つばさをもった 少女
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第一章   鳥かごの 少女

 

 

 

 

 

 あの少女は、とて美しい声で、歌を歌っていた

 

 

 それを知っていたのに

 

 

 どうして、手放してしまったのだろう

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 村のほこらの奥に巨大な鳥かごがあるのを、村の人々は知っていた。

 

 それが、いつからあるのかはわからない。しかし、そこに近づくことは絶対

に許されなかった。

 

 ある者は「得体の知れないものが住んでいる」といっていた。

 

 ある者は「近づくとその声で呪われる」といっていた。

 

 だが、だれも、本当の理由はわからない。

 

 そして、誰も近づこうとはしなかった。

 

 

 

 勇二の家は、村のほこらの前にあった。

 

 ずっとむかしから、ほこらを守るのが勇二の家の仕事だった。

 

 勇二の父親も、勇二の祖父も、その仕事をしていた。勇二も、あとを継こと

になっていた。

 

 しかし、勇二の家では、そのことを口にすることはなかった。

 

 ほこらの掃除し、手入れをすること。

 

 それは、近づくことを許されない巨大な鳥かごに近づくことでもあった。

 

 村の人々は、勇二の家を汚れた家とよび、のろいがうつるといって勇二の家

を避けた。

 

 勇二はずっと、村で陰口をささやかれて育った。

 

「どうせ。このまま。こんな日がずっとつづくのだろう」

 

 勇二はいつも思っていた。

 

 そして、あきらめるようにほこらの掃除をしていた。

 

 その歌声をきく、その日までは。

 

 

 

 勇二は、その日も、いつものようにほこらの掃除をしていた。

 

 誰とも話すこともなく、泥にまみれて草を刈り、ほこらを掃き清める。

 

 村では、同じ年頃の子どもたちが楽しそうに遊び、笑っている。

 

「自分は、ただほこらの前に生まれただけなのに」

 

 勇二は、そう思ってほこらのまわりの草刈りをつづけた。

 

 ちょうど、ほこらの裏に回ったときだった。

 

 その歌声が聞こえてきた。

 

 とても、美しい歌声だった。

 

 勇二は、歌声にみちびかれるように、歩きだした。

 

 山の奥に進んでいった。

 

 草をかきわけ、斜面を登った。

 

「本当にあったんだ」

 

 勇二は呆然として、それを見つめていた。

 

 そこには、巨大な鳥かごがあった。

 

 村で近づくことを許されず、忌み嫌われている巨大な鳥かご。

 

 山の木々の間に、その金属製の巨大な鳥かごは、静かにたたずんでいた。

 

 かなり古くからあるのか、あちこちにさびが目立っている。

 

 勇二は引き寄せられるように、鳥かごに近づいた。

 

 鳥かごの中には、ひとりの少女がたっていた。

 

 少女は、黒髪にはえる白いワンピースを着ていた。

 

 少女の、黒くて長い髪が、山のここちよい風になびいていた。

 

 そして、鳥かごの中で、美しい声で歌を歌っていた。

 

 何という歌かは、分からなかった。

 

 まるで鳥がさえずっているような歌だった。

 

 勇二が近づいてきたのに、その少女は気がついた。

 

 少女は、歌うのをやめて勇二をじっと見つめた。

 

 勇二も黙って少女を見つめていた。

 

 どのくらいの時間が立ったのだろう。

 

 その少女が、あの美しい声でつぶやいた。

 

 

 

「あなたも、ひとりなのね」

 

 

 

 その日から、勇二は少女のもとに通うようになった。

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 勇二はほこらの掃除が終わると、毎日少女のもとに通った。

 

 どうせ、村には話をする相手もいなかった。

 

 勇二は少女のもとにかようと、話をするようになった。

 

 なぜか、少女はこの世のことを何も知らなかった。

 

 勇二は、いろいろなことを話して聞かせた。

 

 村のこと。

 

 勇二のこと。

 

 この世界がいかにひどいか。でも、美しいものもあることを。

 

 勇二が話して聞かすと、少女はとても喜んだ。

 

 そして、あの美しい声で歌を歌ってくれた。

 

 勇二は、その歌が好きだった。

 

 そして、歌っている少女を見ているのが、好きだった。

 

 

 

 そんな毎日が、急に終わりをつげた。

 

 勇二が14歳になった、夏の日のことだった。

 

 緊張関係がつづいていたまわりの国と、大きな戦争がおこった。

 

「今こそ立ち上がれ。国を守るのだ」

 

 軍人たちの叫び声が、こだました。

 

 次々と、若者が戦場に送られていった。

 

 村からも多くの若者が戦場に向かった。

 

 戦争は、すぐには終わらなかった。

 

 戦場にいった者はだれも戻らないのに、次の者、次の者と人々が戦場に送ら

れていく。

 

 勇二も、村のために戦場に行くようにいわれた。

 

 断る権利すら与えられなかった。

 

 勇二はいわれるまま、戦場に向かうことになった。

 

 

 

 その日も、いつもと変わらず、勇二はほこらの掃除を終えた。

 

 そして、巨大な鳥かごの少女のもとに向かった。

 

 いつものように、少女は笑顔で、勇二をまっていた。

 

 いつもと変わらない話をした。

 

 よろこんだ少女は、いつものあの美しい声で歌を歌ってくれた。

 

 夕暮れが、近づいていた。

 

「さよなら」

 

 勇二は、別れをつげた。

 

「明日も、まってる」

 

 少女のあの美しい声が聞こえた。

 

 勇二は、背を向けた。

 

 首をふった。

 

「もう。会えないんだ」

 

 そして、勇二は、自分が戦場に行くことを告げた。

 

「いかないで。わたし。まってるから」

 

 少女の美しい声が聞こえた。

 

 少女は、必死に勇二をとめた。

 

 しかし、勇二は首をふった。

 

「きみをまもりたい」

 

 それだけ言うと、その場を立ち去った。

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 勇二は戦場で勇敢に戦った。

 

 なにも考えなかった。

 

 ただ、銃を構えた。

 

 ただ、銃を撃ちつづけた。

 

