コスモス畑で抱きしめて
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前髪をあおる風に、深行は空を見上げた。

 

果てのない青色。秋の空が高く見えるのは、水蒸気と雲の位置の関係にあるという。澄みきった空に、小さなかけらのようなうろこ雲がゆるゆる流れている。

 

目の前にはひらりと舞うように飛ぶ赤とんぼ。風が気持ちよく吹き通り、コスモス畑をふわりと揺らす。泉水子が自分の胸もとまで伸びているコスモスに手を添え、愛しそうに顔を寄せている。

 

深行は、綺麗だな、と素直に思った。

 

 

秋晴れの続く10月。受験生にとっては秋が正念場だ。とはいえ、早くからこつこつと基礎を積み重ねてきた深行としては、自分はもちろん泉水子のことも心配していない。特に数学は徹底指導しているのでへっこみも目立たなくなり、模試も合格圏内をキープしている。

 

そんな泉水子が、ここ最近元気がなかった。勉強中にも時折ため息を漏らし、聞いてみても何でもないの一点張り。

 

きっと、煮詰まっているのだろうと思った。鳳城学園に無試験で入学した泉水子は、受験というものを経験したことがない。普段のテストだって緊張気味なのに、大学受験なんて非常に大きなプレッシャーのはずだ。

 

しかも泉水子にとっては(深行にとってもだが)ただの大学受験ではなく、泉水子が泉水子らしく生きるための試練のひとつだ。

 

自分を守り、自分で考え、欲しいものを自分で選んでいくための。

 

 

放課後、熱心にノートに書き込む泉水子に、深行は今度の日曜出かけるかと誘った。最初は不安げに渋る泉水子だったが、深行が息抜きも大事だと言えば素直に応じた。

 

夏の気配が去り、陽の色も空気も秋の深まりを見せるようになったこの頃。泉水子の希望で大きな公園に行くことにした。少し電車に乗るが、四季折々の草花を楽しめることもあり、泉水子は気に入っているようだった。

 

テイクアウトしたサンドイッチをベンチで食べて、いつものようにゆっくりと公園内を散策した。自然の中での穏やかな時間は心地よく、楽しそうな泉水子の様子に深行の心も和む。

 

たくさんの人で賑わっている広い芝生を通り抜けると、コスモス畑が広がっていた。入口に近い花畑ではカップルや家族連れが写真を撮っているが、最奥まで進む人はいないのか、他に人はいなかった。

 

秋の真っ青な空の下、赤、白、ピンク、色とりどりのコスモスが咲き誇っている。圧倒されるほどの色鮮やかな生命力。

 

泉水子は顔を輝かせて駆け寄った。

 

「わあ、きれい・・・」

 

さわさわと秋風に揺れるコスモス畑に泉水子が入っていく。

 

嬉しそうに花を眺める彼女を微笑ましい気持ちで見ていたが―――ふとした瞬間にギクリとした。

 

斜光に照らされたコスモスの優しい光に包まれた横顔が、泉水子ではないように見えたのだ。

 

今でも強烈に色濃く記憶に残っている、泉水子であり泉水子ではない存在。静ひつさを感じさせるその横顔に、深行は一歩も動けずにいた。

 

どれくらい経っただろう。実際にはほんの数分かもしれない。ぼんやりしながら見つめることしかできずにいると、泉水子がふっとこちらを向いた。

 

その瞬間、

 

「っくしゅ」

 

泉水子が恥ずかしそうに、ほんのり赤くなった鼻を押さえる。思いっきりくしゃみをした彼女は、いつもの泉水子だった。

 

ひどく安堵し、強張っていた身体から力が抜けた。気がつけば額に汗をかいていて、深行は手の甲で軽く拭った。

 

(姫神はあれから一度も出てきていないというのに。バカだな、俺は)

 

ホッとしたこともあり思わず苦笑すると、泉水子は笑われたと思ったのか、頬を染めてむうっとむくれた。ぷいっと顔をそらし、再びコスモスに目を移す。

 

秋は少し日が傾いただけで気温が下がっていく。すぐ近くに自販機を見つけ、深行が飲み物を買って振り向くと、泉水子の姿がなかった。

 

