真・恋姫無双異聞〜皇龍剣風譚〜 第四十四話 華のうちに 後編
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                        真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜

                        

                         第四十四話 華のうちに 後編

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、終わった終わった」

 鳳統こと雛里との隊決めが終わり、彼女が李典こと真桜に仔細を知らせるべく部屋を出ていくと、北郷一刀は大きく伸びをして煙草に火を点け、自分の椅子から立ち上がって窓を押し開けた。

「お疲れ〜。ぶっちゃけ、何がどうしてどうなってるのか、俺にはサッパリ分からんのだけれどもな」

 

 及川祐は自分の煙草に火を点けて、一応、旧友を労った。異国の人間の名前の羅列と、聞き慣れない発音の地名が入り乱れた会話を延々と小一時間も聴かされ続けていれば、そんな反応しか出来ない。

 尤も、一刀の案内なしでブラブラ出来る程の地の利があるわけでもないから、結局は邪魔にならぬ様に部屋の隅に座っている位しか選択肢はなかったのではあるが。

 

「まぁ、そらそうだろ。茶ぁ飲むか?」

「おぉ、本場の中国茶か。良いねぇ」

「どうだかね。俺の淹れ方じゃ、そこいらのと大差ないと思うが。茶葉も警備隊の備品だしなぁ」

及川は、彼の言葉に苦笑いを浮かべて煙草を灰皿に置いたまま火鉢の元に向かう一刀の背中を眺めながら、考え深げに天井を向いて、口を開いた。

 

「しっかしお前、何だかんだでサマになってるじゃん。やっぱりアレか??((警官の血|ブルー・ブラッド))″ってやつ?」

「さぁな。確かに、父方のひいひい爺さんは警官だったらしいが、ひい爺さんも爺さんも違うし、親父みたいにキャリアになったのは一族じゃ他にいないから、そんな大袈裟なほど血に何か混じってるとも思えないけど。それに、この時代じゃ容疑者を殺さなきゃいけない事もある。他の国なら兎も角、親父が知ったら大激怒だろ。どっちかって言やぁ、?戦狂い″の方かもな。ま、いずれにせよ、((高貴な血|ブルー・ブラッド))なんて大層なもんじゃないのは間違いない」

「えぇ、お前、『今宵の真改は血に飢えておるわ……』とかガチで言っちゃうタイプだったの?ちょっと引くんですけど……」

 

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「言わねぇよ。つか、それは薩摩の仇敵の大将のセリフだろ。しかも創作」

「それを言ったら、お前の父方のひいひい爺さんだって、薩摩の仇敵なんじゃねぇの?年代的にちょうど西南戦争の頃だろうし、確か討伐軍の主力は元士族の警官隊だろ?薩摩モンをバッタバッタと薙ぎ倒してたかも知れないじゃんか」

「また、変な所で博識だな、お前は」

 一刀は、茶碗を渡しながら呆れた様に言って、及川の向かいの長椅子に腰かけた。

「まぁ、そうかも知れんが、よく分からないんだよな。父方は江戸の頃から東京住まいだから、関東大震災だの空襲だので家系図とかなくなっちまったらしいし、戦争の武勇伝なんて伝わってないから」

 

「そうなんか。なんか残念だな」

「まぁ、親父とお袋が結婚した時には父方のひい婆さんがまだ生きてたんで、随分と面白がったらしいけどな。『江戸落ちしてまで薩摩と遣り合った侍の子孫が、薩摩の名家の?おひいさま″の婿に行くなんて、なかなか洒落てるじゃないか』なんて言ってさ。ひい婆さんは、色々と知ってたみたいだし」

 

「へぇ、じゃあ、お前のひいひい爺さん、もしかしたら奥州か北海道まで転戦してたかも知れないのか」

「かもな。まぁ、歴史の妙だ。そんな事もあるだろ―――さ、それを飲んだら寝るぞ」

「は〜いって、えぇ!?」

「なんだよ、そのマ○オさんみたいな声は」

 

「いや、だって、お前と同じ部屋で?」

「仮眠室は、俺用の個室と小隊長用の中部屋と、隊員用の大部屋のどれかしかないからな。これから真桜や雛里も隊員達と一緒に交代で仮眠に入るし、お前が居たんじゃ気を遣わせるだろうが。一応、俺の仮眠室にはクッションの利いた長椅子もあるし―――まぁ、クソ固いここの長椅子が良いなら、それでも俺は構わないが」

 

「寝る以外の選択肢はないのですか?」

「街をブラつくにしても、今は被害箇所の調査やら復興作業やらであちこち通行止めになってるから、慣れてない奴には大変だぞ。別に城に帰ったって構わないが案内は付けてやれないし、城でもみんな働いてるから手すきのヤツも居ない。あぁ、読書するなら城に書庫がある……読めるなら、だけどな」

「よし、シエスタしよう」

 

「最初からそう言えよ。お昼寝を嫌がる幼稚園児じゃあるまいし」

「だってさぁ、せっかく中華ファンタジーな世界に来たのに、お昼寝て……」

「心配すんな。起きたら、迫力満点のイベントが待ってるぞ」

 一刀は、茶を飲み干して立ち上がると、扉を開けて半身を反らし、早く来いと顎をしゃくって及川を促した。

 

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「俺はもっとこう、ほのぼのとした日常系イベントの方が良いなぁ」

「だから、こういうのが日常茶飯事だって言ってるだろ」

「?ほのぼのとした″が抜けてるから!ここ重要だから!」

 及川は、渋々と文句を言いながら、気乗りしなさそうに一刀の開けた扉をすり抜けるのだった。

 

 一方その頃、城の諸葛亮孔明の執務室では、朱里がメイド姿の女性に傅かれて、報告を受けていた。

 女の年の頃は、愛紗や翠と同じ位であろうか。

 美しい事は美しい顔立ちなのだが、地味とはまた何処か違う、影の薄さを感じさせる茫洋とした印象を与える女性である。

 

「月ちゃんも詠ちゃんも炊き出しに連れ出すとなると、ご主人様は今日は夜通し捕り物に御出まし―――と考えて良いのですね?」

「は。于禁将軍の口振りから察するに、かなり大きな捕り物のご様子でしたので、まず間違いはないかと」

「そうですか……それは好都合」

 

「!?では、右丞相閣下。もしや、既に?新刊”が!?」

「えぇ。つい先程、脱稿しました」

 朱里が、机上から取り上げた紙の束を女給に差し出すと、メイドは恭しくそれを受け取り、感嘆の溜息を洩らした。

 

「僅か半日余りで、この文筆量とは―――流石は右丞相閣下です!」

「それはもう、あんなお話を聞かされて、妄想の膨らまない女子が居ましょうか?いいえ、居ない!」

 朱里は、クマの出来た目に何やらギラギラとした感情を滾らせて、羽扇を持つ手にグッと力を込めた。

「では、それは貴女に預けます。今夜は月ちゃんも詠ちゃんも護衛は要らないでしょうし、月ちゃんにそれとなく探りを入れ、ご主人様が捕り物の準備に入る刻限を割り出して、夜の闇に乗じ何時もの写本職人の所へ」

 

「は、我が命に代えましても!それで―――」

「勿論、報奨は忘れていません。貴女に、それを読む最初の一人としての資格を与えます」

「有り難き幸せ!では、私はこれで」

 メイド姿の女は、素早く紙の束をエプロンと着物の間に滑り込ませると、物音一つ立てずに(いそいそと)部屋を出て行った。

 

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「ふふっ、全ては我が掌の内……」

 朱里は、羽扇の奥で普段の可憐なそれとはかけ離れた煩悩まみれの笑顔を浮かべると、小さく欠伸をした。

 あと二刻もしない内に、荀ケこと桂花に代わって、復興作業の総指揮を執らねばならない。

 