 真っ先に、敵に向かっていった。

 

 村から来ていた若者は、手のひらを返したように勇二を褒め称えた。

 

「村の英雄だ」

 

 勇二のかげに隠れて、村の若者は勇二を褒め称えた。

 

 その声に押されるように勇二は、さらに敵に向かっていった。

 

 自分の身も顧みず、敵に突撃していった。

 

 そして、勇二は大きな傷を負ってしまった。

 

 銃弾が、勇二の体をつらぬいた。

 

 勇二は、その場に崩れ落ちた。

 

 倒れた勇二のもとには、誰も助けに来なかった。

 

 銃弾が飛び交う音がした。

 

 焼けるにおい、血のにおい、たくさんのものが入りまじったにおいがした。

 

 勇二は、ただぼんやりと空を見上げていた。

 

 もう、痛みすら感じなかった。

 

 そのときだった。

 

 まわりの音も、においも消え失せた。

 

 勇二は、空に目をこらした。

 

 大きな翼を広げ、あの少女が、天から舞い降りた。

 

 勇二は呆然と、少女を見ていた。

 

 少女は舞い降りると、勇二の脇にそっと膝をついた。

 

 少女は静かに口を開いた。

 

「わたしはこの世に、ひとつだけの幸せをあたえるために、天から使わされた

者です」

 

 勇二に答える力は、のこってなかった。

 

「でも、村の人々は、村の幸せを手に入れようとして、わたしをとらえ閉じ込

めたのです」

 

 息絶えようとしていた勇二は、だまって話を聞いていた。

 

「そんな毎日のなかで、あなただけがわたしのところに来てくれた。あなただ

 

けが、わたしの歌をきいてくれた。あなたと話している時が。本当に楽しかっ

 

た」

 

 そう言うと少女は、勇二の胸に静かに両手をかざした。

 

「わたしの見つけた幸せは、あなたに生きていてほしいこと」

 

 少女の全身が美しく輝くと、勇二の傷はみるみるふさがっていく。

 

 それにつれて、少女の姿はかすんでいった。

 

 そして、少女は消える直前に、静かに口を開いた。

 

 

 

「あなたと話をしているときが、いちばん幸せでした。ありがとう」

 

 

 

 あの美しい声が、響いていた。

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 勇二は、けがが治ると戦場から村に戻った。

 

 村人はみんな、勇二の勇敢な戦いを褒め称えた。

 

 しかし、勇二はそんな人々と話をすることはなかった。

 

 まっすぐに、ほこらに向かった。

 

 ほこらにつくと、裏に回った。

 

 草をかき分け、斜面を登った。

 

 必死に、斜面を登った。

 

 だが、そこにはもう、見慣れた光景はなかった。

 

 通い慣れたあの鳥かごは、なかった。

 

 鳥かごは、ぐちゃぐちゃに壊れていた。

 

 そして、あの少女は、いなかった。

 

 あの美しい歌は、響いていない。

 

 あの美しい声は、二度と聞けないのだ。

 

 勇二は、ただ立ち尽くした。

 

 勇二は、ただ泣いた。

 

 時間が過ぎるのも分からないまま、ただ涙を流し続けた。

 

「本当は君を守るためじゃない。僕は、ただこの村に居たくなかったんだ」

 

 勇二は、泣きながら叫んでいた。

 

「ここから、どこかに行きたかった。そこで、消えてなくなりたかった」

 

 勇二は、空を見上げた。

 

「君が、いちばん大切だったのに。君のそばが僕の居場所だったのに。まわり

 

の人の顔色ばかりうかがって。まわりの人に必要としてもらおうとして。僕

 

は、いちばんそばに居たくれた人に。僕は。うそをついた」

 

 勇二は、その場に泣き崩れた。

 

「ぼくは。ぼくは。取りかえしのつかないことをしてしまった」

 

 勇二の叫び声が、山にこだましていた。

 

 

 

 勇二は、いつものようにほこらの掃除に向かった。

 

 戦場から帰っても前と同じようにほこらの掃除をつづける勇二を、もう村で

悪くいう人はいなかった。

 

 でも、勇二には、そんな村人の声はどうでもよかった。

 

 勇二はほこらの掃除を終えると、ほこらの裏に回り壊れた巨大な鳥かごに向

かった。

 

 そこには、あの美しい歌声は響いていない。

 

 それでも、勇二は、この場所に通いつづける。

 

 あの少女がいてくれた場所が、勇二の居場所なのだ。

 

 あの少女が、与えてくれた命を生き続けなければならないのだ。

 

 そうしなければ。

 

 あの少女も、あの歌声も、あの美しい声も、消えてなくなってしまう。

 

 勇二は、壊れた巨大な鳥かごの前に立ち続けた。

 

 いつか、あの少女の思いに答えることができる日を夢見て。

 

 山には、鳥の鳴き声が響いていた。

 

 美しい鳴き声が、どこまでも、どこまでも、響いていた。

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第二章   街角の 少女

 

 

 

 

 

 あの少女に、どうして話しかけたのかは、おぼえていない

 

 

 ただ、あの少女が口にした、言葉だけはおぼえていた

 

 

「わたしはここに立っていることしか、できませんから」

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 アランは、戦場では英雄だった。

 

 別に、英雄を目指したわけではない。

 

 国を守るためでもない。

 

 何となく、戦死した父の後をついで志願した。

 

 母親もはやくに亡くしたアランには、他にいく当てもなかった。

 

 だが、アランは戦場では英雄だった。

 

 射撃の腕は部隊で1番だった。

 

 みんなが、アランの射撃の腕を頼りにした。

 

 みんながアランのことを知っていて、いつも声をかけてきた。

 

 話しかけるみんなが、いつも笑顔だった。

 

 そんな生活も、戦争とともに終わった。

 

 国に帰ったアランは、ただの戦場の遺物でしかなかった。

 

 射撃の腕は、少しも生活の助けにはならなかった。

 

 戦争の終わりとともに、みんなアランのことを忘れていった。

 

 もう、声をかける者も、笑顔をむける者も、いなかった。

 

