System.out.println("音速乃りぼん"); /*最終話*/ |
public class final {
「ちょっと出てくる」
傘を持って、拓斗は玄関に立った。
「待って」
「……」
「タクトは遠いところへ行くの?」
りぼんが怒りでも悲しみでもない、心配している女の子の顔をして言った。本来ボカロにあるはずのない感情がそこにはあった。
「いや、必ず帰ってくるよ」
「ワタシ、待っていていいの? いつまでも待っていていいの?」
「ああ、大丈夫」
拓斗はりぼんに笑いかけた。笑いかけると笑顔が返ってくる、そんな当たり前のことさえ奇跡に思えた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
すっかり雨を吸い込んだアスファルトに足を乗せた。水深五ミリの道路は、拓斗の歩く足音を消して、どこまでもまとわりついてくるようだった。あのオフィス街には最寄り駅から歩いて行けないこともない。降りしきる雨の中を歩いた。この雨が全てを洗い流してくれればいいと拓斗は思った。見覚えのある角のパーキングまで来た。この道を入っていけば、あのビルがある。拓斗はゆっくりとタブーを破るように道を歩いて行った。
その建物は、そこにあった。静まりかえっている。鯉が餌を食べるように、くぽんと拓斗はビルに飲み込まれていった。ドアには榊原製作所と書かれている。ノックをしようかと考えてやめた。ドアを開けるとそこには、なんにもなかった。ただの空き部屋になっていた。笑えるなと拓斗は思った。自分が手がかりだと思っていたものが、こんなにも空虚なものだったなんて考えもつかなかった。すなわちそれはそういうことだ。キョウコの所へ行こう。キョウコが心配だ。振り返るとノッポとデブがいた。バチバチとスタンガンの音がして、拓斗は意識を失ってしまった。
「……」
目が覚めると、そこには知らない天井があった。どうやらベッドに寝かされているらしい。拘束もされていない。
「お目覚めですか」
男が奥のソファで座っている。榊原製作所のビルで会ったあの男だ。
「俺に何の用だ」
「何の用? 不思議なことを言いますね。あなたが私たちに用があったのではないですか」
「キョウコを、黒猫を消そうとしたな」
「こう言っても信じてもらえないかもしれませんが、私たちが彼女に危害を加えることはありません」
「おまえらがバロンじゃないのか?」
「いいえ、私たちはバロンではありません」
「じゃあ、どうして俺たちにつきまとった?」
「私たちにも目的があってやっていることです」
「……」
「彼女があんなことになって、私たちも心を痛めています。それよりも、もっと心を痛めているのは、あのボカロかもしれませんね」
「りぼんは俺が守る」
「あなたに、守りきれますか。彼女は現実に事故に遭ってしまった。いや、あれは事故ではない。事件です」
「あんたらが何か知ってるんじゃないのか」
「ボカロ曲に集合的無意識を組み込むという話を聞いたことがありますか」
「たしかヌルとか言うやつが、そういう研究をしていたっていう話か」
「そうです。彼はもう死にましたが。しかし、彼の書いたプログラムは現在のボカロにも組み込まれています」
「ヌルは何をしようとしたんだ?」
「彼は神になりたかったのでしょう。ボカロが音楽社会を支配する新時代の神に」
「頭がおかしいんじゃないのか」
「そうかもしれません。しかし、eプロセッサによって、彼の考えていたことが現実になりつつあります。ボカロが感情を持って具現化するということはそういうことなのです」
「それを、快く思わない連中がいるということか」
「そうです、それがバロンです。バロンの目的は支配ですから、イレギュラーは許すわけにはいかないのでしょう」
「それじゃあ、なんでキョウコなんだ? 俺を狙えばいいじゃないか」
「まずは外堀から埋めるつもりなのでしょうね。キョウコさんはあなたの大切な人だ。大切な人を傷つけられるのは、自分の身を切られるよりも痛いのではないですか」
