スモーキーと無名街を訪れたアイドルの話。
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湿った土のにおいと錆びた鉄のにおい、それに埃かカビのにおいで満ちている。加えて汚泥のにおいが階下から上がってくるが、熱中していると気にならないものだ。

電源ボックスの基盤を覆うカバーのネジを締め直し、背後の男を振り返る。

「ほら、直ったぞ」

少女の白衣と栗色のツインテールが翻ると、砂っぽい風が赤いリボンを揺らした。眼鏡のお陰で目に砂が入ることがないのが幸運だった。

背後の男…痩身で青白い顔をしているが、不気味なほどに強い眼をしている彼は、自分よりも随分と小柄な少女の働きを労った。

「手間を掛けさせたな、すまない」

「なに、構わないさ。フフ、私の才能がこの街で役立つとはな」

ドライバーを片手に得意満面の笑顔を見せる少女。さあ動かしてみるといい、と男に合図すると、男は頷いて手元のレバーを手前に倒す。

大きなファンが、轟音を立てて回り始める。周辺のダクトが汚水槽から引き上げた水を濾過タンクへと運んでいく。

どうやらこれはこの街の排水濾過装置のようだ。原始的な機関ではあるが、この廃工場をよくも再利用しようと思ったものだと少女は感心する。

少女は改めて、この街を視た。

単なる浮浪者の溜まり場というわけではなさそうだ。独自の規律と文化を持って動く一つの国家めいている。

この街は、現代日本の風景から一つ二つずれた場所にあると感じた。勿論蔑んでいるわけでも恐怖しているわけでもない。寧ろ好奇心を刺激される。この街のあらゆる機械の仕掛けを暴いてみたくなる。

もっと様々な場所を見て歩きたいと思ったが、きっと叶わないだろう。男に促されると、少女はセーラー服のスカートと白衣の裾を一度手で直すと、今行く、と大股で歩く男の後ろを小走りに付いていった。

 

「あの火事以来、動かなかったんだ」

「外側が無事に見えても、高熱で配線が駄目になっていたんだろう。機械というものはどんなに大きくてもデリケートだからな」

「あれを作った者はもうこの街にいない。お前が来てくれなければあのまま朽ちていただろう」

どうしていなくなったのかは、聞かなかった。やがて二人が歩く道は暗がりになり、足元には焦げた廃材や溶けたガラスが歩を進める者の妨げになる。

爆破テロだと報じられた、大規模な爆発火災。この燃え易い街を容赦なく薙ぐ炎の狂乱は、最早此処に燃やすものがなくなるまで続いた。

…死人も出た。少女は暗い道端に野の花を挿した瓶を見つけると、足を止めて手を合わせた。

 

