別離   14.戦雲
[全4ページ]
-1ページ-

「こうめ、それは違う」

「違わぬ!」

 男の声を遮るように、こうめが声を荒げる。

 感情が溢れる。彼に嫌われたいわけでは無いのに、いや、寧ろ好きだからこそ、己が許せないのかもしれない。

「……何で自分を責める?」

 何故?

 それが明確に言えるなら、こんなに苦しくなる事も無いだろう。

「そうじゃな……」

 ほろ苦い笑みを浮かべて、こうめは手にした酒を呷った。

 美味しいと思った事の無い飲み物だが、今日のそれは、一際苦く。

 ただ、かすかに喉を焼く感じと熱だけが、妙に今の気分に合っては居た。

「わしが、ここに来てからの事……その全て」

「……」

 無言の男を寂しげに見て、こうめは言葉を継いだ。

「お主を不幸せにしただけの、わしの十年」

「本気で言ってるのか?」

「本気じゃとも」

 言い募る内に、こうめには何となく判った。

 これは必要な事。

 自分に、そして何より彼に。

「逆に聞きたい……お主は幸せじゃったか?」

 闘いに明け暮れた。

 何度も死にかけた。

 人の嫌な部分を見せつけられた。

 辛い別れを何度もした。

 そして今。

「式姫の一人として居らぬ、この広い庭に一人残らねばならぬ……お主は幸せなのか?」

 

-2ページ-

 今度こそ、本当に静寂の訪れた庭に、澄んだ月の銀光を背に、建御雷が上空からふわりと舞い降りる。

「ありがとよ、助かった」

「別に……君の式姫として当たり前の事をしたまでさ」

 建御雷が大した事でも無いように、肩を竦める。

「建御雷殿、だが、わしからの礼は言わせてくれ」

 こうめの目に涙が浮かぶ。

 

 おじいちゃんの敵を。

 

 声にならない、その口の動きと表情を見た建御雷の表情が、僅かに曇った。

「君は……そうだったのか」

 

 頭を振るこうめの目から、涙が零れる。

 

「ありがとう」

 

 こうめの後ろで、狛犬に肩を貸した小烏丸が。

 顔を背けあいながらも、互いに肩を貸して立つ悪鬼と天狗が。

 天女に支えられて白兎が。

 各々が、らしい表情を浮かべながら深々と頭を下げた。

 

 そんな彼らを見る建御雷の瞳が、一瞬だけ悲しそうに細められる。

「礼は良い……まだ終わって無いからね」

 

 その言葉その物より、建御雷の言葉に篭められた不吉な響きに、式姫達は顔を上げた。

 

「どういう……事ですの?」

 天狗の声が緊張を孕む。

「寧ろ、これが始まりなんだ、君たちの戦いの」

 建御雷の淡々とした言葉。

 煌々たる明月を背に、その表情は良く判らない。

「私たちの、戦い?」

 

 私たちの旧主を含む、討伐隊が、中央から命じられた戦いは、この地に現れ、殺戮の限りを尽くしていたあの妖狐を倒す事。

 あの大妖が倒れた今、自分たちの戦いは終わった……その筈なのに。

 

「悪い……全部俺のせいだ」

 混乱する式姫達に、それまで静かに傍らに立っていた男が口を開いた。

「ししょーのせい?」

「どーいう事ッス?」

「違う、それはわしの……」

「君らのせいじゃ無いさ」

 建御雷の言葉が、男とこうめが何か言う前にそれを遮る。

「不幸な巡り合わせだっただけ、いや……いつかは必要な事が、今訪れたのかも知れない」

 皮肉な物だ……本当に。

 

「説明して頂けますか?」

 事情を知っていると思しき建御雷と主、そして旧主の孫娘を順番に見てから、真っ直ぐに、澄んだ瞳をこちらに向けた、刀の付喪神の少女に、建御雷は頷いた。

「勿論さ、ただ、あまり時が……」

 

 その時、大地が大きく揺らいだ。

 

-3ページ-

「きゃ……」

「こうめ!」

 よろけたこうめを支えながら、あまりに強い鳴動に男も立っていられず膝を突く。

 傷は天女に治癒して貰ったとは言え、消耗の極みに達している為か、式姫達も大地に手を突き、それ以上動けない。

「何ですの、この地震は!」

 おかしい……こんなに唐突で激甚なそれは、自然な大地の活動ではあり得ない。

 

