ひびいてくる 声
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   ひびいてくる 声

 

 

 

 男の子が、線路内にたっていた。

 

 中学校の制服をきた、背の低い、やせた子だった。

 

 両腕をだらりと垂らして、ただ、たっていた。

 

 みょうに、きれいに、刈り上げた、髪の毛。

 

 よごれひとつない、きれいな、制服。

 

 真っ白な、きれいな、スニーカー。

 

 青白いが、きれいな、顔。

 

 光の宿らない、瞳。

 

 でも、その少年のすべては、ぼろぼろだった。

 

 じっと、足下を、見つめている。

 

 足下にころがる、かつて、腕だった、肉塊。

 

 足下にころがる、かつて、足だった、肉塊。

 

 足下にころがる、かつて、胴体だった、肉塊。

 

 ばらばらにちぎれて、もう、何だったのかもわからない、肉片。

 

 自分とおなじ顔をした、かつて、自分だった、自分の顔。

 

 踏切の警報器が、終わることを忘れたかのように、鳴りつづける。

 

 人間を引きちぎっても、とまることができなかった列車が、踏切をふさいで

いた。

 

 ひとりの人間が、手も、足も、首も、引きちぎられても、血のにおいはしな

い。

 

 ただ、漂うのは。

 

 人のあぶらと臓物のにおいが混じり合った、むせかえる臭いだけだ。

 

 野次馬と化した人間が、線路のフェンスに群がっている。

 

 その人間たちには、線路内にころがった、人の形をのこした肉塊しか見えて

いない。

 

 かつて自分だった、肉塊を見つめて立ちすくむ、その少年が見える者は、い

ない。

 

 野次馬と化した人間が、スマホで、引きちぎられた肉塊を撮影している。

 

 もう、写真をネットにアップしている人間もいる。

 

 惨劇も、臭いも、嘆きも、悲哀も、同情も、興味の前には消えてなくなる。

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 夕暮れの、町並み。

 

 傾きかけた日差しが、ビルのかげを、ひたすら引きのばす。

 

 踏切がしまってできた、連なる車の列。

 

 排気ガスのにおいと、冷たい冬の空気。

 

 ときどきなる、怒りにまかせた、車のクラクション。

 

 野次馬の人間たちのささやきと、踏切に阻まれた人間のいらだち。

 

 いたたまれない混じり合った臭気と、1月の風の冷たさ。

 

 黒野ミコは、その光景を見ていた。

 

「本当に。すくわれないわね」

 

 黒野ミコが、つぶやく。

 

 目の前の惨劇に興味をひかれた人々には、その声は、聞こえない。

 

 その肉塊の横に、いまだ、その少年が生きていたときの魂が、立ち尽くして

いることも見えない。

 

 黒野ミコは、人混みの後ろから、無表情に、その光景をみていた。

 

 黒野ミコだけが、立ちすくむ少年の魂を見つめていた。

 

 今時めずらしい、刺繍がはいっただけの真っ黒いセーラー服。

 

 真っ黒のスクールバック。

 

 真っ黒の、ハイソックス。

 

 真っ黒の、ながい黒髪。

 

 黒一色の、黒野ミコだけが、そこに何があるのかを見ていた。

 

 泣き叫ぶ、人の声。

 

 中年の女性が、人混みをかき分けて、線路内にはいろうとする。

 

 鉄道会社の職員に、引き留められ、泣き崩れる。

 

 ささやきあう、人間のこえ。

 

 線路内に、破けて散らばった、中学校の通学カバン。

 

 びりびりに破けた、教科書。

 

 バカと、マジックで書き殴られた、ノート。

 

 おられた、シャーペン。

 

 カッターナイフで切り刻まれた、上履き。

 

 泣き叫ぶ、母親の声。

 

 一瞬、泣き声だけが、ほかの人間の声を、掻き消す。

 

 すぐにもどる、喧噪。

 

 スマホのカメラのシャッター音。

 

 人垣から漏れる、ささやき。

 

 踏切の警報器の音。

 

 遠くから、ひびいてくる、救急車のサイレン。

 

 立ちこめる、人のあぶらと、臓物の臭い。

 

 1月の、冷たい風。

 

 斜めから差し込む、真っ赤な夕日の光。

 

 町が、赤く染まり、黒い影がこくなっていく。

 

 すべての人の影が、長く引きのばされる。

 

 線路内にたたずむ、その少年のもの以外は。

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 黒野ミコは、その場所に、ずっとたっていた。

 

 のぼった月が、天井に達し、冬のつめたい空気を切り裂いて、月白の光を放

っていた。

 

 強い、月の光が、冷え切った路面に、かすかに黒野ミコのかげを刻む。

 

 深夜になり、人間の消えた町並み。

 

 線路内の、肉塊も、破れたカバンも、破かれた教科書も、バカと書き殴られ

たノートも、切り刻まれた上履きも、すべて、かたづけられていた。

 

 何事もなかったように、まっすぐにのびる線路。

 

 静まりかえった、町並み。

 

 消えてしまった人垣。

 

 列車も、車も、何も通らない。

 

 線路脇のフェンスに供えられた、花束と、ジュースと、スナック菓子と、誰

かが書いた悔恨の手紙だけが、そこでおこったことをその場に刻んでいた。

 

