冬コミ新刊小説サンプル |
カサ、カサ、カサ…キュキュッ。
横になっている僕の右耳の中を、断続的に、でもリズミカルに擦る音が響く。
それに伴って子猫がくすぐるような、こそばゆい感触が耳の中を駆け巡り、僕は思わず体をすくめた。
「すみませんマスター、痛かったでしょうか…」
「ううん、大丈夫。ちょっとくすぐったかっただけだから」
僕を膝枕しながら心配そうに上から見下ろす彼女ーーカトレアに僕はそう答えた。ジルバラードには珍しい東洋風の内装の部屋に、同じく東洋風の浴衣姿の僕と彼女を窓から柔らかく差す夕日が映し出している。今まで僕の耳の中をさすっていた綿棒を持つ彼女の手が所在なさげに左右に揺れ、その動きに合わせていつものゴシック・ドレスとは違う浴衣姿の胸元から谷間が少し顔を出したので僕は慌てて顔を背けた。彼女が好んで着るコスチュームの傾向から、「そういう場所」は見慣れているはずなのだけれど、いつもと違うーー普段見えているものを隠しているーー服装からのぞく「それ」は何故か普段より艶っぽく感じてしまい、見てはいけないものという感覚を僕に与えていた。
「本当ですか…?」。顔を背けた僕を覗き込むようにショートの黒髪を近付けながら彼女は続ける。「マスターはお優しいから私をかばおうとしてらっしゃるんじゃ…」
「そんなんじゃないよ」
紅潮した顔に気付かれないように背を向けたまま、僕は改めて彼女の言葉をやんわりと否定した。カトレアはいつもは冷静なのに、こと僕についてのこととなるとどうも感情の加減が出来なくなる傾向にある。もっとも、それは彼女以外もそうで、みんな僕を大事にしてくれているからだという実感はあるのだけれどーー。
(それは「僕」だから? それとも彼女たちの力を増幅させる「真少年」だから?)
「…マスター?」
「ーー あ、ごめん」。カトレアの呼びかけに僕は思考を止めて彼女に答え、浴衣越しにも分かる暖かく柔らかい太腿に頭の位置を据え直した。「続き、お願いしてもいいかな」
「はい、勿論です」
続きをお願いしたことで彼女は安心したのか、僕の耳の中でまた子猫がじゃれあいを始めた。
僕たちは火山の街・ヴォルカニアのとある温泉宿で休息を取っていた。五乙女ことラナン・カトレア・スフレ・プルメリア・ロザリーを始めとした使い魔のみんなの力を借りながらのジルバラード行脚。旅先で魔物を退治して人々が笑顔を取り戻す光景を眺めながら、僕は自分自身が何者か、なぜこんな力があるのかずっと自問自答していた。
自分自身を知ることはこの力の源を、そしてこの力を持った意味ーー役目を知る事になる。それを知った時、僕はこのまま彼女たちと旅を続けられるんだろうかーー。
そんな悩みがよぎった場所がこのヴォルカニアだったのが幸いだったと言えるだろうか。戦いの中一瞬の迷いが隙となり、僕は魔物の一撃を受けて右腕に負傷をしたため戦線離脱する事になってしまったのだが、ヴォルカニアには傷を癒す魔力のこもった温泉があるというラナンの勧めもあり、暫くこの街で療養をすることになったのだった。
後でスフレに聞いた話だが、僕が下がった後の使い魔たちの魔物に対する怒りは凄まじかったらしく、魔力増幅装置の僕抜きでもあっという間に魔物たちの主力を殲滅してしまったらしい。ラナンに至っては危うくヴォルカニアを文字通り火の国しそうな程の暴走だったとか。ただ、その暴走のせいで魔力を調整出来ずに何体かの魔物たちを四散させてしまったため、責任を感じてラナンはあまり宿にも戻らずヴォルカニアの街の探索を続けている。他の使い魔たちもそれを手伝っているのだが、水の魔力を持つカトレアはこの国に多い火の魔物たちへの適性が高いということで、療養中の僕の護衛として残ってくれていた。
もっとも、四散させられた魔物たちに反撃する余力は無いようで、カトレアの役目は専ら僕の世話係となっているのだが、それが僕の心に更に影を落とす原因にもなっていた。
