くまみこ スマートパッドを使ってみよう |
くまみこ スマートパッドを使ってみよう
「まちも都会の高校に行きたいんだったら。タブレットPCには今の内から慣れている方がいいね」
「たぶれっとぴーしー?」
ボクの言葉の意味をサッパリ理解していないに違いないまちは何度も目をしばたかせた。
まちと話しているとたまに村のおばあちゃんと話しているような感覚に囚われる。それぐらいまちは機械に弱い。興味も持っていない。
流行りもの、最先端モノに敏感なはずの14歳なのにどうしてこうなったんだか。いや、過疎化が進んだ田舎で、しかもガスも通ってない物理的に隔絶されたお社にずっと住んでいる。そして趣味がストレス発散を兼ねた薪割りじゃ機械音痴になるのも仕方ない。
でも、それにしてもパソコンは全然わからない。テレビは電源を点けられることを誇らしげに語る14歳ってのはとてもマズいと思う。
都会の高校に行ったら、クラスの子たちの行動や会話に付いて行けなくてあっという間に不登校。そのまま夏休みには退学でヒキニート化の道を歩みかねない。
どこの高校に行くにせよ、現代日本を生き抜けるだけの文明人として育ってもらうこと。それが、まちの保護者を自認するボクの使命だった。クマだけど。
「今日からまちにもスマートパッドを使って少しずつ慣れていって欲しいと思う」
「すまーとぽっど? お湯が沸くポットのこと?」
駄目だ。おばあちゃんのオウム返し状態だよ、これじゃ。いや、それよりも悪い状況。
単語を先に覚えてもらうことは諦めてとりあえず実物を見せることから始める。
「あっ、それ。ナツがよく触ってる鏡みたいなパソコン」
「鏡みたいなパソコンって……まあ、見た目はそうなんだけどね」
ボクはよしおに頼んで準備してもらったタブレットPCをまちに手渡した。まちは額からわずかに汗を垂らし緊張した表情でタブレットを眺めている。
「これ、ナツが使ってるのじゃないの?」
「それとは別。ボクのより少し型は古いのなんだけど、初心者のまちにはピッタリかなって思って」
ボクのタブレットには大事なデータやソフトがたくさん入っている。それをまちに貸して、IH炊飯器みたいな悲惨な最期を遂げるのだけは避けたい。だから別のを準備した。お供え物ってことで、わりと物品には困らなかったりする。
「それで、この鏡もどきは何ができるの?」
「何ができるのって言われても……」
お年寄りにパソコンを教える時に一番困る質問がまちから来てしまった。
パソコンというのは言うまでもなく一人一人用途が違う。仕事や勉強のために使う人もいれば、趣味に使う人もいる。カメラやアラーム、時計代わりに使う人もいる。まちが言うように鏡代わりに使う人だっているだろう。
だからパソコンの用途は自分で決めなきゃいけない。でも、まちみたいに今まで全くパソコンに興味を示さず、パソコンでできることに何も関心がなかった人間にその素晴らしさを説くのはとても難しい。おまけにまちには更に輪を掛けて困難さが増す要因があった。
「えっと…………SNSかな」
「えすえむです?」
「それじゃあ、性癖がかなり特殊な人になっちゃうよ」
できることならまちにはSMとかそういうのを知らないままの君でいて欲しい。いや、大事なのはそこじゃなくて。
「じゃあ、そのえす何とかって一体何なのよ?」
「SNSはソーシャルネットワークサービス。友達と音声や文字、アイコン、イラストなどを使って連絡を取り合って親しくなること、かな」
「友達と……連絡?」
大きく首を傾げるまちを見て、ボクは自分の血が凍りつくのを感じていた。
考えてみると、まちにはネット上で繋がるべき友達がいない。
「ナツとは毎日顔を合わせてるし。別に、えす何とかに頼る必要ないし」
「そ、そうだね……」
