家政夫として幻想入り1 |
“平凡” その定義とは一体なんだろうか。
辞書を引けば「特にすぐれたところや変わったところがなく、ありふれていること」とある。
では、特に珍しくもない平坦な存在を“平凡”と称するのか。
極一般的な家庭に生を受け、極一般的な能力を修め、極一般的な生を送ることを、平凡と誰かは言った。
では“一般的”というのはどういうことなのか。
辞書を引けば「広く全体を取り上げるさま。広く行き渡っているさま」とある。
大多数の人間が同一の物を同一の物として認識し、“常識”としたものを指して、一般的と誰かは言った。
では“常識”とはなにか。
辞書を引けば「ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力」とある。
世間に、社会に、この世の中に、広く知られ、圧倒的多数の賛同者が存在する意見が、常識と誰かは言った。
つまり“平凡”とは“一般的”な“常識”の範囲内に収まった、予測可能なもののことなのだろうか。
…………まぁ、色々と考えてみたが、結局何が言いたいのかといえば、だ。
「あら、よく見つけられたわね。とりあえずは採用かしら」
――――――俺が現在陥っている状況は“平凡”な人生には不要なのではないか、ということだ。
目の前には、漫画的な空間の裂け目から上半身だけを出した眉が太めの美人がいる。
裂け目の両端はリボンで留められており、中に覗く複数の眼球と相まって、ファンシーなのかグロテスクなのか……こういうのをファジーというのか。
それにしても、何がどうしてこんな奇怪な人物に遭遇するはめになったのだろう。
少し時間を遡って、今に到った経緯を思い出してみる。
俺は確か、書置きを残して家出してきたはずだ。
両親が昔から仕事仕事で半ば育児放棄されていた俺は、物心つくまでベビーシッターやらホームヘルパーやらに育てられてきた。
そいつらもろくに仕事をしていないと分かってからは直ぐに辞めさせたわけだが。
それからというもの、家事全般は俺の仕事になった。両親に無理言って辞めさせた代わりに俺がやることになったのだ。
その時はまだ小学生だったので、最初の頃はできることも限られていたが、今ではもうできない事のほうが少ない。
他にも、高校に上がってからは様々なバイトをして色々な経験をした。いくつか資格も持っている。
そして昨日、俺は二十歳になった。二十歳といえばもう立派な大人だ。
ここで最初の家出に戻るのだが、俺は二十歳になった事を契機に家を出て、一人で生きていくことに決めたのだ。
今日。
…………計画性がないのは俺も認めるところなのであまり突かないでいただきたい。
まぁそういう訳で、住み込みで働ける所を探していたのだった。
アパートを借りるだけの金銭的余裕は、今まで溜めてきたバイト代を掻き集めても流石にない。
しかし、やはりというか、中々見つからない。
バイトの募集は山ほど見かけたのだが、住み込みOKのものは一つも見当たらなかった。
日も傾き出し、今日は漫画喫茶のお世話になるかと考え始めたとき、俺はそれを見つけた。
不思議な事に人通りは皆無で、雑踏の音すら聞こえてこない路地の端。そこにポツンと一枚だけ、張り紙がしてあった。
内容は
――――――――――家事手伝い募集。
条件:住み込みできる方。年齢、性別は不問。経験者優遇。―――――――――――
とだけあった。
見つけた瞬間は キ・タ・コ・レ! と思ったものだが、詳しい情報を確認しようとしたところで不審な点に気付いた。
先ほど言ったように、内容は募集要項のみ。連絡先や地図などは一切ない。
すわイタズラか、とガックリきたところで件の奇怪な女性のご登場である。
目の前の空間がパックリ開いてぬるっと出てきた時には腰抜かすかと思いましたよ。ええ。
平凡が好きとまでは言わないが、流石に波乱や厄介事に進んで関わりあいになろうとは思わない。
俺はニコニコしている眉の太い美人を見なかったことにして歩を進めた。
「お待ちなさいな」
進めたが、三歩と行かないうちに回り込まれる。というかそのぬるっと出てくるの止めて下さい。
俺は逃げるのを諦め、とりあえず話しだけでも聞くことにした。
それにしても、この妙な既視感を覚える女性、手品師か何かなんだろうか。凄いイリュージョンだ。それともCGか?