 さまよい歩いたアランがたどり着いたのが、この非常階段の踊り場だった。

 

 

 

 アランはいつものように非常階段の踊り場にたつと、たばこに火をつけた。

 

 煙が静かに天へと昇っていく。

 

 それをながめながら、日がな1日たばこを吹かす。

 

 それが、今のアランの生活だった。

 

 そして、このホテルに来るいらない客を追い払うのが、今のアランの仕事だ

った。

 

 戦争が終わっても、町はもとには戻らなかった。

 

 戦死した者が、かえってくるわけではない。

 

 破壊された建物も、そのまま廃墟となったままだった。

 

 そんな中、このホテルだけが繁盛していた。

 

 町一番の高級ホテル。中には、レストランやカジノまである。

 

 いつも裕福そうな紳士や、幸せそうな家族連れが出入りしていた。

 

 このホテルを経営しているのは、町のマフィアだった。

 

 このことは公然の秘密で、みんなが知っていた。

 

 だが、ホテルに出入りする者は、だれも気にもとめなかった。

 

 そんなことを気にして生きていける、時代ではないのだ。

 

 ただ、ときおり敵対する組織がホテルを襲った。

 

 そのとき、そんないらない客を始末するのがアランの仕事だった。

 

 今のアランは、ただの用心棒でしかなかった。

 

 

 

 アランはいつものように、ホテルの非常階段の踊り場にたった。

 

 よれよれのスーツにだらしなく結んだネクタイが、アランのおきまりのスタ

イルだ。

 

 ブロンドの髪を適当になでつけ、たばこに火をつける。

 

 この非常階段の踊り場は、ホテルの玄関を見はるのには絶好の場所だった。

 

 少し高くなっているから、ホテルの玄関の様子がよく見渡せた。

 

 ホテルの前の道路を行きかう人も、よく見える。

 

 いざとなったらすぐに飛び降りられる高さだし、人の視線より高くなってい

るから人目にもつきにくい。

 

 そして、ホテルを襲う者がいれば、アランはただ拳銃を撃てばよかった。

 

 この非常階段の踊り場は、狙撃にむいていた。

 

 得意の射撃で、すぐにアランの仕事は終わった。

 

 あとは、アランは、ただたばこを吹かしていればよかった。

 

「こんな楽なことはない」アランはいつも思っていた。

 

 

 

 そんな生活がつづいたある日、アランはホテルの前の街角に、ひとりの少女

がたっているのに気がついた。

 

 長い黒髪のきれいな少女だった。

 

 その黒髪がはえる、白のワンピースを着ていた。

 

 アランはずっと見張っていたはずなのに、いつからその少女がたっていたの

か、わからなかった。

 

 ただ、少女は毎日、街角に立ちつづけた。

 

 その少女は、どうして立っているのかわからない。

 

 町を行きかう人々は、だれもその少女を気にもかけなかった。

 

 まるで気づいていないように通り過ぎた。

 

 忘れ去られた英雄。

 

 気にもとめられない少女。

 

「自分と同じだな」アランは思った。

 

 いつしかアランは、少女ばかりを見るようになった。

 

 

 

「お前。いつもいるな」

 

 その日、アランが、なぜ少女に話しかけたのかはわからない。

 

 気がつくと、アランはいつもの非常階段の踊り場をおりて、少女の前に立っ

ていた。

 

「わたしはここに立っていることしか、できませんから」

 

 その少女は、少し驚いたような顔をした。

 

 とてもきれいな声だった。

 

 その声を聞くと、アランはまるで歌を聞いているような気持ちになった。

 

「立っていられるだけでも、たいしたもんだ」

 

 アランは、静かにたばこに火をつけた。

 

 そして、小声でささやいた。

 

「俺なんか、いるのかも分からない」

 

 

 

 その日から、アランは少女の横にたつと少女と話をするようになった。

 

 たいした話はしなかった。

 

 ただ、アランは少女の声が聞きたかった。

 

 少女の声を聞くと、アランはきれいな歌声を聞いているような気になった。

 

 少女はよその町から来たのか、この町のことはなにも知らなかった。

 

 アランは町のことを話してやった。

 

 そして、いつしか自分のことも話すようになった。

 

 不思議と少女には何でも話せた。

 

 そして、楽しそうに笑う少女の声はとても美しかった。

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 その日も、そんな1日になると思った。

 

 アランは、いつもの非常階段の踊り場にたった。

 

 いつもの場所に、少女の姿がみえる。

 

 アランはホテルのまわりの様子を確認すると、少女のもとに行こうとした。

 

 そのとき、ホテルの道路向かいに1人の男が立っているのに気がついた。

 

 男は、背広のポケットに手を入れていた。

 

 鋭い目つきでホテルの玄関を見つめている。

 

 アランの体が動いた。

 

 アランは拳銃を抜いた。

 

 アランは思った。

 

「ちょいと拳銃を撃てば終わりだ。こんな楽なことはない」

 

 ちょうどホテルの玄関から、親子連れの客がでてきた。

 

 着飾った両親に連れられた小さな女の子は、真っ赤なドレスでおしゃれをし

て楽しそうに笑っていた。

 

「チェックアウトしたところだろう。タイミングの悪い客だ」

 

 そう思って、アランはいつもの仕事をしようとした。

 

 ちょっと拳銃を撃てば終わるはずだった。

 

 手榴弾が、見えた。

 

 ホテルの玄関を見つめる男が、背広のポケットから手を抜いていた。

 

「手榴弾が爆発しても、ちょっとけがするだけさ」

 

 そう思って、アランは拳銃を撃とうとした。

 

 そのときだ。

 

 あのきれいな歌声のような美しい声が聞こえた。

 

 いつもの場所に立っていたはずの少女が、叫んでいた。

 

 親子連れの客の方に、走っていった。

 

「なんでだ」

 

 アランは飛びおりた。

 

 アランは走った。

 

「おい!こっちだ!」

 

 アランは叫びながら走っていた。

 

 今にも手榴弾を投げようとしていた男が、アランに気づいた。

 

 男も拳銃を抜いた。

 

 アランと男は、同時に拳銃を撃った。

 

