Aufrecht Vol.16 他人 |
だるまのようにころんとした花器が、床の間にひとつ置かれている。絵付からして有田焼だろうか。芒が豪快に生けてあるのが印象的だ。
「俺に話したいことってなんですか?」
寸分の隙も逃さないというように、私を見る目に警戒の色が濃くなっていく。彼の心中を察するのには、それだけで十分だった。新選組としての私を心憎く思っているのがよくわかるのだ。
「どうやら、私の知っている結城くんではなさそうですね。」
話したいことは山ほどあったのに、別人だと判った瞬間から話すことはなくなってしまった。
「え? どういうこと?」
顔を合わせたとたん会話が終わってしまったことに、星さんは理解のしようもなくおろおろとしている。
「俺だって分からないよ。なんで新選組なんかと…」
吐き捨てるように言った彼の言葉に、彼女の眉がピクリと反応を示す。
「翔太くんの気持ちも分かるけど、もうちょっと言い方ってあると思う。」
我慢できずに膝を詰めた星さんが、結城くんを軽くなじるのを見て複雑な心境になった。彼に落ち度はない。
「いいんです。私の思い違いでした。不愉快な思いをさせてすみません。」
星さんにとってみれば、結城くんはこの時代で唯一の理解者だ。私を庇ったりして仲違いするのは良くないし、私が非を認めれば済むのなら、それに越したことはないだろう。
でも、そういう意図的な収め方を彼女は嫌ったのか、むきになって真相を突き止めようとしているみたいだった。
「思い違いってどういうことですか? 沖田さんは、翔太くんと話をしたって言ってましたよね?」
「はい。未来の話ですけどね。」
未来と断定していいものかわからないけれど、平成という年号に飛ばされたのは紛れもない事実で。その事実を初めて知る結城くんにしてみれば、まさしく寝耳に水というところだろう。
「未来!? 嘘ですよね?」
勢いあまって腰を浮かせた彼の目に、信じたくないという気持ちがありありと映し出されている。
「残念ながら、嘘ではありません。あることがきっかけで、こっちに戻ってきたんです。」
「とてもじゃないけど、信じられない…」
「最初は私もそう思いました。今でもこう思うときがあるくらいです。もしかしたら、夢でも見てるんじゃないかって。でも、夢じゃないみたいなんですよね。」
睡眠時に見る夢の層は、透明なフィルターのように何層も重なっているらしい。それらの境界はひどく曖昧なもので、現実か夢かの区別がつかないこともあるようだ。夢の分野に関してはまだ研究が進んでいないから、これも仮説の域を出ないんだろうけど、もしも今見えている世界が夢だとしたら、私は夢の中で四苦八苦を繰り返していることになる。
(夢じゃないと思いたいけど…)
手のひらを握ったり開いたりと意味のないことをして、私は一人で苦笑した。それを怪訝そうに見ていた結城くんは、私の主張に納得できないとばかりに質問をぶつけてくる。
「どうやって未来へ行ったんですか?」
「それは…たぶん猫の仕業です。」
自分の口から紡がれる科白に思わず苦笑いを浮かべると、それに対する結城くんもひどく素っ頓狂な声を上げた。
「猫!?」
(そりゃ誰だって呆れますよね…)
気後れしたように目を伏せる私を見かねたのか、彼女はすかさず助け船を出してくれた。
「翔太くんは知らないかもしれないけど、黒猫って魔除けになるとかで飼ってる家もあるんだって。で、沖田さんの近くにいた猫が、不思議な力を持っててね、それで未来に飛ばされちゃったみたい。そうですよね?」
「はい。どうやらそのようです。」
「猫が…」と小さく呟いて、結城くんは難しい顔で唸っている。その横で、星さんは念を送るみたいに息を詰めて見守っていた。
「じゃあ、幕末に戻って来られたのはどうしてなんですか? それも猫の仕業とか…?」
「そうみたいですね。黒猫にしてやられました。」
もっと具体的に立証できればいいんだろうけど、そうとしか答えられない現状が恨めしいと思う。さらに言えば、結城くんがあのときの結城くんであったなら、この場もすんなりと切り抜けられたかもしれない。
「そんなことって…」