「無視は酷いんじゃないかしら」
「あー、すいません。それであの……どういったご用件でしょう?」
ニコニコとした表情を崩さず、声音もあくまで楽しげ。なんとも食えなそうな人物だ。
太眉の美女は……美女って呼び方はなんか違和感があるな。どちらかと言えば美少女の方がしっくりくる。ゴスロリっぽい服装のせいか、なぜだかそんな香りがする。
ともかく、その太眉の美少女はさっきまで見ていた張り紙を指差して笑みを深めた。
「あのチラシを見てたのでしょう? 働く気があるのなら、雇い主の所へ連れて行ってあげるわ」
「…………」
どうやらあの張り紙の主に関わりのある人物らしい。
だが、この誘いをはたして受けてもいいものだろうか。
善意であるならば問題ない。初対面の相手を脅かすにしては手が込んでいるが、イリュージョンもちょっとしたお茶目なのかもしれないし。
しかし、即答するには何と言うか……笑顔がとても胡散臭い。故に躊躇われる。
悪意は感じられないが、悪意のない悪行は世の中には万と転がっているわけで。
でも、これはチャンスだとも思う。
計画性のない家出は三日と続かない。書置きまで残しておいて、すぐに帰ってしまうのは切腹ものの恥ずかしさだろう。
ちなみに書置きの内容は
――――――――――――――これからは一人前の大人として、自力のみで生きていこうと思います。
二十年間お世話になりました。――――――――――――――――
これで戻るくらいなら、多少怪しくても賭けてみた方がマシな気がする。
それに、一日中探しても見つからなかった住み込みOKのバイト。これを逃したら、もうこの辺りでは見つからないかもしれない。
もっと遠出しろと思うかもしれないが、何を隠そう。俺はかなりの方向音痴なのだ。
慣れ親しんだ生活圏を一歩出れば、後に待っているのは補導か遭難のみ。
最初の頃は、買い物に行くたびに補導されて帰っていたものだ。懐かしい。
遠足の時は常に引率の大人が傍にいたな。やはり最初の遠足で朝帰りになったのを警戒していたんだろうか。
修学旅行で雪山に行った時は、いつの間にかみんなと逸れて一人遭難していたし。あれは小屋が見つからなければ救助されるまでもたなかっただろう。
一度バイトで隣町に行こうとしたら県を跨いだこともあったか。即日でクビになったのも今ではいい経験だ。
そんなわけで、家出の書置きが遺書になる可能性が極めて高いため、今も生活圏内をギリギリ出るかどうかという所を探すのが限界なのである。
閑話休題
虎穴に入らずんば虎児を得ず、とも云う。
悩む事、大体一分弱。俺は結論を出した。軽く頭を下げる。
「えっと……じゃあ、お願いします」
「ええ。すぐに届けてあげるわ」
「は?」
妙な言い回しを訝しく思い、顔を上げる。
そこには、太眉の少女が一人、先ほどと変わらぬ位置にいる。
しかし、その貌に浮かぶ笑みは、胡散臭いと感じたそれから明確な色を持ったものに変わっていた。
なんというかもう “ニタリ” とでも擬音が入りそうな、こちらの心臓に悪い種類の笑顔だ。
少女の瞳に、イタズラを思いついた時の近所の子供と同じような光を見つけ、猛烈に嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