「……」
汚いやり方だと拓斗は思った。瞬間的に頭に血が上って、この男を殴り倒してやりたい気分になったが、何とか冷静さを取り戻した。
「私たちから、言えることは、今、キョウコさんは非常に危険な立場にあるということです。次は最悪の事態かもしれません。そのことは肝に銘じておいてください」
「キョウコを救うにはどうしたらいい」
「りぼんを差し出すことでしょうね」
「差し出したら、りぼんはどうなるんだ」
「利用価値があれば、バロンの一員に。なければデリートですかね」
「そんなの絶対に渡せないに決まってる」
「あなたなら、そう言うと思っていましたよ。気をつけてください、バロンは手心を加えてくれるほど甘い組織ではありませんから」
「……」
「さあ、時間です。あなたはそろそろ行かないと」
「ああ」
拓斗は男に背を向けて部屋を出ようとした。
「拓斗さん」
呼び止められて振り返る。
「これから起こることは、あなたには辛い現実かもしれませんが、どうかりぼんさんを大切にしてあげてください。私はりぼんさんが好きでした」
「……」
拓斗は小さく頷いて、再び出口へと向かった。
「おまえたち、送って差し上げなさい」
いつの間にかノッポとデブがいて、命令通り拓斗を病院まで送ってくれた。
雨上がりの病院はどこかセピア色に見えた。寂しげな木立をくぐって病院の中に入る。キョウコの病室までやってきた。
『拓斗くぅん』
そんな声が聞こえたような気がした。病室の中に入るとキョウコはいなかった。主のいない点滴のバッグが揺れている。何かおかしくないか。本能がそう告げていた。ナースステーションに行って、キョウコのことを聞いてみた。看護師さんは言いにくそうに、行方不明なのだと言った。これか、と思った。キョウコに起こることっていうのはこういうことだったのだと思った。しかし、連中がすぐにキョウコをどうにかしてしまうとは考えづらい。キョウコを人質にして何か要求してくるはずだ。その時を待てばいいと思った。榊原製作所の男と会ったことで、少し冷静になって考える余裕があった。でも、キョウコの親御さんにはあまり心配を掛けられないので、なるべく早く解決する必要があるなと思った。
とりあえず、家に帰ってきてしまった。そこにはりぼんが心配そうにしていた。
「帰ってきた。タクト、タクトぉ」
パタパタとりぼんが駆け寄ってくる。りぼんは拓斗の胸に飛び込んできた。
「ねえ、ワタシのせい? ワタシのせいなの?」
違うよ、と言うかわりにしっとりと絡みつく、りぼんの身体を引きはがした。
「何か、変わったこと、なかったか?」
りぼんは首をぶんぶんと振る。マシンの電源を入れる。差出人不明のメールが届いていた。何かの罠かもしれない。セキュリティソフトの仮想環境で開いてみる。そこには脅迫の文面が書かれていた。どうやらバロンがりぼんを欲しがっているということは本当のことのようだ。でも、りぼんは渡さない。そして、キョウコを救出してみせる。無謀かもしれないが、拓斗はそんな風に思っていた。
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そっと、頭を動かすと、窓の外に雨上がりの夕焼けが見える。それは、なんだかとても悲しそうな色をしていた。拓斗君に心配を掛けたのは、考えれば考えるほど、とっても辛いことだなとキョウコは思った。早く退院して拓斗君の所に戻りたい。そんなことばかり頭の中をグルグルと腐心するのだった。
「キョウコさん、検査の時間ですよ」
看護師が呼びに来た。検査検査検査。検査慣れもしたけれど、やっぱり検査疲れもある。やや重い身体を起こして、看護師についていく。
なんだか見たことのない所に連れて行かれる。どこに向かっているのだろう。
「あの、どこへ?」
「……」
看護師は何の表示もない部屋の扉を指した。ここは何の部屋なのか、それがさっぱり分からない。看護師がドアを開けて、さあ、どうぞと言った。キョウコは部屋の中へ入っていった。
「!」
突然口をふさがれた。騒ぐなという意味だろう。