「あるんだよ、翔太くん。だって、私たちもカメラのフラッシュで飛ばされたじゃない。普通に考えたらありえない話だよ?」
彼らなりに整合性を求めて議論し合うのを、黙って私は聞いていた。私の体験を彼らが理解できないように、私もまた彼らの体験をこの目で見たわけではなかったからだ。
「そうだよな…でも、猫か。俺たちとは違って生き物じゃん。気味が悪くないか?」
「う、うん…確かにね。」
はっきりと物を言う彼の傍らで、その言葉に同調するのは私に悪いと思ったのか、彼女はぎこちない頷きを返し、申し訳なさそうに目を伏せてしまった。確実に板挟みになっている。土方さんを待たせていることもあるし、彼女の心労が重なる前にタイミングを見計らって切り上げたほうが良さそうだと思った。
しかし、結城くんの追求心に火がついてしまったみたいで、彼はまだまだ疑問の尽きることがないようだ。
「その黒猫っていうのは、突然現れたりするんですよね? また飛ばされる可能性があるってことなんじゃないですか?」
「可能性はあると思います。その前にカメラを見つけて、未来へ帰りたいなと思っているんですけど…」
未来へ帰りたいという意思を告げたとき、彼の顔つきがこわばるのを私は見てしまった。たぶんそれは、歓迎されていないということを暗に物語っているのだろう。彼が次に口を開いたとき、それは責めるような口調に変わっていた。
「未来へ帰るんですか? でも、あなたは元々幕末に生まれた人じゃないですか?」
もとは優しげな顔をした青年が、語気を鋭くして私を睨みつけている。本心では何を言いたいのか、それだけでもう見当がついてしまった。
「翔太くん。」
腕に縋るようにして、星さんは彼をなだめようとしていた。それより先は何も言わないでほしい――彼女はそんなふうにかぶりを振る。
(やり方を変えても、他人に心を砕いても、やっぱり自分は周りを傷つけてしまうんだな…)
自分の考えや行動のひとつひとつが、この世界に影響を及ぼし、形を崩し、歪めてしまっているのだとすれば、流れに逆らわずに大人しくしている方がいいに決まっている。けど、何もしなくてもいずれ世界は崩壊するのなら、彼に恨まれることになったとしても、可能なかぎり手を尽くしたいと思うのは間違っているんだろうか。
「君は知らないかも知れないけれど、私は結核なんです。この時代でいうと労咳。治療法がない。」
そう断言すると、彼は驚きもせずに私を見つめていた。その瞳はしんと静まり返っていて、どことなく冷たい。
「知ってます。それが、あなたの辿るべき最期…ですよね?」
(たどるべき…か)
まるで、それが正しい結末であるかのような言い方だった。ふと彼の隣に目を向けると、星さんは言いたいことを我慢するように口を引き結んでいる。彼女は何かにつけて労咳のことを気にしていたけれど、いざ結城くんがその話題に触れると聞きたくなさそうに顔を歪めているのだ。
――未来に行けば治療法が見つかるかもしれないんです
治らない病気だと知ってからの彼女は、とにかく私を説き伏せようと必死だった。どんなことをしてでも未来へ連れて行くのだという信念に燃えていたからだ。
しかし、幼なじみである結城くんは、それとは真逆のことを主張している。だから、彼女の落胆は見ていてつらかった。
「そうですね。でも、未来には治療法がある。それも、驚くほど簡単な治療法が。」
幕末では治らない病気が、あっという間に癒えてしまうなら、誰だってそれにすがりたくもなるだろう。たとえそれが、宇宙の法則から大きく外れていたとしても。
「未来に治療法があると知って、あなたは生きられることを知った。でも、また戻ってきた。また未来へ行ったら、もう一度こっちへ戻される可能性がある。無限ループのように。それでも、未来へ行くって言うんですか?」
(さすがに鋭いな)
感心するのと同時に、星さんに不自然な変化が見られた。結城くんの指摘に、彼女は釈然としないものを抱えながら首をかしげている。
「…え?」
やがて理解したように茫然となり、星さんは彼の口もとだけをしきりに凝視していた。彼女の様子は気になったけれど、今は結城くんの問いに答えなければならない。