野性の勘と言おうか、動物的な本能が危険信号をガンガンと発してくる。
なんだか、虎穴に入ったと思ったら実は熊の塒で、冬眠中だったところを誤って叩き起こしてしまったような気分になった。
だから、俺は何かを問いかけるような真似はせず、ただ今から起きるだろう事にたいして身構えた。
それを見て取った、というわけではないだろうが、太眉の少女は俺に向って手を振った。最後通告とでもいうように。
「じゃ、いってらっしゃいな」
その言葉を聞き終わるか否かに感じる浮遊感。足元を見れば、グロテスクな眼球たちが浮かび上がる闇が確認できた。
地面を割ったとか、穴を開けたというより、まるで空間を裂いて創ったような孔。
裂け目の両端で結ばれているリボンが、現実感をより一層希薄にする。
闇に落ちて意識が暗転する間際、何とはなしに“コレ”を“スキマ”みたいだと思った。
気が付いたら見知らぬ場所に立っていた。
正面には大きな……本当に大きな、公家屋敷風の建物。
生憎と公家屋敷なんて写真くらいでしか見たことがないので、あくまで“それらしい”というだけだが。
右を見る。塀と、その向こうに大量の竹が見えた。
左を見る。同じものが見えた。
背後を振り返る。やはり同じもが見えた。
上を見る。青い空が見えた。
下を見る。草が茂る土の地面が見えた。
サワサワと葉触れの音が聞こえる。
息を吸えば新鮮な空気と竹の匂いが感じられる。
頬を抓ってみる。痛い。夢ではないようだ。
五感に問題はない。
スキマに落とされたようだが、身体に異状は感じられない。
というか、アレは本当にスキマなんだろうか。だとしたらあの太眉少女は《八雲紫》ということになる。
それならばあの妙な既視感も頷ける。なにせ、学生時代にはこれでもかと言うくらい友人に見せられていたのだ。
思い出してみれば、確かにあの姿は八雲紫そのものであった。
何故か少女と形容しなければいけない気がしたのも、きっと友人の刷り込みを無意識に実行していたためだろう。
友人に曰く「ゆかりんが漂わせてるのは加齢臭じゃねぇっ、少女臭だっ!!」との事。
どうでもいいが、それに頷くまで【ゆかりんファンタジア】を隣で歌い続けるのは止めて欲しかった。
それは兎も角。現状を鑑みるに、アレは精巧な夢幻ではなく、スキマも八雲紫も現実であるということらしい。
だが、そんな事が在りえるのだろうか?
俺の記憶が正しければ《東方幻想郷》というのはゲームであり、フィクションである。
ネット上のSSや動画に【幻想入り】とかいうジャンルがあったが、もしかして俺は今それを体験しているのだろうか。
あまり多くを知るわけじゃないし、友人に聞かされたり本やネットで見た程度の知識しかないから判断に苦しむが。
ゲームは難しくてクリアできなかった。イージーモード? それが許されるのは小学生までらしい。
しかし困った。
せめて本人がいれば問い質せるのだが、広い庭を見渡してみても人影一つない。
屋敷に入れば人がいるかもしれないが、不法侵入は犯罪だ。それが例え冤罪だとしても、今の警察は聞く耳持ってくれない。
あ、でも幻想郷に警察ってあるんだろうか?
そんな疑問を持った所で違和感を覚える。はて、俺は何が犯罪だと言ったかな。
――――不法侵入。
そう、それだ。じゃあ俺は今何処にいる?
