白金とチョコレート |
普段使わない方のクローゼットを開けると、どこか別の場所に繋がっていました。
というのもどう見ても美絵の部屋のクローゼットの広さを超えていて、覗いて、足を踏み入れると空間が左右に長く広がっていたのです。その両端に扉があり、ここは廊下なのだと思いました。
――どうして廊下?
美絵は廊下と部屋を行ったり来たりしながら頭に幾つもハテナを浮かべます。いくら考えても何もわかりません。
あいにく相談する相手もいないので、少々ビビりながら廊下を奥まで調べてみることにしました。
廊下に入り、向かって右側の扉に向かいます。長い廊下は幅も広く、扉の前まで来て振り返ると、反対側の扉がとても小さく見えました。
部屋どころかマンションの敷地をあっさり突き抜けるほどの長さだったように感じましたが、その辺はひとまず考えないことにしました。
軋んだ音を聞きながら扉を開いていくと、そこは瓦礫にまみれた部屋でした。
天井が崩れて上階の部屋が覗けます。瓦礫で見通しが悪いながら、かなり広い部屋のようです。
廊下といい、大きな屋敷なのかもしれません。
瓦礫に更にビビりながらも、扉を見つけて先に進みます。
異常な状況に危険を感じつつ、好奇心が沸き上がってくるのも感じています。
他の部屋も壁が崩れていたり、窓が割れていたり、酷い有様でした。
なんだか高そうな椅子は埃をかぶり、西洋にありそうな甲冑は瓦礫の下敷きになっていました。
階段を登りながら、「もしかして屋敷というかお城なんじゃ?」と美絵は思いました。
ここまで人ひとり見かけず、この有り様。住んでいた人間に捨てられて忘れられた城なのかもしれないと思いました。
そんなことなどを色々考えながら進んでいると、見つけました。
美絵が立っている絨毯の伸びる先、大きな玉座にもたれかかるようにして座っているのは、眠れるお姫様でした。
純白のドレス。幼く愛らしい顔立ち。長く美しく流れるプラチナブロンド。
美絵は目が離せません。全てが終わっているこの城の中で、彼女だけが光り輝いていました。
玉座の間も天井が崩落し、至るところに瓦礫が溢れていました。天井の抜けた先には青空が広がり、太陽の光が部屋を照らしていました。
瓦礫を避けながら玉座の前まで歩み寄ると、呼吸で上下する胸やドレスと同じ純白の手袋が見えました。
目を奪われたまま、立ち尽くしてどのくらい時間が流れたでしょう。お姫様はゆっくりと瞼を開きます。
美絵はお姫様を。お姫様は美絵を。時が止まったかのように見つめます。
こうして、二人は出逢いました。
/
アルバイトを終え帰宅すると、テレビの音が聞こえる。疲れた疲れたとリビングへ。
「おかえりなさい」
「ただいまー」
あーうーと呻きながら学生鞄を放り投げるように降ろし、ソファに座っているエオニャの隣に体を沈める。テレビはゴルフ番組を映していた。何観てんだこの子は。
「ミー、ミー」
エオニャは私をミーと呼ぶ。ミエだと言いづらいようだ。
……ああ、呼ばれたのか。眠気でぼんやりしている自分に気付く。
「さっきかしつきがピーピーしてた」
「んん、わかった……」
「眠いの?」
「眠い」
「ふとん取ってくる」
エオニャは寝室から毛布を持ってくると私にかけてくれる。半ば意識をなくしながらソファに横になる。そういえばソファを占領してしまうなと思ったけど、エオニャも座ったままでいて太腿を枕にさせてくれる。なるほど。
「テレビ消さなくていいから」
「はい」
――色々あって、私は彼女をウチに連れていくことになった。
あれから結局他の人は誰も見つからず、あんな廃墟みたいな場所で女の子を一人にするわけにはいかなかった。
お互いまったく言葉が通じないのが難題だったけれど、幸い彼女がドンドン日本語を覚えていってくれたので助かった。……いや、私も彼女の言葉を覚えようとしたんですよ。でも英語でも中国語でもないことくらいしか分からなかった……。
彼女のことはエオニャと呼んでいる。本当はもうちょっと発音が違うらしいけど、彼女も私をミーと呼ぶのでおあいこだ。
エオニャはやはりあのお城?に住んでいたお姫様らしく、それまでたくさんの人たちと何事も無く暮らしていたのに、昼寝から目覚めるとあの有り様で目の前に私がいたという。
疑うつもりはないけど、本当なら相当ショッキングな出来事だ。なのに目覚めてしばらく取り乱した様子を見せはしたけど思いのほか早いうちに落ち着きを取り戻していたと思う。
……不思議な女の子だった。
二人で晩御飯にホッケとかを食べ、お風呂に入る。
流石お姫様というか、エオニャは自分で髪が洗えなかった。やり方を教えても良かったが、あの綺麗な髪を見ていると欲が出てしまい結局私が毎日洗っている。趣味だった。
そしてお風呂から上がり髪を丁寧にかつ手早く乾かす。彼女の為にドライヤーを新調するという気合の入りようである。
エオニャと暮らし始めて結構経つけど、毎日この時間が一番の楽しみになっていた。
「わたしもやります」
最近そう申し出るようになったエオニャが、やり方を真似て私の髪を乾かす。チョコレートブラウンに染めた髪に触れる白く小さな手。背後から聞こえる楽しげな鼻歌。
一人暮らしに不満はなかったけれど、今のエオニャとの生活はそれまでより気分が良かった。
でも、彼女は?
突然天涯孤独の身となって、知らない女に知らない場所へ連れて来られて。不安は? 恐怖は?
何も無さそうに見える。毎日楽しそうに見える。
あるいは寂しさが、より私に懐かせているのかも知れない。
私は、エオニャの寂しさを利用しているのではないか。
私も独りだから、誰にも頼れないし、誰にも話せない。
この状況は誰が望んだものなのか。
分からないことが多すぎて、真っ先に考えなきゃいけないことを先送りにし続けていた。
私とエオニャは、この先どうなるのか。
「ミー」
エオニャが私を見上げる。不安げに考え続けているから心配させてしまったのだろうか。私は何でもないという風に取り繕う。
「ん?」
「……アイス食べていい?」
「……」
アイス――。風呂あがりの、アイス。
なんてことはない。心配する表情に見えたのは、実際はおねだりの上目遣いだったのだ。
「……いいよ。持っといで」
「はーいっ」
嬉しそうに冷蔵庫に飛んでいくエオニャ。
一人の頃はアイスは気が向いたときにカップのものを一つだけ買っていたなと思い出しながら、エオニャが差し出す箱入りのバニラ味のアイスバーを一本取り出した。というか何箱ごと持ってきてんだこの子は。
「一本だけだからね」
「え〜?」
「一本だけ」
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