 それまでに少し休んでおこうと部屋に鍵を掛け、箪笥から薄手の毛布を取り出して、クッションを利かせた長椅子に、徹夜明けの身体を横たえる。

 次に自分が私室の寝台でゆるりと休む頃には、都中の愛読者たちに、自分の新たな耽美世界を届ける準備が全て整っている事だろう。

 朱里は、満足そうに微笑みを浮かべると、耽美な妄想の残滓が残る微睡の中に意識を沈めるのだった―――。

 

 

 

 

 

 

「隊長。全隊員、御前に!」

 凪が居ない為、柄にもなく真剣な口調な真桜がそう声を張ると、隊員達の視線が((篝火|かがりび))に照らされた一刀の顔に注がれた。

「皆、復興作業も忙しい中、この様な血生臭い仕事にまで駆り出してしまってすまない。しかし、既に聞き及んでは居るだろうが、今宵の獲物は大きいぞ。かつては最大で三百余りの手下を率いたと言われる、((牛頭|ごず))の李勝だ」

 

 獲物の名を聞いた瞬間、隊員達の間に声にならない緊張感と高揚感が満ちる。一刀はそれを頼もしく感じながら、言葉を継いだ。

「だが、牛頭だろうと((馬頭|めず))だろうと空飛ぶ虎だろうと、この北郷一刀の膝元で好き勝手をさせてやる義理はない。中原に警備隊ある限り、凶賊から場末の((掏摸|スリ))に至るまで、どんな犯罪も許しはしないという事を証明してみせろ!」

 

 一刀は、自分の言葉に「応!」と威勢よく答えた隊員達を見返して、満足そうに大きく頷く。

「良い気迫だ。今宵の獲物は凶悪無比、加えて、名うての用心棒も多数抱えていると聞く。もしも危ないと感じたら、全ての責は俺が負う―――迷わず斬れ」

 今度の隊員達の返事には、先程とすら比べ物にならない緊張感が込められていた。

 

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「よし。刻限までは、まだ間がある。各員、月と詠が作ってくれた飯を腹に入れて少し休んでおけ。?道具”の手入れは怠るなよ」

 一刀がそれだけ言って踵を返すと、隊員達は僅かに緊張を緩めて、三々五々と中庭に散って行った。

「へぇ。少しは大将らしくなったみたいじゃない?」

 

 

 一刀の演説を後ろで聞いていた詠が、眼鏡を押し上げながら、面白そうに微笑んで言った。

「そりゃまぁ、一応なぁ……。何時までも、こんな事まで小隊長達にやってもらうわけにもいかないだろ?」

「ふん。元々、((人誑|ひとたら))しにかけては一流なんだから、素質はアリアリだと思うけどね。どうせなら、戦のある内にそれ位は出来る様になってくれたら良かったのに。桃香もあんな感じだし、((蜀|ウチ))は大号令がイマイチ締まらなかったんだからさ」

 

「はぁ。耳の痛いことで……月が傍に居ないと思って、手厳しいねぇ」

 一刀が苦笑を浮かべて煙草を取り出すと、詠は面白くもなさそうに、両手でメイド服のドレスの裾を摘まんで見せた。

「今日はこれを着てるから、随分と弁えてるつもりなんだけど?何なら、今からでも着替えて来て上げようか?」

 

「いやいや、それでなくてもお忙しい賈?さんに、そこまでして頂くわけには!」

「冗談に決まってるでしょ。第一、面倒じゃない。それより、翠のヤツはどうするの?揺すっても怒鳴っても、一向に起きやしないわよ?」

 詠は、呆れた様にそう言いながら、気持ちよさそうに紫煙を吐き出す一刀を睨んだ。

 

「口では大丈夫と言ってはいても、流石に疲れてるんだろう。もう暫くは寝かせてやれよ。時間になったら、耳元で『曹操軍の奇襲だ〜!』とか大声出したら飛び起きるんじゃね?」

「たいちょ〜、まだそのネタ引っ張るんかいな……堪忍してや」

 二人に近寄って来た真桜がヨヨヨと泣き崩れると、詠は不思議そうに肩眉を吊り上げた。

 

「何でアンタがそんな顔するのよ。翠みたいなアッケラカンとしたヤツにすら((心の傷|トラウマ))を刻める程のネチっこい追撃掛けたなんて、むしろ武将としては誇るべきところなんじゃないの?」

「そら軍師みたいなギスギス仕事を笑顔ででける人等はそうかも知れまへんけど、ウチは人間関係は円滑な方がええんやって……」

 

「ふぅん。ま、アンタは脳筋連中の中じゃ比較的、頭で勝負する質だから、そうなのかもね。じゃ、ボクは月を手伝って来るから」

「いや、ウチだけやのうて、普通は誰でもギスギスなんは嫌やと思うねんけどな……」

 さっさと歩いて行ってしまった詠の背中に向かって真桜がそう呟くと、一刀は咥え煙草で肩を竦めた。

 

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「そんなの、当の軍師に言って理解してもらえるわけないだろ……むしろ、『ギスギスしてた方が腹の探り合い出来て楽しい』とかの世界で生きてる連中だぞ」

「まぁ、それはそうやろけど……あれ、そういや隊長、及川はんはどないしたん?」

「あ?あぁ、あいつなら、散々寝るのグズってた割りに熟睡してたんで、放って来たぞ」

「きのうはおたのしみでしたね?」

「お楽しんでねぇよ。むしろアイツが居たから誰ともお楽しめなかったよ。てか、誰がお前にそういうネタ教えんの?ねぇ?」

 一刀は、真桜と緊張感の欠片もない会話をしながら、食堂への通路を歩き出した。

 まだ月が十分な高さに昇るまでには幾ばくかの猶予があるとはいえ、早めに食事をしておかなければ、腹ごなしの時間が無くなってしまうだろう。

 

 

 

 

 

 

「たいちょ〜。こっちは準備おわったの〜!」

 沙和が軽快に走り寄って来てそう言うと、一刀は小さく頷いて夜空に目を遣った。月はやがて、中天へと昇ろうとしている。

「苦労だったな、沙和」

 

 一刀が労って頭を軽く撫でてやると、沙和は小型犬が主人に褒められた時の様に誇らしげに胸を張る。尻尾でも付いていれば、それこそ千切れんばかりに振っていたに違いない。

「そう言えば、凪ちゃんから?繋ぎ”はあったの〜?」

「あぁ、ついさっきな。月が傾き始める前には、ボチボチ動くぞ」

 

「りょ〜かい!でもでも隊長、ホントに一人で大丈夫なの〜?やっぱり、沙和が……」

「お前は、得物を使えない真桜を助けてやれって。俺の方は、相手が武力自慢の将軍連中とかならまだしも、盗賊の用心棒程度なら自分の身くらいはちゃんと守れるし、危なくなれば鎧着て逃げるよ。雛里だって、万が一があると思ったら、こんな策なんて言い出したりはしないさ」

 

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「そうかも知れないけど〜……」

 沙和が尚も食い下がろうとしていると、後ろの隊舎から、寝ぐせ頭をボリボリと掻きながら目を擦って及川が顔を出した。

「おはよ……」

 

 

 

「おう、おはよう。グズってた割には、随分と熟睡してたじゃないか」

「スマホのアラーム鳴らないと、こんなに起きれないもんなんだな……悪ぃ……」

「気にするな。翠もまだ起きて来ないし、お前には特に仕事があるわけでもない。お前の職業じゃ、着信音だのアラームだのを気にしないで寝れる事なんてザラにはないんだから、ゆっくりしてろ」

「あぁ……なんか、慌ただしいな。もう出るのか?」

 及川が篝火の中を忙しなく動き回る隊員達に目を遣りながらそう言うと、一刀は小さく頷いた。

 

「さっき、張り込みしてる奴から連絡が来たからな」

「そうか……なぁ?」

「うん?駄目だぞ」

「まだ何にも言ってねぇんだけど」

 

 一刀の即答に及川が子供の様に頬を膨らますと、一刀は肩を竦めて煙草をパックから振り出して二本目の煙草に火を点けた。

「何年の付き合いだと思ってる。どうせ、『俺も連れてけ』だろうが」

「いやまぁ、当たってるけどさ……」

 