右を見て、左を見て、背後を振り返った後に視線を正面へ。
立派な庭だ。目の前の屋敷に相応しい、とても広い庭。玄関や門が見えないことから、裏庭か中庭と推測できる。
庭とはその構造上、必ずと言っていいほど塀や垣に囲まれている。
そのため、その家屋の住民以外が入るにはまず正門を潜らなければならず、裏庭には裏門を使うか、なければ屋内からしか行けない。
勿論、塀を乗り越えて入ることはできるだろうが、それを家人以外がやると不法侵入という罪になる。
では、俺はどうやって庭に入ってきたのか。
乗り越えてはいないが、かといって門を潜った記憶もない。スキマに落とされて気が付いたらここだった。
だが、そんな事情を知るはずもないここの家人が俺を見つけた場合、どう思うだろうか。
考えるまでもなく不法侵入者である。冤罪だが、しかし間違いようのない事実でもあるため言い逃れはできない。
やはり見つかる前に逃げるべきだろう。後ろの塀に視線を身体ごと向ける。
俺は身長が高いほうなので、多分跳びあがれば塀の上に手が掛かる。そのまま乗り越えてしまえば後は何とかなるだろう。
助走をつけようと右脚を後ろに下げ、勢いよく走り出す――――
「あら、来たばかりだというのにもう帰るのかしら?」
「っ!?」
直前にそんな声がかけられ、思わずつんのめる。慌てて振り向けば、屋敷の縁側に誰かがいた。
そこにいたのは少女だった。
少女臭とかそういうのではなく、見た限り十代半ばかその前後。
艶やかな長い黒髪の、日本人形のような美しさを感じさせる少女が、縁側に座してこちらに微笑みかけている。
その脇には急須と湯呑みが茶請けらしき団子と一緒に纏められており、いかにも寛いでいる風だ。
真正面から向かい合える位置にいるというのに、何故今の今まで気付かなかったのか。
ついさっき来た、というようには全く見えない。
先ほどの言葉からも、やはり彼女が居た事に自分が気付かなかっただけなのだと確認できる。
テンパっていたとはいえ、これは少々間抜けすぎだろう。
頭を抱えたいところではあるが、今は堪えてとりあえずは弁明を図らなければ。
そう思って口を開くのだが……
「あー……えっと……や、こんにちわ。俺は怪しい者じゃナイデスヨ?」
……苦し紛れにも程がある。
これでは怪しんでくれと言っているようなものだが、どうやら頭の中はまだ混線中らしい。声も変に裏返ってしまった。
しかし、そんな狼狽しまくりな俺に、縁側の少女は変わらぬ微笑みを返してくる。
「ふふ、怪しい人は皆そう言うわ。それより、スキマを通ってきたって事は八雲紫の使い?」
「え? あーいや、そういうのとは違うと思うんですが……」
届けてやる、と一方的に落とされたのであって、何かを頼まれたわけではない。
ただ、八雲紫(仮)の言葉を信じるのであればここが家事手伝い募集チラシの出元ということになる。
ならば、不法侵入者と認識されているであろう現在の状況を改善するためにもその辺りの事を聞いておくべきだろう。
「あの……俺、住み込みバイトのチラシを見て来たんですが……何かご存知在りませんか?」
「バイトのチラシ? ……あぁ、そういえば使用人を雇いたいって公募をしてたわね、たしか」
小首を傾げて一拍。思い当たる事があったらしく、納得したような頷きが返ってきた。
ビンゴのようだ。どうやら八雲紫(仮……もう(仮)いらない気がするな。八雲紫は文字通りに“送り届けて”くれたらしい。
物扱いなのはこの際気にしないが、せめて伝票くらいは付けてほしかったな。
「多分それです。連絡先の表記がないと思ってたらその、八雲紫? さんらしき人がイキナリ現れて、送ってくれると言ってくれたんですが……気付いたらここにいまして」
まったく、本当に勘弁願いたい。
今後もし機会があったとしても、スキマ便だけは絶対に使わないぞ、俺は。
「そう。なら、貴方は働く為に来たってことでいいのかしら?」
「そのつもりです」
俺の言葉に嘘がないと見抜いているのか、本当は事前に知らせがあったのか、はたまた何も考えていないのか。
微笑のカタチは変わらないまま、どれとも取れるような声色を含ませた少女の問いに、即答で返す。
なんにしても、家出してきたからにはそう簡単に帰るわけにはいかない。そして働き口は今の所一つだけ。
考えるまでもない。此処が何処であろうと、生きていけるのなら大丈夫だ。
…………少なくとも、ビッグフットと遭遇するような危険がなければ生き残る自身はある。
「ふぅん……じゃあ、面接しましょうか」
あれ? そういえば幻想郷ってヤバイのが沢山いるんじゃなかったっけ?
