ダビデの一投 |
「私達は取り戻したいのです」
座卓の向かいに対峙した相手は、わずかにも眼差しを逸らそうともせず、挨拶を終えるなりそう切り出してきた。
晩夏から初秋へと移りゆくある一日、陸自の蝶野一等陸尉より面会の申し出があった時点で、来訪の意図におおよその目星はついていた。
だから腰を落ち着けるより早く機先を制して、敢えてこちらから口火を切らせてもらった。
まずは当事者の口から話を聞きたい、と。
その点、やはり蝶野は食わせ者だった。まるで動揺する素振りも見せず、
「それは重畳です。たまたま本日は同行しておりますので」
などとしれっといい放った。
あらかじめどこかのタイミングで引き合わせようと画策していたのだろう。控えの間で待機していた人物は急遽呼び立てられ、応接室に通された。
「家元直々にうかがいたいことがあるそうよ」
ひとつ想定外だったのは、蝶野がそのひと言をいい置いて、入れ違いに席を外したことだった。
意外だったのは先方も同様だったらしく、聞くなりわずかに眉が上がった。だが、それ以上うろたえることもなく、ただ「はい」とこたえるばかりで、立ち去る最大の庇護者の姿を見送りさえしなかった。
小柄な少女だった。歳は我が家の長女と同級だと聞いているが、頭ひとつ分くらいは身の丈に差はありそうだ。けれども眼力の強さはどっこいだろう。
その眼差しでこちらの一挙手一投足も見逃すまいと見つめていた。食い入るようにというわけではないが、いくら澄まそうとしてもその緊張は肌を通して伝わってくる。
「?」
違和があった。眼光にこめられたひたむきさ、重く轟くように焔をあげる熱意、そしてそうした情動の原動力となっているいかんともしがたい悲壮感……それらは最早馴染みといってもいい、戦いの場で常に味わってきた闘志の内幕だった。
少女が発していたのも、ご多分に洩れなかった。ただ、一点だけ異なったのは、彼女からはまったくといっていいほどヒロイズムのにおいを感じなかったことだ。
格下が必死で強大なものを相手取ろうというとき、そこには決まって英雄的な陶酔がついてまわるものだ。なのにそれをほとんど感じることができなかった。
「西住しほです」
興味が募った。いったいこの少女が何を考えこの場に居るのかを知りたいと思った。
「茨城県立大洗女子学園高等部生徒会長角谷杏です」
一瞬ではあったが、私は渦中にあるはずの自らのもうひとりの娘のことさえ忘れてしまっていた。
「私達は取り戻したいのです」
栄えある第六十三回全国高校生大会に、初出場の、それどころか戦車道をはじめたのすら今年に入ってから、急造のチームでありあわせの戦車を乗りつけた学校。思い出作りと揶揄されるまでもなく、ただ苦笑いで迎えられていたその学校が、あろうことか優勝を勝ち取った。
無名もよいところの学校だっただけに、二回戦三回戦と駒を進めていくにつれそれぞれの選手にも注目が集まった。それは無論眼前の会長も例外ではない。いや、むしろ、試合外でチームを牽引した立役者ということで、隊長にも優るとも劣らぬチェックを受けていた。
それを知ってか知らずか、角谷という少女が表に現していた顔は、決して芳しい評価を受けてはいなかった。
「なれなれしく人の間に入ってくる」
「なにを考えているかわからない」
「深慮遠謀ある振りをしている」
比較的信頼に足ると思われる関係者から耳にしただけでもそういった意見が出された。そこで共通していたのは、
「いつもへらへらと笑って」
と前置きされていたところだった。
ところが、ここに根本的な差異があった。
少女は薄い唇を真一文字に結んで、まなじりはやや引き上げられ、眉間には薄く縦じわが刻まれていた。そこには一片の笑みもありはしない。
「大洗の件については、私も聞き及んでいます」
母校の存続を賭け無謀な挑戦を行い、それを果たしたにもかかわらずついに報われずに終わった。大洗女子学園に降りかかった事態については、既に各種メディアを賑わしているから聞くに及ばない。
続く言葉にはいくつかの候補があった。それらを頭の中で峻別し、結局最も単純なものに決めた。
「気の毒なこととは思います。けれども、どうして私がそちらに力を貸すと考えたのです」
少女の肩がわずかに揺らいだ。だがほんの束の間のことで、ささやかな上下に過ぎなかった。たいした胆力だ。
「これを機にみほは黒森峰に戻す。そういわれるとは考えなかったのですか」
西住みほは大洗に籍を置く私の下の娘だ。
「それはありえません」
即答だった。迷う間もなく、切り返してきた。
「どうして。全国大会の檜舞台で隊長の任を果たしたみほは最早西住流の名を辱めるものではない。なら、より一層その力と名を高めるために、最も設備の整った場所で育てるのが道理。教育家の発想としてはなおのこと。そうは思いませんか」