暗がりを抜けると、何人かの青年たちが彼と少女を待ち構えていた。

「スモーキー」

「具合はどうだタケシ」

「問題ない、ちゃんと動いてる」

少年の幼さを残す金髪の男が彼に告げる。そしてその背後の少女の姿をじいっと見つめてから、意外だと思うのを隠さない顔で言う。

「凄いな」

「へへん♪この天才にかかれば直せないものはないぞ」

賞賛を素直に喜んだ少女は、この街の《守護神》たちの名を掲げた旗を見つめた。

RUDE BOYS。無名街というアナーキー極まりない場所で、彼らの存在は絶対的であった。

特にこの男、スモーキーは誰よりも尊敬、畏敬を集め、また彼もそんな街の者達に惜しみない慈しみをくれた。

「家族も喜ぶ」

「家族…ああ、先刻の妹か」

「いや、この街に住む者たちは皆家族だ」

スモーキーの横顔を、風が薙ぐ。長い前髪から覗く瞳には、強さと優しさが垣間見える。少女は随分と大口を叩いたように思う彼の言葉を一切疑わない。

「私はあまり家族と過ごす時間が無いからな、羨ましいぞ」

「そうなのか」

一瞬、彼の眼が悲しそうに伏せた。だが、少女はそれを辛いことだと思わせない口ぶりで、一度眼鏡の位置を直し大仰に胸を張って両手を腰にやる。

「ああ、両親は多忙でな。私が初めて手に入れた遊び相手は、父がくれたロボットだった」

幼い頃…いや、今現在も、両親と顔を合わせることは少ない。しかし天才ロボ少女として両親から受け継いだこの頭脳を思えば、両親は常に共に在るとも言える。

そんな風に思えるようになったのはここ最近、彼女がある人物と出会い成長したからなのであるが。

「今ならば、あれ以上のロボを作ることができると思うよ」

実際彼女が作ったロボは、どれもこれもハイスペックで実にユニークだ。同僚に依頼されて作った《ウサちゃんロボ》は量産を重ね、今では彼女の一番のヒット作だと言える。

父から貰ったロボはありふれた電子工作で出来ていた。だから多分、いや確実に今の彼女であればもっと高性能なコミュニケーションができる友達ロボを作ることができるだろう。

だが、彼女はそれをしなかった。彼女は街の空に張り巡らされたケーブルを見つめ、いつか作ったロボの配線を思い出してぽつりと呟いた。

「でもな、今は自分の為のロボを作る必要性を、あまり感じないんだ」

見慣れない少女の姿に、物陰からいくつかの視線を感じる。少女が物陰に目を遣ると、小さな子供が何人か此方を見ては隠れてを繰り返している。

手を振ると、一人の小さな女の子が控え目に手を振り返して、そしてまた隠れてしまう。白衣にセーラー服といういでたちは、どこにいても衆目を集めるし殊更に子供には奇妙に映るらしい。

大きく伸びをした少女は、少し緩んでいたツインテールをきゅっと結び直すと、RUDEの少年の陰に隠れていた親しい者を見つけてはにかんだ。

「幸い、今は多くの友人に恵まれているし、ふふ、信頼できる助手もできたからな」

助手、と呼ばれ慣れたあだ名に、この街に不釣合いなスーツ姿の男は肩を跳ねさせる。少女は頬を掻いて咳払いをし、スーツの男に微笑む。

「何より、私の才能を…私を、必要としてくれている者たちがいる。だから私は、そんな人たちの為にこそロボを作りたい」

重たく垂れこめていた雲が徐々に取り払われて、少女を照らすスポットライトのように陽光が差し込んでくる。少女はその光に手をかざしてみる。スモーキーは血の通った彼女の手を見つめて、言った。

「家族だ」

「ん?」

「俺たちはそれを家族と呼ぶ」

この街の為、この街の人々の為。彼は彼らが生きていくことを決して諦めない。だから、誰よりも高く跳ぶ。

突然の言葉にキョトンとしていた少女も、やがてにかっと白い歯を見せて笑うと、腕組みをして大袈裟に見えるくらいに何度も頷く。

「うん、そうかそうか、そうだな、私にとっては事務所の皆や…助手や、ファンの皆は…もう一つの家族のようなものなのかもしれない」

少女の笑顔がとても嬉しそうだったので、男は可笑しくなって小さく笑った。

「スモーキー!」

突然、背後から呼び掛けられて二人は同時に振り返る。襤褸を纏った少年が、切なげに顔を顰めて此方を見ている。少年に手を引かれた幼い少女は彼の妹だろうか。泣きじゃくって震える手で何かを差し出してきた。

緑色の猫…か何かのぬいぐるみ。少女はこれをよく知っている。何せ同僚にこれが大好きな人間がいて、大きな着ぐるみが事務所に転がっていたこともある。幼い妹は自らの訴えを声にしようと何度か涙を乱暴に擦る。

「ララお姉ちゃんが、くれたの…」

「動かないのか」

「うん」

着ぐるみよりも随分小さいそれをスモーキーが手に取る。ただのぬいぐるみではなく何かの仕掛けがあるオモチャのようで、背後に電池が入るようになっていた。電池ケースの蓋を開けてみると、電池はすっかり錆ついてしまっている。

単なる電池切れではなさそうだ。と、スモーキーが言う前に、背後から覗きこんできたこの好奇心だらけの少女が、眼鏡を光らせてそのぬいぐるみを掬い上げる。

「ワハハ!また私の出番のようだな!」

「直せるの?」

「もちろんだ!この天才の力、そこで見ているといい!」

 

