真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第百二十一話 |
「――ってなわけで、碧からの報告は以上だ。
劉備の方も私らと手を組むに吝かじゃないらしい。
そんなわけだから、これからは魏の連中に本格的に仕掛けていくよ」
孫堅率いる呉の国の、言わずと知れた都・建業の地。
そこでは先の蜀と魏の間で起こった小競り合いと蜀におけるその顛末が既に伝えられていた。
これに関して孫堅が配下の者たちに伝え、今後のことについて話そうとしているのが今この場なのである。
「冥琳、穏、亞莎、七乃、それに粋怜。あんたらには負担をかけちまうが、頼んだよ。
蜀の連中が使えそうなら遠慮なく策に組み込んどけば良い。ただし、無茶だけは振ってやるんじゃないよ。
あっちの軍師連中もまた、頭の切れる奴が多いって話だからね。下手すりゃ手の平を返されかねない」
「大殿、一つよろしいですか?」
大方の展開については既に孫堅から説明はされていた。それ故に大きな混乱は生じない。
ここでも程普が先頭に立ち孫堅に問いを投げ掛けた。
「どうしたんだい、粋怜?」
「以前の大殿の宣言を守りますならば、あまり積極的に攻め入るわけにもいかないのでありましょう?
大殿としては、どの程度までの行動を想定し許可されるのか、大まかな方針だけでも伝えておいていただきたいのですが」
「ふむ。確かにその通りだね。なら、今一度宣言と共に方針を伝えておこうか。
一番に優先すべきは前にも言った通り民の安寧だ。これは呉国内だけの話じゃないよ?
魏や蜀の領土内においても、極力民に直接被害が降りかかるような策は取らないようにしな。
蜀がどう動いていくのか、まだ分からない状態ではあるんだが、あっちの動きに合わせてこちらも動きを決めればいい。
魏の連中の対応が遅いようなら容赦なく領土を掠め取っちまいな」
「魏への対応は承知致しました、月蓮様。
ですが、蜀への対応はどういたしますか?
魏を下すまで争いは避けるべきであればそう致しますが」
周瑜もまた役職上は軍師を束ねる立場の人物。
今後中心となって策を定めていくとなれば、その上での疑問点を今の内に解消しておこうとした質問を飛ばす。
「そっちは、そうだねぇ……よっぽど無防備を晒すようだったら突っついてやりな。
ま、碧がいればそんな馬鹿なことにはなりはしないだろうけどね。
線引きはあんたに任せるよ、冥琳」
「はっ。承知致しました」
大雑把な指示だけだったが、それは周瑜への信頼の証とも取れる。
そも、孫堅は普段からこういったところも多い。大方針だけ示して、細かい点は軍師たちに丸投げ。
挙げられた策に特別不満さえなければそれに従って先陣を切る。それが今の呉における孫堅という人物だった。
「母様、鍛錬は今まで通りに続けるつもりなの?」
今後の大体の方針が決まれば、武官の側からも質問が出て来るようになる。
始めの問いを掛けたのは孫策であった。
「そりゃ、勿論だ。
あんたらはまだまだひよっ子なんだし、決戦までにはもう少し見れるようにしとかないとね」
「うへぇ……まあ、まだ母様に一回も勝ててないんだし、仕方ないかぁ」
「ほう。決戦の時は近いとみておられるのかの、堅殿は?」
孫策に答えた孫堅の言葉の中に興味を引く文言を聞き、黄蓋が声を上げる。
これには孫堅では無く周瑜の方から答えが上がった。
「確かに魏との争いはこれから始まるとも言えるわけですが、そもそも今の大陸には既に残存する勢力が非常に少ないことは祭殿もご承知かと思います。
大勢に影響を与えない小勢力を除けば、残存している勢力は我らの他に魏と蜀の二つのみ。
その内の蜀と組むようにして魏を攻め立てるとなれば、近く大陸の情勢は大きく動くこととなるでしょう。
場合によっては、次に情勢が動くとき、大陸の今後が全て決まる可能性も高いのです」
「冥琳の言っていることは軍師の間での共通見解よ、祭。勿論、私もね」
「ふむ。冥琳と粋怜がそうとまで言うのならば、真実なのじゃろうな。
承知した。ならば、こちらもそのつもりで備えるとするかのう」
黄蓋と並ぶ宿将たる程普が言い添えたことで、黄蓋もそれ以上深く追及しようとはしなかった。