「思いません」
やはり即答だ。そしてその語る力の強さと鋭さには、単に感情にまかせて否定を吐き出しているのではない確信がうかがえた。
「何故?」
その拠りどころを知りたい。そう思った。
「いま、まさに家元が仰った通りです。教育家としての眼がそれを許さないからです」
口にする言葉はよどみない。しかし、その一音一音には緊張がみなぎり、全身全霊を傾けているのがわかる。
「戦車道をはじめてから全国の強豪校の施設や練習風景を拝見しました。聖グローリア、サンダース、プラウダ、もちろん黒森峰も。練習・整備のための施設はどこも現代的な技術の粋を集め、訓練カリキュラムも非常に合理的です。これまでの経験や歴史を積み重ねた上で構築された、とても洗練されたものでした。大洗とはなにもかもが違う。そもそもが比較にさえならないような圧倒的な差です」
我が西住流もそうだ。伝統と格式とは、合理的に後進を育成するための機能も兼ね備えている。だが……
「けれども、そうしたシステムであってもふるい落とされてしまう人間はいる。そんなひとを戦車道は、もとから合わなかったのだと切って捨ててしまうのでしょうか。はじめて数ヶ月のぺーぺーがいうのも口はばったいですが、この芸道はもっと寛容で、来るものを拒まない懐の深さを具えているように感じます。いわゆる強豪校の練習方法やその成果を批判するつもりは毛頭ありません。ただ、それ以外にも強くなる方法はある。今回の全国大会ではその一端をお見せできたと思います」
「一端、ですか」
「はい。私達は未熟です。今のままでは、これまで対戦した高校と再びまみえたとしても、勝機は限りなく薄いといえるでしょう。奇策は端緒を開くには強いですが、正道の堅固さを破るには力不足です」
よく見ている。その奇策にまんまとはまった黒森峰をはじめとして、総力を出しきらなかったサンダース、自らの策に沈んだアンツィオ、攻め時を誤ったプラウダと、経験や物量からすれば大洗より上にある学校が敗れたのは、ひとえに大洗の定石にかまわぬ戦法に翻弄された故といえる。
けれども、ひとたび「大洗はこういう戦い方をする」ということが知れればどうなるか。
それをこの少女は理解している。
「でも、それは今だからです。今後研鑽を積めば、さらに多くの局面にも対応できるようになるでしょう。これまで落伍していくしかなかったものにも、新たな戦車道が開かれる。その展開を家元が望まれないとは私には思えません」
ふとひぐらしの鳴き声が聞こえた気がして、目線を庭の側に向けた。けれども、それはいいわけかもしれない。顔をつい背けてしまったのは、あまりにまっすぐな眼差しに耐えきれなかったからかもしれない。
閉め切った障子は庭から差し込む陽射しに燦々と照らされている。
今が盛りの庭の朝顔に思いを馳せる。
肥後朝顔は他県のものとは少々育て方が異なる。ひと株を鉢に育て、ただ一本の蔓だけを伸ばして花を咲かせる。
栽培者の丹精こめた世話を一身に受け、雪のように真白い花筒に紅、藍、翠といった色が鮮やかに開く。
どのような場所にも花は咲くだろう。だが、その土地にしか根付かず、開かない花というものも確かに存在する。
私は少女、角谷杏に改めて向き直った。
「ひとつ聞かせてください。あなたはもう三年生だ、もう半年、いえ実質的にはその半分ほどで課程は修了となる。いい方はわるいかもしれませんが、学校から去る身で、どうしてそこまで大洗にこだわるのです」
「去る身だから、です」
打てば響く返答が続く。
「もとは単なるわがままでした。卒業した後に、自分がかつて過ごした場所を再訪できなくなるようにしたくない。そんな思いから着手した戦車道でした。勝手で気まま限りありません。つきあわされる下級生からすればいい面の皮です。けど、そうしてやぶれかぶれではじめた戦車道を続けるうちにも、皆それぞれ自分自身で目標を立て、それに向けて努めるようになってきました。そして、ある選手はいってくれたんです。自分は戦車道をこんなに楽しいと思えたことはなかった。この学校に来て戦車道が好きになれた。今ではこの学校も戦車道も大好きだ、と」
大洗女子学園に戦車道経験者は唯ひとりしかいない。
「それを聞いて、思い切り頬を張られたような気がしました。いい加減にはじめたことが、ここまでひとりの、年少の後輩を思い詰めさせていたなんて。肯定的な主張には違いありません。けれども、それが好意的であればあるだけ、利用しようとしていた私の責任は重大になっていきました」
そこで杏は大きくため息をついた。まるで重荷に堪えかねたかのように。