 

 

 手榴弾は、爆発しなかった。

 

 アランの撃った銃弾が、手榴弾を持つ男の手を打ち抜いていた。

 

 ホテルから出てきた他の用心棒が、男を取り押さえている。

 

 道に倒れたアランは、首をめぐらしてその様子を見ていた。

 

 アランの腹に、銃弾が命中していた。

 

 体は動かなかった。

 

 アランの横をあの親子連れの客が、子供をかばうように足早に通りすぎた。

 

 だれも、アランのもとには来なかった。

 

「楽なもんだ。いるのかも分からないやつが消えるだけだ」

 

 アランは薄れていく意識の中で思った。

 

 あのきれいな歌声のような美しい声が、聞こえた気がした。

 

「あの子は無事だったかな。名前聞いてなかったな」

 

 アランの傷口から、血が流れつづけていた。

 

 そのとき、アランは、本当にあのきれいな歌声のような美しい声を聞いた。

 

 アランは倒れたまま、空に目をむけた。

 

 大きな翼をひろげ、あの少女が、天からアランのもとに舞いおりた。

 

「わたしはこの世に、ひとつだけの幸せを与えるために、天から使わされた者

です」

 

 アランは呆然と少女を見つめていた。

 

「わたしは天から使わされても、ひとつだけの幸せがわからなかった」

 

 少女は舞いおりると、アランの脇に膝をついた。

 

「だから、あの場所に立ったいることしかできなかった」

 

 少女は両手をアランの傷口にかざした。

 

 すると、少女の全身が光り輝いた。

 

「でも、あなたは、そんなわたしのそばにいてくれた」

 

 光り輝く少女の姿がかすんでいくにつれて、アランの傷口がふさがってい

く。

 

「わたしの見つけた幸せは、あなたに生きていてほしいこと」

 

 少女の姿が徐々に見えなくなっていった。

 

 

 

「あなたと話しているときが、一番幸せでした。ありがとう」

 

 

 

「そばにいてくれたのは、おまえの方だ。行くな!」

 

 アランが叫んで身をおこすと、少女の姿は消えていた。

 

 アランの傷口は、きれいに治っていた。

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 アランは、いつものように非常階段の踊り場にたった。

 

 アランは、あれからもこの場所に立ちつづけた。

 

 だが、もう「楽なこと」とは思わない。

 

 あの少女は、この街角に立つことしかできなかった。

 

 そして、アランに命を与えて消えていった。

 

 だから、アランが代わりに立ちつづけるのだ。

 

 だれからも、気にとめられない少女のかわりに。

 

 アランが、あの少女を忘れないために。

 

 そして、いつか、あの少女の思いに答えるために。

 

 アランは、たばこに火をつけた。

 

 煙が、静かに天へと昇っていった。

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最終章   つばさをもった 少女

 

 

 

 

 

 あの少女は、確かに言った

 

 

「ありがとう」と

 

 

 だから、何があろうと、この場所を守らなければならないのだ

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「かならず、あなたが必要とされる時がきます。だから生きるのです」

 

 町外れの高台にある教会の神父は、ロベルトにいった。

 

 ロベルトには、その言葉の意味はわからなかった。

 

 でも、ロベルトは、素直にうれしいとおもった。

 

 まわりの国との戦争がおわっても、なにも変わらなかった。

 

 町にはくらいカゲが、ただよっていた。

 

 町の人たちは、戦争に疲れ果て、破壊された町はそのまま廃墟となってい

た。

 

 軍人たちは、大声でさけび続けた。

 

「また敵が攻めてくる。備えなければいけない」

 

 どこにいっても、救いは見あたらなかった。

 

 ロベルトは終戦間際に、戦争で両親をなくした。

 

 生まれつき体のよわいロベルトを、親戚のものは誰も引きとろうとはしなか

った。

 

 だが、ロベルトは誰も恨むことはできなかった。

 

 町のみんなが、自分たちが生きることで精いっぱいなのを知っていたから

だ。

 

 役立たずの自分は、いつか、いなくなるのだろうと思っていた。

 

 教会の神父だけが、ひとりになったロベルトを引きとってくれた。

 

 そして、ロベルトは教会の修道士となった。

 

 

 

 病弱のため色白のロベルトには、教会の黒い服がよく似合った。

 

 教会での生活は、きゃしゃなロベルトには重労働だった。

 

 でも、ロベルトは文句もいわず、毎日の仕事をこなしていった。

 

「みんなが生きるのに大変なのだ」ロベルトはそう思いつづけていた。

 

「こんな自分が生きていける場所は、ここだけなのだ」ロベルトは自分に言い

つづけた。

 

 そんなロベルトを、教会の神父はいつもほめてくれた。

 

 短く刈りあげたロベルトの髪を、くしゃくしゃになるまでなでてくれた。

 

 ロベルトは、それがうれしかった。

 

 ときどき、何かにむけて叫んでしまいそうな思いが、わき起こった。

 

 でも、神父になでてもらうと、すぐに消えてしまうのだった。

 

 ロベルトが16歳になったときに、突然に、その生活はなくなった。

 

 ロベルトが、神父の使いで町まで出かけたときだった。

 

 用事で帰りがおそくなった。

 

 ロベルトが教会に戻ったときには、もうあたりは薄暗かった。

 

 ロベルトは、教会につづく坂道をのぼっていた。

 

 教会が見えた。

 

 しかし、いつもついている教会の明かりが、ついていないのだ。

 

 思わず、ロベルトは走りだした。

 

 肺がひどく痛んだ。

 

 病弱のロベルトには、教会につづく長い坂道が、途方もなく長く感じた。

 

 だが、ロベルトはかまわず走りつづけた。

 

 教会の入り口がみえた。

 

 そこに神父が倒れていた。

 

「神父さま」

 

 ロベルトは、切れる息も気にせずにさけんだ。

 

 叫び続けた。

 

 だが、神父の返事はなかった。

 

 ロベルトが神父のもとにたどり着いた時、神父はすでに事切れていた。

 

「神父さま」

 

 ロベルトはひざまずいた。

 