孫策と黄蓋がこうして問いを挙げ、方針に納得を示せば、その他の武官に異を唱える理由も無かった。
そうして文と武の将の方針が定まった後、孫堅が再び口を開く。
その視線ははっきりと周泰と甘寧に向けられていた。
「最後に情報の面でなんだが。これがちと問題だね。
明命、思春。あんた達にはちょいと酷な任務を課すことになるかも知れない。
だが、あんた達のこれからの働き次第で趨勢が大きく動く、と私はそう読んでいる。
だから、覚悟して聞きな」
『はっ』
寸秒の遅れも無く揃った返事が周泰と甘寧から返る。
それを聞いてから孫堅はその内容について言及した。
「明命。あんたと部下には主に魏の諜報に専念してもらう。そこで出来る限り詳細な情報を得て来るんだ。
特に北郷、張遼、夏侯淵辺りの動きには注意を払いな。出陣があれば、その先での動きにも人やって根を張っておくこと。
それとこっちは出来る範囲で構わないが、荀ケと司馬懿、この二人の策を盗めるならば盗んで来るんだ。
今までの成果や報告から相当に厳しいことを言っているのは分かっている。が、あんたを除けば他の誰にも出来やしないだろう。
頼んだよ、明命」
「月蓮様……はっ!お任せくださいっ!!」
孫堅の口から『頼む』という言葉が出てきたことに周泰は短い間ながら吃驚して動きを止めてしまった。
普段から『任せる』といった類の言葉はよく使う孫堅だが、『頼む』の類は極稀にしか聞かない。
それは、それだけ孫堅自身も難しいと考えているか、無茶を承知した上で、最も信頼する部下に与えられる言葉だった。
周泰は己に掛けられた期待の大きさと責任の重さを十分に理解し、はっきりと諾を言い切ったのだった。
「次に、思春。あんたと間諜方の部下の方には建業の情報面での防備を任せる」
「はぁ。それは承りましたが……月蓮様?既にそれは明命と共に実施しておりますが?」
「ああ、ちょっと言い方が悪かったね。あんたに任せるのは、防備の強化、だよ。
あんたも知っての通り、魏の連中は或いは明命の部隊よりも質の良い間諜を育ててやがる。
ってことは、だよ?既にこの建業にも奴らの情報網が敷かれちまってる可能性もあるってことだ。いや、十中八九敷かれちまっていると考える方が妥当なくらいだろうさ。
既に内部で作り上げられちまったもんを根絶するのはほぼ不可能だろう。が、出来る限り見つけ出して排除するんだ。
少しでも許昌への情報伝達の速度と量を絞る。それが目的だね」
「なるほど……承知致しました」
甘寧もまた、己が役割を理解し、承諾する。
その返答の様子からは周泰ほどはやる気が無いように見えるが実はそんなことは無く、彼女は静かに闘志の炎を燃やしていたのである。
一通り方針が決まれば、後の細かい内容は各々が必要に応じて人を集めて決めれば良い。
それが孫堅の方針であり、勿論今回においても同じであった。
「さて。それじゃあこれで軍議はお終いだね。
ほらほら!ボーっとしてないであんた達はそれぞれすべきことをやりに行きな!」
特に締めの言葉を出すでもなく、スルッと軍議は終わる。
孫堅の言葉に押されるように、各々が持ち場へと慌ただしく散って行くこととなるのであった。
「思春殿!思春殿!!」
「んん?どうかしたのか、明命?」
軍議を終え、それぞれ散り散りになっていく中、周泰が甘寧を呼び止める。
問い返しはしたものの、甘寧にも大体の用件は察しがついていた。問い返したのは念のためである。
「先程の軍議にて決まりましたことの詳細と、私の部隊からの引き継ぎ事項を、と思いまして。
今からお時間はございますか?それとも別に時間を取った方がよろしいでしょうか?」
「今からで問題無い。私も先にそちらを片付けておきたかったからな」
「ありがとうございます。それでは、いつもの場所に」
頷き、甘寧も周泰に続いて移動を開始する。二人が向かうのは中庭の四阿。
近くに遮蔽物が少なく、万一の事態にも対処しやすいとあり、周泰と甘寧が二人で話す時は大概ここで行われているのである。
四阿に着くと、まず口を開いたのは周泰であった。
「思春殿。私はこの後すぐ部下を集めて準備に取り掛かり、許昌へと向かいます。
月蓮様のお言葉通り、私の部隊は総員態勢で当たることになります。それでも厳しそうではありますが……
