いのち の 色 |
「今日もかいてるの」
お母さんが、美佐子に話しかけた。
「きれいな、お花ね」
美佐子は、お母さんがいつも褒めてくれるから、寂しくなかった。
赤い色鉛筆で、お花をかいた。
オレンジの色鉛筆で、そのまわりに小さなお花をかいた。
緑色の色鉛筆で葉っぱをかいた。
青い色鉛筆でお空をかいた。
お父さんに見せるため、いっしょうけんめい絵を描いた。
それを、お母さんが褒めてくれるから、美佐子は、お父さんが家にいなくてもさみしくなかった。
お母さんが、美佐子を抱きしめた。
ギュッとしてくれた。
「今日も、お父さんのお見舞いに行くよね?」
美佐子は、暖かさにつつまれながら、お母さんを見あげた。
「そうね。洗濯物をたたんだら、いこうね」
「うん」
美佐子のお父さんは、隣町の大きな病院に入院していた。
もう、長い間、入院している。
お母さんが、病院の先生と話しているのをきいたことがあった。
治らない病気で、まだいっぱい入院しないといけないそうだ。
美佐子は、お父さんと公園に遊びにいった時のことを思い出す。
元気な時のお父さんは、よく公園に美佐子を連れて行ってくれた。
そこには、いつも、きれいなお花が咲いていた。
美佐子は、それを思い出しながらいつも絵を描いていた。
「お父さん」
美佐子が声をかけると、病室のベッドで寝ていたお父さんが目を開けた。
「美佐子。来てくれたのか」
お父さんが美佐子の頭をなでてくれた。
「お父さん、これ」
美佐子は、今日かいたお花の絵を差し出した。
「上手にかけたね」
お父さんは、絵を褒めてくれた。
絵を受け取る時に、お父さんの手が見えた。
だんだんと細くなって、骨が目立つようになってきた手。
美佐子は、その手が怖かった。
お父さんとお母さんが、何かを話していた。
「お父さん。欲しいものはない」
美佐子はお父さんにきいた。
美佐子は、怖くなった何かから目を背けるようにきいた。
「そうだな。本が欲しいかな」
「本?」
「うん。小さい頃に読んだやつ。宮沢賢治のグスコーブドリの伝記が読みたいかな」
お父さんは笑った。
「ブドリは死んじゃうんだけど、そのおかげでみんなが幸せになるんだ」
美佐子は、ビクッとなった。
怖くなった何かが、また見えた気がした。
「わたし買ってくるよ」
「大丈夫かい」
お父さんが笑いながら、身を起こした。
「わたしは、もう小学3年生だよ」
「じゃぁ。お願いしようかな」
「うん」
美佐子は、病室を飛び出した。
怖くなったものから、逃げるように飛び出した。
病院の前には、古い本屋さんがあった。
いつも、開いているのかわからないような古い本屋。
「すみません」
美佐子は、サッシの引き戸を開けようとした。
でも、硬くなってなかなか開かない。
そのとき、戸の間から、ほそく骨が浮きでたような手が、出てきた。
美佐子は、ビクッとなった。
その手は、引き戸を開けてくれた。
「いらっしゃい」
店の中で、白いあごヒゲをたくわえた、おじいさんがほほえんでいた。
美佐子は、店の外で、驚いて立っていた。
「何か探しものかね」
おじいさんは、笑顔で美佐子を店の中に招き入れた。
店の中は、きれいに本が並んでいた。
きれいに掃除されていた。
毎日、お店が開いているように、きれいに本が並べられていた。
「あの。宮沢賢治のグス…」
お父さんに、ああはいったが、美佐子は本の名前が出てこなかった。
「グスコーブドリの伝記かね」
おじいさんが、優しそうに笑っていた。
「確か、この辺にあったんだが」
おじいさんが、本棚の上の方の棚をあさっていた。
「あった、あった」
おじいさんが「宮沢賢治全集」とかかれた本を差し出した。
「この中にかいてあるよ」
おじいさんが、笑顔で本を差し出した。
本を握るおじいさんの、ほそく骨が浮きでたような手が見えた。
美佐子はだまって、差し出された本を見ていた。
