左右非対称 |
身を切る寒風が半身に叩きつけられる。咄嗟に頬を押さえるが、じんじんと奥から熱を伴って痛みがにじみ出してくる。
こんなとき、自分は大海原のただなかに立っているのだと思い知らされる。
潮気を含む風はひりひりと乙女の柔肌を苛んでやまない。
「こりゃたまらん」
私はひとりごちて小走りで校舎に向かった。せっかく治りかけた風邪がぶりかえしたら目もあてられない。
玄関を抜け、上がり場で簀子の音をたてさせながら上履きに靴を替える。
始業時間よりいくぶん早いためか、生徒の影はまばらだ。
たった三日ぶり、それも週末をはさんでいたから実質的に欠席したのは一日だけだというのに、ひどくひさしぶりに思える。もっとも、生徒会の仕事は土日も関係ないから、やはりまるまる三日ともいえなくもない。
いったいどっちだか。
生徒会室へと向かう廊下を歩きながら、自分の感慨のとりとめのなさに、つい苦笑が浮かびそうになる。
ところが、そこで、
「あれー、河嶋先輩ー」
背後からにわかに声を掛けられたからたまらない。県立大洗女子学園随一のクールビューティーで通っている身としては、迂闊に笑っているところなど目撃されては沽券にかかわる。
急いで顔を作りふり返る。けれども、目の前にはだれもいない。いや、そのいい方は正確じゃない。見える範囲にはだれもいなかった。
心持ち視線を下げてみると、そこに子どもが立っていた。
「なんだ、阪口か」
「なんだはひどいー」
両腕を振り上げて抗議を口にするその姿は、ますますもって子どもっぽい。
もちろんほんとうに児童がまぎれこんでいるわけがない。彼女、阪口桂利奈も、我が校に第一学年とはいえしっかりと籍を置く学生のひとりだ。短く刈ったぼさぼさの髪に象徴的な容姿や大振りな仕種、舌足らずな口調が必要以上に幼さを加速させているのもまた確かではあったが。
「悪かった悪かった」
適当にあやしてその場を後にしようとしたところが、思いのほか阪口の反応が薄く、かえって足が止まってしまった。
「どうした、えらく今日はおとなしいじゃないか」
「だって、なんだか先輩、人が変わったみたいです」
「はあ?」
「先輩、普段だったら自分から謝ったりしないじゃないですか。ぜったいこんな風にいってますよ。『うるさいー! 私に見えない身長のお前が悪いんだー! 文句があるならもう頭一個分背を高くしろー!』って」
どうやら私の物真似を入れているようだが、これがまったく似ていない。
「ああ! やっぱり思い当たる節があるんだ! でも安心してください! 不肖阪口桂利奈、いうなといわれた秘密は口が裂けたってしゃべりません!」
鼻高々に背を逸らし、胸を思い切りたたいて、頼れる女をアピールしているらしい。
対して、私は自分の肩が落ちて、著しく猫背になってくるのを感じていた。
「ほらほら! そのひとりで背負っているものをぶちまけていいんですよ!」
「あ……」
「あ?」
いかにも物見高く輝く双眸を見ていると、それ以上こらえているのも馬鹿らしくなり、お言葉に甘えてぶちまけさせてもらうことにした。
「呆れとるんだ! そんなくだらん物真似の練習してる暇があったら、戦車の手入れでもしろー!」
「うわー、やっぱり、いつもの河嶋先輩だったー!」
私の剣幕に押されて、瞬く間に廊下の曲がり角まで退散してしまった。
やっぱりまだ本調子ではない。大きな声を出すと、立ちくらみを起こしそうになる。脚を開いて、がにまたで、荒くなった息を整えていると、遠くでまだこちらをうかがっているらしい阪口と目が合った。
「まだなにか用か」
「あ、あの……」
角から顔の半分だけ出している様はまったく小動物だ。
「眼鏡また掛ける位置替えたんですね」
「は?」
唐突な、まったく予想もしていなかった発言に、私もつい中途半端な声でこたえてしまった。おかげで、それを疑問形とは受け取らなかったらしく、阪口は踵を返して角の向こうに残り半分の顔も隠してしまってもう現れなかった。
よくわからない道草を食ってしまったおかげで、生徒会役員室への道のりが余計に遠く感じられ、ようやく到着したときには、ぐったりと疲労困憊してしまっていた。
おまけに、これから溜まっているだろう仕事を考えれば、気ぶっせいは募る一方だった。
ところが、
「あれ?」
ある種の覚悟を決めて、自分の席の前に来てみたのだが、思い描いていた書類の山はどこにもなかった。それどころかデスクの上には回覧用の用紙一枚見当たらず、欠席前よりもむしろ綺麗になっているほどだった。
「なんだ?」