ですので、現状部下が担っている建業の情報防衛線についての情報を、思春殿にお伝えしておかねばなりません」
その内容を想定していた甘寧は、やはりか、という思いと共に軽く頷く。そして周泰の言葉の中に引っ掛かった一文を尋ねた。
「部隊全員で向かうのか?周囲や商人からの探りは入れるつもりは無いのか?」
「残念ながら魏の、特に許昌の情報に関しては商人や周辺から得ることは難しいのです。
それというのも、魏国内は治安も良く、不満自体をほとんど聞かないことが一点。
商人にしても、一時のお金に手をするよりも魏との繋がりが消える可能性の方を恐れています。
以前、許昌の情報を売ったとバレた商人が許昌で商売が出来なくなり、大きな損害を出したことが商人の間では有名だそうで」
「なるほど。それならば仕方が無いな。
それで、引き継ぎの内容というのは何だ?」
甘寧は納得を示し、そのまま先を促す。
「監視方法に関しては思春殿の部隊と変わりは無いはずですので省きます。
要観察対象についてですが、現在私の隊では三名をこれに挙げております。
それぞれの滞在場所に関してはすぐに地図をお持ち致します。
また、城への侵入者を見張るお役目も頂いていたのですが、こちらも思春殿の部隊に引き継がせて頂きます。
基本配置は十二か所、東西南北それぞれの城壁で見れば一方面四人となります。
また、夜間は八か所に不寝番を立て、万一の侵入者にも備えます。ただ……こちらも十二か所に増やすべきかと考えておりました」
「以前のあれか……確かに、北郷が侵入していたという報告には驚かされたものだが、明命は奴が夜間に侵入したと見ているのか?
そこに確証はあるのか?」
周泰が少し言い淀んだ理由は甘寧にはすぐに察することが出来た。
それは甘寧にとっても多少では済まず苦い話で、唯一追跡出来た周泰も、結局は返り討ちにあってしまったという、忘れるに忘れられない出来事であったからだ。
「申し訳ありません、確証があるわけでは無いのです。が、恐らくその可能性が最も高いかと。
あの後、北郷の侵入経路や侵入先について調査致しました。
結果、現在ほとんど使用していない物置部屋にて長時間滞在していた痕跡を発見致しました。
そこに留まる理由が思い当たりませんので、やはり夜のうちに侵入し、あの場所にてやり過ごしていたのでしょう」
周泰の説明を聞いて、甘寧も納得がいったようだった。
となれば、次に気になって来るのは――
「ならば、明命。北郷の侵入を許した要因として考えられることはどうしたものになる?」
というものになるだろう。周泰もこれに関してはあの後すぐに検討を行っていた。
「いくつか要因は考えられます。
まず一つ目は夜間の警戒網の穴を突かれた場合です。
昼間に比べて暗いとは言え、警戒対象となる移動物自体が少なるために人数を減らしても大丈夫だと考えていたのですが、そこに穴が出来てしまった可能性です。
それと二つ目が個々人の能力差による隙を突かれた場合です。
確かに警戒の仕方等は訓練しているのですが、それでもやはり他に比べて技量の落ちる者は出て来てしまいます。
こちらは訓練強化にて対応しようとしておりました。暫定対策のような形ではありますが。
それと三つ目は……相手、つまり北郷の側に要因があった場合です。
北郷は高度な隠密術を有しておりますので、私の想像の埒外の潜入方法を取られたのかも知れません。
こちらに関してはちょっと対策の打ち様が……」
「なるほど……
一つ目と二つ目は理解した。こちらの部隊にも引き継がせてもらおう。
北郷の技量か……私自身、直接対峙したことが無いのであまり想像が付かんな」
「私は何度か対峙しましたが、私の隠密を見破られたり、作戦を看破されて追い込まれたり……
しかも、個人の武まであの呂布並だという話もありますし……」
「数で囲うにも一部隊では心許ない……いや、そもそも囲める段に至れるかさえ怪しいと言うくらいなのだな……」
双方、表情を暗くしてしまう。
水軍と兼任の甘寧とは違い、周泰はほぼ隠密一筋の将であり部隊を担う。
その周泰が実力を未知数と評価するのであれば、これを抑え込むのは甘寧にはあまりにも厳しいと言えよう。
が、だからと言って指をくわえてされるがまま、というわけにはいかない。