「鈴原?」

 

秋の夕暮れは早い。薄く暮れていく空色になんとなく焦りながら、深行は一面のコスモス畑を見まわした。風にやわやわと揺れる頼りない茎と、色とりどりの花びらたち。

 

「鈴原」

 

彼女を見落とすなんてことは、あり得ない。

 

いつも。

どこにいても。

絶対に分かるはずなのだ。

 

拒まれない限りは。

 

「泉水子!」

 

「深行くん?」

 

コスモスの中から、泉水子がひょっこりと立ち上がる。空色から茜色へ移りゆくグラデーションを背に、コスモス畑の真ん中で、彼女はきょとんと首をかしげた。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

深行が誘ってくれた日曜日は、嬉しくなるほど気持ちのいい秋晴れだった。

 

外は風も穏やかで、青い空にたなびく白い雲が陽の光を受けて輝いている。

 

電車に乗って出かけるのは久しぶりで、泉水子は窓の外を眺めた。ゆっくりと流れる景色を電車がすごいスピードで追い越していく。

 

眺めているうち、そのちぐはぐな時間の流れは、まるで自分のようだと感じた。

 

夏休みが終わると、部活を引退した生徒たちも受験勉強に力を入れ始め、周囲は本格的に受験ムードとなった。泉水子はその空気に順応できず、言いようのない焦りを感じていた。

 

以前深行に言われたように、1分1秒も惜しまずに勉強しなければ。そう気負ってたくさん勉強しているはずなのに、すればするほど不安ばかりが蓄積されていく。

 

顔に出さないように気をつけていたけれど、お見通しだったのかもしれない。深行は「誰だって根を詰めれば煮詰まるし、息抜きは必要なことだ」と言って誘ってくれた。

 

こんな大事な時期に遊んだりして大丈夫だろうか。心配だったけれど、気を使わせてしまったことが申し訳なかったし、何より思いがけずデートできることがとても嬉しかった。それならば、

 

「あの大きな公園に行きたい」

 

咄嗟にはしゃいでしまい恥ずかしかったが、深行は穏やかな笑みで「了解」と泉水子の頭に手を乗せた。

 

 

学園から電車で数駅。初めて来たときは、都内にこんなにも大きな公園があるのかと驚いた。季節ごとに草花が楽しめるため、いつ訪れてもたくさんの人で賑わっている。

 

公園内のベンチで昼食を済ませた後、手をつなぎながら道なりにゆっくりと歩いた。池の噴水から淡いしぶきが上がるのを横目で見ながら、とりとめのないことを話して歩く。

 

のんびりした穏やかな時間。緑や自然の中に身を置くと、心身ともに癒されていくのを感じる。それは、ひとりのときよりもずっと。

 

広大な芝生広場を抜け、少し丘を登れば、コスモスの花が一面に咲き誇っていた。

 

「わあ、きれい・・・」

 

高く澄んだ青空にコスモスのピンク色が映えて、感動するほどの美しさだった。心地のいいそよ風が吹き抜け、可憐な花々をさわさわと揺らす。顔を寄せると、微かにコスモスの香りがした。

 

可愛さにうっとりするうち、吸い込まれそうな不思議な感覚に陥った。花には人の心を強く惹く折々の魅力がある。

 

こうしてきれいな景色を一緒に見る、分かち合うことは、幸福感に満たされると同時に、怖かった。一緒に見られなくなる日が来るのではと思うと、怖かった。

 

無事に大学に進学できなければ、きっと離れ離れになる。

 

何度となく考えてしまうのは、深行にとって、本当はどちらがいいのだろうかということ。泉水子から離れることになれば、普通の生活に戻れるはずだ。

 

泉水子がいなければ。

 

そんなことを考えてしまった瞬間、戦国学園祭での深行が脳裏に浮かんだ。

 

あの異界まで迎えに来てくれた深行を思い出すと、いつも泣きそうになる。あんなにも必死に、満身創痍で来てくれた。ぬくもりを思い出して、涙がにじむ。

 