そんな風に死亡フラグを立てそうな考えに思考が逸れたとき、縁側で団子を咀嚼していた少女が唐突にそんな事を提案した。
いや、提案というか、彼女の中では既に決定された事柄であるらしい。
「め、面接!? ……これからですか?」
唐突に感じたのは俺の意識が逸れていたせいなのだろうが、声が変に上がり、どもってしまう。
しかし、そんな俺を気にするでもなく、少女は微笑をやや楽しげに深めた。
「ええ。人を雇う時には必ずするものなんでしょう?」
「はぁ……まぁ、普通はそうですね」
確かに、雇用契約の前段階で実際に雇うかどうか決めるために面接をする。
そして、面接には必ず持参しなければならないものがある。
そう、履歴書だ。準備も何もないまま届けられた俺は、勿論そんなもの用意できていない。
――――――俺、早くも絶体絶命!?
「でしょう? だからこっちにお座りなさい。そんなところに立ったままでは話し辛いわ」
「え? はぁ、えっと……じゃあ、失礼します」
ぽんぽん、と少女は自分の隣―――湯呑みなどが置かれていない方を叩いて示す。
勝手に絶望感に打ちひしがれていた俺は、間抜けな返事をしてから促されるままそこに座った。
……にしても、以外に近かった。少なくとも十メートルはなかったはず。さっきはなんで気付かなかったんだろうか。
覗うように少女を見やれば、変わらぬ様子で湯呑みを傾けていた。
つい、その横顔を見つめてしまう。
その所作が優雅だったことや、あんまりにも似合っていて見惚れていた……というのも事実だが、それ以上に奇妙な既視感を覚えたためだ。
それはまるで、あの八雲紫に遭遇した時の様な。これはもしかして――――
「さて。まずは自己紹介からよね? 私は蓬莱山輝夜。一応、この【永遠亭】の主をしているわ」
この少女も東方のキャラか?
その考えに至る前に、答えが本人の口から開示される。
永遠亭の蓬莱山輝夜といえば、ガチで東方のキャラではなかったか。
竹取物語の主役である《かぐや姫》本人で蓬莱の薬を飲んで不老不死だったりと、ニート姫との呼び声高いわりに実は凄い人だったはず。
ビックリだ。とても驚愕した。でも今更な気がしなくもない。
ともあれ、面接なんだから俺も自己紹介しなければ。履歴書のことは忘れていてくれることを願う。
「俺は《稲葉稲穂》といいます。あーっと……なんと呼べば?」
一応目上らしいし、これから雇用主になるであろう相手を呼び捨てるわけにもいかない。
けれど《蓬莱山さん》では語呂が悪いし、かと言って様付けはなんか違う気がする。ご主人様とか? ……僕には、無理だ。
「別に従順な家来が欲しいわけじゃないし、好きに呼んでくれていいわ。今いる家来には姫なんて呼ばれてるし、なんだったら愛称か何かで呼んでくれても構わないわよ?」
俺なりに愚考してみたのだが、微塵も意味を成さぬ言葉が返ってきた。
……まぁ、それでいいならそうするけどね。
でも、これはこれで難しい。好きに呼んでいいなら、まぁ《輝夜さん》というのが妥当な気がする。
姫って呼ぶのはなんか抵抗がな……忍者になった覚えはないし。呼び捨ては論外だな。
愛称は……友人はたしか《蓬莱ニート》だとか《ぐーや》やら《てるよ》なんて呼んでたけど、これって愛称なのか?