「……分かった。
北郷の件に関しては、こちらでも何か対策が打てないか検討しておこう。
加えて、許昌の方で何か有力な情報が入手出来れば、すぐにでも知らせてもらいたい。
頼めるか、明命?」
「はっ!お任せください、思春殿!」
光の見えない暗闇を手探るような会話はこれで終わり、とばかりに締めに掛かる。
実際、他に伝えるべき大きな内容も残っておらず、細々とした内容は後で甘寧に持っていく書に追記しておけば良い。
周泰にも他に出立のための準備があるため、この会合を終えることに異論は無かった。
「では思春殿。また後程、詳細等を記した書をお持ち致します。
また疑問等がありましたら、その時にお答えいたしますので」
「ああ。私も水練の調整に戻らせてもらおう」
話すべきことを話し、二人は他の将同様、新たに振られた自らの仕事へと戻って行った。
朝の軍議より、将の皆が皆慌ただしく動いた一日の夜。
城壁に登って一人街を眺めながら夜酒を呷る人影が一つ。孫策である。
何を思うか、いつもの自由奔放な姿からは想像もつかないほど神妙な様子の彼女は、自らの考えに没頭でもしているのか、背後から近づく人影に気付くことは無かった。
「しぇ〜れんっ!」
「ひゃっ!?ちょ、何よ、木春〜!」
孫策の背に抱き着いてきたのは、彼女の親友である太史慈。
特別気配を消すのが上手いというわけでも無い彼女は、いつもであれば近づき切る前に孫策が気配を感じ取って気付かれていたはずだ。
「どしたの、雪蓮?何か心配事?
ようやく戦だ〜、って、雪蓮なら喜んでるかと思ってた」
「心配事、かぁ。ううん、そういうわけじゃないんだけど、ね」
軽く聞いてはいるが太史慈の瞳には本当に心配している色が伺える。
声色からだけでそれを察した孫策は、下手に誤魔化したりはせず、己の心情を吐露することにした。
「戦が嫌になったわけじゃないのよ?最近は大したこと無かったけれど、また全力で暴れられるのなら、今からでも血が滾るくらい。
でもね。虎牢関であったことの報告、木春も覚えてる?」
「虎牢関?あ〜、呂布の話?」
「そう、それ。
私ね、母様以外では初めてだったのよ。どうやってもどう足掻いても、決して勝てそうに無い、なんて思ったのは。
どれだけ勘が冴え渡っていても、その上で孫家の血を滾らせたとしても。あの時の私では、呂布に決して敵うことは無かった」
この言葉に太史慈は目を丸くする。
孫策が負けたという事は知っていた。呂布が多人数を相手取っていたということも。
ただ、その時の孫策自身の心情は、今まで誰にも語られることは無かったのだ。
それもそうだろう。このような内容、弱音と取られても仕方の無いものだ。
「でもさ、雪蓮も月蓮様や祭様に鍛えられて相当強くなったじゃない?
私もそうだけどさ、例えあの呂布が相手だったとしても、そう簡単にはいかせないよ?」
「うん、勿論、私もそのつもり。
でも、明命の報告も覚えてる?魏の武将の戦力を事細かに探ってきた時の」
「覚えてるよ。どうやったのか、魏の武将は軒並み武力が向上していたって報告でしょ?
でも、それがどうしたの?」
問いを返された孫策はここで表情に苦みが滲む。
「想像も付かないのよ。あの呂布があれ以上に強く、なんて。
しかも、北郷の方もずっと呂布と同等らしいじゃない?
確かに私は強くなれた。その自覚はある。けれど、まだ母様相手に負けっ放しなのも事実。
正直に言えば、あの二人は母様とタメを張ると思う。
私ね、初めて戦うのが怖いと思ってるのよ……」
「雪蓮……」
まさか孫策の口からそんな言葉が出て来るとは思っていなかった太史慈は、思わず言葉に詰まってしまう。
こんな時、どんな言葉を掛けるべきなのか。
ああでもない、こうでもないと悩み悩んでいると、不意に孫策の肩が震えていることに気が付いた。と、ほぼ同時。
「でもね……それと同じくらい、私はあいつらと戦うのが楽しみで仕方無いの……!」
「え?ええ??ちょっと、雪蓮?」
どうしたことかと困惑する太史慈を置き去りに、孫策は最早抑え切れないとばかりに熱を上げて語り続ける。
「勝つか負けるか分からない。そんな戦いが楽しいのは当たり前の事よ。
でも、それが負ける可能性の方が遥かに高いとなったら?