「下手すりゃ人が殺されたり、自分が死ぬ事もあるんだぞ。自分の身を守る術のない奴を連れて行けるかよ。それに、戦争ジャーナリスト志望じゃないだろ?」

「柔道初段、空手初段だぞ、俺は」

「めっちゃ挫折してるじゃねぇか!何なんだよ、その劣化版一文字隼人みたいなスペックは!」

 

「だって、女の子にモテると思って中学の時にやってただけだもん!しかも、昇段試験に結構な金掛かるし!」

「どんだけ不純なんだよ……つーか、そんなんで殺る気満々の武装強盗と戦えるわけないだろ。却下だ却下!」

「そんな事言わないで!ヤバくなったら、直ぐ逃げるからさ!」

 

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「お前、何時からスプラッタ趣味になったんだ?それとも、アドレナリン中毒か?」

 一刀が、ただの野次馬根性にしては随分と食い下がる及川に不思議そうな眼差しを向けると、隣で遣り取りを聞いていた沙和が、ケタケタと楽しそうに笑った。

「も〜、隊長は相変わらずドンカンなの〜。及川さんはぁ、隊長の事が心配なんだよ〜。ね〜、及川さん」

 

「いや、そういうわけでもないんだけど、そうとも言えるってぇか……」

 及川が気まずそうに頬を掻きながら沙和の言葉に戸惑う様子を胡散臭そうに眺めていた一刀は、溜息を付いて煙草の吸い差しを篝火の中に放り込むや、おもむろにホルスターからワルサーP99を引き抜くと、及川に向かい合っていた体を真横に移して、手元が良く見える様に、銃を握った両腕を僅かに前に出す。

「いいか―――」

 

 一刀は((遊底|スライド))を引き、9mmパラベラム弾が((薬室|チャンバー))に装填された様子を見せてから手を離し、遊底を戻した。

「時間がないから、最小限しか教えないぞ。これで、撃てる状態だ。ここに出っ張りが見えるな?これがローディングジケーター、銃弾が装填されてるっていう合図だ。このピンはコッキングインジケーター、撃鉄が起こされてるっていう合図で、ここのデコッキング・ボタンで撃鉄を解除出来る」

 そう言って実際にボタンを押し、スライドの後方にあるピンが引っ込むのを見せながら説明を続ける。

 

「このトリガーガードの下に付いてるのがイジェクトレバー、マガジンを取り出すものだから弄らなくていい。安全装置はトリガーそのものになってて、今のデコッキング・ボタンと合わせて使う。トリガーを引き切らない限り弾は出ないが、俺のは((QA|クイックアクション))だから軽い。十分に注意しろ。警官でも、かなりの数の暴発事故を起こしてるんだ。不注意で死んでも知らんからな。撃つ時には、俺がやって見せた様にスライドを引いて撃鉄を起こし、きちんとトリガーを引き切るんだぞ。以上だ」

 

 及川は、矢継ぎ早に受けた説明で半ば呆然としながら、一刀が自分にグリップを向けて差し出した拳銃をまじまじと見詰めた。

「持つの?俺が?」

「そうだ。お前、何人も人を殺してる凶悪犯に、あいつ等の持ってる棒や―――」

 

 一刀はそこで、兵士たちが携えている六角棒を顎で指した。

「護身用の剣一本で立ち向かって、生き残れる自信があるのか?」

「いや、ないけど……」

 及川が顔を青くして答えると、一刀は『そうだろう』と頷いた。

 

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「本来なら、俺は未来の武器である銃を、この時代の人間に使う事は自分に禁じてるんだ。お前がどうしてもって言うから、それを曲げて“こいつ”を預けると言ってる。お前に死んで欲しくないからだ。それも出来ないってなら、大人しくここで待ってろ。警備に割ける人手はないから、これ以上ゴネるなら牢に放り込んで鍵掛けて行くぞ」

 

「わ……分かった……。でも、俺に人なんて撃てるかどうか……」

「誰が人を撃てなんて言ったよ」

「へ?」

「万が一それを使わなきゃいけない様な状況になったら、空に向かって一発撃って、あとは敵に向けて威嚇してろ。銃声を聴いたら、手の空いた誰かしらが応援に来てくれる。それまで死ななければ、お前の勝ちだ」

 

「そ、そっか。それならやれる……と思う」

 及川はそう言って、恐る恐ると言った様子で曖昧に頷きながらグリップに手を伸ばすと、銃が動かない事に一瞬、戸惑った。一刀が銃を離さなかったのである。

 一刀は、片手で銃を持ったまま及川の襟を掴み、、口づけが出来る程の距離にグイと顔を引き寄せて、戸惑う旧友の眼鏡越しの瞳を、敢えて感情を殺した眼差しで覗き込んだ。

 

「やれると“思う”じゃない。やるんだよ。でなきゃ死ぬぞ。どうなんだ?」

「……あぁ、出来る……やるさ、死にたくない」

「よし」

 一刀は、静かに言って及川の襟を離し、軽く整えてやってから、珍しいものでも見るような目つきでこちらを惚けるように眺めていた沙和の方に顔を向けた。

 

「沙和」

「は、はいなの!」

「俺は、ここを離れられん。手間を掛けるが、こいつに防寒具を用意してやってくれ。備品室になら、俺の予備の((銃嚢|ホルスター))もある筈だ」

「了解ですなの!」

 

「どうした、言葉遣いが変だぞ?」

「そ、そんな事ないの!フツーなの!出動前だから、コーフンしてるんだよ!」

「そうか……まぁ、いい。じゃあ悪いが、早くしてくれるか?」

 一刀が、尚も不信そうに沙和を見ながらそう言うと、沙和は何故だか普段は滅多にしもしない敬礼を勢いよくして、及川を伴って隊舎の奥に引っ込んで行った。

 

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「沙和の奴、なんだったんだ?」

「ふふっ。きっと、ご主人様の真剣なご様子に惚れ直しちゃったんですよ」

「月……」

 一刀が、自分の独り言に答えが返って来たのに驚いて振り向くと、そこには赤い布の様な物を両手に持った月が、優しく微笑んで立っている。

 

 ゆらゆらと不規則に動く篝火の炎に照らされた姿は、普段の彼女のどこか儚い雰囲気を殊更に引き立てている様に思えた。

「月は、そうやって俺を持ち上げるのが上手いな」

「そんな事は……」

「いやいや、その調子で『長江の水を全部飲んで下さい』なんて言われたら、思わず頷いちまいそうだぞ、オジサンは」

「へぅ……今日のご主人様は、ちょっと意地悪です……」

 

 一刀は、『そうかもな』と内心で苦笑した。先ほどの沙和の言ではないが、自分もこれから斬り合いになる事に、知らず興奮しているのかも知れない。

 篝火の赤に照らされて尚、その頬の朱が映える月の恥じらいの美しさに一人どこか背徳的な満足を覚えてしまった一刀は、詫びの言葉を口にしてから、「それは何?」と、月の持つ布に目を落とした。

 

「あ、はい。今日は少し冷えますから。あの、ご迷惑かとも思ったのですけど、襟巻きを……」

 総言って月が差し出した赤い布は、確かに細めの毛糸で編まれた襟巻であった。その編目の出来栄えたるや機械で編んだのかと思う程だが、端に慎まやかに黒糸で編み込まれた丸に十文字の家紋と、その横に並ぶ様に白糸で編み込まれた白馬の輪郭で、月の手作りである事が分かる。

 

「迷惑なもんか、嬉しいに決まってる。へぇ……これは、龍風かい?」

「はい。あの、この毛糸を市場で見かけた時、まるで龍風ちゃんの鬣みたいと思って。これで襟巻を作ったら、龍風ちゃんがご主人様を風邪から守ってくれそうだな……って」

「なるほど」

 

