第八話「intermission〜生きるための戦闘準備〜」(1) |
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AD三二七五年六月二六日午前一〇時四〇分
やかましいローターの音が聞こえる。
下に続くは延々の砂漠。その砂漠の光景をヘリの窓から見ながら村正・オークランドはため息を吐いていた。
まるで怒髪天の如く逆立てた金髪にちょんと付いている尻尾の如き後ろ髪、そして赤目で手の甲に666αの烙印と、とりあえず見た目は変である。
『カイン』と呼ばれていたときから既に一八年もの歳月が流れた。今やアフリカ大陸を牛耳る企業国家『フェンリル』の幹部会の近衛騎士団『シャドウナイツ』の一員である。
そして、横に同じくシャドウナイツの男が一人。今回に任務のために途中で合流した男だが、横には布で包まれたキーボードが置かれているのが、村正には気になった。
しかし、それにしたって、この男割と地味である。銀髪だが、染めているとすぐに分かる。天然の物とは光沢が違うからだ。
外見的特徴もこれといって無く、強いて言うなら首にヤケに高そうなヘッドフォンをかけているくらいか。
ロック・コールハート、確か、そんな名前の男だった。齢は、自分と同じくらいに村正には思えた。
この男の目は、先程から開かず、吐息のみが聞こえてくる。
寝ているのかと思っていたが、急にロックが、その青の瞳を見せるようにすうと目を開けた。
「どうした? 疲れてたのか?」
村正は微妙にまだ人格の知れていないロックへと話しかける。
シャドウナイツは基本的に独断専行によるスタンドアローンを得意とする。そのため意外とメンバー同士が互いの顔を知らなかったりする。
考えてもみれば、会ったのは初めてだ。それに、会話も、これが初めてのような気がする。それくらい話していなかった。
「いや。ただ音を聞いていただけだ。だから集中するために目を閉じていた」
ロックの言葉に村正は顔をしかめる。
「音?」
「そう、音だ。こういったヘリのローターだって俺には音階の一種に思える。そして心臓の鼓動も、すべて音が支配している。この世は音に支配されているのさ。目に見えるモノも俺には時々それが音符の集合体に見える。例えばだな……」
その後延々と訳のわからない『ロック自身の音楽ワールド』の演説が散々響き渡っていた。
輝いた目をしながら話すのは実に結構だが、これ程にまで濃い会話をされるとさすがに村正も付いて来れない。
ダメだ。こいつなんか頭のネジが十本くらい飛んでる……。何言ってンのかさっぱりわからん……。
村正は頭を思いっきり抱えながら耳から入ってくるロックの言葉を右から左に聞き流していた。
思い出した。ロック・コールハートはその『Rock』の名が示す通りの音楽好きだという話を聞いたことがあった。
しかも、もはやその好き具合はマニアとかヲタクと言った単語を軽く通り越して『変態』の称号が与えられても仕方がない部類であり、彼はコードネームの『ブレードビート』なぞ一度も呼ばれたことが無く『音楽狂』と一般兵士からも言われているというのだ。
この男を目の前にすると、それがよく分かる。
そして一通りの演説が終わった後、彼は村正に突然こう尋ねた。
「音楽は嫌いか?」
どうやらさすがにあまりにも村正が退屈しきっていることに気づいたらしい。十分も延々と話しておきながらその反応は遅すぎる気がするが、まぁいい。
とりあえず村正は当たり障りなく「別に」とだけ答えた。
「それならばいい。音はすべてを支配する。そう、この世の全て。人間の過去、現在、未来、動物の意志、地球全体の意志、それどころかこの大宇宙の大意志をも支配し全てを司る。だからこそ、俺は音にすべての身を委ねたのだ。そう、自分の運命すら」
言っていることが意味不明だ。それ以前に宇宙には空気がないから音は鳴らないだろう。支配するとすれば『無音の境地』と『虚空』だけである。
これ程にまで音楽を心酔しきっているならばミュージシャンにでもなれば良かったのに。そんな彼が何故シャドウナイツにいるのかがよく分からない。
しかし、最後の話は興味深い。