 神父の手をとった。

 

 ロベルトは、なんども呼びかけた。

 

 しかし、神父の返事はなかった。

 

 呼びかけるたびに涙がながれた。

 

 ただ、ロベルトの声だけが響きつづけた。

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 神父の葬儀がおわると、町の人々は足早に帰っていった。

 

 そして、ロベルトはひとりになった。

 

 ロベルトは、教会の中にはいった。

 

 そして、礼拝堂を見まわした。

 

 いつも、神父の声が響いていた礼拝堂だ。

 

「神父さまはもういない」

 

 静まりかえった礼拝堂が、ロベルトに突きつけるようだった。

 

 そのとき、礼拝堂のベンチにひとりの少女が座っているのに気がついた。

 

 長い黒髪のきれいな少女だった。

 

 その黒髪にはえる白のワンピースを着ていた。

 

 ロベルトは、導かれるように歩きだした。

 

 そして、気がつくと少女の前にたっていた。

 

 少女は、まっすぐにロベルトをみつめている。

 

 ロベルトも黙ったまま、少女をみつめていた。

 

 少女が口を開いた。

 

「ここが、あなたの居場所ですか」

 

 少女の声はとても美しかった。まるできれいな歌声を聞いているようだっ

た。

 

 ロベルトは、少女を見ながらうなずいた。

 

「わたしも、ここにいて、いいですか」

 

 その日から、ロベルトと少女は話をするようになった。

 

 

 

 少女は決まった時間になると、いつも礼拝堂の同じベンチに座っていた。

 

 ロベルトは教会の仕事をおえると少女のもとにむかった。

 

 ただ、少女にあいたかった。

 

 ただ、少女の美しい声がききたかった。

 

 なぜだか、少女はこの町のことを何も知らなかった。

 

 ロベルトは、少女にこの町のことを話してきかせた。

 

 気がつくと、ロベルトは、少女につぎつぎと話をしていた。

 

 世界のことや自分のこと、美しいこと、醜いこともはなしていた。

 

 どんな話をしても、少女は喜んでくれた。

 

 ロベルトは、その少女のよろこんだ声をきくのが好きだった。

 

 まるで美しい歌をきいているようだった。

 

 ある日、ロベルトはそんな少女に賛美歌を教えた。

 

 その声は美しく、天までとどくような透きとおる歌声だった。

 

 ロベルトは呆然と、その姿を見つめていた。

 

 なぜだか、涙があふれた。

 

 この場にいることに、歌をきいていることに、ただ感謝していた。

 

 歌い終わった少女は、ロベルトに顔をむけた。

 

 ロベルトは泣いたままだったが、少女はなにも言わなかった。

 

「天使みたいだった」

 

 ロベルトは、ただ呆然と話していた。

 

「何で知っているんですか」

 

 少女は笑った。

 

 ロベルトも、つられて笑った。

 

 薄暗くなってきた礼拝堂に、2人だけの美しい笑い声が響いていた。

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 ロベルトは、教会につづく坂道を急いでいた。

 

 神父がいなくなってから、教会の仕事を1人でやらなければいけない。

 

 町まで降りていたら、あたりは薄暗くなり始めていた。

 

 ロベルトは、教会に急いだ。

 

「はやく教会に帰って少女にあいたい。あの歌をきかせてほしい」そのことば

かりを考えていた。

 

 息を切らせて、教会につづく坂道をのぼり終える。

 

 そこに、見知らぬ男たちがたっていた。

 

 ロベルトは、足をとめた。

 

 5、6人はたっている。

 

 よく見ると、制服をきた軍人だった。

 

 約束をした覚えはない。

 

 ロベルトは男たちに近づきながら、声をかけようとした。

 

「貴様が教会の責任者か」

 

 いちばん上級の階級章をつけた男が、怒鳴り散らした。

 

 面長の顔のあごを突きだし、嫌みそうな細い目で、ロベルトを見おろしてい

る。

 

「神父さまが亡くなって、今はわたししかいません」

 

 ロベルトは、細い目の男の決めつけた口調が、イヤになった。

 

 はやく、教会に入りたかった。

 

 しかし、細い目の男は、ロベルトなど見てはいないように勝手に怒鳴りつづ

けた。

 

「貴様しかいないのだろう。なら責任者だ」

 

 ロベルトは、ただ黙って細い目の男を見かえした。

 

「教会は立ち退いてもらう。ここに軍の電波塔をつくるのだ」

 

「そんな急にいわれても」

 

「口答えするか。命令にしたがわんか」

 

「どこにいけというのですか」

 

「知らん。我々は敵から国を守っているのだ。貴様ひとりのことなどどうでも

いいわ。自分でどこへでもいけ」

 

 ロベルトは、イヤになったのが、細い目の男の口調だけでないことに気がつ

いた。

 

 細い目の男、そのものがイヤなのだ。

 

 ロベルトの中に押さえようのないものが、ドス黒くわいてでた。

 

 ロベルトは、細い目の男をにらみ返した。

 

「神父も神父なら。ガキもガキだな。神父みたいになりたくなかろう」

 

 細い目の男が、そのことばを口にしたときに、ロベルトの中でどす黒いもの

がはじけた。

 

「おまえらが神父さまを…」

 

 ロベルトは叫ぼうとした。

 

 しかし、口がふさがれていた。

 

 男たちに体もおさえられていた。

 

「それ以上はいわないことだ。分かるだろ」

 

 細い目の男があごをしゃくった。

 

 その瞬間、ロベルトの右腕に痛みをはしった。

 

 みると無造作に注射器がささっていた。

 

「軍の秘密の薬だ。神父と同じで、安らかに眠れるぞ」

 

 細い目の男が、唇をゆがめて笑う。

 

 腕に注射器をさした男が、笑いながらゆっくりと注射液をロベルトに流し込

んだ。

 

 そして、男たちは無造作にロベルトを教会の入り口に投げ飛ばした。

 

「どこかに行けばいいものを。貴様がいなくなれば教会は取り壊される。同じ

いなくなるのだからかまわんがな。立派な電波塔を作ってやる」

 

