お見舞い
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ガラリ、病室の扉を開けると、いつもの笑顔が出迎えた。

「あっ、先生、千里ちゃん」

「こんにちは、可符香ちゃん」

「どうも、今日もお邪魔しますよ、風浦さん」

窓際のベッドから手を振る可符香に、千里と望が挨拶を返した。

「今日はずいぶんと元気みたいですね」

「先生やみんなが、毎日お見舞いに来てくれるからですよ」

「どうせ、夏休みで暇ですからね。別に気にする事はないですよ」

「あれ?お休み中でも先生の仕事って、結構たくさんあるんじゃないですか?……もしかして、サボってるとか?」

「う……!?…ま、まあ、そういうのも当然ちゃんとこなしてはいるんですよ?」

「いやだなぁ、冗談ですよ。先生みたいな立派な教師が、そんな事する筈ないですから」

「あは、あはははははは…いや、ほんと、そーですよね」

可符香の鋭い言葉に、望は額に冷や汗を浮かべて苦笑する。

そうだ、もう夏休みなのだ。

七月の初めの可符香が倒れてから、既に三週間以上が経過しようとしていた。

 

その日の昼休み、何の前触れも見せずに可符香は倒れた。

七月八日、七夕の翌日の出来事である。

「どうしてこんなになるまで放って置いたんだっ!!!」

彼女を診察した命はやり切れないような表情でそう叫んだ。

とりあえず命に別状はなかったが、一歩間違えれば大きな後遺症を残していたかもしれない。

それほどに彼女の病状は重かった。

痛みやその他の自覚症状が無かった筈はないのだ。

「ごめんなさい、絶命先生」

しかし、彼女はあいまいな笑顔で謝るだけだった。

それから、彼女は自宅近くの総合病院に入院し、その日以来、望は彼女へのお見舞いを続けている。

 

彼女を心配するのは、彼女のクラスメイト達も同じ事だった。

毎日かわるがわる、クラスの女子の一、二名が彼女の病室を望と共に訪れ、洗濯や身の回りの世話を手伝った。

男子生徒達もちょくちょく彼女を訪ねてやって来た。

風浦可符香のベッドの周りは、常に笑いが溢れ明るかった。

「…………」

「どうしたんですか、先生?さっきから難しい顔してますけど?」

無言で頬杖をついていた望に、可符香が話しかけた。

女性の身の回りの世話となると、男性である望に出来る事はどうしても限られてしまう。

望の役目は専ら、彼女の話し相手だった。

「……いえ、そういえば、あなたの手術ももうすぐだったな、と思って……」

「そう言えば、そうですね。確か、八月五日だったから……ああ、あと十日も無いんですね」

ベッド脇の棚の上の卓上カレンダーを見て、可符香が言った。

「どうしたんです?怖くなったんですか?」

「なんであなたの手術で、私が怖くならなきゃいけないんですか!!?」

「難手術に挑む大事な教え子を案じて、心痛める先生!!まるで教師の鑑じゃないですか!!」

「またあなたは適当な事を……」

「それじゃあ、私の手術、心配じゃないんですか?」

「それは………」

「どうなんです、先生?」

「……………そりゃあ、心配がないわけじゃないですよ、勿論」

「大丈夫ですよ。確かに簡単な手術じゃないみたいですけど、執刀医の先生の腕前は絶命先生も保証済みですよ」

「わかってますよ。でも、心配なものは心配なんですよ……」

ぷいっと可符香から視線を逸らして、望が小さく呟く。

「心配してもらえて嬉しいですよ、先生」

そんな望の横顔を見ながら、可符香は嬉しそうに笑っていたのだった。

 

本当のところ、可符香の手術の心配をしていたというのは、少しだけウソだった。

それとは別に、彼にはもう一つ気になる事があったのだ。

何故、彼女はこんなに病状が悪化するまで、学校に通い続けたのだろうか?

その理由を考えながら、彼女の事を見ている内に、望はある事に気付いた。

彼女のベッドの周りは見舞いの客が絶えず、いつも賑やかで明るい。

だけど、そこにいるのは決まって望やクラスメイトを初めとした学校の関係者ばかり。

家族の姿はない。

望やクラスメイト達の存在が、その不在を余計に際立たせていた。

だからこそ、他の生徒達が変わりばんこに可符香を見舞う中、彼だけは毎日、彼女の病室に通い続けた。

だけど、彼女に対して、それ以上の何をしてやる事もできなかった。

彼女の孤独は埋めがたく、その前では望はあまりに無力だった。

 

