薄曇り |
玄関を出て
どんよりとした空を見上げると
閉めかけていたドアを開け
傘を取りに家の中へと戻る
今にも降り出しそうな空模様に
俺は息苦しさを感じていた
満員電車に揺られ会社へ着くと
いつものように仕事に追われる1日が始まった
人の少ない会社なので残業は当たり前
今日は何時に帰れるんだか
こんな生活に不満が無いと言えば嘘になるが
何事も無く毎日が過ぎていけばそれで良い
今の生活に余計な波風など立てたくないのだ
週末には学生時代からの友人と酒を呑み
くだらない話をして日常から逃れる
これが俺の生活のすべてだった
「清仁(きよひと)、最近どうよ?」?
壮一(そういち)が
1杯目のビールを飲み干すと
そう俺に話しかけてきた
「どうって、いつも通りだよ
毎日、同じような生活してるだけさ」
俺がそう答えると
「それは良かったな!」
と壮一が大きい声で笑い出した
元々、壮一の声は大きいのだが
笑い声は特に近くにいる俺の耳に響いて耳が痛い
俺はちょっと壮一から体を避けるようにして
壮一の大きな笑い声から逃れた
そんな俺達の話を聞きながら
目の前にいる晴彦(はるひこ)は
小さく頷く
「晋二(しんじ)、やっぱり今日は
来るの無理みたいだって」
晴彦がスマホを見ながら、そう言うと
「なんだよ、今日はこの3人だけか
集まり悪ぃなぁ」
と壮一がうなだれる
「皆、それぞれの生活があるんだから
仕方ないよね」
晴彦が静かにそう答えた
俺たちは同じサークルの仲間だった
サークルが無くなるまでは
結構な人数で集まっていたのだが
サークルが無くなってすぐ
集まる人数が大きく減り
卒業してからも、少しずつ減り続けている
それも仕方の無い事なのかもしれない
これから連絡すらも途切れていく人数が
増えていくんだろう
壮一が
「今日は俺達だけで楽しもうぜ」
と空元気を出して見せると
「そうだね」
と晴彦が頷く
俺も一緒に頷いて見せたが
気持ちはどこか別の所にあった
暫く3人で呑んでいると
晴彦が俺の様子を心配して
「まだ例のあれの事、気にしているの?」
と尋ねてきた
「あぁ……」
俺が短くそう答えると
「ただのいたずらだろうから
あんまり気にしない方が良いよ」
と静かに言った
壮一が
「そうだ、そうだ」
と大きな声を上げる
俺は
「そうだな」
とだけ答えると
ビールを口の中に流し込んだ
それから2週間ほど経った週末
俺は1通の手紙を前に
大きく息を吐いていた
その姿を見て晴彦と智(さとる)が
俺を元気付けようとしているのか
色々と言葉をかけてきていた
今日は智と晋二が加わり
俺を含めて5人が集まっていた
「何か心当たりは無いんですか?」
晋二が眼鏡を指で押しながらそう言った
「何も……」
と俺は短く答える
晋二は俺の手から手紙を受け取ると
「今時こんな古臭い手を使うとはねぇ」
と首を横に振った
そう、こんな古臭い手では
すぐに誰が出した物なのか分かってしまうだろう
智が
「警察に届けた方が……」
と小さい声でつぶやいたのだが
誰もその言葉に答える者はいなかった
言い出した智、本人ですら
誰も返事をしなかった事に
安堵しているかのように見えた
「いたずらにしちゃ、タチが悪いよなぁ」
壮一が誰に向かって話しかけるでもなく
そう言うと、晋二が
「まったくですよ
最初に届いた手紙も見せてもらえますか?」
ともう1通の手紙を手に取った
俺が受け取った手紙はこれで2通目だったのだ
1通目には
「私はすべてを知っている」
2通目には
「お前を許さない」
そう新聞の文字を切り貼りして
記されていた
封筒に入れられたその手紙には
受取人も差出人も書かれていない
明らかに直接投函されたものだった
つまり……
俺を良く知る人物が出したものだと
全員が思っていただろう
そして大事にはなって欲しくないなと……
「どうするつもりですか?」
晋二にそう問われ
「様子を見てみるよ」
と俺は答えた
全員と別れ一人で家へと帰る途中
狭い路地で後ろから近づく車に気付いた
後ろを振り返るとヘッドライトの眩しさに
一瞬視界が遮られた
俺が慌てて端へと避けると
車はスピードを上げ
俺の横を通り過ぎて行った
「何を恐れているんだ」
高鳴る鼓動を抑えるように
そう言うと家路を急いだ
それから何事も無かったように
日々が過ぎて行った
晴彦は何か起きていないかと
心配して毎日連絡をしてきていた
壮一は気晴らしをした方が良いと
