黒い衝動(梓×唯) |
「先輩って、こんなことも知らないんですね」
放課後の音楽室。
いつもなら軽音部の快活な音が鳴り響いているはずなのに、今はそれは聞こえない。
変わりに淫靡な水音が響いている。
「ふふ……全部、先輩が悪いんですからね?」
長い黒髪をツインテールにした女子生徒が、何かを懸命にむさぼっている。
今この場で求めないと消えてしまうと言わんばかりの迫力だ。
「あずにゃん、止めてよ。こんなの、駄目だよ」
どうやら貪られているのも女子生徒のようだ。
こちらは薄い茶色のショート。いつもは輝いている瞳は涙に濡れていた。
「何が駄目なんですか? 後輩が先輩を襲っていることですか?」
確認するように、一言ずつ区切って喋る。
「何が駄目なんですか? 女の子同士でキスをしていることですか?」
答えは分かっているはずなのに、それでも少女は尋ねる。
相手が答えられないことを知っていて、少女は尋ね続ける。
「私が、唯先輩を好きになっちゃだめなんですか?」
「そ、そんなことないけど……」
ここが音楽室であることを忘れたかのように見つめ合う2人。まったく、ご馳走様である。
部活の先輩と後輩。その関係を超えてしまったのはつい先程……。
終業を告げる鐘の中での、出来事だった。
◇
「今日のおっかしはなぁにかなぁ♪」
ノリウム張りの廊下。騒がしい喧騒。
その中を抜けながら、私は上機嫌。
ムギちゃんの持ってきてくれるお菓子を食べて、みんなで練習して……これから始まるのはそんな放課後。楽しくないはずがない。
あずにゃんからちょっと早めに来て欲しいと、お願いされている以外いつも通り。
「……あずにゃんか」
憂と同級生で後輩の女の子。ネコミミが似合って、私よりギターの上手な女の子。
初めは意地を張って頑張っていたけど、最近ではあずにゃんに教えて貰ってばかりいる。
ミュートやビブラード、私の知らない音楽用語を沢山知っている彼女は、頼りになる先生。
とっても頼りになるのに……抱きしめると温かくて、柔らかくて、良い匂いがする。
なでなでしたらはにゃーってなるし、一生懸命な姿も可愛い。
「私、どうしちゃったのかなぁ」
ここのところ、暇さえあればあずにゃんのことを考えている。
何してるのかなぁとか、コレあずにゃんにも食べて欲しいなぁとか――
いつでも、どこでも、あずにゃんの笑顔を見ていたくなる。
「ううん、それは違うよね」
私はずにゃんの笑顔が見たい。でも、同じぐらいに困っている顔だって見たい。
泣いている顔だって見たいし、怒っている顔だって見たい。
笑っている声だって聞きたいし、涙も見てみたいような気がする。
あずにゃんの全てが見てみたい。でも、何で見たいのかが分からない。
「そっか、あずにゃんに聞けば良いんだ」
あずにゃんのことで悩んでいるんだし、きっと相談に乗ってくれるよね。
「よっし、そうしよう♪」
軽くなった心を躍らせ、私は階段を駆け上がった。
◇
「あずにゃん、来たよー」
勢い良く音楽室の扉を開け、私は中へと入る。
部屋の真ん中には、なんだかそわそわしているあずにゃんが1人。長い髪を揺らしながら待っていた。
「あっ……唯先輩、呼び出したりしたりしてすみません」
私に向かってペコっとツインテールが下がる。
ん〜、なんだかいつもと様子が違う?
「そんなの気にしなくて良いよぉ。ところで用事って何かな?」
『放課後お話したいことがあります。早めに音楽室に来てください。』
授業中、珍しくあずにゃんから届いたメール。そこにはお願いが1つだけ書かれていた。
――あずにゃんがメールをくれた。
その嬉しさに、何も考えないままOKと返信。話の内容が何かもまったく考えていなかった。
だからかな?
あずにゃんの言葉が分からなかった。
「私を受け入れてくれますか?」
思いつめたような表情で聞いてくる彼女。
でも、受け入れるって何をだろう?
あずにゃんを受け入れる? どんな風に受け入れるの?
「唯先輩! 私、もう我慢できないんです!」
受け入れる? 我慢できない?
あずにゃんは何を言っているのだろう?
そんなこと言われても、どうすればいいのか、どうしたらいいのかが分からないよ。
「唯先輩!」
「え? きゃっ!」
胸に走る衝撃と、背中に走る衝撃。
あれ? 何であずにゃんに抱きつかれているの?