 一刀が改めてその白馬を見てみると、月は敢えて鬣の部分に縁を付けず、まるで絵柄の龍風から真紅の鬣が広がって、襟巻そのものになっている様に意匠を凝らしていた。

「凄く気に入ったよ。あとで、龍風にも自慢しに行かなきゃ。ありがとうな、月―――さて、困ったぞ」

「?どうなさったんですか、ご主人様。あの、何かお気に障る様な……」

 

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「いや、今、堪らなく月を閨に引っ張り込んで押し倒したい気分なんだが、盗人どものせいでそれもままならんからな。何か腹立ってきた」

「へ、へぅ!?ご、ご主人様!?」

「しかも、隊員たちの手前、接吻一つ出来んときている。これは、種馬さんにとっては悶死案件だと思うんだよ、うん。だから―――」

 

 もはや、朱に染めてなどという表現を通り越して茹で上がった蛸のようになってしまった月の愛らしい耳に、一刀は口を寄せた。

「ちゃんと生きて帰って、きちんと月に礼をするからな。安心して、待っていてくれ」

「あ―――。はい!」

 月は、何時もと同じに、自分の心中を千里眼の様に見抜いて微笑んでくれた想い人に、優しい微笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

「はぁ〜。アレが朱里ちゃん達が何時も言ってる“耽美”ってヤツなのかな〜。これはこれで、中々イイのものなの〜」

 及川を先導して備品室へと向かっている沙和は、当の及川を半ば無視して何やらブツブツと呟きながら、とろんとした目で天井を眺めて、フラフラとした足取りで歩を進めていた。

 

「あの……」

「あ〜。何時もの優しい隊長もイイけど、沙和もあんな氷みたいな目で見詰められながら命令されたらぁ、きっとそれだけで―――」

「もしも〜し!」

「ふぇ?あぁ、ごめんなさいなの、及川さん。沙和、ちょっと考え事しててぇ」

 

「あぁ、そうなの?なんか、モノ凄くピンクな空気を漂わせてたけど……」

 沙和が漸く自分の呼びかけに応えてくれてホッと息を吐いた及川は、自分の手に握られた(もちろん、トリガーからは慎重に指をはなしている)拳銃の重みを忘れたかった事もあり、努めてお道化た口調でそう言った。

 

 

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「うん。だってぇ……あ、ねぇ、及川さん!」

「はい?」

「及川さんて、何時もたいちょーにあんな風にしてもらってるの?」

「???その、“してもらってる”とは、何をでせう?」

 

「それはほらぁ……恋人同士のぉ……チョメチョメの時?」

「あぁ、恋人同士のね…………って、はぁ!!?」

「きゃあ!?」

 及川は、自分の大声に思わず歩を止めて驚いた沙和より遥かに混沌とした思考を脳内で持て余しながら、まさかサラっと流すわけにもいかない話題をサラっと降ってきたそばかす顔の愛らしい少女を見返した。

 

「あの、どこからどう言う風に、そんな結論にお至りになられましたので?」

「え?だって、及川さんはぁ、たいちょーの天の国でのカレシさんなんじゃないの?」

「おぉ、もう……」

 今少し及川に蛮勇があれば、思わず渡された銃の試し撃ちを自分の“こめかみ”でしてみようと思ったかも知れぬ。別に同性愛者に偏見があるわけではないが、それとこれとは話が別というものだ。

 

 いくら十数年来の友人とはいえ、同じ布団の中であんな事やこんな事をするなどというのは、想像するだに怖気を振るう。

「違う……違いますから。恋人でもカレシでもないですから……唯の腐れ縁の友達ですから」

「え〜!!だって、もう城中のウワサなのにぃ!だから沙和、さっきのも二人きりの時はあんな感じなのかな〜って思ってぇ」

 

「なんてこった……」

 とすれば、昼間の自分の軽い冗談も、火に油を注ぐ結果に繋がるやもしれない。しかし火消しを図ろうにも、その“城中”とやらの面子の一部と僅かに言葉を交わしただけに過ぎず、大多数とは殆ど挨拶もしていないのでは手も足も出ないのが実情だ。

 

「というかね、えぇと、于禁ちゃん?」

「沙和でいいの〜」

「あぁ……ありがと。じゃあ、沙和ちゃんさ、仮にもし、俺とアイツがそう言う仲だったとして、それこそ沙和ちゃんは良いの?ほら、いくら何でも、立場的にアイツがバイ……えぇと、両刀使い?だったとしたらさ、色々と思うところとか……」

 

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「ん〜、何で?たいちょーが気が多いのは何時ものコトだから、今更だと思うけど〜。それに、そんな事言ったら、沙和より及川さんの方がセンパイって事になるしぃ」

 及川は、いまいち話が通じていない様子の沙和に、どうにか生々しい表現を避けて自分の言わんとするところを理解してもらおうと内心で腐心しながら、どうにか言葉を選んで口を開いた。

 

「いや、そういうんじゃ無しにさ……ほら、自分の恋人が、別の男と男同士でどうこうとか、そういうのってさ」

「う〜ん。沙和は別に〜……魏って、そもそも華琳さまが可愛い女の子大好きだからぁ、重臣の人達とは大体そんな感じだしぃ、呉の雪蓮さまと冥琳さまもそんな感じだって言うしぃ、蜀も、星さんとか焔耶ちゃんなんかはソッチのケがあるっぽいしぃ、“男と女”と“女と女”は別の事だから、“男と男”も別の話だと思うの〜」

 

 

「何なの、この変な方向に優しい世界……」

 つまるところ、土壌開発は既に完了しているところに、おあつらえ向きの種が蒔かれたという事であるらしい。

 友人の艶福家ぶりなどは、大変結構な肥料であろう。

 

「でもそっかぁ。違ったんだぁ」

 沙和は、正に面白そうな噂がデマだった時に人が見せる以上の感慨をみせる事もなく、つまらなそうに呟いて、再び歩みを進める。

 一応、友人に話しておくべきだろうか、と考えながら、及川は気の抜けた足取りでその後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

「遅かったな」

 雛里と最後の軽い打ち合わせをしていた一刀は、再び庭に帰って来た沙和と及川の方に顔を向けて、そう言った。

「ゴメンなさいなの〜。遅刻しちゃった?」

「いや。今ちょうど、みんな整列を終えたところだ」

「間に合って良かったの〜。あれ、素敵な襟巻してる〜!」

 

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「良いだろ?月の手編みだぞ」

「へ〜、沙和は裁縫専門だから、編み物はしたコトないの〜。今度、月ちゃんに教わろうかなぁ」

「仕事をキチンと終わらせた後なら、俺は何も言わん」

「う゛。ち、ちゃんとやるよぉ……あはは」

 

 沙和の乾いた笑いに、緊張が漂っていた兵士たちの間の空気が僅かに緩み、小さな笑い声がいくつか上がった。

「さて。これで後は翠だけだな。あいつが来たら、各隊は順次出動。持ち場にて待機だ」

 一刀の言葉に、沙和が不思議そうに小首を傾げた。

 

「そう言えば、翠さんが居ないの〜。まだ寝てるの〜?」

「それは―――」

 雛里が口を開こうとすると、隊舎の奥から『ギャ―――!!』という、色気の欠片もない叫び声が上がった。

 

「ど、どしたの〜!!?」

「気にするな。ただの曹操軍の奇襲だろ」

 一刀は溜息混じりにそう言うと、パンパンと手を叩いた。

「おっし。各隊に分かれて出陣準備〜。((寝坊助|ねぼすけ))姫の隊以外は、順次しゅった〜つ!」

 

「あ。そう言えば、翠さんてお姫様でしたね……」

「何気に酷いな、雛里……まぁ、後は頼む」

「はい、無事のお戻りを。ご主人様」

 一刀は、恭しく首を垂れる雛里に微笑みを返すと、自分も及川を呼んで、表門まで速足で歩き出した―――。

 

 

 

 

 

 

「理不尽を感ずる……」

「何がだよ」

 闇夜の中を縫うように歩きながら、一刀は後ろから聞こえる及川の声に、返事をした。

「だってお前、俺は誰のものとも知れぬ汗の臭いの染み込んだコートっぽい物で、お前は美少女が編んでくれたマフラーとか、いくらなんでもサベツだと思うの」

 