 男たちは、表情も変えず坂道を降りていった。

-14ページ-

 ロベルトは、身動きもできずに男たちをみていた。

 

 体がしびれて、声もだせなかった。

 

「いつもそうだ」ロベルトはこころの中で叫んでいた。

 

 神父さまが生きていたときに感じた叫びたい思いが、今なら何なのかわか

る。

 

 怒りだ。

 

 自分を拒絶しようとするものへの、怒りだ。

 

 この町も、まわりの大人も、戦争も、このせかいも。

 

 ただ、自分が生きたいとおもうことさえ、許さない。

 

 生きていこうとするだけで、邪魔をする。

 

 ただ、この場所にいたいだけなのに。

 

 あの少女の歌をききたいだけなのに。

 

 何で、みんなは…

 

 そのとき、ロベルトは、あの少女の美しい歌声をきいた気がした。

 

 あの賛美歌を、きいた気がした。

 

 ロベルトは首をめぐらしたが、少女の姿はなかった。

 

「さっきの騒ぎで逃げていってしまったのだろう」

 

 ロベルトがそう思ったときに、本当にあの美しい声が聞こえた。

 

 少女の賛美歌が響きわたった。

 

 それは、本当に美しかった。、ロベルトの中でとどまっていた黒いものがな

がれていった。

 

 ロベルトは声に導かれて、空に目をむけた。

 

 大きな翼を広げ、あの少女が、天からロベルトのもとに舞い降りた。

 

「わたしはこの世に、ひとつだけの幸せを与えるために、天から使わされたも

のです」

 

 ロベルトは、呆然と少女を見つめていた。

 

「わたしは天から使わされても、ひとつだけの幸せがわからなかった」

 

 少女は舞いおりると、そっとロベルトの脇に膝をついた。

 

「でも、あなたはわたしに居場所をくれた」

 

 少女は両手を、ロベルトの胸にかざした。

 

 すると、少女の全身が光り輝いた。

 

「わたしに歌うことを与えてくれた」

 

 光り輝く少女の姿がかすんでいくにつれて、ロベルトの体のしびれがとれて

いく。

 

「わたしのみつけた幸せは、あなたに生きていてほしいこと」

 

 少女の姿が徐々に見えなくなっていった。

 

 

 

「あなたといたあのときが、いちばん幸せでした。ありがとう」

 

 

 

 ロベルトが身を起こすと、少女の姿は消えていた。

 

 体のしびれが、うそのようにとれていた。

 

 ロベルトは、教会の中に入った。

 

 礼拝堂の中を見まわした。

 

 いつも少女が座っていたベンチに、少女の姿はなかった。

 

 ロベルトはふらふらと歩きながら、十字架の前まで進んでいった。

 

 その場にひざまずいた。

 

「なんで。わからなかったんだ」

 

 ロベルトはさけんだ。

 

「ここが居場所だったんだ」

 

 ロベルトは泣きながら叫んだ。

 

「神父さまは、居場所をつくってくれた。きみは、いっしょにいてくれたじゃ

 

ないか。ここが、ぼくの場所だ。みんなを恨んで、まわりのせいにして、僕は

 

守ることさえしなかった」

 

 ロベルトは、泣きながら身をおこした。

 

 十字架の後ろには、大きな壁画がかいてあった。

 

 天から指し示す光にむかって、救いを求める人々がのぼっていく。

 

 その光のもとで、両手を広げて人々を迎えいれる天使がいた。

 

 そこに、あの少女がいた。

 

 ロベルトは気づいた。

 

 その天使の顔が、あの少女の顔だった。

 

 その天使が、あの少女だった。

 

 あの少女は優しくほほえみかけていた。

 

 ロベルトは立ち上がった。

 

 もう、涙は流れない。

 

 ロベルトは、その壁画に向かってさけんだ。

 

「きみの居場所を、今度はつくるよ」

 

 ロベルトは、その天使を見つめ続けた。

 

「今度は、かならず守ってみせる」

-15ページ-

 ロベルトはその日から寝る間も惜しんで、手紙を書きつづけた。

 

 はやくしないと、またあの軍人たちがくる。

 

 でも、ロベルトひとりではどうすることもできない。

 

 ロベルトは、まわりの教会に次々と手紙をかいた。

 

 教会が取り壊されそうになっている。

 

 軍の電波塔になってしまう。

 

 そのことを訴え続けた。

 

 なにか、教会を守る方法を思いついたわけではない。

 

 でも、この教会はなんとしても守らないといけない。

 

 自分がどうなろうと、あの壁画を守らないといけない。

 

 ロベルトは、とりつかれたように手紙を書きつづけた。

 

 

 

 手紙を出しはじめてから、1週間がたった。

 

 まだ、あの軍人たちは来ていない。

 

 ロベルトが死ななかったことに、戸惑っているのだろう。

 

 ロベルトは礼拝堂で祈りを捧げていた。

 

 あの少女にむかって祈りを捧げていた。

 

 そのとき、教会の入り口をノックする音がきこえた。

 

 ロベルトは、あの軍人たちがきたのかと思った。

 

 おそるおそる、入り口ののぞき窓から外をみた。

 

 そこには、あの軍人の姿はなかった。

 

 よれよれのスーツに、だらしなくネクタイを結んだ、ブロンド髪の男がたっ

ていた。

 

 ロベルトは、扉を開けた。

 

「ここに、つばさをもった少女の絵があると聞いてきたんだ」

 

 男は、たばこを取りだすと火をつけた。

 

 たばこの煙が風にのって教会の中に流れこんだ。

 

 そして、あの少女の絵にむかって流れていった。

 

 ロベルトは、その様子をみていた。

 

「あなた。名前は」

 

「アランだ」

 

 

 

 ロベルトは、アランをあの少女の絵の前に案内した。

 

 アランは、黙ってあの少女の絵をみていた。

 

 あの少女を見つめていた。

 

 そして、つぶやいた。

 

「立っていられたじゃないか。たいしたもんだ」

 

 アランは息を吐くと、言葉に力を込めた。

 

「今度はちゃんとそばにいるからな。絶対に」

 