「私は二年半という期間を、大洗女子学園高等部に籍を置き、大いに満喫させてもらいました。だから、その残りを費やしたとしても、それと同じくらい、いえそれ以上に、これからを過ごす彼女達後輩達には学校での季節を謳歌してもらいたいのです」
立派な題目だ。しかし立派過ぎる。言葉は殉教者のそれに似ているが、杏の態度には法悦も陶酔もうかがえない。だから見ているだけでも息が詰まりそうになる。そして、おそらく最も息苦しさを覚えているのは当の本人に違いない。
「これからどのように、彼女達が自分の戦車道を展開してくれるのか、私でも見当もつきません。けれども、わからないものだからこそ、その大元となる基盤を取り戻しておかなければならないのです」
「それが大洗女子学園である、と」
「もちろん学校もそのひとつです。でも、それと同じくらいに大切なものがあります」
杏の眼差しがひと際強まったような気がした。
「取り戻すのは、私達の声です」
「全国大会で優勝したのにその甲斐がなかったくやしい。私達はそうした意地や面子で抗っているんじゃないんです。出された条件があり、それを飲んだ。にもかかわらず、私達の意志は無視されました。私達の言葉は、声はまったくないものとして扱われたのです。これを取り戻さなければ、これから先、私達は自らの思いや気持ちを表す手段を失ったままになってしまいます」
全身が大きく強張ったのを見抜かれなかっただろうか。
杏の放ったひと言は私をも深く打ち抜いた。
いったい、いつ以来みほと言葉を交わしていないだろうか。黒森峰を辞め大洗にひとりで旅立ったとき? 昨年の全国大会での敗北を詰問したとき? いや、それ以前から、私は自らの意思のみをみほに打ちつけ、返答を一切耳に入れていなかったのではないか。いくらでも言葉を交わす機会はあったはずなのに、それをまったく怠ってきた。いったい、望まなかったのはどちらなのだろう。蝶野と杏の訪れるほんの間際にも……
「それで、具体的に、私に何をしてほしいと?」
自らの不甲斐なさと奥歯を噛みしめながら、気づけばそうたずねていた。
「道を示してはいただけないでしょうか」
「道?」
「はい、ひと度失ったものは自らすくい上げなければなりません。そうして、初めて取り戻したといえます。私達にはひとと、そして幸い戦車があります。戦車道で切り開いてきた活路です。これを使わない手はありません。ですから、取り戻すための、もうひと勝負への道を示してはいただけないでしょうか」
武道芸道とはそれを糧として生をたくましくするものである。もとより戦車道もそれにもとるものではない。西住流もまた、そこに邁進する一派であれば、道を求めるひとびとのよすがとなることを躊躇う由縁はなにひとつない。
「心得ました」
果たして上層部のどのあたりまで関与しているか測りようもないが、国の方針を持ち出して官庁が下した決定を覆すのは並大抵のことではない。
少なくとも準公的機関である戦車道連盟や一流派の代表が個人で声を挙げた程度では、苦い顔をされる程度が関の山で芳しい成果は得られない。
だから条件が必要となる。それも基本的には先方の言い分を容れる形で、例外での特殊状況が発生した場合にのみこちらの主張が通るという形式で。
文科省におもむいた私達は、硬軟の主張を使い分け、その妥協点を探った。
結果得られた大学強化選手チームとの試合の勝敗で判断するというのは最適の落としどころだったといえるだろう。
全国の大学から選りすぐりの人間だけで組まれた集団である。実力・装備・人員・経験どれひとつをとっても大洗の優っている点はない。実質的な最後通牒だ。
しかし、この戦車道での決着という形こそが、私達の最も引き出したかったものだった。
「ありがとうございました」
大洗女子学園と文科省との間で交わされた細かな取り決めを文章に起こした協定書への署名を終え戦車道連盟会館に戻ると、角谷杏は立会として同席した私、連盟理事長児玉氏、そして蝶野一等陸尉へ深々と頭を下げた。
「お礼はまだ早いわよ」
「うむ、むしろ、より困難は大きくなったといえる」
さすがに直接対戦相手となるチームと間近に接している蝶野と会長は愁眉を解こうとしない。
「けれども、明確な目標のできたことは大きな前進です。これは価千金の大金星です」
協議の最中から、杏はよく笑った。いや、正確にいうならば、笑みのようなものを顔に浮かべていた。ちょうどこのときのように。だが、そこには感情が伴っていない。ただ機械的で、場当たり的なものだった。
「それでもうひとつだけお願いがあります」
その証拠に、話題が移ろうと、わずかの余韻も残さずに笑みは消え去る。
「もし向こうがルールに触れてくるような兆しがあれば、なんとかそれを防いでほしいのです」