「暴れなければ何もしない。一緒に来てもらいます」
男の声だ。首を巡らせて男の顔を見ようとするが、押さえつけられているので上手くいかない。そのまま、非常口から病院の裏手に担ぎ出された。駐まっている車の後部座席に押し込まれた。あとからすぐに看護師が開いたドアをふさぐように後部座席に乗り込んできて、キョウコは運転席の後ろの方へと押し込まれた。男の運転で、すぐに車は走り出した。テレビで見た誘拐シーンのように、車が急発進することもなかったし、手足を縛られることもなかった。これなら、信号待ちで車のスピードが落ちたときに、飛び降りてやろうかとも思った。
「飛び降りようとしても、無駄よ。後部座席にはチャイルドロックがかかっているから」
「あなたたちは誰なの?」
「誰? 面白いことを聞くわね。あなた、自分が何したか分かっているの」
「……」
「eプロセッサを使ってこの世界を支配する。歌を使って巨額の資金移動を誘発させる。それが私たちの目的」
「火事場泥棒みたいなものじゃない。私はそんなことに荷担できない」
「所詮、子供ね、あなた。何も分かっていない」
「……」
「人の心が動けば、お金も動くのよ。バロンは正当な対価を要求しているだけ」
「そんなことにりぼんを利用させるわけにはいかない」
「無理に、とは言わないわ。嫌なら消すだけだから」
「やっぱり、あんたたちは悪党よ」
「あら、悪党にもルールはあるのよ」
車は高速道路を走っている。どうやら北へ向かっているようだ。ルームミラー越しに男の顔を見てみる。特にこれといって特徴のない顔。強いて言えば少し目がつり上がっているように見える。そういえば女の方もそんな風に見えなくもない。外国人なのかもしれない。アジアのどこかの国の人間のように見えた。
「私に何をさせる気なの?」
「そうね、まずは、りぼんの歌声ライブラリを手に入れるための協力をしてもらうわ」
「拓斗を呼び出すのね」
「招待状はもう送ったわよ。素直に来るかどうかは彼次第だけど」
拓斗は絶対に来てくれるとキョウコは思った。拓斗は裏切らない。それを知っての作戦だとしたら、汚いやり方だと思った。
「それで、歌声ライブラリを手に入れてどうするつもりなの?」
「それは、歌声ライブラリを使ってどうするかってこと? それとも自分がどうなっちゃうのかっていうこと?」
女は平面的な顔をほころばせて、どこか楽しそうに言った。
「私のことはいいのよ。ただ、歌声ライブラリで何をするつもりなのか聞いているの」
「そんなこと、あなたが知る必要はない。私たちはあなたを殺しはしないけど、どうせあなたは売られちゃうんだから。あんたみたいな小さな女の子が好きな下衆野郎はいくらでもいるのよ」
「……」
「絶望した? 今のうちに後悔するのね。組織のeプロセッサを利用したことを」
後悔なんてしていない。eプロセッサは拓斗みたいな人に使われるべきだし、こんな奴らに使われるなんてとんでもない。
雪の降りしきる駐車場でキョウコは車を下ろされた。ここがどこなのかということも分からない。男に歩けと言われて歩いた。斜面を登っていくと、小さな小屋があった。キョウコはそこに監禁された。特に暴力は受けなかったが、ずっと椅子に座らされて、動くことは許されなかった。いつの間にか眠ってしまったようだ。ドスンという音で目が覚めた。屋根から雪の塊が落ちた音かもしれない。
「トイレ、行かせてよ」
「トイレぐらい、いつでも行っていいのよ」
女はニヤニヤと笑いながら言った。気持ち悪い。椅子から立ち上がってトイレに向かう。女がトイレのドアを開けて待っている。キョウコはドアを閉めようと、ノブに手を掛けた。ドアにぐっと力が入った。
「何?」
「開けっ放しで入りなさい。あなたは人質なのよ」
「で、でも、音が聞こえるから」
「私は気にしない。どうせ、これからあなたが売られるところはそういう所なんだから、今から慣れていた方がいいんじゃない?」
「……」