意外に強く抱きつかれていて、結構痛い。
でも……
「んっ……止めてください」
やっぱり頭を撫でてしまう。
すぐ手の届くところにあるし、気持ち良いから仕方ないよね?
「唯先輩……」
私をじっと見ているあずにゃんの顔が赤い。もしかして、熱でもあるのかな?
だから、いつもと様子が違ったのかな?
「私、唯先輩が好きです」
真っ赤な顔で何を言うのかなと思ったら……ホント、あずにゃんは可愛いなぁ。
「私もあずにゃんの事好きだよ?」
きっと彼女が求めているのは、コレ――花が咲いたような笑顔を見せてくれるはずだったのに。
「やっぱり、そうなんですね」
それなのに、見せてくれたのは涙。
あれ? どうしちゃったのかなぁ。
「やっぱり、唯先輩は好きって言ってくれるんですね」
「うん……私、あずにゃんのこと好きだし……」
混乱している私を置いて、腕の中に居るあずにゃんの目が厳しくなってくる。
うーん,なにか悪いこと言っちゃったかなぁ。
「唯先輩が好きって言ってくれるのは嬉しいです。でも、嬉しくありません」
嬉しいのに嬉しくない?
「唯先輩の好きは、皆さんが好きなんです。私だけを見てくれていません。私は特別ではありません」
あずにゃんだけど見る……。
あずにゃんだけが特別……。
「私は唯先輩だけなんです。唯先輩だけが好きなんです」
難しいよ。誰か1人だけを特別扱いするなんて。
無理だよ。あずにゃんだけを見続けるなんて。
「なんで分かってくれないんですか!? なんで私だけを見てくれないんですか!? 私はこんなにも好きなのに!」
涙を流しながら訴えてくる彼女。
小さな体から発せられているとは思えない叫び。
そして、何よりもまっすぐな言葉が私を貫く。
「どうして!? なんで私じゃ駄目なんですか!? 私は、私は……」
「あずにゃんもう良いよ。もう良いよ。もう、良いんだよ!」
見ていられない。こんなに傷ついた彼女を、見ていられない。
そう思った時には、私は彼女を抱きしめていた。
「あずにゃんが私を好きになってくれて、それ苦しんでいるのは分かったよ。分かったから、もう、自分を傷つけるのは止めて!」
悲しいよ。何であずにゃんが苦しまなきゃいけないの?
苦しいよ。どうして泣いているあずにゃんの姿は私を苦しめるの?
「唯先輩……」
腕の中のあずにゃんは震えている。
彼女を慰める言葉は分かるけど、それは本物なのかな?
私はあずにゃんを……梓ちゃんだけを愛せるのかな?
「分からないよ」
あずにゃんのことは好き。
だけど、それはみんなと違う好きなのかな?
みんなのことも好き。
あずにゃんだけが特別なのかな?
「ごめんね。私、バカだから」
「唯先輩?」
告白の返事だとしたら、最悪。きっと、人としても駄目なんだと思う。
でも、仕方ないよね?
だって、分からないんだもん。
「私、分からないんだ。あずにゃんのことを愛しているのか、分からないんだ」
呆れられるかな? 怒られるかな?
あずにゃんの返事が怖くて、私は耳を塞ぎたくなった。
怖いよ――
◇
「仕方……ないですね」
「え?」
「唯先輩がこんな人だと知ってて、私は好きになっちゃったんですから。まぁ、それぐらい我慢します」
あずにゃんの言っている意味が分からなくて思わず聞いてしまう。
「怒らないの?」
「はぁ……怒ってすむ問題でもないですし、怒りませんよ」
怒られると思っていたのに、私を見つめているあずにゃんは笑顔だった。
「ええ、怒りません。私は怒ってなんかいないんです」
「あずにゃん?」
怒ってないって言うのに、あずにゃんが怖い。
どう考えても、笑顔のままで怒っている。
「私がどんな気持ちでいるかも分からずに、ぼーっとしてる先輩に分かるわけなかったんです」
「あの……どうしちゃったのかなぁ?」
何でだろう、さっきまで感じていたのとは違う恐怖が私を支配していく。
あずにゃんが急に大きくなったような、そんな気がしてしまう。
「うふふ。どうもしませんよ? ただ、分かっただけですから」
目の前に少女は良く知っているはずなのに、毎日のように顔を合わせているのに……まるで別人みたいに感じる。
「そう、最初から分かってはずなんです。唯先輩が私の気持ちに応えてくれないのも、愛してもいないのに好きって言ってくれるのも……全部、全部分かっていたはずなんです!」
「あ、あずにゃん、落ち着いて」
さっきまで泣いていた面影はどこにもない。弱々しく震えていた姿が幻だったと思えてしまう程、変わってしまっている。
本当にあずにゃんなの?