自分の運命を委ねる物など、今は何もない。ただ自分は『刃』であり続けるだけだ。自分には年老いた養母がいるが、養母も刃であることを望んでいる。
ある男を越えるための刃。それが今の自分の存在理由だと村正はいつからか考えていた。
「運命、か……」
村正は呆れたように再度窓の外を見つめる。
彼の視点の先には、オアシスを中心にコンクリートで固められた基地施設が映っていた。
そういえば、いつもいるあの従者は何処へ消えたのだろうと、村正は基地に着地する寸前に思った。
窓からの風がとても気持ちよかった。その風でカーテンが少し揺らぐ。
「いい風……」
ソフィア・ビナイムは窓の前の棚に座って少し外をボーっと見つめていた。風で青紫の髪が揺れる。これでもシャドウナイツの一メンバーだった。
最近特によく見る夢の中だった。どこだかもわからない部屋で、風に当たりながらボーっと窓の外を見つめている、一四〜五歳くらいの自分がそこにいる。
ただ、何故だかそこが『自分の部屋』だと本能が告げるのだ。行ったこともないはずなのに、何年も行っていないような懐かしさと寂しさが、その夢には入り交じっている。
「『エミリア』、いるかい?」
部屋に誰かが入ってきた。黒髪の少年だ。年齢的には彼女より一つ上くらいに見える。
その夢の中で彼女は『エミリア』と呼ばれていた。
何故? 自分は『ソフィア』なのに……。
そのことをずっと疑問に感じている。
「あ、先輩。来ていたんですか?」
先輩、そう呼ばれたその黒髪の少年はただ一つ、彼女の言葉にうなずいた。
「まぁね。うちの妹がどれだけ力を付けてきたか、師匠である君に聞きたくてね」
先輩と称される少年の言葉にエミリアと呼ばれているソフィアは苦笑する。
「師匠って程大げさなモノじゃありませんよ。ま、可愛い修行仲間、って言ったところですか。現にあの子、結構力付けてきてますし、何より、強いです」
「そうか。それ、あいつにも言ってやってくれ」
「はい」
二人は少しだけ笑った。
それを最後に、夢が少しずつ覚めていった。
夢から覚めると、少しだけ暗い部屋に自分はいた。ブラインドから陽光が差している。電灯は付いていない。
頭を軽く抱えながら、上体を起こした。
フェンリルがエルルの近郊に建てた基地内の宿舎だ。その中でもかなり設備の整った部屋にソフィアは寝泊まりしている。
シャドウナイツはフェンリル幹部会の中でも十分な権力がある上、基本的に隊員は最低でも大佐以上の待遇がもらえる。しかし、ソフィアにはそれが少しだけ煩わしく思えた。
何故なのかは、よく分からない。
ブラインドを貫通して朝日が差し込み、彼女は琥珀色の瞳を細める。
何故この夢をよく見るのかは、朝日を浴びても、わからなかった。
第一、私は子供時代、『確か』アフリカの孤児院で育った『はず』……。
彼女にとって記憶は『はず』でしかない。
記憶が混乱するときがある。記憶喪失ではなく、何かが違うのだ。違和感がなさそうに見えて連日のように感じる自分への違和感、それを彼女は常に抱えていた。
いったい自分は誰だ? その確固たる何かがない。
だが、その迷いは弱さを生む。弱さを生み出すわけにはいかない。だから彼女はそれを頭の中で忘れることとした。
ちょうどその時、部屋の内線電話が鳴った。
『あ、ビナイム殿、ひょっとして起こしちゃいました?』
少しだけ気弱そうな声の兵士にソフィアは苦笑した。
「いいのよ、別に。私も今起きたところだったから」
『そうですか。そろそろ彼らが到着するようです』
ソフィアはそれで少しあった眠気がすぐに飛んだ。恐る恐るベッドサイドに置かれた目覚まし時計を見てみる。
現在時刻、午前一〇時四〇分。完璧に寝坊だ。
しかも自分がやたらと酒臭いことにも気づいた。
考えてもみれば、昨日もまた街へ繰り出して何軒かハシゴした。酒を飲むとき、何故か生きていることを実感できる。だからか、彼女はよく飲みに行く。
そのことを他の兵士に言ったら「ただの酒好きの言い訳です」と呆れられた。少しずつ思い返してみると、確か昨日も、迎えに来た兵士に似たようなことを言ってこっぴどく怒られた。