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「そう言うな。その上着だって歴戦の古強者だ。昔から兵隊と海の男は迷信深いと決まっててな。持ち主が死んだ服なんか備品室には置いておかない。ゲンを担ぐと思ってろ」

「そう言われればまぁ……」

 及川は、慣れないホルスターの重みでズボンがやけにずり下がる様な感覚を気にしながら、闇夜に目を凝らして一刀の背中を追う。

 

 

 

 市街地のど真ん中ですら漆黒の闇という、現代人には何とも現実感のない状況の中、友人がスタスタと軽快に歩を進められるのが俄かに信じられない。

 足が地面に付いているかも怪しく感じる程で、まるで宇宙の中をふわふわと漂っている様な気すらする。

「お前、こんな真っ暗な中で、よく道とか分かるよな」

 

 及川が、前の闇に向かってそう言うと、闇から答えが返ってくる。

「慣れだよ。尤も、普段はこんなに暗くないんだぞ、街の中は。この前の罵苦の襲撃で色里や酒屋は軒並み臨時休業だし、力仕事の男達も復興作業で連日フル稼働だからな。出歩く人間も、起きてる人間も殆ど居ないのさ。それに、蝋燭とか油も復興作業の現場に回してて品薄だから、みんな灯りを節約してるんだ。この時代じゃ、灯りが無ければ寝るか布団の中で励む位しか、やる事なんてないしな」

 

「へ〜」

 及川は感心した様に相槌を打つと、改めて周囲を見回してみた。少しは目が慣れてきた事もあり、確かによく見てみれば、家屋の玄関先や通路の端々に((行灯|あんどん))の様な物が設えてあるのが分かる。

これら全てに灯りが燈っていれば、随分と印象が変わるに違いない。

 

「着いたぞ」

 一刀の声に我に返った及川が慌てて足を止めると、どうやら前の闇の中では、一刀があちこちと周囲を見渡している様だった。

「えぇと、こっちが北だから、賊が来るとしたらこっちだろ……」

 

 そんな事を独り言ちる事、数瞬。一刀は「よし」と呟いて闇の中から及川に声を掛けた。

「あそこの路地に隠れるぞ。静かにしてろ。住人の迷惑になる」

「お、おう」

 及川は、一刀を追って路地に入ると、刀を剣帯から外し、身体に抱え込むようにして木箱らしき物に腰掛けた一刀に倣って、その隣に腰を下ろした。

 

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「なんか、お前と別れた日みたいだな」

 及川が感慨深げにそう言うと、一刀も頷く。

「あの時は暑かった」

「あぁ、お前、刀を隠すのにロングコートなんか着ちゃってさ。そりゃ暑いって。返って怪しかったし」

 

「パッと見で銃刀不法所持よか、ただ怪しいと思われる方がマシだからな」

「そりゃそうだ―――なぁ」

「うん?」

「その、迷惑だったよな。付いて来るとか言ってさ。悪い」

「良いさ。多分、立場が逆なら同じ事言ってたしな」

 

「その割に、怒ってたみたいだけど?」

「自分が人を殺すところを友人に見られたいと思う程、俺はナルシストじゃない」

「あぁ、そっか……」

 及川は、何やらストンと腑に落ちるのを感じて、申し訳ない気持ちになった。一刀が言う様には、欠片も考えていなかったからだ。

 

 やはり、この世界の価値観と言うのは、現代の日本とは比べうるべくもない物なのだろう。

 だが、後悔はしていない。自分には、友人がどの様な世界に生きているのかを見届ける責任があると思う。

 少なからず、二度も命を救われたのだから―――それ位は、寄り添ってやりたいではないか。

 まさか直接など、恥ずかしくて口が裂けても言えたものではないが。

 

「手を脇の下に入れておけ」

「え?」

 僅かな間の沈黙を破った一刀の言葉に、及川は意表を突かれて間抜けな声で答えた。

「手が((悴|かじか))むのを防げる。まぁ、無いとは思うが、いざと言う時に銃を取り落とされると困るからな」

「分かった……うひっ」

 

 すっかり冷えた自分の手が、温かい脇の下から一気に体温を奪った事に奇妙な声を上げてしまうが、直ぐに手の感覚が戻って来た事で、気持ちは随分と楽になった。

 今や目もだいぶ闇に慣れ、一刀の表情も読み取れる位だ。その一刀は、顔の下半分を赤い襟巻に埋めて、静かに目を閉じていた。

 

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 集中力を高めているのだろう。

 その姿を見ていると、彼の祖先も、こうして夜の闇の中で息を潜めて敵に斬りかかる機会を伺っていた事があったのかも知れない、などと、とりとめもなく考える。

 それから、どれ程の時間が経ったのか。

 満天の星が彩る夜空を甲高い呼子の笛の音が引き裂くのと同時に、北郷一刀は静かに目を開いた―――。

 

 

 

 

 

 

「こっちだ、急げ!!」

「畜生、警備隊の狗どもめ!鼻だけは利きやがる!!」

「グズグズ抜かすな!さっさと走れ!」

 闇に溶ける様な黒装束を纏った総勢6人の男達が、その荒々しい声に似付かわしくない静かな足取りで、夜の路地をひた駆けていた。

 

「それにしても、昨日の今日で動きを気取られるとはな。やりにくくなったもん―――ん?」

 盗賊の鍛えられた夜目に、白と赤がゆらりと行く手を遮っているのが視えた。どうやら、赤い襟巻を巻いて白い外套を羽織った、若い男のようである。

 どこぞの酔いどれか、それとも唯の通りすがりか。いずれにしても、邪魔な事に変わりはない。

 

「チッ。退きな!兄ちゃん!!」

 万が一の為にと素早く懐の短刀の柄を掴み、盗賊達は速度を落とさずに男に向かって行く、と、「いや、待て!止まれ!!」と、誰かが叫んだ。

 その声に、僅かに注意が逸れた刹那、立っていた男の影が、ゆらりと動いた。

 

「え―――」

 先頭の盗賊が気が付いた時には、既に男とすれ違っていた。だが、おかしい。目算が合わない。

 まだ、そんな距離ではない筈だ。すると、相手がこちらに向かって来たとしか考えられない。

 そう結論付けた瞬間、ガクンと膝が落ちて、盗賊は走っていた勢いのままにもんどり打って地面に倒れ込んだ。

 

 

 

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「あ、痛てぇ……あれ?」

 思わずそう呟いて痛みの元の足を持ってみようとすると、今度は手が動かない。寒さで悴んだのでは勿論ない。では、何なのか。

 不思議に思って、どうにか身体を巡らせて腕を見てみると、前腕と二の腕を繋ぐ肘の裏当たりが、装束ごとパックリと割れて、血がどくどくと流れ出ている。

 

 傷口からは、白い腱が覗いていた。

「あ、あ、い、いて―――」

 認識が追い付いて感覚がそれに続き、大声を出そうとした瞬間、周囲から「痛てぇよぉ!!」「助けてくれぇ!!」という仲間たちの声が上がっていた。

 

 思わず、腹筋の力だけで身体を起こして周囲を見渡すと、路地一杯に、自分を含めた5人の仲間が倒れ込んで、痛みの為にゴロゴロと地面を転げまわっている。

「ちっ……ぎゃあぎゃあと五月蠅ぇなぁ。大の男が、腱の一本や二本断たれた位で大騒ぎするんじゃねぇよ」

 

 その内容とは相反する様な涼やかな声が聴こえた。それは今、ただ一人、足を止めた最後の一人と対峙している、白い外套の男から発せられたのだろう。

「ちくしょう、俺は三本も斬られてんぞ!」

「こっちは四本全部だ、クソ!全然動けねぇ!!」

 