「うまく説明はできないんですけど、今度こそ向こうに留まれるような気がするんです。君には無責任だと思われるかもしれないけど、こっちに来てからいろいろと整理をして。それで自分なりに分かったことがあるんです。だから、今度こそ上手くいくという自信がありますよ。」
気負いなく微笑むと、見上げるような視線が最後の質問を投げかけた。
「…その根拠を聞いてもいいですか?」
(根拠はあるにはあるけれど…)
星さんの手前、どう答えるべきか言い方に戸惑ってしまった。
一度死んだことは伏せてある。でも、その事実に触れないかぎり、根拠となるものを証明できないし、前後の辻褄が合わなくなる。何より、説得性に欠けてしまうことが大問題だった。そのせいで、私は明らかに狼狽していた。
「あ…えっと…」
なぜか歯切れの悪い私を前に、瞳を揺らす彼女は不安げだった。
「あなたが不安に思うことなんて、ひとつもないんですよ。」と、即座に答えられたら良かったのに、それすらできないまま彼女の瞳を見つめ返すことしかできなかったのだ。
(……)
そうしてしばらく硬直していると、結城くんは見る見るうちに険しい表情になり、隠し事を暴くみたいに声のトーンを低くした。
「星がいたら話せないことなんですか?」
「すみません。そういうわけじゃないんですけど…」
言い当てられてギクリとしたそのとき、すり足で廊下を歩く音が聞こえてきた。誰かが通り過ぎるのかと思って待っていると、その足音はちょうど部屋の前にとどまり、気配を濃くして佇んでいる。
「話し中すんまへんなぁ。」
するりと戸を開けた藍屋さんに、二人の視線が言うまでもなく集中している。その隙に、私は安堵の溜息を洩らしていた。
(助かった…)
弱りきった私の態度はあからさまだったのかもしれない。藍屋さんは取り出した扇子で口もとを覆い、何やら思案気な顔つきになっていた。敏感な彼のことだから、この場の空気を瞬時に理解したのかもしれないなと思う。
「沖田はん。表で土方さんがお待ちでっせ。なんでも、壬生から使いの方が来はって、今すぐ帰らなならんのやって。急いだ方がええんと違いますか?」
(まったくいいところに来てくれた)
本当に土方さんが表で待っているのかは分からないけれど、もしそれが本当なら窮地を救ってくれたことに感謝しなければならないなと思った。
(あるいは、藍屋さんに…)
「そうですね。ありがとうございます。では、そういうわけなので私は失礼します。」
慌てたように立ち上がり、その場しのぎに一礼だけして出て行こうとすると、結城くんはさらに食い下がるように待ったをかけたのだ。
「ちょっと待ってください!」
勢いづいて立ち上がった結城くんは、私を引き止めようとして手を伸ばしたけれど、部屋を出かかっていた藍屋さんにたしなめられてしまった。
「結城はん。引き止めたらあかん。こんお人はお勤めがあらしゃいますのや。」
「大丈夫ですよ。ちょっとなら…何です? 手短にお願いします。」
庇うよう立ちふさがる藍屋さんをなだめ、その肩をすいっと抜けた私は結城くんと向き合う格好になった。片膝立ちの彼は、今にも掴みかかりそうな勢いで睨んでいるが、普段の私だったらその程度では決して動じなかっただろう。しかし、この時とばかりはそうもいかず、彼の剣呑さに私の足は無意識に退がっていた。
「逃げたりしませんよね? この話の続き…後で聞かせてもらえるんですよね?」
「もちろんです。約束しましょう。」
「引き止めてすみませんでした。行ってください。」
約束という言葉が効いたのか、結城くんは意外にもあっさりと引き退がってくれた。彼の背後に潜んでいた星さんが、ひどく怯えたように見えたけれど、近いうちにまた会いに来ることを誓って微笑みを浮かべることしかできなかった。
「ほな、行きまひょか?」
藍屋さんに促されるままに、わだかまりを残して部屋を去る私であった。
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艶が?る二次小説沖田主眼。 | ||
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