一人になれば、何か逃げ出せる方策が練れると思ったのだが、キョウコにとっては予想外だった。トイレに行きたかったのは嘘じゃないのだが。キョウコはパンツを下ろして和式便器にまたがった。人が見ているとなかなか出るものも出ない。
「いいのよ、時間をかけてじっくりね」
女が陶酔しているように言った。キョウコにとっては屈辱だった。やがて、シャーという音とともにキョウコは放尿した。自分が震えているのに気付いた。
「ふふふ、いっぱい出たわね。さあ、終わったらまた椅子に戻るのよ」
結局、恥ずかしいだけだった。しかし、漏らしてしまうわけにもいかない。拓斗が迎えに来るまで耐えないといけないとキョウコは思った。
「ああ、言い忘れてたけど。あんたの彼氏とかね。歌声ライブラリをもらったら皆殺しだから覚悟はしておいてね」
「何でよ、歌声ライブラリが手に入ればそれでいいんでしょ」
「私らも上から言われてるのよ。消せって。言ったでしょ、悪党にもルールがあるって」
「私、そんなの許せない」
キョウコが勢い余って椅子から立ち上がった。
「お嬢さん。私たちは手荒なことはしたくない。おとなしくしていてください」
男が特殊警棒を手に持って言った。キョウコは黙るしかなかった。それには人を黙らせてしまうような説得力があった。
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「緊急討論会、ヒロインを助けるべきか否か」
ぽかっ!
「ぐふうっ」
拓斗とタロウがイチロウをグーで殴った。
「何だよ、グーで殴るなよ」
「じゃあ、チョキが良かったのか」
「むむむっ」
「バカなこと言うなよ、助けるに決まってるだろ。キョウコちゃんが誘拐されたんだぞ」
タロウが難しい顔ををしている。
「しかし、戦力的に俺たちだけっていうのはちょっと無理があるんじゃないのか」
イチロウもやや真面目にそんな風に言った。
「無理にとは言わないよ。いざとなったら俺だけでキョウコを助けるつもりだ」
「おまえも、またバカなこと言うよな。俺やイチロウがおまえに協力しないはずがないだろ」
「そうだ、友情だぞ拓斗。分かったか」
「すまん。感謝する」
拓斗は胸の前で手を合わせた。
「問題は犯人がどんな武装をしているかだな。銃とか持っていたらヤバイだろ」
「銃ぐらいなら持っている可能性はあるな」
「大丈夫、ワタシなら当たっても平気」
りぼんは胸を張った。
「穴とか空かないのか」
「それは、空くかもしれませんが」
「じゃあ、ダメだ」
「拓斗、そんなに頭ごなしに言うなよ、りぼんちゃんだって役に立ちたいんだからさ」
「分かってる。でも、誰かが怪我するとかそういうのはダメだ。何とか敵の裏をかこう」
「敵の裏か、じゃあ、こういうのはどうだ?」
みんながイチロウの話を聞く体制に入った。話を聞いてみると、できないこともなさそうだ。しかし、本当に上手くいくだろうか。
そうして、拓斗たち四人はキョウコ救出のため、現地に向かった。
ローカル線の駅で列車待ちをしていた。りぼんがずっと思い詰めたような顔をしている。りぼんのそんな顔を見たくないと拓斗は思った。りぼんがまた向日葵のように笑えるように、今は全力で取り組もうと思った。自分の直感に素直になれば、結局、選択肢なんて存在しないのかもしれない。
列車がプラットホームに滑り込んできた。四人は黙って、列車に乗った。もうこの四人はそれぞれのやるべきことが十分に分かっているように見えた。
「UNO!」
「だー、またか。スキップ」
「まだまだ、リバース」
りぼんが黙って赤の6を出した。
「よっしゃ、ドロー4、食らえ」
「ぐふっ、四枚、ごちそうさま」
拓斗たちは、ローカル線の中でUNOを楽しんだ。イチロウが提案し、拓斗が却下し、タロウが妥協案を出した。結局、バカ騒ぎをしただけだった。でも、そのバカ騒ぎにキョウコがいないことが悲しいとみんなが思っていた。いつか、日常へと回帰することを夢見て、列車は一路、目的地へと向かうのだった。