 仲間内の誰かの声とでも思ったのか、盗賊達がそう叫ぶと、今度は僅かに愉快そうな声音を帯びて、再び言葉が返って来た。

「はは、それなら仕方ねぇ。ちっと位は喚いて良いぜ。俺も、暫く手が離せねぇ事だしな」

 声の主の白い外套の男は、眼前の男から視線を反らさず、ゆっくりと兼光を正眼に構え直した。

 

 黒装束を纏った男は、それに呼応する様にして背に結ってあった直槍を手にし、穂鞘を振り落とす。

「名乗りたければ受けてやる」

 白い影が静かにそう言うと、黒い影が「朱寒」と短く答えた。

「警備隊総取締、北郷一刀だ」

 

 白い影―――北郷一刀―――が名乗りを上げるのと同時に、槍の穂先が唸りを上げて一直線に喉を狙って突き出される。

 一刀が、すんでのところで相手の体を流す様に左袈裟にそれを払うと、朱寒を名乗った槍遣いは、するりと距離を取り直す。

 

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「せっかちな男は嫌われるぞ」

 じり、と一歩距離を詰めようと踏み込んだ一刀にたいして、きっかり同じ距離後ろに引いた朱寒が、覆面の中でニタリと嗤った。

「元より、誰かに好かれたいなどと思った事はないな……あんたと違って」

 

「そうかい。良いもんだぞ、佳い女に囲まれるのは」

「じゃあ、あんたを殺した後、色里でたっぷりとその気分を味合わせてもらうさ!!」

 突きが、胸に一度、下腹に二度、続けざまに繰り出された。今度は大振りせず、最小限に切っ先を動かしてそれを払う。

 

 確かに鋭い、迷いのない突きだが、星や翠のそれとは比うるべくもない。

 あまりに直線的で、技巧としての面白味が感じられない。

 筋肉の動きに冷静に注意を向ければ、殆ど100%の予測が付く。

 それなりに腕は立つのだろうが、((所詮|しょせん))それだけ、という印象だ。

 

 簡単に槍を身体から離す迂闊さから考えて、((得物|えもの))のリーチで翻弄できる程度の敵しか相手にして来なかったのも明らかだ。

 星や翠なら、相手の力量が自分と互するかそれ以上と感じ取った瞬間、決して槍を身体から離す様な事はしないだろう。まして、それが自分よりも短いリーチの武器の遣い手なら尚更というものだ。

 

 敵の必殺の一撃は、間違いなく懐に踏み込んで繰り出されるのは分かり切っているのだから。

「見切った」

「なに?」

 朱寒が、訝しそうに北郷一刀を睨む。

 

「見切った、と言ったんだ。もう止めとけ、朱寒。お前の槍は俺には届かねぇよ。こんな路地裏で野垂れ死ぬより、どうせなら獄門台で派手に死んだらどうだ?」

「負け惜しみを!」

「なら、試せばいい。一応、警告はしたからな。化けて出るなよ」

 

「抜かせ!」

 一刀は、溜息を吐きたい衝動を抑えて、またも迂闊に突き出された槍の穂先を躱して一歩踏み込むと、((柄頭|つかがしら))で槍の柄を上から強かに打ち据え、刃を横にした。

 

 

 

 

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 次の瞬間、体を崩されて前につんのめった朱寒の首筋が、まるで引き寄せられた様に、兼光の刃に宛枯れる。

 あとは、僅かに手首を動かすだけで事足りた―――。

「だから言ったろうが」

 

 一刀は、くの字に倒れ伏して首筋から血を流す“朱寒だったもの”に向かってそれだけ言うと、懐紙で刀身の血を拭い、静かに納刀しながら、言葉も無く自分を見詰める盗賊たちに一瞥を呉れる。

「さて、こいつの後を追いたい位の義理があるって奴は居るか?」

 全員が、絡繰り仕掛けの様に首を横に振るのを満足気に確認した一刀は、暗闇に「もう良いぞ」と声を掛ける。

 

 そこから、青い顔をした及川が、よろよろと((覚束|おぼつか))ない足取りで姿を現す。

「大丈夫か?」

「あぁ……ちょっと、気持ち悪いだけ……」

「じゃあ、裏で“上げて”こい。みんなが来たら、騒がしくなるからな」

 

 一刀は、コクコクと頷いて踵を返す及川の背中を認めてから、すいと遥か彼方に見える物見櫓に視線を投げて僅かに微笑むと、応援に駆け付けようとしている部隊の足音が響いて来るのを聞き取って、視線を外した―――。

 

 

 

 

 

 

「うふふ。お見事なお手並みです、ご主人様。私の助勢など、必要ありませんでしたわね」

 黄忠こと紫苑は、優雅に((番|つが))えていた矢を外して矢筒に仕舞うと、物見櫓の上から改めて市中を見渡した。

 今まで紫苑が見詰めていた、一刀が立ち回りを演じた場所に、多くの高張提灯が一目散に向かっている。

 あの調子ならば、到着まではものの数分も掛かるまい。

 

 それはつまり、自分がここに居る理由もなくなったという事である。紫苑は、何事もなかった事に安堵の吐息を漏らして、階段を降りようと後ろを振り向いた。

 と、その時、まだ神経が昂っていた射手の鷹の目に、見覚えのある装束が見えた気がした。

 不審に思った紫苑が、再び集中して目を凝らすと、そこ―――一刀たちが捕り物をしていたところからは、復興作業現場を挟んでちょうど真反対に位置する区画―――を、メイド服を身に着けた女性が、両手に大事そうに何かを抱え、足音を間諜顔負けの足運びで疾駆しているのが目に入る。

 

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 メイド服は、北郷一刀がかつて意匠を考え、今は月と詠、それに彼女達が直轄する一部の侍女たちにしか着用を許されていない物。見間違う筈はない。

「あら、あの子は確か、朱里ちゃんが月ちゃんの護衛に付けてる隠密の子よね……」

 紫苑は暫く黙考すると、何かを思い付いた様にポンと両手を合わせた。

「昼間の噂……あぁ、そういう事……でも、どうしたものかしらね……ちょっと読んでみたい気もするけれど、ご主人様とお友達に悪い気もするし……」

 

 紫苑は、少女の様に人差し指を唇に中てて暫く考えると、「まぁ、ちょっと濁してご主人様に報告しておきましょうか。折角お友達と過ごしてるのに大騒ぎされたのでは、流石にお可哀想ですもの」

 そう悪戯っぽく微笑んで、階段を降り始めた―――。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、くたびれた……」

 隊舎に戻った一刀は、深々と息を吐いて自分の肩を叩いた。

「まさか、俺の方の魚籠に大物が二匹も迷いこんで来るとはね……」

「しかし、流石は隊長です!我らが加勢に赴く暇もなく、見事に頭目を生け捕りにするのみならず、用心棒もお手打ちになされるとは!」

 

 楽進こと凪が、我が事の様に胸を張って興奮気味にそう言うと、一刀は煙草に火を点けながら、「よしてくれ」とかぶりを振った。

「まぁ、誰が頭かなんて暗いわ((頬被|ほおかむ))りしてるわで全然分からなかったし、それこそ凪たちなら、あいつもひっ捕らえて裁きを受けさせる事が出来た筈だ。俺はまだまだ修行が足りてないよ」

 

「どうか、ご謙遜をなさらないで下さい。それでは、誇りに思っている我らも甲斐なく、悲しく思います」

「そうだな。ありがとう凪」

 一刀は、真剣な顔で自分の弱気を諫めてくれた凪の頭を優しく撫でてやってから、気持ちを切り替える様に凪に尋ねた。

 

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「しかし、そちらも大分早く済んだんだな。皆の実力は知ってるつもりだが、少し驚いたぞ」

「はい。翠様が、『遅れを取り戻すんだ!!』と張り切って自分の担当箇所を早々に制圧して、我らに加勢して下さったので……」

「あぁ、寝坊の恥ずかしさを誤魔化す為に、盗賊たちに八つ当たりしたのか……運がない奴ら……」

 