 アランは、こぶしを強くにぎりしめた。

 

 

 

 ロベルトの手紙は、まわりの教会から人づてに伝わっていった。

 

 教会の壁画のことが噂になっていた。

 

「奇跡を起こした、つばさをもった少女の絵がある」と。

 

 ロベルトは、アランに自分の体験したことを話した。

 

 アランもあの少女に命をもらったことを話した。

 

 2人に、なすべきことは分かっていた。

 

 その日から、アランは教会の2階から外を見張った。

 

 教会の2階の窓は、教会につづく坂道が見わたせる。

 

「ここなら、きた奴がすぐにわかる。楽なもんだ」

 

 アランは、たばこを取りだすと火をつけた。

 

 だが、ひとときも窓の外を見張る目は、はなさなかった。

-16ページ-

 アランが教会を見張るようになって、1週間がたった。

 

 その間、何事もなくすぎた。

 

 教会には、誰も訪れなかった。

 

 今日もおなじ日になると思えた。

 

 アランは、外を見張っていた。

 

 遠くに、ひとかげがみえた。

 

 ひとりだ。

 

 教会につづく坂道をのぼってくる。

 

 ロベルトと同じくらいの年の男だ。

 

 アランは、礼拝堂で祈りを捧げているロベルトに声をかけた。

 

 そのまま、上着の中に手を入れた。

 

 だが、窓から目をはなさない。

 

 ロベルトも、教会の入り口ののぞき窓から外をみた。

 

 ロベルトと同じくらいの少年は、教会の前まできた。

 

 扉の前で、立ちどまった。

 

 ロベルトがのぞき窓から見ているのに気づき、まっすぐにロベルトを見返し

た。

 

 そして、口をひらいた。

 

「ぼくは、勇二といいます。ここにつばさをもった少女の絵があると聞いたん

です」

 

 

 

 ロベルトは、勇二をあの少女の絵の前に案内した。

 

 勇二は、黙ってあの少女の絵を見ていた。

 

 あの少女を見つめていた。

 

 そして、つぶやいた。

 

「今度は、本当に、君を守るためにきたんだ」

 

 勇二は息を吐くと、言葉に力を込めた。

 

「今度はうそはつかない。君を守るよ」

 

 勇二は、こぶしを強くにきりしめた。

 

 

 

 その夜、ロベルトとアランそして勇二は、教会の2階に集まった。

 

「どうやって教会をまもる」

 

 アランは話しているが、外を見張ったままだった。

 

「分かりません」

 

 ロベルトには、本当にどうしていいか分からなかった。

 

 勇二はアランをみていた。

 

「あなたは、戦争にいったのですか」

 

「おまえもか」

 

「見ていてわかります。射撃は得意ですか」

 

「それしか、取り柄がないからな」

 

「じゃぁ。決まりです」

 

 勇二のその言葉で、アランが振り向いた。

 

 ロベルトもずっと、話す勇二をみていた。

 

「ぼくが入り口から突っ込みます。これでも突撃は得意ですから」

 

「そんな。危険です」

 

 ロベルトが慌てて勇二を制止しようとした。

 

「アランはここから援護射撃をしてください」

 

「おまえ」

 

 アランも勇二を見つめていた。

 

「これしかないでしょう。絶対に守らないといけないから」

 

 3人とも、それ以上の言葉はいらなかった。

 

 わかっていた。

 

 やらなければならないことも。

 

 3人で、それしかできないことも。

 

「予備の拳銃が俺のバックにある」

 

 アランがそれだけいった。

 

 3人とも見つめ合ったままうなずいた。

-17ページ-

 夜が明けた。

 

 しかし、あたりは薄暗かった。

 

 雲が低く垂れこめ、日の光をかくしていた。

 

 勇二は拳銃をにぎった。

 

 教会の入り口の前にある小屋に、身をかくした。

 

 アランは、教会の2階の窓から外を見張った。上着の下から拳銃をぬいてい

る。

 

 ロベルトは、教会の入り口の内側に、ベンチを積んでバリケードをつくっ

た。

 

 

 

 そして、そのときがきた。

 

 教会につづく坂道を、軍服を着た男たちがあがってきた。

 

 20人ぐらいはいる。みんな肩にライフル銃をさげていた。

 

 男たちの先頭を、あの細い目の男が歩いていた。

 

 あごを突き出し、見下すように教会をみている。

 

 軍服の男たちは、教会の前にくると横一列にならんだ。

 

 一斉にライフル銃を構える。

 

 風が、強く吹きぬけた。

 

「貴様。まだいるのか」

 

 細い目の男が、怒鳴り散らした。

 

「どうやったのか知らんがな。今日はいなくなってもいいんだぞ」

 

 細い目の男の声には、怒気がこもっていた。

 

「この場所は渡しません。大切な場所なんです」

 

 ロベルトは、扉越しに叫んだ。

 

 必死に扉が開かないように、両手で押さえた。

 

「あけんか。逆らう気か」

 

 細い目の男の怒号が激しくなった。

 

「おい。扉を撃て。泣きわめかせてやる」

 

 細い目の男が手をふった。

 

 横にいる軍服の男が、教会の扉に向かってライフル銃を連射した。

 

 教会の扉の蝶番が次々とはじけ飛んだ。

 

 ロベルトは必死に扉を押さえた。

 

 扉を貫通した弾丸が、次々とロベルトのまわりの空気を引き裂いていく。

 

 だが、ロベルトは扉を押さえつづけた。

 

「守るんだ。今度は何があっても守るんだ」

 

 ロベルトは力を込めた。

 

 しかし、教会の扉はライフル銃に打ち抜かれ崩れていく。

 

「どうした。ぼろぼろになったぞ。おまえはいらないのだ。遠くに連れていっ

たら、処理してやる」

 

 細い目の男が、手で合図した。

 

 2人の軍人が扉に突進した。

 

 そのまま、体当たりした。

 

 銃弾でぼろぼろになった扉は、簡単に崩れた。

 

 ベンチのバリケードとともに、飛び散った。

 

 ロベルトも、いっしょにはじき飛ばされた。

 