むしろ、その危機感がある方が楽しめそうじゃない?!
孫家の血は極限の状況で真価を発揮する!ならば、私という武人の底は、その時遂に見れるということ!
あぁ……早くその時が来ないかしら……!!」
ああ、なるほど、と太史慈はようやく理解した。
神妙に見えていたのは、単に興奮が一回りしていただけだったのか、と。
それと同時に深く安堵していた。やはり雪蓮は雪蓮だった、と。
もしも一刀が今の孫策を見れば、戦闘狂やスリルジャンキーという言葉が瞬時に浮かんだだろう。
霞の戦闘好きよりも更に一段上の存在だと認識したはずだ。
だが、しかし。それが故に孫策は正常なのである。
太史慈含め、呉の将にとっては孫策はこれが平常運転。故に、安堵したのである。
と、気が緩んだ背後から、突如別の声が聞こえてきた。
「あんたはやっぱり、孫家の血を一番濃く継いでるだけあるね、雪蓮」
「ひゃっ!?あ、げ、月蓮様!」
「あら、母様じゃない?
こんな夜更けにどうしたっていうのよ?」
「あんたが今どんな様子かを見に来ただけだったんだがね。
来てみりゃ、中々面白い話をしてるじゃないか」
「私の様子って……なんでまた急に?」
「魏の連中との実力差。私や直接見てきた明命を除きゃ、あんたが一番理解してるだろ?」
ああ、なるほど、と孫策は小さく呟いた。
孫策がそれを理解しているのは、主に戦闘に特化した勘があってのこと。
そしてそれは母である孫堅から濃く受け継いだものなのだから、そこを母親に察せられていても何も不思議では無かったのである。
「雪蓮、あんたの評価は大体正しいだろうさね。が、一つ補足しといてやろう。
あんたは案外、北郷にとっての天敵になり得るよ」
「私が?北郷の?」
突然告げられた内容に訝し気に孫策は問い返す。
孫策自身は先ほど彼女も言っていた通り、呂布相手だろうが北郷相手だろうが勝率は五分五分以下だと考えてる。
そして、それに対して孫堅はたった今、概ね合っていると告げたばかり。
にも関わらず、孫堅の話し振りからは孫策ならば北郷に勝ち得る、との意が汲み取れた。ただ。
「勿論、あんたが今のままじゃあ、軽くあしらわれてお終いさね。
だがね、あんた自身気が付いているかは知らないが、あんたの武は今、急速に成長しているよ」
孫堅の口からその言葉が漏れた瞬間、時間が止まったように孫策の身体がフリーズした。
それほどの驚きが彼女を襲っていた。
「ああ、あんたもだよ、木春。他にも思春や亞莎の辺りもいい感じだね。
明命も伸びは悪くないんだが、如何せんあたしの方から仕事を頼み過ぎて、鍛錬を付けてやる時間が少ないからねぇ……」
続いて太史慈の方もフリーズ。
呉の若手切っての実力派である二人が揃ってフリーズしてしまったのにも理由がある。
それほどまでに孫堅が誰かを素直に褒めるという行為が珍しかったのだ。
孫堅としては容易く口にはしないだけで、評価だけはいつもしていたのであるが。
ともあれ、フリーズしていようが耳は働いているだろう、と孫堅は説明を続ける。
「雪蓮、あんたの武は”血”を除けば、勘を主体とした自由奔放な型だ。
その不規則な動きは本能で戦うような連中と似ているかも知れないが、いざ対峙してみりゃあ全然違う。
あんたが勘で繰り出す理外の攻撃は奴にとっての想定外の攻撃となるだろうさ。
そこを突き詰めることが出来れば、ってことさね」
孫堅の話が終わる頃、ようやくフリーズから復帰した孫策がその言葉を咀嚼する。
そして意味をしっかりと理解して、笑んだ。
「へぇ……私があの北郷を降したってなったら、それはそれは面白そうな話よね。
ふふっ♪あ〜、早く戦が来ないかなぁ〜?北郷と相見えるのが今から楽しみになってきたわ♪」
「雪蓮、勘違いするんじゃないよ?それは――」
「これからも手を抜かず母様たちの扱きに耐え続けたらの話、でしょ?