「やはり千載一遇の好機を逃してくれるほど、あいつは甘くないか……」

 一人、巍然として揺らぐ大地に立っていた建御雷が低く唸った。

「建御雷」

 何か言いかけた男に、彼女は皮肉っぽい笑みを返した。

「面倒な説明は君に頼むよ……ボクは行かなきゃ」

 

 軽く地を蹴った建御雷の体が、雷光のそれのように夜空を切り裂き舞い上がる。

 

「……ここまで力を取り戻して居たか」

 空からは、広い範囲に渡り、大地が不気味な瘤のように盛り上がり、うねる様がはっきり見えた。

「姉様達や思兼は気が付いて無いのか」

 

 いや、気が付いていない訳が無い、ただ神々というのは、そう気楽に動ける物で無いのもまた事実。

 

「ええ、腰の重い……結局またボクの貧乏クジか」

 忌々しげな呟きを、だが、それ以上は口中に封じて、建御雷は手にした十握剣に力を込めた。

 目映い雷光が、夜の空を真昼のように照らす。

 先ほどの妖狐を引き裂いた光とは比較にならないほどの力……だが。

(やっぱり、足りないか)

 長きにわたり封印の要となっていた消耗、そして。

「あの男、大した力だけど……まだ未熟」

 

 かっての神霊たる我が身ならば……。

 

「泣き言を言うな……お前は軍神、建御雷だろ」

 自身を叱咤しながら、建御雷は更なる力をその剣に篭めだした。

 

「まさか、地龍が目覚めた?」

 天女の声が震えを帯びる。

 手を突いた大地から、あの大樹と繋がった時に感じた、大地の底深くに押さえ込まれていた、強大でどす黒い力が溢れ出すのを感じる。

「天女ちゃん、大丈夫?」

 我知らず震えていたのだろう、その手を白兎が優しく包み込んでくれていた。

「え……ええ」

 カチカチと鳴りそうになる歯を無理に押さえ込んで、天女はいつものように穏やかな笑みを浮かべて見せた。

「私は大丈夫」

 大丈夫……。

 

「ちりゅー? 何だそりゃ」

「地龍も知りませんの!」

「しらねーからそう言ってんだ、判ってるなら説明しやがれアホ烏!」

「馬鹿に理解出来るまで、知識をかみ砕く苦労も考えなさいな、バカ悪鬼!」

「人に説明できねーなら、んな物は知ってるとはいわねーんだよ!」

「こ……んのバカのくせに減らず口だけは……」

「地龍とは地脈を通る、眠れる力の顕現、故に目覚める時に起こすその身じろぎが地震を起こす……で正しいですか?」

 自信なさげにそう口にした小烏丸の言葉を、天女が首肯する。

「ええ……ですが本来はこんなに凶暴な筈は無いのです」

 

「コイツは建御雷が封じてた悪しき気に染まった龍……だそうだ」

 男がこうめを庇いながら式姫達に目を向けた。

「俺の祖父が、あの大樹を通じて、人の悪しき気をせっせと注ぎ込んで育て、覚醒させた……」

「お兄ちゃんの、おじいちゃん?」

「ああ……俺の」

 

 やつれきった両親の顔が鮮明に浮かぶ。

 ……その罪を子孫に残して、野心に飲まれ、その果てにくたばった、ツラも知らない。

 だが、紛れもない、俺の。

 

「祖父のした事」

 

 ……だからあの時この男は自分の責任などと言ったのか。

 だが、それは違うだろう。

「でも、それは、貴方の祖父殿のした事でしょう? ならば貴方の責任では」

 天狗の言葉に篭められた、僅かだが気遣う響きに、男はほろ苦い笑みを浮かべた。

「育てたのは爺さん」

 上空で目映い光を放つ建御雷に目を向けたまま。

「だが、今までそいつを押さえ込んでた建御雷を、俺が式姫としてしまった故に、今、その封印が解けた」

「……あ」

 天女や天狗、そして小烏丸の表情に理解の色が浮かぶ。

 式姫の術は、依り代に力と神霊を集めて、この世界に実体を結ばせる術。

 人から見れば、如何に式姫の力が強大無比な物ではあっても、それは自然の神霊とは異なり、主の扱える力の範囲の存在でしか無い。

 神霊、建御雷の強大な力故に、地龍という大いなる自然の力を押さえ込めていた……だが、人にそんな力が有るはずも無く。

「これは……俺含めて一族の責任だ」

「お主では無い、建御雷様を式姫にしようなどと思いついた、全てわしの短慮が!」

 言い募ろうとするこうめの顔を静かに見て、男はキッパリと首を横に振った。

「俺が背負うべき話だ」

 