 きゃしゃなロベルトの力ではどうすることもできなかった。

 

「力のない貴様には、どうにもならんだろう」

 

 細い目の男が、甲高い笑い声をあげた。

 

 軍服の男たちが教会の中に入るため、銃口をおろした。

 

「今だ!」勇二が小屋から飛びだした。

 

 教会の2階の窓が開け放たれた。

 

 アランが銃を構えた。

 

 勇二の銃弾が、細い目の男の腹に当たった。

 

 アランの銃弾が、ほかの軍人たちの体を打ち抜いていく。

 

 しかし、倒れなかった。

 

 撃たれた軍人たちは、アランにライフル銃をうち返した。

 

「逆らうのか」

 

 細い目の男が、低い声で笑った。

 

 勇二はその場で膝をついた。

 

 低い姿勢で銃を構える。

 

「我々は、軍人だ。常に敵に備えている」

 

 細い目の男は低く笑った。

 

「防弾チョッキか」

 

 勇二が唇をかんだ。

 

「勇二さん」

 

 ロベルトが、教会の入り口をこわした軍人たちに押さえつけられていた。

 

 アランのいた窓もこなごなに壊れ、アランも身動きがとれなかった。

 

「貴様たちにいる場所はない。そんな奴になにができる」

 

 細い目の男が、低く低く笑った。

-18ページ-

 そのときだった。

 

 あたりが明るくなった。

 

 低く垂れ込めていた雲が切れ、日が差してきた。

 

 そして、その光に照らされて、1人の女性が歩いてきた。

 

 ロベルトは、目を見張った。

 

 アランと勇二も、目を見張った。

 

 その女性は教会の前まできた。

 

 顔をあげた。

 

 しかし、ちがった。

 

 その女性はあの少女ではなかった。

 

 高齢のシスターだった。

 

 シスターは、力強い声で言い放った。

 

「騒ぎをやめなさい。私たちはつばさをもった少女の絵があると、きいてきた

のです」

 

 細い目の男が怒鳴りながら、シスターに詰め寄った。

 

「貴様。我々に命令するか」

 

 しかし、シスターに近づくことはできなかった。

 

 両足が宙に浮いている。

 

 細い目の男は首根っこをつかまれていた。

 

 シスターの横には、身長2メートルはある麦わら帽子をかぶった農夫が立っ

ていた。

 

 その太い腕で、細い目の男の首根っこをつかんで持ち上げている。

 

「軍人さん。おらたちはつばさをもった少女の絵があると聞いてきたんだ」

 

 教会につづく坂道を、次々と人々があがってきていた。

 

 男性も女性も、大人も子どもも、職人から商人や役人まで。

 

 次々と人々が教会につづく坂道をあがって、教会の前に集まってきていた。

 

 シスターが、力強い声で言い放った。

 

「私たちは、つばさをもった少女に命を与えられた者です」

 

 もう、軍人たちはロベルトを押さえつけてはいなかった。

 

 1カ所に固まって、銃を構え、おろおろとまわりを見回している。

 

 ロベルトは、呆然と立ち尽くしていた。

 

 アランと勇二も立ち尽くし、銃をおろしていた。

 

 シスターはつづけた。

 

「つばさをもった少女に導かれぬ者よ。この場を去りなさい」

 

「力のない貴様らに、軍人の俺が負けるか」

 

 細い目の男は、シスターに銃を向けようとした。

 

 しかし、あっさりと農夫に銃を取りあげられた。

 

「軍人さん。お帰りだよ」

 

 農夫は、細い目の男を放りなげた。

 

 細い目の男に、次々と人々の手がのびていく。

 

「やめろ。貴様ら。やめろ」

 

 細い目の男は人の波に流されるように、教会へつづく坂道を引きずられ降り

ていく。

 

 ほかの軍人も同じだった。

 

 次々とのびる人々の手に、ライフル銃をとりあげられ、武器を取りあげら

れ、手を引きづられ、足を引っ張られ、教会へつづく坂道を降りていった。

-19ページ-

 雲間から指した光が、教会を照らしていた。

 

 壊された教会の扉越しに、礼拝堂の十字架がみえた。

 

 そして、十字架の後ろで、大きな翼を広げ、両手を広げて、あの少女が光り

輝いていた。

 

 人々が、いっせいに口を開いた。

 

 

 

 おれは…

 

 ぼくは…

 

 わたしは…

 

 この子は…

 

 父は、母は、子どもは、友達は、恋人は、夫は、妻は、大切な人は

 

 あなたに命を与えられました。

 

 

 

 そのとき、たしかに聞こえたのだ。

 

 あのきれいな歌声のような美しい声が

 

 

 

 …あなたといる時が、いちばん幸せでした。ありがとう…

-20ページ-

 扉を打ちつける音が、礼拝堂に響いていた。

 

 アランと勇二は、礼拝堂で荷物をまとめている。

 

 ロベルトは十字架にむかって祈りを捧げると、アランと勇二を振り返った。

 

「本当に助かりました」

 

 アランは、ロベルト越しにあの少女の絵を見あげていた。

 

「なにも、しちゃいないさ」

 

 勇二も、あの少女の絵を見あげていた。

 

「今度もまた、あの子に命を与えられたんだ」

 

 あの少女は、大きな翼を広げ、両手を広げて、光り輝いていた。

 

「そうですね」

 

 ロベルトも、うなずいた。

 

「これからどうします」

 

「俺はいつもの非常階段の踊り場に戻るだけさ」

 

「ぼくは祠の掃除があります。村に戻ります」

 

 ロベルトは、あの少女の絵を振り返った。

 

「そこが、あの子のいた場所なのですね」

 

 

 

 教会には、次々と人々が礼拝に訪れていた。

 

 そして、語り継がれていった。

 

 

 

 奇跡のつばさをもった少女として。

 

 

 

 あの少女の壁画がある教会は、聖地となっていった。

 

 いつまでも、いつまでも、巡礼の人々がたえることはなかった。

 

説明
あの少女は、そこにいた。

少女に出会ったものたちの、奇跡の物語。
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救い 孤独 いのち 

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