というか確実に地雷だろうjk(常識的に考えて)。
ここはやっぱり無難に《輝夜さん》でFA(ファイナルアンサー)だろ。
「えっと……じゃあ、輝夜さん。よろしくお願いします」
「ええ、よろしく」
小さく頷くだけの簡単な挨拶を交わし、輝夜さんによる面接が始まった。
余談だが、輝夜さんは履歴書の存在を知らなかったらしく、いくつかの質問に答えた後は世間話に終始してしまった。
こんな時だけは、話のネタに困らない自分の人生に感謝しなくもない。
「使用人が欲しいわね」
ダラダラごろごろと暇を持て余していた姫君は、脈絡もなくそんな事をのたまった。
ここは迷いの竹林に囲まれた、幻想郷でも指折りの有名人《蓬莱山輝夜》の住居。永遠亭。
その縁側でのびのびと日向ぼっこを満喫していた永遠亭の主その人である輝夜は、今度は傍に控える女性に向き直り、言う。
「使用人が欲しいわ」
「はぁ……私と鈴仙で十分に永遠亭の維持は出来ておりますが?」
姫様の唐突な我が儘を曖昧な返事で流しながら疑問を呈すのは、もちろん我らが“えーりん”こと《八意永琳》である。
この突拍子もない発言にも慣れているのか、呆れてはいても驚きはしていないようだ。
永琳の言葉に、しかし輝夜はチッチと指を振る。
「確かに、生活を続けるのに何ら支障はないわ。でもね―――退屈なのよ」
「…………」
いやに真面目な風で言う輝夜に、永琳はただ沈黙を返した。
一体全体、退屈なのと使用人を欲しがるのはどういう法則を使えば=(イコール)で結ばれるのだろうか。
それはきっと、千年以上を共に過し、何億年と生きた永琳にも分からないだろうことは、想像に難くない。
「退屈を紛らわすには、何か刺激が必要よね? だから、使用人でも雇ってみようかと思ったの。
面白いヒトが来れば私の退屈凌ぎになるし、永琳たちの負担も減るでしょう? 一石二鳥じゃない」
我ながら名案ね。と言う輝夜に、永琳はひっそりと溜息を吐いた。
輝夜の暇つぶしは兎も角として。別段、現状で負担になっている事などほとんどない。強いて挙げるなら、てゐのイタズラに少々手を焼くくらいだ。
永琳の弟子である鈴仙もよく働いているし、なにより永琳自身、家事などの雑務をそれほど嫌っていない。
ただ、それを言ったところで輝夜が早々意見を変えるなんてことはないだろう。
「……雇うにしても、わざわざこんな辺鄙な場所にやってくる物好きがいるでしょうか?」
説得は早々に諦め、輝夜の気紛れに付き合う事にした永琳は、最後の足掻きとばかりに問う。
実際、永琳の疑問は最もなもので、迷いの竹林の中に存在する永遠亭にヒトが来ることは殆どない。
たまに迷い込む人間はてゐが帰らせているし、妹紅が極偶に怪我人を連れてくる以外の来客など皆無に等しい。
そもそも、竹林にも幾らかの妖怪が潜んでいる。
ただの人間がこられる筈はないし、妖怪の類が使用人になりにくるとは考えられない。
もし来るとすれば、それは人外を相手取れる手練か、相当に変わり者の人外といったところか。
どちらが来ても輝夜の退屈は紛れるかもしれないが、厄介事もやってくるに違いない。
そして色々と苦労が増えるのは目に見えている。主に貧乏くじを引き易い兎の苦労が。
しかし、そんな永琳の思慮など知らぬ輝夜は、なんら迷う素振りも見せず軽く返す。
「最近は妙な外来者が増えたって聞くし、その辺から見繕えばいいでしょ。あ、公募をかけてもいいわね」
楽しげに話を進めていく輝夜から視線を外し、永琳は空に目をやった。
こういうのを『獲らぬ狸の皮算用』と言うのだろうか。
とりあえず、一応は部屋の準備くらいはしておいた方がいいのかと考える。その矢先だった。
「面白そうな話をしてるわね」
突然に降って湧いた女性の声。
成熟した大人の、深みのある声の様でいて、まだあどけなさを残す少女の様でもある不思議な声音。
次いで、永琳が見上げていた空に一筋の切れ目が生じる。
それは一拍を置いてバックリと開かれ、どの様な構造なのか及びもつかない空間の中から一人の女性がヒラリと舞い降りる。
明らかな不法侵入。だが、それを見やる輝夜と永琳に驚愕や動揺はなく、精々が珍しい客程度の認識でもって声をかけた。
「あら。貴女が直接乗り込んでくるなんて、一体どういった用件なのかしら」