ぬいぐるみがもぞもぞと蠢きながら「ビニャービニャー」と鳴き声を漏らすようになると、兄妹は瞳を輝かせて喜んだ。

「ありがとう、白衣のお姉ちゃん」

「礼には及ばないぞ!これからも大切にするといい」

「うん!」

大喜びのまま何度も手を振っては住処へと戻って行く兄妹に、少女は負けじと元気に手を振る。天才だというが、時折見せる仕草は14歳の少女に相違ない。

スモーキーは工具を片付けている少女に語りかけた。

「お前は、アイドルだと言ったな」

「ああ」

「アイドルってやつは、もっと軽薄で世間知らずな、お飾りみたいなものだと思っていた」

「ム…それはまた随分だな」

ここに来てまさか自分の生業を辛辣な言葉で批判されるとは思わなかった。少女は不機嫌さに頬を膨らませたが、スモーキーは誤解されるまいとすぐに言葉を続ける。

「だが、お前のような気骨のあるやつがアイドルだというならば、きっと悪いものではないのかもな」

膨らんだ頬が少しだけ熱くなる。落として上げるやり方は好みではない。だがこの男にこの街で褒められるということがどのくらいの上げ方≠ナあるかを、少女は理解していた。理解しているからこそ狡いとも思う。

「…君も、この街のアイドルじゃないか、スモーキー」

「下らねえことを」

「下らないものか。アイドルは人々を笑顔にしたくて、その一心で全力で歌うんだぞ。じゃあ何も違わない、君もこの無名街の立派なアイドルだよ」

「ハ、つくづく妙なやつだ」

「天才だからな!」

にかっと笑ったその笑顔は、彼女が言うアイドルという存在を体現しているように思える。スモーキーは釣られて笑ってしまっていた自分に気がつくと、成程な、と独り言を漏らし空を見上げた。

 

もう随分と日が傾いている。そろそろ戻らなければ、事務のあの子が煩くなるだろう。

スーツの男はスモーキーに深々と頭を下げる。スモーキーはそもそもこの街で狼藉を働いたこの男をどうこうする気など、とっくになくなってしまっていた。

「お前の眼に狂いはないな、プロデューサーとやら」

彼の言葉にはた、と少女の表情が切り替わる。男はそんな少女に対して、照れ臭いような仕草で頭をかく。

「だが、ララは駄目だ。他を当たれ」

「無名街の神の妹じゃあ、無理だぞ助手。なんてったって、彼女はこの兄とともに、既にここのアイドルなんだからな」

スモーキーと、何故か少女にまでダメ出しを食らい肩を落とす男に、少女は少しかしこまった声色で、視線を斜め上に投げながらごちる。

「そ、それに、君にはもう…私がいるだろう?」

言ってしまってから顔がカッと熱くなる。物陰からずっと見ていた子供達が、何やらひそひそ話で彼女をからかっている。その子供たちに一瞥くれると、スモーキーは少女の名を呼んだ。

「池袋」

少女は、顔を上げて彼を見つめた。夕日が差し込んだ街で見た彼は、初めて会った時よりも随分と優しい顔をしていた。

「ありがとう」

「…ああ」

 

***

 

「え、え?私?私がアイドル…ですか?」

ララはその大きな瞳をぱちくりさせて、自分に差し出された名刺と、名刺を差し出しているスーツの男を交互に見る。

男の表情は全くの真剣さでララを見つめている。冗談ではなさそうだが、事態が飲み込めない。ララは次第に冷や汗をかいて、思わず叫んだ。

「た、助けてー!おにいちゃーん!!」

 

あの日、RUDE BOYSたちに包囲されスモーキーに胸倉を掴まれたプロデューサーを助け出して、無名街にしばしの滞在をした晶葉は、不思議な出会いと不思議な街に今でも時折思いを馳せるのであった。

説明
池袋晶葉ちゃんが無名街で機械を直したりする話です。(全部言った)
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タグ
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