その手を見ていた。
「何か、心配事があるね」
おじいさんが、優しく、優しく声をかけた。
優しく、優しく、美佐子の頭をなでてくれた。
美佐子は、こらえきれなくなった。
怖くなった何かが、わかった。
今まで必死に、絵を描いてごまかしていたものが、抑えきれなくなった。
「お父さんが。死んじゃう」
美佐子は泣き出した。
泣きながら、繰り返した。
「お父さんが病気で。入院して。お父さんがいなくなっちゃう」
美佐子は、涙が止められなくなった。
おじいさんは、優しく頭をなでていてくれた。
泣いている美佐子の声を聞きながら、優しく頭をなでていてくれた。
おじいさんは、店の奥からイスを出してきた。
「さあ、お座り」
おじいさんは、美佐子を座らせると、また、優しく頭をなでてくれた。
「おじいさんには、病気のことはわからんが」
おじいさんは美佐子の横にイスを置くと、自分も腰をおろした。
「お嬢ちゃんは、絵がすきかね」
美佐子は、びっくりした。
おじいさんとは、今日、はじめて会うのだ。
「指が、色鉛筆でよごれとるよ」
おじいさんは、笑った。
美佐子の右手の中指に、色がついていた。
美佐子は、少し、気持ちが軽くなった。
「お嬢ちゃんは絵を描く時、どんな色を使うかね」
「赤とか。オレンジとか」
「それだけじゃ、ないじゃろう」
「緑とか。青とか」
「そうじゃな。いろいろな色を使うね。いろいろな色を使うから絵はきれいになるんじゃ」
「うん」
「その絵を、だれかに見せるじゃろう」
「お父さん。お母さんとか」
「よろこんでくれるじゃろう」
「うん、いつも褒めてくれるよ」
「そうじゃろう」
おじいさんは、うんうんとうなづいた。
「いのちとは、なんだと思うね」
美佐子は、突然、きかれて答えられなかった。
「いのちも、絵と同じじゃよ」
おじいさんは、優しい目で美佐子を見つめていた。
「いろいろな色があるから、生きていけるんだよ」
おじいさんの、透きとおる優しい目がそこにあった。
「毎日、ご飯を食べる。お米や、野菜や、お肉を食べる。
それはひとつひとつもいのちで、そのいのちの色をもらっているんじゃ。
楽しいことや、苦しいこと、つらいことがある。
でも、それも、いのちの色となって、お嬢ちゃんを形つくっているんじゃ。
お嬢ちゃんを、素晴らしい絵にしてくれるんじゃ」
おじいさんの優しい目に吸い込まれるように、美佐子はきいていた。
「そして、お嬢ちゃんという素晴らしい絵は、誰かをかならず、幸せにするんじゃよ」
「うん」
美佐子は、なぜだか、素直にうなずくことができた。
「お父さんのことは大変じゃろうが、大切な色をもらっていることを忘れてはいかん。
お父さんもいっしょうけんめい、お嬢ちゃんに大切な色を渡しているのじゃよ。
だから、お嬢ちゃんもお父さんにいっぱい会いに行って、大切な色を渡しておあげ。
幸せな絵を描くためには、たくさんの色が必要だからね」
おじいさんは宮沢賢治全集を紙袋に入れると、美佐子に差し出した。
「お金はいいから、これは持っていきなさい」
「でも」
「表紙が汚れているから、売り物にはならんのだよ」
おじいさんは、笑った。
美佐子は知っていた。
その本は、とてもきれいだった。
お父さんは、きれいな宮沢賢治全集を受け取ると、とてもよろこんでくれた。
美佐子が、次の日、おじいさんにお礼を言おうと、病院の前の本屋に行った。
でも、店は閉まっていた。
次の日も、次の日も、ずっと店は閉まっていた。
今でも、美佐子は思う。
あの出来事は、夢なんじゃないのかと。
でも、たしかに、お父さんの手の中で、きれいな、きれいな本は輝いているのだった。
説明 | ||
絵本風のみじかいお話。 美佐子の出会ったおじいさん。 その人から、大切なものをもらった。 |
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