「ふふふ。唯先輩、不思議な事を言いますね。私は落ち着いてますよ? もうこれ以上ないぐらいに冷静です」
冷静じゃない人程、冷静だって言うんだよね……。
「だから、分かるんです。私はどうするべきなのか、どうすれば唯先輩に私を見て貰えるのか……」
喋りながら、どんどんと近づいてくる彼女の顔。
喋りながら、徐々に力がいれられる腕。
壁に背中をつけているから、私はどこにも逃げられない。
「大丈夫ですよ、逃げようとしないで下さい。痛いことも、怖いこともありませんよ。ただ、ちょっとだけ……そう、ちょっとだけ私の我がままに付き合ってくれさえすれば、良いんです」
「う、うん。分かったよ」
彼女から感じる見えない力に、思わず頷いてしまう。
怖いんだもん!
「あはっ、嬉しいです♪」
私の返事を聞いたあずにゃんはとても嬉しそうで――大人びた笑みを浮かべていた。
「なら、教えてあげます。好きな者同士でやる、お互いだけを見続ける為の儀式を……」
次の瞬間、唇に柔らかいモノが当たり、私のファーストキスは奪われた。
◇
「回想は終わり、物語は現実へと帰ってくる。告白に敗れた少女が気持ちを抑えきれずに暴走した。多くはないが、けして少なくない物語。ただ恋をしたのが同じ部の先輩で、同性だっただけのこと。誰も彼女を攻められないだろう……」
そこまで語り終えた律さんの頭に、澪さんの拳骨が落ちました。
とても痛そうです。
「次の歌に使う歌詞を考えていたはずなのに、どうしてそんな話になってるんだ!」
放課後の音楽室。いつもより少ないメンバーは、新しい歌の歌詞を考えていました。
澪さんの作詞があまり好きではない様子の律さんが、考えていたみたいですけど……どうやって歌にするのでしょうか?
「だってこの方が面白いだろ! 同性愛という禁忌を超え、自分の気持ちを貫いた梓。押し込めていた想いが溢れ、自分を襲ってしまった梓を許す唯」
確かに素敵な関係ではありますけど、唯さんは渡しませんよ?
「良いわけないだろ! まったく2人がいないのを良いことに、勝手に物語を作って。誰かが信じたりでもしたら、どーすんだ!」
「うっ……それは、そうだけどさ。でも、澪だって途中まではそわそわしながら聞いてたじゃんか」
確かに、梓ちゃんが唯さんに無理やりキスをする前あたりまでは、澪さんも一緒に聞いていたような。
ん〜、私の気のせいでしょうか?
「で、でも、それとこれとは話は別だ! なんで無理やり襲うような展開になってるんだ!」
「いやぁ、だって、そっちの方が面白いだろ?」
面白いのでしょうか?
「面白いとか、そういう問題じゃないだろ! 梓が聞いたら真っ赤になって怒るぞ?」
律さんの話に意地になって怒る梓ちゃん。
うふふ、その光景が目に浮かんできそうです。
「な、なぁ、ムギはどう思う? やっぱりいないからって、唯達をネタにして遊ぶのは良くないよな」
考え事をしていたら、澪さんの矛先が私に変わっていました。
え〜と、どうしましょう?
「私にはよく分かりませんけど、歌詞を考えなくても良いんですか?」
あれ? 私、何かまずいことを言ってしまったのでしょうか?
さっきまで真っ赤だった澪さんの顔をが、あっという間に青ざめてしまいました。
「そうだった。律のバカ話なんかに付き合う暇はないんだ。桜高祭まで時間が無いのに……」
そして、そのまま机にだれてしまいました。
大丈夫でしょうか?
「歌詞考えなきゃ……みんなの前で歌わなきゃ……また、こけたりしたらどうしよう」
そのままズルズルと沈んでしまいそうです。
あっ、耳を塞いで震えだしました。
「あっ! こら澪、凹むな。凹むなら歌詞考えてからにしろー!」
そんな澪さんを律さんが必至に励ましています。
慌ただしく過ぎる毎日。2度とは戻れない高校時代。
私は今、青春の真っ只中にいます。
ほぅ。澪さんと律さんもありだと思います――
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けいおん! より 梓×唯です。 秘めたる想い それは時に暴発する |
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