ローカル線からバスへと乗り継いで、目的地のバス停に着いた。ここからは歩きだ。GPSで現在位置と地図を確認しながら歩いて行く。まるでそれは魔王の城に向かう、勇者一行のようだった。姫を取り戻すためのラストバトルが待っているに違いなかった。
「このままのルートで行くと、敵に見下ろされる所から登ることになるから、一度、上から回り込んだ方がいいな」
タロウが相変わらず冷静な判断を下した。全員、それにならって、足を進めた。件の小屋は山の中腹にあって、雪の斜面に建っていた。今はそれを見下ろしながら慎重に近づいていく。日も暮れて、周囲はすっかり暗くなってしまった。小屋の北側が吹きだまりになっていて屋根の方まで雪が積もっている。天井に近い窓から腹ばいになって中の様子を伺う。男と女がひとり、キョウコもいた。キョウコに助けに来たことを知らせてやりたかったが、背中を向けて座っているのでなかなかそれは難しいようだ。
「いけそうだな」
「ああ」
「じゃあ、みんな位置につけ」
拓斗たちは小屋の入り口にそっと近づいた。向かってドアの右側にタロウとイチロウ。左側にりぼん。そして拓斗は小屋の入り口の正面にやや距離を取って立った。拓斗は三人に合図を送った。
――トントントン
小屋のドアがノックされた。男が入り口に現れた。
「四月朔日拓斗だな。りぼんはどうした?」
「りぼんは隠した。キョウコを返せ」
「まず、りぼんが先だ」
「では、ここまで来い」
男が一歩踏み出した瞬間、タロウが男の特殊警棒に飛びついた。イチロウが男のボディに一発。奪った特殊警棒で頭に一撃。りぼんは男の足を取り転倒させた。タロウとイチロウが昏倒した男の足を持って拓斗の方に引っ張ってきた。ガムテープで素早く手足を縛り上げる。そしてそのまま、タロウとイチロウとりぼんは元の位置に戻った。そして、女が出てくるのを待った。しかし、女はなかなかできる奴だった。男が襲われたと分かっても不用意に外に出てこなかった。しばらく膠着状態が続く。中の様子を伺っていたりぼんが突然、小屋へ飛び込んだ。
「りぼん!」
銃声が二発響く。そして、小屋は静かになった。緊迫した空気が張り詰める。中からりぼんが現れて手招きした。タロウとイチロウが突入する。すぐにキョウコがタロウに連れられて出てきた。
「拓斗君」
「キョウコ、無事か」
拓斗はたまらずにキョウコに駆け寄った。
「拓斗君。危ないから来ちゃダメだって思ってたのに」
「バカ、俺にそんなことができると思うか?」
「拓斗君、やっぱり拓斗君だ」
キョウコは泣いていた。しかし、今は感傷に浸っている時間はない。
「さあ、早く逃げよう」
拓斗はキョウコをおぶって雪の斜面を横切っていった。新雪の上は歩きづらい。後ろから三人がついてくる気配がする。さらにその後ろでは、男と女がまさに追跡を開始するような気配がした。静かに雪が降ってきた。視界が悪くなる。といっても、追っ手に気付かれないようにライトを使っていないのでほとんど真っ暗に近い。GPSだけが頼りだ。この先の森に入ればと思って足を動かす。やがて、森の入り口まで来た。
「よし、ちょっとここで休もう」
森に少し入ったところで、全員歩くのをやめた。少しは敵と距離が開いただろうか。その瞬間、ヒュンという音が聞こえて同時に拓斗の腕に衝撃が走った。
「くっ」
「どうした? おい、血が」
「タクト怪我した」
「拓斗君」
「大丈夫、かすっただけらしい」
拓斗は腕を押さえながら、森の外の闇を睨んだ。
「どうだ? もう逃げないのか」
「次は脳天をぶち抜いてやる。その前にりぼんを渡せ」
雲間から月が出てきて、拓斗の身体を青白く照らしている。敵の影もぼんやりと見える。
拓斗は自分の身体に赤い光の点がうごめいているのに気がついた。それはやがて頭の方に移動してきた。レーザーサイトだ。着弾点を目で確認できるから、確実だ。どうやら、森の外から狙っているらしい。それより、どうする? りぼんを差し出すのか? それは絶対にできない。
「それは、できない」
「では、脳漿ぶちまけて死ね」
「くそ、くそっ、くそったれ」
もうダメだと思った瞬間、りぼんが間に入ってきた。何をするんだ?