「その言い方も、お可哀想では……」

「いや、まぁ、なぁ?」

 凪は、直接、翠の寝起きの情けない声を聴いていないのを思い出して、一刀は言葉を濁して苦笑を浮かべると、そこに雛里がやって来て、クスクスと笑った。

 

「いずれにせよ、大した怪我人もなく、斬り捨てたのも片手の指で収まりましたし、無事に捕り物が終わって良かったです。お話はお伺いしましたから、文字に起こすのはこちらでしておきます。ご主人様は、もうお休みになって下さい」

「いや、そうはいかんて。翠も雛里もそうだけど、みんなが俺の為に、自分の仕事を押して手伝ってくれてるんだから」

 

「でも、ご主人様も連日の戦いでお疲れでしょうし、及川さんだってお寂しいのでは……」

「あ〜、俺なら大丈夫よ、雛里ちゃん」

 と、雛里の言葉に返事を返して、及川が隊舎から出てきた。防寒具を返しに、一人で備品室まで行っていたのである。

 

「一刀が忙しいのは知ってるからさ。不意の客だからって、何時までも甘えてられないしね。今日は一刀に寝酒でも分けてもらって、一人で寝るよ」

「そうですか?でも、ご主人様のお友達を歓待もせずでは……」

 申し訳なさそうにそう言う雛里に、一刀は微笑みを返した。

 

「そんな大層な事じゃないさ。こいつだって、今日明日にも帰るって言ってるわけじゃないし」

「そうそう。落ち着いたら改めてって事で!」

「あわわ。では、お言葉に甘えさせて頂きます。それでは、あの、お部屋でゆっくり見て頂こうと思っていたのですが、『ご主人様に直接』と、紫苑さんから書簡が届いていまして、それのご検分をお願いしたいのですけど……」

 

「はいよ。どらどら……」

「あ〜。なぁ、一刀。一つだけいいか?」

「あぁ、構わないぞ」

 一刀は、紫苑の書簡を開きながら、及川の言葉に耳を傾ける。

 

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「うん、実はだな……かくかくしかじか」

 及川は、人目を憚る様に一刀の耳に顔を近づけ、手で隠しながら小声で要件を伝える。

「ふむふむ……まるまるうまうまって事か。あぁ、なるほどね。この件とも繋がるし、昼間のみんなの態度も納得が行くな……」

 

 一刀は、紫苑の書簡から顔を上げると、雛里の方に向き直った。

「雛里、集合の銅鑼を鳴らせ!火急の任務だ!」

「ふぇ!?」

「駆け足!」

 

「ふぁい!!」

 雛里が、何がなにやら分からないながらも、庭先に設えてある銅鑼のところに走って行って一打ちすると、隊舎の各所から、鎧を脱いだばかりの隊員たちが、何事かとわらわら集まって来た。

「親愛なる警備隊員諸君。疲れているところを済まないが、予断を許さない状況になった!お前たちにはこれより、東第三地区方面に向かい、そこで営業する写本屋を全て探し出してもらいたい。そして今夜、依頼を受けた原稿を、虱潰しに俺の元に持って来て欲しいのだ。乱暴は許さないが、断固とした態度で、この北郷一刀の勅命である事を知らしめた上で当たってくれ」

 

「あの、どのような内容の原稿なので?」

 一人の隊員がそう声を上げると、一刀は首を横に振った。

「それは言えない。故に、俺が全てを直接、検分したいのだ。勿論、お前たちにも見る事は禁ずる」

 ざわつく隊員たちを見回した一刀は、それを手で制した。

 

「疲れているお前たちに無理を言っているのは重々承知の上。だから、タダ働きをさせる((心算|つもり))はない―――俺が望む物を手に入れてくれた者には、俺の((秘蔵艶本|コレクション))の中から好きな物を一冊、進呈しようではないか!!」

 その言葉を聞いた瞬間、疲れを滲ませてげんなりとしていた男達の間から、戦前夜も斯くやと言わんばかりの雄たけびが上がる。

 

「更に!今なら漏れなく参加者全員に、憧れの将軍のブロマイドに直筆の宛名付き((揮毫|サイン))を貰ってプレゼントしよう!!」

 今や、男達の雄たけびは、戦前夜どころではなく、総攻撃の時のそれへと変わっていた。

「北郷様!地和ちゃんは将軍に入りますか!?」

 

 

 

-24ページ-

 

「格別の計らいを持って、入れて遣わす!」

「よっしゃー!!」

「北郷様、北郷様!では孟獲ちゃんは!?」

「貴様、中々に紳士であるな!よし、任せておけ、肉球ハンコも捺してもらってやる!」

 

「おぉ……!もはや思い残すことなし!然らば、この命に代えましても!!」

「うむ、では行け!念を押すが、暴力沙汰は禁止だからな!!」

「「喜んで―――!!」」

 雪崩打つが如く隊舎を後にした兵士たちを満足気に見遣った一刀は、呆然と立ち尽くすしかない三羽烏と雛里に向き直ると、何事もなかったかの様に腰に手を立てて伸びをした。

 

「これでよし、と。さ、仕事が増えちまったから、俺もジャンジャン働くぞ!」

「え、いや、でも、アレはどないすんのや、隊長?」

「ん?アレってドレ?」

 真桜の問いかけに不思議そうに首を傾げる一刀に、三人は何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 

 雛里だけは一人、何やら得心したようだったが、まぁ、そこは流石に大軍師だけあり、全てを察したのか、未練を振り払って関わらない様にしようと決めたらしく、あははと曖昧な笑い声を上げるに留めている。

 因みに翠は、帰り道で直接、自分の屋敷に帰ると言って、隊舎には戻っていなかった。

 

「あぁ、そうだ及川。寝酒な、俺の仮眠室の机の一番下の引き出しに入ってるから、飲んで良いぞ」

 急展開に三羽烏と同様に呆然としていた及川は、そういえばそんな話をしたな、と思い当たって頷いた。

「あ、あぁ……しかしまぁ、なんだ。男ってのは、いつの時代も哀しい生き物なんだな……」

「言うな。良しにつけ悪しにつけ、欲ってのは世界を動かす原動力だ」

 

「そんな大層な話かぁ?」

「俺にとっては、な。それでなくても色々と言われてるのに、この上もう一つ肩書が増えるのなんて御免被る」

 一刀はそう言って肩を竦めると、報告書を書くと部下達に言い残し、執務室への道をさっさと歩いて行ってしまった。

 

 残された及川も、雛里と未だ釈然としない表情を浮かべる三羽烏に暇乞いをして、仮眠室への道を歩き出す。自分がぼうっと傍をウロウロしていたのでは、仕事にならないだろうと思ったのである。

 自分でも気付かぬ内によほど疲れていたのだろう。多少の酒で寝れるのか、という杞憂はまさに杞憂に終わり、小振りな中国茶用の茶碗に二・三杯の酒を舐めただけで、及川祐の意識は心地よく夢の中に沈んで行った―――。

 

-25ページ-

 

 

 

 

 

 

 

 それからの事を、どこまで詳しく語るべきか。

 原稿を目の前で焼き捨てられ、八〇一執筆禁止令を言い渡された時の諸葛亮朱里の慟哭?

 歴史に冠たる王たちと食事をさせられて、緊張のあまり嘔吐しかけた事?

 そればかりか、改めて盛大な宴会を催してもらい、映画の中でしか見た事がないような、豪勢な御馳走をしこたま食べさせてもらった事?

 

 “卑弥呼”という名前に胸膨らませた結果、出てきたのがマイクロビキニ燕尾服のガイゼル髭ダンディだった事?