(みんなに申し訳ないな…僕の不注意のせいなのに、こんな平穏の中にいて)
「ーー焦る気持ちは分かりますが、傷を癒すにはご静養が一番ですよ、マスター」
耳かきをしていた手を止め、カトレアが再び僕の顔を覗き込んだ。ただ、さっきとは違い、心配そうな眼差しではなく、子供諭すような優しくも強い意志を感じる瞳。
「…カトレアも心を読める力を持っているのかい?」
多分僕は自分で思ったより驚いた表情をしていたのだろう。彼女はくすっと笑みを浮かべ言葉を続ける。
「右腕のお怪我の痕をずっとさすられながら真剣なお顔をされていましたので、何となくそうではないかと。耳かきはリラックス効果があると聞いたのですが、あまり効き目がなかったようで…」
そう言ってカトレアは傍の机に綿棒を置くと僕の頭を優しく撫で始めた。
「お一人で何でも背負おうと思わないで下さいね。マスターのお傍には私たちがいるのですからーーたとえマスターが、マスターのお力を持っていなくとも、です」
今は私しかいませんけれど、と続けて彼女はまた微笑んだ。
彼女の言葉は怪我をした僕の事を言っているのか、それともこの怪我の原因になってしまった悩みの事を言っているのかーーいや、どちらであってもカトレアはきっと同じ言葉を返すのだろう。そう思うと僕の悩みは随分ちっぽけなもののように感じられた。いつか彼女が『水辺の民のカトレア』に体を返す事になっても、僕が『カトレアじゃなくなったカトレア』を仲間じゃないなんて思うことは決して無い。それと同じことなのだ。僕の力はみんなと共に人々を救う力。それだけで十分だ。
「…ごめんカトレア、心配掛けちゃって。そして…ありがとうーー」
緩やかな頭上の感触で強張っていた心と体をほぐされていく感覚に従い素直に謝罪と感謝を彼女に伝えると、自分でも久しぶりに自然に笑顔になった事に気付いた。彼女といると素直な自分でいられる気がする。他のみんなと居る時とはちょっと違う、いつも傍に居てそっと支えてくれている感覚。背中合わせに座っているような、常に温もりを感じるようなーー。
そう思ったのと同時に僕の視界が急に闇に覆われた。その闇と共に漂う甘い香りと柔らかい感触。彼女に抱きしめられたのだと気付くと僕は思わず声を上げた。
「ちょ、か、カトレア!?」
息苦しい程ではない抱擁だったが、想定外の行動に慌てて彼女から体を離そうにも、覆いかぶさるような体勢を取られた上に怪我をしている腕では力が入らない。何よりどこを押してもカトレアの柔らかい胸に手を当ててしまいそうでーー。
「す、すみませんマスター! 」
どうしたものかと慌てる僕の腕が数度空を切ったところでようやくカトレアは僕を抱擁から解き放った。呼吸を整える僕の鼻腔に彼女の甘い残り香が充満する。
「ま、マスターのお言葉を聞いた瞬間、胸が…その、きゅん、と苦しくなって…そうしたら思わず体が動いてしまって…」
僕以上に戸惑っているカトレアの『胸』の言葉に僕は思わず正にその部位に視線を向けた。慣れない浴衣のためしっかりと着付けられていなかったのだろうか、急な動作についていけなかった布地が肌から離れ、さっきより更に彼女の大きな胸がその谷間を覗かせていてーー。
「ぼ、ぼぼ、僕、温泉に入ってくるね! み、耳かきありがとう!」
僕は慌てて腰を上げて廊下に飛び出した。背後から僕を呼ぶ彼女の声が聞こえたが、振り返ると熱くなっているのを自覚出来る程赤くなった顔を見られそうで、そのまま逃げるように足を速めた。
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「ゴシックは魔法乙女」のカトレアさん小説・R18に入る前までのサンプルです。 | ||
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