ボクとは24時間ほぼ顔を合わせっ放し。ボクと連絡取るのにパソコンは必要ない。そして、対人恐怖症であるまちには友達と呼べる存在が他にいない。
更にまちはわりとアウトドアライフという以外に趣味を持たない。なので、同好の仲間を探し出したい欲求も多分存在しない。
つまり、現時点でまちにはSNSの活用法がなかった。
「えっと……ゲームか、動画でも見るのに使おっか」
とりあえず、幼い子どもでも興味がすぐに惹けるコンテンツを選ぶことにした。
「飽きた……」
「予想はしてたけど。早いよね」
タブレットPCを渡してから30分も経たない内にまちは飽きてしまった。
ただ、それも無理のない話だった。
初代ファミコンの操作でさえかなり覚束ないまち。そんな彼女に画面にタッチしてウィンドウを開いてコマンドを選んでというアプリゲームの操作は難解過ぎた。
それ以前に名前を入力してのところで引っ掛かって終わりだった。何度説明しても、まちはタブレットPCの文字入力の方法を理解してくれなかった。
そもそも、キーボード入力したことのないまちにローマ字で打てというのが理解できなかった。挫折は早かった。
だからゲームは諦めてニコニコ動画のサイトを開いてアニメでも見せようとなった。
でも、まちは普段からテレビをほとんど見ない。従ってアニメを見ることも少ない。そんな彼女にとってニコ動で多く配信されている深夜アニメは肌に合わないものだった。まちが好むのはもっと単純な内容の女児向けアニメなのだ。
動画を楽しめるようにまずテレビにもっと慣れさせようってボクが教訓を得てしまった。
「SNSは駄目。ゲームも動画も好きじゃない。さて、どうしたものかな?」
悩んではいるものの、全く手がないわけじゃない。まちは少女漫画が好き。昨今はネット上でプロの漫画家の作品が無料で読める場合も多い。例えばpixivコミックとか。
ネットに繋いで、タブレットで漫画を読ませて電化製品に慣れさせる手はある。
でも、漫画なら普段から寝っ転がって雑誌を読んでいる。タブレットで読ませたところで行動自体には特に変化がない。
このタブレットを使ってもう少しまちの行動や思考に変化を促せられるといいんだけど。
「ねえ。このカメラのマークは何なの?」
ボクが思い悩んでいると、まちはカメラアイコンを指差しながら尋ねてみた。
「ああ、これはね。このアイコンをクリックすると写真が撮れるんだ」
「ほんとっ? カメラになるの?」
まちがタブレットを手渡されてから今までで一番興味を示した瞬間だった。
「ああ。こうやるんだよ」
ボクがカメラアイコンをクリックすると、液晶画面全体がカメラモードに切り替わった。お社内の様子がカメラ越しに液晶モニターに映し出される。
「すごいっ! 画面の中にお社が映ってるっ!」
「興奮してくれるのは嬉しんだけどさ。そんなに、凄いこと。なのかなあ?」
「凄いよ。だって、これから撮ろうっていう風景がもう画面に映ってるんだよっ! 撮影失敗がないよっ!」
「そ、そう。喜んでくれて何より……」
大興奮しながら液晶画面を食い入るように見ているまち。ボクの方が驚いてしまう展開だった。
そして、ふと理解する。カメラ機能はまちが既存知識でその凄さを理解できるものだから大興奮できるのだと。どうやらボクはとても大きな勘違いをしていたらしい。
「どうやって撮影するのっ!?」
「被写体を真ん中に置きながら画面を軽く叩く。そうするとこの四角い枠が現れて自動でピントを合わせてくれるんだ」
「自動でピントを合わせてくれるなんてすごい。すご〜い」
「いや、オートフォーカス機能自体はずっと前からあるんだけどね……」
瞳を輝かせるまち。そんな彼女を見ていると、タブレットPCはネットと接続できてナンボという観念が囚われたものであることを理解する。
自分でタブレットPCをカメラや時計として使う人もいるって考えていたのに。人間、思い込みは駄目だよね。ボク、クマだけどさ。