 まぁ、どれを取ってもエッセイ一編書けるレベルの経験ではあろうが、それにしても、時が流れるのが早過ぎて、こうして“帰る”段になっても未だに整理しきれていないのだから、自分も大概、記者失格だろうと思う。

 

 

 城下町を守る巨大な壁の外は、今日も抜ける様な青空と、どこまでも続いていそうな大地が広がっていた。

「じゃあまぁ、気を付けて帰れ」

 一刀が、何とも読み取れない表情でそう言うと、及川も曖昧な笑顔で応える。

「あぁ、その……うん」

 

『いや、もう会えない』―――かつての別れ際、そう言われた事が頭を過り、及川は「それじゃ、また」という言葉を飲み込んだ。

「すまない」

「何が?」

 

「親父とお袋と、それに巴の事も……お前に手紙なんか頼んだせいで、きっと厄介な言い訳させてるだろ?」

「いやまぁ、それは仕方ないさ。怪物と戦って異世界に行っちゃいましたなんて、信じてもらう方が難しいんだし」

「そうだが……」

 

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 及川を先導するように先に立っている卑弥呼も、一刀の後ろで見送りに来ていた女性たちも、静かに二人の遣り取りを見守っている。

「まぁ、腐れ縁とはいえ、縁は縁だからな。腐ったなりに世話はしてやるよ。根無し草のダチなんか持った自分の悪運だと思ってさ」

 

 及川は、ちょっとはニヒルに見えればいいが、などと思いながら笑顔を作って、今度は戸惑う事のないように、しっかりと言葉を口に出す。

「じゃ、元気で」

「お前もな」

 

 一刀の笑顔を確認するように、及川は小さく頷いてから踵を返した。

「じゃあ、お願いします。卑弥呼……さん?」

「今の疑問符に関しては、聴かなかった事にしておくぞ。ご友人。では、行こうか。少し、離れんとな」

 及川は、意識を反らそうと何ともなしに卑弥呼の逞しい背に目を遣りながら、怒涛の様に過ぎ去った思いがけない休日の記憶を思い出していた。

 

『俺は、この世界を存続させる為に選ばれた駒なんだ』

『あはは!二人は、本当に仲良しさんなんだね♪だって、今みたいに誰かと楽しそうに言い合いしてるご主人様なんて、見た事ないよ?』

『やれると“思う”じゃない。やるんだよ。でなきゃ死ぬぞ』

 

 頭の中を、グルグルと取り留めもなく台詞がリフレインしている。信じられないほどの美貌の女性たちに囲まれて、戦乱の世界を制して、何不自由のない生活で、一人で化け物と戦う英雄で、でもあいつは、北郷一刀は、ごく普通の少年だったのだ。

少なくとも、自分と出会った頃は。

 

 それを覚えている人間も、当時の思い出を笑い合ってバカ話をする人間も、血の繋がった親も兄弟も故郷すらも“存在すらしていない”世界で、あいつはこれからも英雄を演じて生きていく。

 佳い女を抱いて、いずれは子供も出来て、怪物を殺して、時には人も殺して、命を的に生きて行く。

まるで、多くの男が夢見る冒険譚の様に。

 

 でも―――でもそれは、自分が自分として生まれ育ったアイデンティティ全てと引き換えると言う事で……実はとても孤独で、とても寂しい事なのではないだろうか?

「あの、卑弥呼さん?」

「それ以上言えば、引き返せなくなるぞ。ご友人」

 

-27ページ-

 

 卑弥呼は前を向いたまま、静かに歩みを止めた。

「外史の結末として正史と交わると言うのならまだしも、悪戯に正史と外史の境界を曖昧にし過ぎれば、それは外史にとって決して良い事とは言えぬ。後々『やっぱり帰りたい』と言われても、首を縦には振ってやれぬぞ」

 

「……あぁ」

 及川祐は、小さく頷く。こういう気持ちなのか、と思う。全てを―――自分が自分である事を確立する為に過ごして来た時間と世界を捨てると言うのは、こんなに怖いものなのか。

「でも」

 北郷一刀は、そうする道を選んだのだ。

 

「あいつが行くって言うんなら」

 選ばれたわけもない自分が、何が出来るかなど分からない。

 ―――しかし、心くらいなら。

「俺も付いて行く」

 寄り添ってやれる筈だ。自分にも。

 

 だって。

「……だってダチってのは、昔からそう言うもんでしょ?」

「フッ、奇特な事だ」

 卑弥呼は僅かに及川に顔を向けて、無駄にダンディズムを滲ませて微笑んだ。

 

「だが……それも人、か。好きになされよ」

 卑弥呼はそれだけ言うと、再び歩き出した。

「うぅ〜〜〜〜!!」

 及川は、身体をくの字に曲げて大きく息を吸い、両手を力いっぱい握り絞める。

 傍から見たら、急な腹痛にでも襲われたかと思われる様な体勢だろう。

 

 だが、宣言しなければ。

 自分が生きてきた世界に。自分が生きて来た人生に。

 なにより、今の自分自身に。

 及川祐は、拳を作った両腕を、蒼穹に掲げる。

 

 そして―――。

「やっぱ、や〜〜〜〜めた!!!!」

 自分のどこにそんなものを出せる器官があったのか、と思える程の((大音声|だいおんじょう))でそう叫ぶなり踵を返し、ポカンとした顔でこちらを見ている友人の元に、年甲斐もなく駆け出した―――。

 

 

-28ページ-

 

 

                            あとがき

 

 はい。今回のお話、如何だったでしょうか?

 いつの間にか放置してたTwitterのアカウントが乗っ取られったりして焦ったりもしましたが、何とかもう一度、心身共に筆を進められる環境が整いそうだったので、一気に最後まで書き上げました。

 私を見捨てずにお気に入り登録を外さずにいて下さったみなさんには、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

 正直なところ、一刀の捕り物がひと段落したところで一度切ろうか、もう少し及川の滞在記を書くべきか、と思い悩みもしたのですが、顛末まで一気に書き切ろうと思い直して、こんな感じになりました。

今回は文章量も多く、特に後半は半ば勢い任せに書いている部分がありますので、誤字脱字が多いかも知れませんが、そんな時にはお気軽にコメントにてお知らせくださればと思います。

 

 ご本家も、なんと三年連続リブート発表、しかも各勢力フルプライスでの発売だそうで、下手すると萌将伝の様なFDが出る事になったら4〜5年は恋姫が続く事にw

 また恋姫人気が盛り上がってくれれば嬉しいのですが、私の場合、今更になって公式の新キャラを出す余地ないしどうしよう……という不安もあったりなかったりですw

 

 ともあれ、時間が掛かっても引き続き書いて行くつもりではおりますので、引き続き応援して頂ければこれほどの励みはございません。

 ではまた、次回お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明
どうも皆様お久し振りです。
YTAでございます。
こればっかり言っている様な気もしますが、またもや長々とお待たせしてしまい、申し訳ありません……。
しかしながら、ボリュームはたっぷりご用意しましたので、どうかご容赦下さればと思いますです、はい……。

では、及川の帰還シリーズ完結編です。
どうぞ!
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コメント
アルヤさん 再読頂いたとの事、ありがとうございます。嬉しい反面、試行錯誤していた昔の文章は、今自分で読み返すと少し恥ずかしいですw折角残ってもらったので、及川氏には今後、重要なポジョションを任せたいと思っております。ご期待に添えれば良いのですが。(YTA)
更新から半月、一から再読してまいりました。及川が今後、この時代で何をなしていくか、楽しみにしております(アルヤ)
スネークさん 幸い、普段は放置してたアカウントで掛けたこともないレイバンの宣伝を何度かさせられただけで済みましたが、あるもんなんですねぇ、乗っ取りとか。頑張って書き続けたいと思いますので、引き続きご愛顧の程を宜しくお願い致します。(YTA)
殴って退場さん お待たせしました!及川くんは、もう少し一刀と差別化出来ればと模索中です。タカとユージみたいなコンビにしたいなぁと夢想しておりますw朱里さんはまぁ、ムツッリをちょっと拗らせただけだと思って頂ければw(YTA)
アカウントの乗っ取り!?Σ(゚ロ゚;)大変だったんですねぇ…いつも楽しく読ませてもらってます。更新頑張ってください!!(スネーク)
再開待ってました。ここの及川も渋い男に成長したな。それに比べて朱里は……何と言ったらよいのやら。(殴って退場)
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