わぁっー――
りぼんのパワーボイスが山中に響き渡る。
次の瞬間、ツーンとするような静寂があった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
何か重量物が疾走するような音が聞こえる。
森の外が一瞬にして雪煙に包まれ、森の中まで吹き込んできた。
雪崩だ。
咄嗟にキョウコを抱いて森の奥へ逃げた。雪の崩落が収まって、森の外を見るともうそこには敵の姿がなかった。どうやら、りぼんのおかげで窮地を逃れたらしい。ライトをつけてりぼんに寄っていった。りぼんは佇立したまま滂沱としていた。その胸と肩には銃で撃たれた穴が空いていた。
「りぼん、大丈夫か」
「ワタシは、音速のりぼん。あなたのために歌います」
「りぼん?」
「ワタシは許さない。タクトの大切にしているものを傷つける人を」
拓斗はりぼんの両肩に手を置いた。
「りぼん、もう終わったんだ。終わったんだよ」
「タクト……」
「りぼん、ありがとう。また五人そろったね」
キョウコがこちらに歩いてきて言った。
「五人。みんな……」
つぶやくりぼんの頬を拓斗はハンカチでぬぐってやった。
「拓斗君。助けに来てくれてありがとう」
キョウコは拓斗に抱きついてキスをした。
「……」
「んっ、拓斗君。好き」
それを見ていたりぼんが湯気を上げはじめた。ああ、まただと拓斗は思った。
深刻なエラーが発生しました――
.。.:*・゚☆.。.:*・゚"£(。・v・)-†.。.:*・゚☆.。.:*・゚
ごきゅごきゅごきゅっ。
男三人そろって腰に手を当てて、コーヒー牛乳の瓶を傾ける。
「くーっ、たまらんなぁ」
タロウがまるでおっさんのようだ。飲み終わった瓶をカウンターに返して、マッサージチェアに座る。
「極楽極楽」
「誰だよ、温泉旅行がじじくさいとか言った奴は」
イチロウが足を投げ出して座っている。
「温泉も悪くないだろ、キョウコの両親に感謝しないとな」
拓斗も並んで座っている。五人は卒業旅行ということで、温泉旅館に一泊しているのだった。
「そうだよなぁ、予約取ってくれたし、おまけに宿泊代まで出してもらって」
「至れり尽くせりだな、タロウ」
「それにしても、女性陣はまだか」
「女は洗うところいっぱいあるんだろ」
「しかし、俺は部屋割りに納得いかんのですよ」
「仕方ないだろ、キョウコちゃんもりぼんちゃんも拓斗の嫁なんだから」
「けど、こういうときは、公平に男三人、女二人に別れるべきじゃないのか」
「俺もそう思うけど」
「拓斗がそう思っても、女性陣がね、許してくれないでしょ」
「拓斗に女がいるというのは、許してもいいが、二人もくっついてるのは許しがたいな」
「イチロウの言うとおりだな、確かに」
「でも、拓斗がいくら常識的な判断をしようとしても、あの二人じゃ、しょうがないよね」
「しょうがない」
「うん、しょうがない」
「俺たち、応援してるからな、上手くやれよ」
「ああ」
拓斗は未だに不安があった。例え、りぼんが永遠の二号さんであったとしても、それで上手くいくだろうか。絶対に何か確執があるに違いないと思っていた。りぼんもアレで結構、融通の利かないところがあるし。そんなことを考えていたら、宿の食事の味もよく分からなかった。後は寝るだけという頃になって、ますます不安になったが、押し殺すように布団に潜った。左側の窓際にはキョウコが、右側の廊下側にはりぼんが寝ている。しばらくすると、両側から規則正しい寝息が聞こえてきた。自分も寝ようと思った。こんな時に限って眠れないものだ。手足が冷たく、身体の芯が熱い。