やばい。そう思ったソフィアは、すぐに電話を切ってすぐさまシャワーを浴びて酒の臭いを消し、シャワールームから出て早急に着替え、早急に歯を磨き軽く化粧して、早急に出て行った。たまには化粧で無理矢理消そうと思っていた、コンプレックスの元たる左目下の泣き黒子も消すのを忘れた。
早急という言葉以外、今は似合わない。
基地の兵士の何人かが挨拶をしたが、付き合っていられるほどの余裕もない。
そして、基地の一角にある飛行場へと向かうと、ちょうどそこにヘリが一機止まった。
そのヘリから二人の男が降りて来る。
村正は知っているが、もう一人の銀髪の男はよく分からない。
しかし、何かこの男からは奇妙な気配を感じる。
全員が黒のロングコートに身を包んでいた。あくまでもシャドウナイツとして会う際の礼儀だ。黒のおかげで日を吸収して熱いのが難点だが。
すうと、一つ息を吸った。
その表情は、三人とも堅い。
「我らは何だ?」
シャドウナイツとしてではなく、こういう場面では人として凛と臨め。そう、隊長に言われたことがある。
「常に『影』として行動する近衛騎士なり」
村正と銀髪の男は同時に言った。
「我らの誓いは?」
「狼のためならば血を吸うこともいとわぬ。そして、我らの刃は、その狼の牙なり」
この言葉こそが確認の意味合いも込められた儀礼である。それを言い終えた瞬間、三人の表情が穏やかな物になった。
「直接話すのは初めてね、え〜と……」
「ロック・コールハート。ブレードビートなんて呼ばれてる」
銀髪の男の名はロックと言うらしい。
それでふと思い出した。
「ああ、音楽狂か!」
思わず手をポンと叩いていたが、あっさりと言ってしまった。
ロックがいじけている。本人は結構この名前で呼ばれるのを嫌っているようだ。
「姐さん、今のはちょっと酷いと思うぞ、俺……」
村正が呆れながら言ってくる。
そう言われると、余計に自分が罪深く感じられた。
『他人が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がマシ』という信念を持っている。
いつか死ぬぞと、隊長には言われた。そうかもしれないが、自分が傷つくことで他人への傷を少しでもなくすことが出来るならば、もしかすると誰もが傷つけ合う憎しみの連鎖を止められるのではないかと、いつの頃からか思うようになった。
そのため、彼女はシャドウナイツとして戦場に出ても、よほどのことがない限り相手を殺さずに生きてきた。甘いとは、自分でも分かっている。そのために付いた、いくつもの体の傷なのだ。
だが、それでいいと思っていた。そんな自分が、他人を傷つけたことに、ソフィアは酷いショックを受けていた。
「ごめん……」
「ああ、いや、そんなにしゅんとなるなって」
「姐さん、気にしすぎなんだよ、色々とな」
そう二人に言われて、少し気が楽になった。
「そう言ってくれると助かるわ。それにしても久しぶりね、村正。一年前にアヴィクス地方での制圧作戦で会って以来ね」
「姐さんも元気そうで何より」
村正とソフィアは何度か任務で一緒になった仲だ。村正の義理の父であるインドラ・オークランドが、短い期間であったが彼女に訓練を付けてくれたことがあった。それが縁で村正と知り合ったのだ。
「あ、三人そろったところでお昼も近いし、町に出てご飯でも食べに行かない? おごってあげるわ」
「お、いいねぇ」
三人は意気揚々と砂漠の町へと出て行くこととした。
ベクトーアと華狼の勢力圏の裂け目ど真ん中、即ち東西ユーラシア大陸の裂け目に位置する『ディバイド海峡』にほど近い砂漠の近くにある中立企業国家、それが『エルル』である。
何故ユダヤの宗教歴で六月を示す言葉が町の名前になっているかと言えば、この町、不思議なことに毎年六月に何かが起きるのだ。
二四年前には異常とも思える雨が降り注いだり、一五年前には大飢饉に見舞われたり、八年前には地元の名物である『カレー粉』が世界中でとんでもなく売れて価格が高騰しバブル経済が起こったりと、六月には何かが起きる町、だからエルルなのだ。
そんな六月も後四日。今年は何故かこれといった何かが起きずにいた。
