海 |
死のうと思って海沿いをだらだら歩いていてもなかなか水の中に入ろうという気持ちにはなれないし、本当は死のうなどと言う考えも嘘八百でたんに海沿いを歩いてみたかっただけだというのが正解なのだと思う、本当には自分の考えていることなどよく分からないものだと思うけれども、じゃあ海に今からジャブジャブ入っていってまっすぐに……そのまま陸まで帰ってこないことができないかというと、不思議とそんな気持ちでもなく、私はまっすぐに水平線まで近づいていって水平線と一体になることだってできるのだ、あの直線の一部にとけ込んで、完璧な風景の一員になることだって。風景になろうということをよく考えていて、それは私がこの世界では異物でしかないというようなことを考えているということの確かな証左だったのだけれども、確かに私は風景に溶け込みたい、風景の一部になりたい、なんだったら道路にいつまでも残っている小動物の死骸の付けた染みみたいに些細なものだっていいから、自分にとっては決して悪くはないことなのでと思っていた。
海沿いの道というのは何にもない、動物園や遊園地の廃墟がずらずらと連なるこの海岸沿いの忘れ去られたような国道は道もぼろぼろで車が走ったらタイヤがもげてしまうんじゃないかってくらい、アスファルトはあちこちで朽ちているしその隙間から生えてくる南国みたいな雑草の色鮮やかなこと、私のお棺にはあの雑草を入れて欲しいと思う隙間なくぎっしりと詰めてもらったら、少しはあでやかな人間に見えるのではないだろうか、平生の私と比べたらきっといっそのことだ。
時間の止まったような古い商店で私はサイダーを買って飲んでいると、店主のおばあさんが私のことをうろんな目で見て、死にに来たんではないだろうかと疑っているんだろうけれども、今のところ私はそのどちらでもないので何にも言わない、もう何十年もそのままなんだろうっていう店内には古い石鹸や古いタオルや卵や誰が買うんだろうっていう日用品のたぐいが山ほどあって、でも昔ほどではないのだろう店の中はすかすかで売るものなんてそんなに種類はないのだ、こんな田舎では誰も買わないし、煤けたガラスから注ぐ太陽は茶色く変色していて床の何かでできた茶色い染みの上に同じ色を落としている、おばあさん曰く、さっきもあんたみたいな顔をした人が二人来たよと言う、――その人たちは何をしにきたのですか。私が尋ねるとおばあさんは知らないよという、でもここはあんたみたいな人がたくさん来るような海岸なんだ、厄介なことに、私はそんな人間を相手に商売をしているんだけれども、もう畳んじまった方がいいかも知れない。
それはそうだ。私はサイダーの料金を払って店を出ていく、私の顔ってどんなですか、私はそれを聞かないで店を出ていく、さっきの二人組に追いつけたらいいなと思って、国道を少し駆け足で歩く、海岸沿いに曲がりくねった道路は本当は歩行者が歩くようにはなっていないの(歩道がない)だけれども、私は構わないでガードレールの上に飛び乗って、そこで下に落っこちてしまったらテトラポッドに頭を打って死んでしまうかもしれないって思いながらバランスを取って歩く。
今はこのガードレールの上だけが全世界だ、ここから落ちたら死んでしまう。
三キロか四キロ、歩いたと思う、サイダーをみんな飲みきってしまって、ここから最寄りの駅まではどのくらいだろう、道の駅があったから一瞬人が居たけれども、そこを通り過ぎたらまた何にもなくなってしまう、古びたバス停に何十年前のだろうっていう時刻表が貼ってある前を通り過ぎたら、崩壊した旧道が見えて私は少し楽しくなる、新道はその道をよけるようにして続いている、この道をずっと行ったらどこか見知ったところに着くことができるのかしら、子供の頃に道に迷ったときの感覚、この道をずっと行ったら自分の見知った家の前の商店街に着くことができるのではないか、でもあとあとから考えればそれは全くの見当違いで、あの道をずっと歩いていったら自分は隣の市まで行ってしまって、それからもしかすると人攫いにさらわれていたかも知れない――あのころは本当に人攫いの噂があったから――というようなことを後から思って、自分はほっとしたような残念なような気持ちになったことがある、とにかく、進むべき道を間違えていたのにでもその道が正しい道なのだというような感慨は子供の頃からの自分の感慨で、それが合っているのか間違っているのか、それとも、究極のところではやっぱり合っているのかどうか、自分には分からなかったけれども。
海へ目を転じるとそこにいた、私の探していた二人が、もう半身まで水に浸かっていて、一歩ずつ歩を沖合へ向かって進めている、二人の私の先輩の姿が、私は叫ぼうかと思ってそうせず、こんにちはと声をかけようかと思ってそうせず、そんな二人に見合う言葉なんて私は私の中からひねり出すことはできない、ただじっと二人の姿を見ていることにした。二人は男のようにも女のようにも見えるけれども分からない、どちらも髪が長いから、若いようにも年よりのようにも見えるけれどもそれも。死んでいく人間の年を推測するなんて無粋なこと、私はその二人がだんだんと沖の方で小さくなって見えなくなってしまうまでずっと見ていると、もう夕暮れで海に沈む夕日の鮮やかなこと、凪で静かで押し寄せる潮の音さえ聞こえない、二人が水の中に沈む音だって肺に入った水の重さにもがく音だって。今沈んでいった二人だって、きっと何の物音も聞こえなかったのに違いない。
それはよかった、とてもよかった。
夜になって、じゃあ、何にも見えなくなった、遠くの灯りはみんな東京の灯り、そしてここには? ここには何の灯りもない、忘れ去られた国道に灯っている灯りなんてものがあるとしたらみんな鬼火で、遊園地や動物園の廃墟から聞こえてくる在りし日の幽霊たちの持っている提灯の灯りだけ、私はじゃあ自分はどうしようかと思い、横断抑止柵から腰を上げて、暗い海を見て、たくさんの海坊主たち、船幽霊たち、魑魅魍魎のたぐいが私を待っているのを見て、じゃあ私は?
これから決めるとしよう。何にしろ、こんなところまで来てしまったんだ。
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