(・・・いやだ。私は深行くんと一緒にいたい。これからも、一緒にいろいろなものを見ていきたい)

 

『一緒にいたい』 それは優しくあたたかい繋がりだけをいうのではなく、その叶えたい願いのためには努力が必要なのだ。

 

未来への不安はたくさん残っていて、それは無くなりもしないし忘れたりもできないけれど。それでも、今そばにいられる幸福を大切にしよう。

 

そのことを思い出すことができたら、急に呼吸が楽になった。やはり自分で思っていた以上に追い詰められていたらしい。すぐに思い詰めるのは泉水子の悪い癖だ。

 

深行はいつだって真剣に親身になって泉水子に向き合ってくれているのに。罪悪感に、ちりりと胸が鳴る。

 

ちらりと彼の方をうかがうと、いきなり鼻がむずむずしてくしゃみが出た。気がつけば少し肌寒く感じる風に変わっていた。

 

ぐずる鼻を押さえれば、深行がおかしそうに小さく笑った。その笑顔にひどく安堵し、目の奥が熱くなった。ごまかすために、ふいっと顔をそらす。

 

(明日から、またがんばろう)

 

辛くなったらまた思い出そう。落ち込んだり不安になったりするのはひとりでも、それを癒すことができるのは・・・。

 

泉水子は大きく深呼吸をし、心機一転、再び色とりどりのコスモスを眺めた。この可憐な秋の花を写真におさめるべく、カバンの中を探る。今までぼんやりしていたせいか手の動きが鈍く、ケータイを地面に取り落としてしまった。

 

しゃがみこんで拾うと、赤いボディに少し土がついてしまっていて、泉水子は丁寧に払った。泉水子と深行を繋いでくれた、大切なケータイ。

 

感慨深く思っていると、

 

「泉水子!」

 

突然名を呼ばれて、泉水子はびっくりして立ち上がった。

 

「深行くん?」

 

首をかしげると、深行はどこか怒ったような真剣なまなざしでこちらにやって来た。泉水子をぎゅっと抱きしめる。

 

「あの、どうしたの?」

 

「・・・いきなり姿が見えなくなったら焦るだろ」

 

子供じゃないのに、と反論したくなったが、深行の早い鼓動が伝わってきたので言えなかった。

 

「ごめんね。ケータイを落としてしまったの」

 

頭上で深行がため息をついたのが分かった。少し身体が離れ、憮然と睨まれる。あたたかいものを握らされて、指先がじんと痺れた。見てみるとココアの缶だった。冷たくなった秋風に、いつの間にか身体が冷えていたのだ。

 

こういうとき、つよく想われていることが伝わってくる。普段は何を考えているのか分かりにくいけれど。先ほどの早い鼓動。このココアひとつからでも伝わってくる。

 

大切に想われている。

 

この奇跡を忘れてしまわないように、泉水子は祈りをこめて深行を見つめた。

 

「深行くん、今日はありがとう。私、がんばるから。深行くんとずっと一緒に」

 

言い終わらないうちに唇をふさがれた。

 

力強い腕に身体を預けると、ドキドキ胸が高鳴ると同時に安心感に包まれる。

 

優しくて、あたたかい。深行はいつでもあたたかい。

 

色鮮やかなコスモスたちが見守る中、泉水子は深行にぎゅうっと抱きついた。

 

 

 

 

 

終わり

 

 

 

 

 

泉水子ちゃんが一緒にいられなくなったらどうしようと不安になるように、深行くんだっていつ泉水子ちゃんがふっと消えてしまうか・・・みたいな不安があるのではないかと思いました。

戸隠では目の前で2回消え(天狗のとき気づいてたかな)、学園祭では高柳といなくなってるし(笑)深行くんのほうがトラウマレベルだったりして(笑)

 

こちらは10月にお誕生日を迎えられた方にお贈りした(押しつけともいう)お話です。

季節にちなんで、コスモス畑DEみゆみこ妄想でしたが、ぐるぐるマイナス思考泉水子ちゃんや最後まで言わせてやれよちゅーetc.私の嗜好全開になってしまいました(^^;ゞ

 

 

説明
高校3年・10月設定です。
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