 黒野ミコのながい黒髪が、つめたい冬の風にゆれる。

 

 黒髪が、ゆらり、ゆらりと、ゆれる。

 

 終電の時間も過ぎて、光も、音も、何もない。

 

 そこに、あの少年の魂だけが、ぼろぼろになって、たっていた。

 

 黒野ミコが、その黒髪のように、ゆらり、ゆらりと、あるく。

 

 踏切から、線路内にはいると、あの少年のもとへとあるいていった。

 

 あの少年は、黒野ミコが目の前にたっても、足下を見つめたままだった。

 

「あなた。どうするの」

 

「ぼくは…」

 

「わたしは、みる者」

 

「ぼくは…」

 

「わたしは、きく者」

 

「ぼくは…」

 

「わたしは、いる者。あなたのそばに」

 

「ぼくは…」

 

 その少年には、ながす涙さえ、なかった。

 

「ぼくは…。明日もいることが、ただ、くるしかった。明日があることが、張

り裂けそうだった。明日があることが、どうすることもできなかった」

 

「ここに。いたいの」

 

「いたくは、ない。ここにも。もう、どこにも」

 

「どこへ行くの」

 

「どこへも、いきたくない。ぼくは…」

 

「あなたは」

 

「いやだった。自分が…。自分が感じたことが。自分が話したことが。自分が

そこにいたのに。すべて、受け入れられないことが」

 

「つらかったのね」

 

「ぼく自身が、受け入れられないことが、たまらなく。つらかった」

 

「あなたはちゃんといるのよ。わたしには見える。ありのままの、そのままの

あなた自身が」

 

「ぼくが…」

 

「わたしには聞こえる。ありのままの、そのままの、あなたの声が」

 

「ぼくが…」

 

「ここにいるわ。ありのままの、そのままの。あなたのそばに」

 

 その少年は、黒野ミコを見ていた。

 

 冬の月が、黒野ミコだけのかげを、かすかにえがいていた。

 

 冬の冷たい風が、黒野ミコの黒髪をゆらしていた。

 

 冷たい、光のない暗闇に、黒野ミコの姿だけが月明かりにうかんでいた。

 

 その少年は、さけぶように、口を開けた。

 

 その少年は、黒野ミコに、必死に、さけぼうとしていた。

 

 その少年は…。

 

「…もうイヤだ…タ…ス…ケ…テ…」

 

 その瞬間、その少年の姿は、消えていた。

 

 黒野ミコは、闇夜の天井にうかぶ、月白の月を見あげた。

 

「おかえり…。せめて、安らぎを」

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 暗闇を見つめる、黒野ミコの耳にひびく、あの少年の声。

 

 いつまでも、きえることのない、あの少年の声。

 

「…もうイヤだ…」

 

 あの子が天に帰っても、この声は消えない。

 

 いつまでも、黒野ミコに、響きつづける。

 

 いつまでも、黒野ミコは、抱きつづける。

 

 この、見てもらえない、聞いてもらえない、分かってもらえない声を。

 

「…もうイヤだ…」

 

 あの少年が生まれた日、よろこび合った人々には、とどかない。

 

「…もうイヤだ…」

 

 あの少年の笑顔の日々を知り、なぜと涙を流す人には、とどかない。

 

「…もうイヤだ…」

 

 あの日、あの少年が、消えてしまったことが、つらくてたまらない、人々の

こころには、とどかない。

 

「…もうイヤだ…」

 

 教室で、たったひとりでいる、その子の声は。

 

「…もうイヤだ…」

 

 分かってもらえないこころを、蔑まされる、その子の声は。

 

「…もうイヤだ…」

 

 苦しむことでしか、そこにいることを許されない、その子の声は。

 

「…もうイヤだ…」

 

 ありのままが、そうではないと、言われつづける、その子の声は。

 

 ただ、響いてくる、その声。

 

 黒野ミコは、ただ、抱きつづける。

 

 消すことはできない。

 

 とめることもできない。

 

 ひとの、ねたみ、蔑み、恨み、嘲笑、無関心、無理解、人の内側で塊となっ

たものが、責め立てる。

 

 黒野ミコは、その、どうしようもない声を、ただ、抱く。

 

 たとえ、それが、消えゆくだけの声だとしても。

 

 最後まで、その場所で、抱きつづける。

 

「…もうイヤだ…」

 

 声ではなく、こころの叫びとしか、発することを許されない、声。

 

 それを、聞きながら。

 

 いつか、この声が…。

 

 ひかりに抱かれることを、願いながら。

 

 黒野ミコは、天をあおぐ。

 

 天井には、冬の澄んだ空気にうかぶ、月白の月。

 

 黒野ミコは、それを見あげてた。

 

「本当に。すくわれないわね。世界も…。わたしも…」

 

 黒野ミコは、前をむいた。

 

 そこには、誰もいない。

 

 黒野ミコは、ゆらり、ゆらりと、歩いていった。

 

 闇の中に、暗闇の中に、闇夜につつまれた町の中に、帰っていった。

 

説明
(グロテスクな表現が出てきますので、R-15をつけます。苦手な人は、ご遠
慮ください)
受けいれられないものが、残した、発した、その声は、ひびいてくる。
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タグ
いのち 孤独 救い 

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