それからも、同じような日々が続いた。

毎日、クラスの生徒の一人か二人を連れて可符香の病室を訪ね、面会時間終了までそこで過ごしてから宿直室に帰る。

いつしかカレンダーは八月に入り、可符香の手術は明後日にまで迫っていた。

手術に備えていくつもの検査をこなした彼女は、その疲れのためか今はすやすやと寝息を立てている。

そして、彼女のベッドの脇には今日も、望が一人佇んでいた。

どうあっても彼女を一人にするのは嫌だった。

彼女が一人ぼっちになってしまうのが怖かった。

彼女が無理をしてまで学校に通い続けていた理由は、だいたい見当がついていた。

一人ぼっちだったからだ。

彼女には、2のへの教室以外に居場所を求める事ができなかったのだ。

だけど、今の望はあまりに無力で、こうして彼女の傍にいる事以外、何をする事もできない。

「何をやっているんでしょうね、私は……」

そんな事を呟いたときだった。

可符香がうっすらと瞼を開けた。

「先生……おはよ…」

「おはようございます、風浦さん…」

寝起きの舌足らずな声で挨拶をして、彼女は子供のような顔で笑った。

「今日も、ずっと居てくれたんですか?」

「暇ですからね」

「交君や小森ちゃんをほったらかしてて良いんですか?」

「………確かに、あまり良くはありませんね。二人には何か埋め合わせを考えておかないと……」

それから、彼女は枕元のカレンダーを確認して、

「もう明後日なんですね、手術」

そう言った。

「緊張しますか?」

「それなりには……でも、目の前に私より緊張してる人がいますから」

「むぅ……!?」

こんな時でも遠慮のない可符香の言葉に、望は何とも言えない表情を浮かべる。

それがよほど可笑しかったのか、しばらくの間彼女はクスクスと笑った。

そして、その笑いが収まる頃、彼女はこんな事を聞いてきた。

「先生。先生は明日も来てくれるんですか?」

「手術の前日ですから、邪魔にならないように早目に帰ると思いますが、一応、お見舞いには来させてもらおうかと思ってます」

「じゃあ、明後日は?」

「聞かれるまでもなく、ウチのクラス総出で病院に行く事になりますよ」

だが、どうやらその答えではまだ不服だったらしく、彼女はさらに望にこう尋ねた。

「そうじゃなくて、先生は来るんですか?」

それはまるで、迷子になるまいと母親の手をぎゅっと握る子供のような、必死の表情だった。

「勿論、嫌だと言っても引っ張り出されるでしょうし………そうでなくても、最初から居させてもらうつもりです」

そんな彼女の視線を至近距離で浴びたせいだろうか。

答える望の声にも我知らず力が篭っていた。

「必ず行きますよ。明日も、明後日も、それからその先も、あなたが退院するまで………

いいや、なんなら二学期が始まって、学校に戻ってきてからもずっとですっ!!!!!」

「本当ですか?」

「本当です」

「本当の本当に?」

「本当の本当に、間違いなく、必ずです」

「……約束ですよ?」

最後に望がしっかりと肯いて見せると、可符香の顔にホッと安堵の表情が浮かんだ。

そして、ようやく望は気がついた。

彼女が無理をしてまで学校に通い続けたのは、そこにしか彼女の居場所が存在しなかったからだ。

では、クラスの中で彼女はいつもどこにいた?

それを望は最初から知っていたではないか。

悪戯と陰謀を繰り返す2のへ一の要注意人物はいつだって、彼の、望の隣にいたのだ。

(馬鹿ですね、私は………毎日、風浦さんの事を見てきたというのに……)

ふと気がつくと、望の目の前に可符香の右手が差し出されていた。

手の平は握られて、小指だけが立てられている。

「ゆびきりですか……なんだか私、つくづく信用されてないみたいですね」

「いやだなぁ、そんな事ないですよ」

望の小指が可符香の小指に重ねられ、お互いの指がきゅっと絡み合う。

「「ゆびきりげんまん♪」」

人が指切りをする理由は二つある。

一つは約束を破らせないようにするための確認として。

もう一つは、大事な約束をその胸の奥深くに刻み付けるためだ。

「「ゆび切った♪」」

明日も、明後日も、その先もずっと……。

この約束を忘れたくない。

それは、望の願いでもあった。

 

そして九月。

病院から退院した可符香は、今では元気に学校に通っている。

無論、まだ完全復活とはいかないが、着実に回復している事は確かだった。

唯一の懸念材料は、彼女がまた一学期のような無茶をしないかという事だけだったが、望はその点については心配していなかった。

「それじゃあ、先生また明日」

「ええ、さようなら、風浦さん」

授業が終わり、教室から去る可符香と、見送る望は互いに手を振り合う。

その手の平の、小指だけを曲げたその形。

約束の、指きりの形。

それを忘れない限り、きっと大丈夫。

何か確かな根拠があるわけではない。

だけど、望はそれをつよく確信していた。

説明
さよなら絶望先生。
突然倒れて入院してしまった可符香を毎日お見舞いする先生の話。
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さよなら絶望先生 可符香 糸色望 望カフ 

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