「後はピントが合った状態でこの丸いところを押せば……ほらっ、カシャッていう音が鳴って撮影が完了さ」
「わっ。簡単なんだあ」
ボクが欲しかった反応が今ここにあった。
タブレットPCはカメラ。それが、まちにとっての正解だったんだ。
「私にもやらせて、やらせて」
「どうぞどうぞ」
まちはボクの手から奪うようにタブレットを受け取ると、お社内の風景を盛んに撮り始めた。
「あっ、これいい。いいよっ!」
「気に入ってもらえたんなら何よりだよ」
まちは写真に夢中になっている。IH炊飯ジャーを怖がり涙まで流していたというのに。
カメラだと思うと平気らしい。そう言えばフチは全部手動の昔ながらのカメラは持っていたっけ。だからか既知感を覚えるんだ。
そのフチはまちに内緒で最新式デジカメを旅行の時はいつも持ち歩いているらしいけど。
「これ。撮った写真はどうやって見るの?」
「ああ、それはこの左端に出てるこの小さな写真の部分を押すとね」
「あっ。今まで撮ったのが小さくなって並んでる」
「それで、見たい写真を押すとね」
「わっ。大きくなった」
「でね、ここを押すと元に戻って、更にここを押すと撮影モードに戻るんだ」
「ここをこうで。こうね…………できたっ♪」
入力機能については何度教えても全然覚えなかったのに。写真機能に関してはどんどん吸収していく。
こういうまちの様子を見ていると、好きなことを覚えていく子どもの吸収力って凄いなあって思う。
ボクも年取ったなあって思うよ。人間の生年月日に合わせて考えるとまちの方が年上なんだけどね。
「これ、外でも撮れるの?」
「写真機能は無線を必要としないからね。大丈夫だよ」
「じゃあ、ちょっと外を撮影してくるから」
ボクは外を見た。もう夕暮れ時になっている。後30分もしないで陽は完全に沈んでしまいそうだった。
「外はもう暗くなって来てる。カメラ機能の使い方はもう覚えたんだし。撮影はまた明日でいいんじゃないかな?」
山の夜は怖い。明かりは全くないし、気温は下がる。山に慣れている人間こそわざわざそんな危険地帯には入ろうとしない。舐めたら死んでしまいかねない。
まちにしたって生まれた時から知ってる山や森とはいえ、危険なことには変わりがない。
「今私は、プロカメラマンとして将来生計を立てていけるか否かの瀬戸際にいるの。今日撮影しないと私は将来絶対にヒキニートになっちゃうのっ!」
「いや、プロカメラマンかヒキニートって二択されてもなあ……」
スマートパッドで写真を何枚か撮っただけでプロのカメラマンになれるんなら。スマホ隆盛の今はプロカメラマンしか日本にはいないに違いない。
でも、興奮している今のまちにはボクの言葉は通じなかった。
「大丈夫。数枚撮ったら帰ってくるから。じゃあ、行ってきま〜す」
「あっ、まち……」
まちはボクの制止も聞かずに外に飛び出してしまった。
「まちもたまに子どもっぽいとこあるよねえ…………すぐに帰ってきてね」
大きなため息を吐きながらお社を飛び出していったまちの背中をボクは見送るのだった。
後から思えば、ボクはまちの後ろに付いていくべきだった。
「まちが……帰ってこないっ!!」
まちが写真撮影のために外に出てからもう1時間以上が経過していた。既に外は真っ暗になっている。季節は春だけど気温はかなり低い。なのに、まちはまだ帰ってこない。
写真を撮るのに夢中になって、変なところに入り込んで道に迷ってしまったのかもしれない。
まちは今頃、暗くて寒くて泣いているかもしれない。
{うえええええんっ! ナツ〜、助けてよぉ〜〜〜〜っ!!}
「まちを探しに行こうっ!」
ボクはクマ。人間よりも夜間行動するのには向いている。二次遭難にはならないはず。いや、その危険性があったとしてもボクは行く。
だって、まちはボクにとって大切な存在なのだから。
「よし、行こう」