辺り一面の花畑で花を摘む。ミツバチがやってきて、花弁の中に潜り込んでいく。ただ、それを見ていた。
「タクト……」
独り言のように愛する人の名をつぶやいた。
「何だ、りぼん」
振り返ると、少し西に傾いた日差しの中にタクトがいた。
「タクト……ワタシは」
「うん?」
「これ、あげる」
りぼんは摘んだ花を差し出した。
「サンキューな」
「タクト、ワタシね」
「うん?」
「二号さんでいいって言ったでしょ」
「ああ」
「でも、あれは嘘。本当はタクトの一番になりたい」
「……」
「タクト、難しい顔してる。迷惑、かな」
「いや……」
「タクトの気持ちがキョウコちゃんに向いていてもいいの。ただ、ワタシのことも見てくれればそれで」
「りぼん……」
「ごめんね、こんな話、ワタシはやっぱりマシンに戻った方がいいよね。その方が平和だよね」
りぼんは密かに自分がマシンに戻れないか、ずっと考えていたのだ。だって、愛している人を悩ませたくないし、幸せになって欲しい。それがりぼんの願いだった。
「りぼんがいてくれたから、今の俺たちがあるんだ、そのことについての感謝はしなければならないと思う」
「タクトは恩返しがしたいの?」
りぼんは恐る恐る問うてみた。タクトが何か恩を感じていてそれを返されるだけの関係なんかりぼんは望んでいなかった。そんな風に扱われるのが怖かった。
「違うよ、りぼんもキョウコも、おんなじように愛したらダメかな?」
「でも、それはタクトが無理をして……」
言いかけたところで、タクトに優しく抱かれた。耳元でタクトの熱い息がかかる。
「こうしてもまだ不安かい?」
「あの、ワタシ、は」
なんだかおかしいとりぼんは思った。こんなこと現実であるわけがない。きっと夢に違いない。
「不安定になっているようだね」
「ん、タクト、愛してる」
そして、タクトの柔らかい部分がりぼんに触れた。
深刻なエラーが発生しました――
ああ、また、ワタシは心をかき乱されてしまう。不完全なワタシはタクトを愛することで不安定になってしまう。そう、これが愛情という名の感情なのね。
窓際の障子から朝の光が柔らかく照らしている。まぶたを開けて起き上がる。初めての温泉旅行で少し緊張していたのかもしれない。キョウコは早朝に目が覚めた。隣を見ると、りぼんと拓斗が抱き合って寝ていた。
「ふっ#」
キョウコは一瞬、たたき起こしてやろうかと考えたが、やめた。私は確固たる拓斗の恋人。そこまで狭量な恋人じゃないの。せいぜいいい夢を見なさい。障子戸を開けると、宿の庭が見える。拓斗君も上の学校に行くし。私たちそろそろ一線を越えても、とか思っていた。まあ、ゆっくり考えればいい。拓斗はもう私のものなんだから。りぼんちゃんには悪いけど、マシンに帰ってもらえばいい。でも、しばらくはこんな生活も悪くないかもと思っていた。そう、しばらくは、ね。
だって、あのバレッタを落としたのは、私が狙って落としたのだもの。
全ては私の掌の上で踊っているだけ。
朝霧がゆっくりとたゆたう庭をそうして見ている。例えこの命、露のように儚くても、拓斗に捧げよう。そんな風にキョウコは思うのだった。
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キョウコがさらわれた。 救出に向かう拓人。 謎の組織の目的が明らかに。 そして、冬山でのラストバトル。 みんなの運命や如何に?! |
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