大丈夫、ちゃんと分かってるってば」
「そうかい。ならいいんだがね。
ま、何にせよ、あんたも望んでいるみたいだし、丁度いい機会だ。
これからは最後の追い込みとしてより厳しく鍛えてやるとしよう」
「え゛っ!?」
瞬間、またもや孫策と太史慈の時間が凍った。
それは先ほどとは全く異なる原因に依るもの。しかし、今度は二人にとってあまりにも深刻な問題だったためか、復帰は早かった。
(ちょ、ちょっと雪蓮!さすがに今よりも厳しいのは私でも……っ!!)
(私も嫌よっ!!これ以上なんて、本当に死んじゃうわっ!!)
(雪蓮の所為なんだからねっ!雪蓮が何とかしなさいよっ!!)
(わ、分かってるわよ!)
一瞬のアイコンタクトでそれだけの情報をやり取りし、孫策は己が母に決死の覚悟で向き直った。
「あ、あの、母様?
今の鍛錬でも十分に厳しいんだし、それに戦は近いんでしょ?
だったら今以上になんてしたら、いざって時に将が誰も動けない、なんてことになったり――」
「あんた、さっきの話本当に理解したのかい?
大体、今の鍛錬にしても始めた時から大して変えちゃいないんだ。今なら全員随分と余裕が出来てきてるだろ?
その余裕を再度詰める。ただそれだけのことじゃないか」
「いや、だから。それをされちゃうと死――」
「実際に命をやり取りする実戦と基本命が掛からない鍛錬は力の伸びは随分と違うもんだ。
だったら、鍛錬で死んじまうと思うくらい追い込まなきゃあ、同等の鍛錬をしたとは言えないだろう?
北郷を含んだ魏の奴らはここ暫く数多の実戦の中にあったんだ。随分と実力の程も上がってるだろうさ。
雪蓮、それこそいざと言う時、鍛錬が足りませんでした、でコテンパンにされてもいいのかい?」
「ぅ……それは嫌……」
「だったら頑張るんだね。何、実際に死にゃしないさ。
私や祭が身を以て経験したことだからね。安心しな。
ああ、そうだ。今の、明日からだ。頑張りな」
捲し立て、孫策の口から同意と取れる言質を取って、孫堅はさっさと決定事項としていた。
その上で適用は明日からにすると言い残し、孫堅は去る。
嵐に襲われたかの如く立ち尽くしていた孫策と太史慈は、やがて太史慈の叫びで動きを取り戻した。
「雪蓮っ!!どうするつもりなの、これっ!?」
「し、仕方ないじゃないっ!!いくら私だって負け確定の戦いなんてしたくないんだもんっ!!」
言い争いになるかと思いきや、それ以上は特に言葉も出せず。
二人は暫し睨み合う形になった。
が、やがてどちらからともなく深い、それは深い溜め息を吐く。
「まあ、月蓮様がああまで言い切っちゃったら仕方無いよね……」
「うん。諦めましょ。母様も言ってたけど、死にはしないだろうし――――多分」
「うん。多分、ね」
明日以降のことを思い、どんよりと暗くて重い空気を身に纏わせる二人であった。
その翌日以降のこと。
建業の街である噂がまことしやかに広がることとなる。
その噂とは以下のようなものであった。
『将軍様たちが通われている調練場から、夜な夜な生ける屍が這い出て来てるらしい』
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第百二十一話の投稿です。 最終章前・呉編。 |
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>>nao様 お猫様狂いが無ければ非常に優秀な間諜でしょう、明命は。最終戦、明命さんはどっちサイドから見ても大活躍します!(という予定です)乞うご期待!(ムカミ) >>本郷 刃様 本能>理詰め>勘>本能 での三竦み的に考えてます。ただ、膂力や技術の熟練度が主体で三竦みは添え物、といったイメージですが。(ムカミ) 明命が潜入するのか〜成功率低いなw(nao) 雪蓮お得意の勘は確かに理詰めの一刀には天敵ですよね〜(本郷 刃) |
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