はじめのうちは狐につままれたように棒立ちになっているしかなかったが、ようやく働きだした頭で順を追って考えていくと、ひとつの、というよりひとつしかない結論に達した。
「あれ、桃ちゃん、もう出てきてたんだね」
まったくよいタイミングで、その結論に深くかかわる人物が、奥の会長室からひょっこりと姿を現した。
「柚子ちゃーん、ありがとうー! やっぱり持つべきものは親友だよー!」
つい感極まって、副会長である小山柚子に抱きついてしまっていた。病み上がりということで情緒が不安定になっていたのだろう。
「ど、どうしたの。また、おかしなものでも食べちゃったの?」
らしくない私の行為に柚子もおおいに戸惑ったらしく、発言が混乱してしまっている。
「違う! だれが拾い食いなんてするか!」
「だれも拾い食いなんていってないよ……」
「と、とにかく。仕事をかたづけてくれたのは柚子だろう。ありがとう、助かった」
これ以上問答をくり返していても埒が明かない。私は体を引き離して礼を述べた。我ながら感傷に流され過ぎないさっぱりとした対応だった。
ところが、柚子は煮え切らない顔をして、私をのぞきこんできていた。
「なんだ、変な顔をして」
「それはおかしな顔にもなるよ。自分で処理した書類のお礼をいってるんだもん」
「はあ?」
ついつい自分でもわかるくらいに素っ頓狂な声がもれる。
「なにを馬鹿なことを。私はこの三日間休んでたんだぞ」
「……桃ちゃん、熱でもあるの?」
「どれどれー」
突如額に冷たいものが触れた。
「わっ!」
「か、会長! いつの間に……」
私と柚子がほぼ同時に驚きの声をあげる。私たちの間には、大洗女子学園を取り仕切る角谷杏生徒会長が紛れ込んでいた。
「あつつ、本当に熱いねー」
頭ひとつ分は優に背の低い会長は大袈裟に手を振って見せる。
「そんなことより、会長、聞いてください。柚子がまたおかしなことをいいだして」
「聞いてたよー。ふたりとも声大きいからさ。筒抜けだったよ」
「でしたら話が早い。私が昨日まで三日間休んでたのを知ってるくせに、柚子ったらわけのわからないことを……」
「なるほど、こりゃあ、重症だね」
「でしょ……う?」
我が意を得たりとばかりの意気込みが、尻つぼみに失せていく。会長の目線は柚子ではなくこちらに注がれていたのだ。
「か、か、会長! どうしてそんな目でこちらを見ているんですか!」
「だって、河嶋、ずっと生徒会来てたよね」
「はい」
ふたりともあくまで真顔だ。
「そんな。私はこの週末、体調を崩して、自室で寝込んでいたんです。執務はおろか、登校さえできない状態だったんですよ」
「そんなこといったって、私らだけじゃないしねえ」
「生徒会室に来た生徒みんな桃ちゃんと会ってるんだよ」
生徒会室で執務を行っているのはなにも私たち三人だけではない。他の役員もいるし、生徒の出入りだって激しい。その全員の目を欺くことなど不可能だろう。
だが、だからといって、自らの記憶を偽ることなどなおさらできない相談だ。
「それはきっとなにかの勘違いで……」
「桃ちゃん」
私の言葉を柚子が遮った。大きくもないし、別段語気を荒げていたわけでもなかったのに、何故だか抗しがたい響きがあった。
「なんだ……」
「眼鏡どうしたの?」
いわれるままに手を伸ばして外してみるものの、愛用しているモノクルに特におかしな個所は見当たらない。
「なんだ、なにも変じゃ……」
「見て」
改めて掛けなおしたところで、またも中途で割って入ってくる。その指は、壁に掛けられた鏡を差していた。
いったいどういうつもりなのか、意図がさっぱり飲み込めない。もちろん鏡の向こうにいる私も、なんの変哲もないいつもの私だ。
「桃ちゃん、今、眼鏡をどちらに掛けてるの?」
にもかかわらず、柚子はこだわってくる。
「そりゃ右に決まってるだろう」
「それって、向かって? それとも実際に?」
「おまえはいったいなにを……」
「大事なことなんだよ」
私の抗議をまったく受けつけず、なかば金切り声が室内に響いた。
その時、私はやにわに気づいた。
柚子も会長も、私を見ていない。私の方に目線を向けているものの、正確には焦点は私のやや背後で結ばれている。
まるでそこにだれかがいるかのように。
「それは、もちろん」
柚子の無言の圧力から、口をこぼれ出た言葉は、なんだか自分の唇の動きと合わないようで、すぐ傍らから発せられたように思えた。
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初めてのガルパン小説です。 | ||
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