同士』か〜」

しみじみ、といった風の表情で、航はうんうんと頷いている。

「……。そ、そんなことより、なんで俺が入院したの知っていたんだ?」

赤い顔をごまかすように、佑介は話題転換を試みた。

それを聞いて、航はさっきとはうって変わって真顔になった。

「今さっき、真穂先生から聞いたんだ。……何があったんだよ?」

「え? …な、何って…事故だけど」

言いながら、すっとさりげなく顔をそらす。

「……嘘だね」

「!」

佑介はぎくっとなる。

「僕だってね、小学校の頃から伊達に剣友として佑介とつきあってたわけじゃないよ。佑介っていつもなら相手の目を見て話すのに、嘘をつくときは目をそらすんだから」

「………」

「正直に話してくれよ。何があったんだ?」

航の真摯さに根負けしたのか、佑介はふうっ、と溜め息をつく。

「……わかったよ、話すから。…この怪我のことを話すのには、まず…俺の秘密を話さなきゃな」

「秘密?」

「そう言うのも大げさだけどな」

そう言って苦笑してから、佑介は静かに話し出した。

 

自分には、子供の頃から霊能力があるということ。

その力のせいで、嫌な思いをしたこと。でも反対に、支えてくれる人たちもいたこと。

そして…その力は成長するに従って強くなってきており、この怪我もその呪力を狙った人外の者によって負わされたこと―――

 

「……これで終わりだよ。信じるかどうかは航に任せるけど……俺のこと、気味が悪くなったろ?」

あきらめにも似た表情で笑う佑介。

そう、きっと航も自分から離れてしまうだろう。そう思っていたのだが。

 

「……佑……介…」

航は泣いていた。

「え!? ちょっと航、何泣いてんだよ?」

「ばっ…、ばっかやろー…。なんでもっと早く、話してくれなかったんだ……!」

拳で涙を拭きながら、航は佑介の右肩を揺さぶったり、叩いたりしている。

「航……」

「僕、佑介のこと人当たりがいいけど、どこか人を突き放すような雰囲気のあるヤツだと思ってた。だけどっ…、そういうことがあったからなんて全然知らなかったから…!」

「そりゃ、俺が話さなかったから。知らないのも当たり前だろ?」

「でも…っ。……ごめん…!」

霊能力があるということは、人の心がわかってしまうことでもある。

表では親切にしていても、

 

―――気味が悪い子…

 

―――化け物…!

 

と言う本心の声が聞こえてきたことも幾度もある。

そういうこともあって、心から人に気を許すなどほとんどなかった。……家族と、栞以外は。

 

「……は、佑介だからな…!」

「え?」

俯いていた航が、ばっと顔を上げた。その顔はまだ涙に濡れていたが。

「力を持っていようとなかろうと、佑介は佑介だからなっ! もしまた、佑介のことをそういう風に言うヤツがいたら、僕が竹刀でぶっ飛ばしてやる!」

そんなことを言い切る航に、佑介は思わず苦笑してしまう。

「そんな物騒なことすんなって;; ……でも、ありがとな…航」

にこりと、照れくさそうに微笑む佑介。

航も「へへ…」と鼻をすすりながら笑った。

 

 

ようやく立てるようになった体で窓に近づき、帰っていく航の後ろ姿を見送る。

…今回のことで、改めて思い知らされたことばかりだった。

自分が思っている以上に、自分は周りの人たちに大事にされ、思われていたということ。

そしてこの身が、自分ひとりだけのものではないということ。

 

「……絶対…、剛くなってやるさ」

 

今後も、妖どもは自分を狙ってくるだろう。この呪力を手にするために。

それなら、こちらもそれに立ち向かうだけだ。周りの人たちを護るためにも。

 

 

……そう、心に決めた佑介であった。

 

 

説明
オリキャラブログにも掲載している、『星紋』5作目『紫石英の霊剣』の直後のお話です。時期的には6作目『鬼哭の海』と重なっている感じなので、主人公の佑介とその幼なじみの栞ちゃんは恋人同士になっております。
ま、こんな事があったんだという心持ちで読んで下されば…。
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