「それならばまかせなさい。重箱の隅を突くようなことをいってきたら、すべて撥ねのけて……」
「いえ、そこはむしろ通してください」
児玉氏が大いに張った胸を叩こうとしたのを杏が制止する。
「相手は大洗が実績を得たと見るなり廃校を半年くり上げるような無茶を行ってきています。ここで方策を拒絶するようなことをしてしまえば、どのような強硬手段に出るか予想がつきません。今あるルールを拡大解釈するくらいは、対応のできる分むしろ歓迎するところです。ですから、文章そのものに手を入れようとするようなことがあれば、それだけはなんとしても阻止してほしいのです」
「ふむ、そういうことなら、それは約束しよう。戦車道の公式試合規則は、代々練り上げられ作られてきたもの。いわば、我々の血肉にも等しい。それを部外者のほしいままにするような真似は絶対に許しはしない」
意気をくじかれすっかり鼻息のおさまった会長だったが、氏はこうした状態の方が柳に風で堅固になる。
それを杏も短い期間ではあったがつかんでいたのだろう、
「これで学園のみんなをびっくりさせるおみやげができました。みなさん、本当にありがとうございました」
もう一度深く頭を下げて締めくくりとした。
「少しいいかな」
連盟会館を後にして停留所でバスを待っている杏に声を掛けた。
「なんなりと」
「先ほどの退室間際の言葉が気にかかったのだけれど。君はひとりで行動しているの?」
「はい。私の独断です」
相変わらず杏の回答は間髪おかない。
「それほど他の生徒はあてにならないと?」
「逆です。みんな出来過ぎるほどに出来る子ばかりです。だからこそ、みんなには試合にだけ集中してほしいんです。ただでさえ大きな相手です、思いもかけないなにかを引きずって全力を出せないなんてことになってほしくはありません。それに……」
「それに?」
末節のひと言は意図してというよりも勢いあまってこぼれ出てしまった感じで、ほとんど消え入りそうなほどに小さなものだった。それでつい鸚鵡返しですくい上げてしまった。
「それに、こんなことに、みんなの名前を書かせるわけにはいきません」
言を継ぐのに躊躇いはなかった。それでもわずかながら唇を噛む仕種をしたのは見逃せなかった。
「今回の件は、すべて私のミスに端を発しています。全国大会で優勝すれば廃校は免れられる。たった一筆用意しておけば済んだところが、それを怠ったためにかけなくてもいい心労をみんなに課してしまいました。この責任はすべて私がとるべきものであり、成功失敗にかかわらず、そこから発生するリスクは受けなければならない」
それ故こその単独行なのだ。
なにがあっても他の生徒に累が及ぶことのないように。
ようやく私は理解した。この角谷杏という少女から自己犠牲の陶酔を感じなかったわけを。果てしないほどの贖罪の念があり、それに突き動かされて、自らの失敗の穴埋めのためだけに行動しているからだ。根底にあるのは自己への軽蔑なのだ。ナルシシズムに酔う暇もないほどの。
「なにごとも犠牲なくして進展はありません。でも、その犠牲は、少なければ少ないほどいいでしょ」
犠牲なくして勝利なし。
私はかつて実の娘にそういい放った。今杏のいったのも言葉だけならば大差はない。
だが私は自らの勝利のために他者は切り捨てるように迫った。そして杏は、全体の好転のために自らを酷使しようとしている。
「それに、ここだけの話、もう目的の大部分は果たしています。今度こそ試合に臨むことで、みんな自分の意思がひとに届くことを思い出せるはずです。そうすれば万が一の際でも、彼女達の声はもう彼女達のものです」
その時、定刻通りやって来たバスが重い車体をいかにも大儀そうに停留所に横付けさせた。
「君は、それでいいんですか」
一礼して乗り込もうとする杏の背後から、私はついたずねてしまっていた。
「はい、無論です」
両のこめかめよりもしばらく上でふたつに束ねた銅色のおさげがぴょこんと跳ね、ふり返った杏は満面の笑みを浮かべていた。
悲壮な憂いを余韻として残しながらも、それは喜色のこもった素直で一途で溌剌とした、そしてそれだけに儚い、いかにも少女らしい笑顔だった。
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『ガールズ&パンツァー 劇場版』の内容に抵触しています。未視聴の方はご注意ください。 | ||
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ガールズ&パンツァー 角谷杏 西住しほ | ||
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