暗いところでも視界が効く、暗視用ゴーグルを顔に掛けてボクはまちを探しに出かけた。
過疎化の進んだ村の、更に隔離された地帯に電灯なんてあるはずはない。一切の明かりがなくアップダウンも激しい。更に蛇行して周りを木々に囲まれた山道を早歩きながらまちを探す。
まちが写真を撮りに出掛けたことを考えると道沿いにいない可能性も十分に考えられた。暗視ゴーグルを通して森の中もよく探る。
でも、目を凝らして丹念に覗くほどに探索速度は遅くなってしまう。広大な山の中をボク1人、いや、1匹で探すには時間が掛かり過ぎてしまう。気ばかり焦っていく。
「こんな時、電波が届かないって辛いなあ」
ここら辺一帯は残念ながら携帯の電波が入らない。Wi-Fiの届く範囲はお社から数十mのみ。まちのタブレットが電波を拾っているとも思えないので、位置を特定しようがない。
正直、打つ手がなかった。
まちを今すぐにでも迎えに行きたいのに、何もできない自分が無力過ぎて悔しい。
辛さに押し潰されそうになりながら空を見上げたその時だった。
「今、山の一部が……光ったっ!」
視界の奥の方の暗闇の中に光が見えた。その光は左右に揺られていた。あれは炎じゃない。人工の、文明の光。
「まち〜〜〜〜〜っ!!!」
こんな街灯がない田舎の山の中で、あんな光を発するものなんて一つしかない。
ボクは野生の血を全開にして狭い木々の間を全力疾走して光が発せられた地点へと全速力で駆けて行った。そして──
「まち〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
樹にもたれながらスマートパッドを胸に抱きかかえ、光を外に向けて発しているまちの姿を発見した。
ボクは更に速度を上げてまちの元へと駆け寄っていった。
「ナツ……っ」
なつは意外にも気丈夫で、ボクを見てホッとはした表情を見せたものの泣きはしなかった。
「よく、頑張ったね」
「ナツなら来てくれるって信じてたから」
まちはボクのレスキューを信じてくれていた。だから、暗い山の中に1人で遭難しても取り乱さずに済んだのだった。
「あ〜。安心した」
まちが無事で良かった。とはいえ、生まれた時からこの山で暮らしているまちの遭難は洒落にならなかった。
「気を付けてよ。一歩間違えば大怪我や病気。下手をすれば死んじゃうところだったんだから」
「ごめんなさい。いい写真を撮ろうと珍しい花を求めてどんどん奥に行っちゃったの」
珍しく素直に謝るまち。予想した通りの展開で迷子になっていた。
ボクにも覚えがある。新しいカメラを手に入れるといい写真が撮りたくなる。そして、いい写真とは普段足を踏み入れないような場所でこそ撮れるような錯覚を生じさせる。まちもそうやって普段は足を踏み入れない奥の方へと行ってしまったのだろう。
「でも、この暗い中でよく泣き出しもせず、むやみに歩き回りもせずにボクの助けを待てたね」
普段のまちなら泣いていても全然おかしくない場面。でも、今日のまちには随分と余裕があるように感じられた。
「ナツのことを信じていたのと。それから、これのおかげだよ」
まちはタブレットPCをボクに向かって掲げてみせた。
「これのおかげで足元は照らせたし、光を発することで自分の居場所を知らせられた。機械が熱くなるから抱きしめてると暖房器具にもなった。スマートポットはとっても便利な遭難対策グッズだね」
まちはとってもいい笑顔でボクに微笑んでくれた。
「それ。本来の使い方とはだいぶ違うんだけどね……」
無線が入らず最も無力なはずの状態が、まちにとっては一番便利だった。
改めて、人によってパソコンの使い方は違うんだなと思うボクなのだった。
ボクはクマだけどね。
了
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