「どういった用件であれ、来るのなら玄関からお願いしたいですね」
敵意も悪意も害意もない。
輝夜は純粋に好奇心による興味を示し、永琳は言うだけ無駄と知りつつ溜息交じりに小言を言う。
そんな二人の態度を気にした様子もなく、女性―――《八雲紫》は常の胡散臭げな笑顔を返した。
「イヤよ、こっちの方が楽なんだもの。それに、別に用があって来たわけじゃないわ。
ただちょっと、近くを通ったときに面白そうな話が聞こえてきたものだから、一枚噛んでみようかと……ね」
しれっと偶然を装うスキマ妖怪。
このような態度が常であるので、最早二人も気にはしない。
暫し無言のまま、表面上は笑顔で睨み合いをするも、これでは埒もないと輝夜から紫に話の水を向けた。
「それで? 話は聞いてたんでしょうけど、何をしようっていうのかしら?」
「大した事じゃないわ。公募するんだったら、私が手を貸そうかと思っただけよ。
――――そうね。少し細工もするから、来るとすれば中々面白いのが釣れるんじゃないかしら」
トレードマークと言ってもいい胡散臭い笑顔を差し向けながら、どう? と聞く紫の声は、非常に愉快そうだ。
それとは反対に、輝夜は眉を顰め、やや不服そうな面持ちで思案する。
この提案がどういった気紛れから起こったのかは検討もつかないが、なんと言っても相手は悪名高いスキマ妖怪。
少なからず打算があるとは見るべきであろう。それが自分と同じで単なる暇つぶしの一環である可能性は極めて高いが。
だがまあ、わざわざ向こうで用意してくれるのなら手間も省ける。楽ができるということだ。
いまいち乗せられた感が否めないが、こちらでやるよりは可能性は高そうでもある。何より待つだけでいいのなら楽である。
そして、幾許かの思案の後、輝夜は公募を紫に任せることに決めた。
「それじゃあ、お願いするわ」
「姫様……では、私は部屋の用意をしておきます」
曲がりなりにも己の主である輝夜の決定に、その思考が透けて見えたのであろう永琳が、呆れながらも反論することはせず静かに退出する。
使用人に与える部屋の必要性を考えたのは、単にこのような辺鄙どころではない場所に、よもや通いで来る者はいまいという常識的な判断からだ。
しかし、その考えがなかった紫は、今の永琳の言葉で『住み込み可』という条件を思いついてしまった。
どんな人物がくるにしても、愉快な見世物にはなってくれるだろうと考え、笑みを深める。
「私もお暇するわ。公募の準備をしないといけものね……ふふふ」
開いた扇子で口元を隠し、忍び笑いを残して紫はスキマの中へと消えていった。雰囲気だけはさも忙しそうにして。
どうせ細かいものも含めた作業の殆どは己の式にやらせ、本人はまったく動かないのだろうにマメな演出である。
永琳と紫がいなくなり、そよ風と、擦れ合う笹の音だけが届く静けさが縁側を満たす。
しばらくその子守唄にも似た静寂を味わい、輝夜は今の今まで横たえていた体を起こした。
庭に出て、綿菓子のような雲が浮かぶ晴れた空を見上げる。自然、一つ息を吐いた。
安寧とした日々も良いものだが、たまには何か刺激が欲しい。
ただでさえ永劫が約束されてしまっている身なのだから、きっとそれくらいの我が儘は言っても罰は当たるまい。
その永劫さえ自身の我が儘の産物であることを棚に上げ、輝夜は近い未来に思いを馳せた。
どんなことになったにせよ、輝夜自身は楽しめる位置に居るだろうことは確信できる。
だって、永遠亭において貧乏くじを引くのは、いつだって月の兎だと決まっているのだから。
その苦労を肴に一杯というのも、きっと楽しいものに違いない。
「これから上がる一幕は、どれだけ楽しませてくれるのかしらね……?」
呟きは一際強く吹いた風に乗り、誰に届くことなく消えていった。
―――――――――それが、永遠亭に新しい住人が一人増える五日ほど前の話――――――――――
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絵を描けないから文章で書いてみた幻想入り。 一年に一回でも更新できたら奇跡かもしれない。 |
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