そんな町の一角にあるカレー屋がある。フェンリルの兵士や近場に基地を展開しているベクトーアの兵士すら時たま訪れる程の人気店だ。
そんな店に男二人と女一人がいた。
村正、ロック、ソフィアである。
少し暗めの照明がまた雰囲気を醸し出して良い。ソフィアはそんな雰囲気が気に入ってか良くここを訪れるのだという。
三人とも私服であるため、これではシャドウナイツとわかる人物はいない。おかげで客から警戒されることもなくくつろげる。
村正にとってはそっちの方が気が楽だった。
「ま、俺が思うに『アーカイブ』は伸びるな」
ロックとは先程から音楽の話でそれなりに盛り上がっている。
しかし、本当に何故音楽関係の仕事に就かなかったのか一切謎だ。どうも職業柄こういう輩は疑って掛かってしまう。
考え過ぎかと、村正は溜め息を吐き、ロックの質問に答えた。
「そっかねぇ……奴ら、そんなに伸びるとは思えないけどなぁ……」
「そういえば、ロックってライブとかって行くの?」
「ライブは行かないと、音楽好きとしての血が廃るだろ? 俺はかつて天下に名をとどろかせたフェイドトゥブラックのライブ会場限定発売LPを各国版二枚ずつ持ってるしな。アメリカンカボエラジェネレイテッドのライブ限定アルバムも各所で二枚ずつ。他にもヌジャービスがアハトで行ったライブにて実際にスクラッチで使用した生レコとかもある」
LPというところがある意味凄い。もはや博物館行きの代物である。
しかも二枚ずつ、保存用と観賞用だ。
ソフィアはただ呆然としている。村正も、正直呆れるより他にない。
「す、すごい努力ね……」
「なーに。これくらい容易いよ、ソフィア。でも、その後客から非難が殺到したけどな」
「当たり前だな」
ロックの言葉を村正はため息混じりに返した。
「そうか? 最近の連中はパワーが足りなさすぎだよ。もっと情熱的にならけりゃダメだって」
もう言っていることが途中からわからなくなってきた。
いい加減この話、いつになったら終わるんだろう……。
二人して思っていたちょうどその時、ウェイターが頼んであった食事を持ってきた。
その持ってこられた物に、村正とロックは辟易とした表情を隠せなかった。
それもそうだろう。いくらカレーでも、激辛で、ルーが赤と黒が混じったいかにも辛そうな色で、あまつさえ横に置いてあるナンは全長が八〇センチくらいある超巨大な物だ。おかげでテーブルはナンで埋め尽くされている。
『いつもの』とかソフィアが言ったからどんな物が出てくるのかと思っていたが、まさかこんな物が出てくるとは思わなかった。
「姐さん、何、これ……?」
村正が引きつりながらソフィアに聞くが、彼女はあっさりと「え? 見れば、わかるでしょ?」とだけ返す。
「なんか、見るからに辛そうなんだけど……」
「でも美味しいわよ?」
ソフィアの言葉に村正は少し押され半分怖い物見たさにナンをちぎりカレーを漬けた。
彼は心に決めて一つ頬張る。
確かに美味い。ナンもよくねられていて単品としても優秀な味だ。
が、辛い。とんでもなく辛い。いや、辛いと言うには生やさしすぎる。辛いと言うよりむしろ、痛い。
わけのわからないうめき声が彼の口から聞こえてきた。
これ程辛いカレーは早々お目にかかれない。
鼻水は出てくるわ、涙は出てくるわ、水は大量に注文するわでもはやそこの一角だけ地獄絵図と化していた。
もう完璧に客の警戒心煽りまくりである。
今の今まですっかり忘れていた。ソフィアは異常なほどの辛党だった。カレー店に足を運んだ地点でこうなることくらい何故分からなかったのだと、村正は酷く悔いた。
「そ、そんなにやばいのか?」
村正の様子を見てさすがのロックも冷や汗をかきながらカレーを指さしてソフィアに聞いた。
だが、彼女、普通に食っている。どうやら長いことここに通い詰めていることでほとんど慣れたらしい。
「まぁ、一般的には凄いって言われてるけど、そうでもなくない?」
結局、ロックは少し食っただけでカレーは諦め、村正はもうナンしか食わなくなり、結局カレーはほとんどソフィアが一人で食うことになってしまったのだった。
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