 祖父は憎い……有る意味で言えば、俺だって被害者かもしれん。

 だが、それを免罪に、俺が逃げるのは間違っている。

 まして、こうめは俺の祖父のせいで祖父を失ったような物。

 俺が今逃げたら、この子はどうなる……。

 そんな真似、出来るか

 

 男は空を見上げた。

 空には月。

 そして、それより尚、目映く輝く雷光の化身。

「……すまん」

 

-4ページ-

(もっと……もっと力を)

 手にした十握剣から、溢れ出す力が紫電となって周囲の空気を焦がす。

 だが建御雷の焦る気持ちと裏腹に、もうこれ以上の力は、式姫としての彼女の内には残っていなかった。

 足りるのか。

 この力で奴を貫けるのか。

 よし、貫けたとして……後事を託したあの男は、本当にやり遂げてくれるのだろうか。

 

 ボクは……。

 産まれて初めて感じた不安という感情の行き場を探すように、眼下に視線を彷徨わせる。

「あ……」

 こちらを見上げる彼の目と、彷徨う視線が触れた。

「あの目」

 あの時と同じ、静かだが、強く、弛まない意思を秘めた。

 

(俺は、俺の出来る事をやってみようと思います)

 

 あの男の曾祖父が、気負い無く口にした言葉が聞こえた……そんな気がした。

 

「そうだよな」

 

 今やるべき事を知り、今、己にできる事を知るならば。

 

「あいつは、やり遂げたものな」

 手にした十握剣を握りしめる。

「なら、ボクは……ボクのやるべき事を」

 

 迷いは退く。

 

 大きく息を吸い、そして吐く。

 世界を巡る気を体に入れ、そして世界に戻す。

 あいつや、こうめという少女、式姫達と同じ世界の気。

 世界に屹立するのでは無く、巡る大いなる力の、その一部である事を、素直に感じる。

「……弱いのも、時には悪く無いな」

 不気味に蠢く大地の一点に狙いを定める。

 瘴気に染まり、狂い果てし龍王。

 建御雷の気を感じたのか、それは大きく首をもたげた。

 

 黄泉の黄龍。

 

「後は頼むよ」

 次の言葉をどう言おうか僅かに逡巡してから、建御雷は僅かに頬を染めて呟いた。

「……ボクの主殿」

 

 爛々と輝く赤い目が、かって己を封じた存在の一人を認め、怒りに燃えた。

 黄金に輝く鱗が、蠢く度に剥がれる泥土の間から煌めく。

「お目覚めの所悪いが……もう少し寝てろ!」

 大きく開いた、溶岩の如き赤い口。

 彼女を咬み裂こうとこちらに迫るそれに、だが建御雷は逃げようともせずに、手にした十握剣を構えた。

 

 全身全霊を篭めて貫け……我が雷光。

説明
第一話:http://www.tinami.com/view/825086
第二話:http://www.tinami.com/view/825162
第三話:http://www.tinami.com/view/825332
第四話:http://www.tinami.com/view/825534
第五話:http://www.tinami.com/view/826057
第六話:http://www.tinami.com/view/827798
第七話:http://www.tinami.com/view/829899
第八話:http://www.tinami.com/view/833619
第九話:http://www.tinami.com/view/835116
第十話:http://www.tinami.com/view/836096
第十一話:http://www.tinami.com/view/837188
第十二話:http://www.tinami.com/view/838496
第十三話:http://www.tinami.com/view/842895

年内……最悪でも年始休み期間中に終わると良いなぁと思ってる、庭小説シリーズ。
中々構想通りには終わりませんな……
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
988 978 4
タグ
式姫 式姫の庭 こうめ 小烏丸 天狗 天女 狛犬 白兎 建御雷 別離 

野良さんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com