何度も飲みへと誘ってきた
晋二を含め他の連中は
明らかに連絡回数が減ってきていた
余計な事に巻き込まれたくないのだろう
皆それぞれ今の生活を壊したく無いのだ
そう思っても仕方がない
俺達は色々なものを無くし過ぎた
俺だって
何事も無く毎日が過ぎて行ってくれれば
それで良いと思っていたんだ
もう何かを失うのは怖かった
もうこれ以上は
俺達のいたサークルは登山を中心に活動していた
というのは建前で
裏ではハイキングサークルと言われているほど
登山とはかけ離れた活動をしていた
他の学校の女の子を招待して
ハイキングコースを歩く
言わばただの合コンサークルと言われても
仕方ないような活動実績だった
それでも学生の俺達にとっては
充実した学生生活でもあった
大勢で集まってバカ騒ぎをして
次の行き先や一緒に行ってくれる女の子達を探す
それだけの事が楽しくてしょうがなかった
ハイキングコースとはいえ
何度も色々な場所を巡るうちに
俺達は小さな山ぐらいなら
頂上まで行けるほどの体力がついてきていた
俺達は女の子にちょっと良い格好が出来ると
小さい山にも登るようになっていった
観光地になっているような
ホントに小さな山だった
そして冬のある日
女の子の雪が見てみたい
そんな何気ない軽い一言から
俺達は雪山に登る計画を立てた
もちろん全員が雪山なんて
登った事なんて無かった
どうも雪山は危ないらしい
そんな薄っすらとした危機感は持っていたが
小さな山の日帰り
どうとでもなるだろう
学生の軽いノリのまま
俺達は雪山へと登る事となった
「おい、ヤバくね」
俺の言葉に守(まもる)は
「平気、平気
こっちに良い雪景色の見られる場所があるんだって」
と言いながら立ち入り禁止のロープを
またいでいた
守は大学に入る前からの古い友人で
つるんで良く遊び歩いていた
雪山を歩き疲れたメンバー以外の
俺と守、壮一、晴彦、智、晋二
そして数人の女の子がロープの先へと歩き出す
もう疲れたと訴えたメンバーは先に下山して行った
「やめといた方が良いって」
俺が再び守を制止しようとすると
「すぐに戻れば大丈夫だって」
と俺の手を振りほどいた
空はどんよりと曇っていた
雪が降り始めるのに
そんなに時間はかからなかった
降り始めてすぐ
俺は守に何度も引き返すように言った
そのたび、もうそんなに遠くないからと
俺の言葉を遮り
守はどんどん前を歩いて行った
守とはあまり喧嘩をした事は無かったのだが
何故か妙な不安を感じていた俺は
守を止めようと言い争いになり
しまいには2人して怒鳴りあっていた
守はそんな俺に嫌気がさしたのか
ついには俺の胸ぐらを掴んで
殴り合いになりそうにまでなった
壮一が慌てて間には入り
周りの友人も皆で止めに入ったので
それ以上の事にはならなかったのだが
その間に雪はさらに強く降り出していた
雪で前が見えなくなる
方向感覚が鈍くなってくる
足を踏みしめないと
よろめきそうになる
女の子達の足では限界が近づいている
歩みがどんどんと遅くなる
どこを歩いているのか
全く分からない
先頭を歩く守もきっと分かっていない
そう思っても誰も何も言わなかった
もう、言う気力さえも削がれていたのか
もしくは言うのが怖かったのかもしれない
現実から目を背けたかったのだ
このまますべてが終わってしまうのではないか
という恐ろしい現実から
どれぐらい歩き回ったのだろうか
先頭にいた守が指をさした先に
山小屋が見えた
俺たちは声にならない声を上げ
山小屋に近づく
小屋には鍵がかかっていた
憔悴しきった俺達の
どこにそんな力が残っていたのか
全員で扉をこじ開け
転げるように小屋へと入った
全員が疲れ切っていた
守はいらだっているように見える
多分、責任を感じているのだろう
無茶な事を言っていたのは
今回の企画を立て皆を楽しませようと
早くから準備をしていたのは守だった
この企画を自分がなんとか成功させようと焦っての
行動だったというのも分かっていた
守もまさかこんな事になるとは
思ってもみなかったのだろう
軽率な自分の行動に責任を感じて
自分を責めているに違いない
無事、山を下りたら
呑みにでも誘ってやるかな
俺は震える体を抑えながらそんな事を考えていた
次の日、天候も回復し
俺達は無事に救助された
たった1人を除いて……
目が覚めると守が小屋からいなくなっていた
俺達が下山した後
捜索隊によって守は眠っているような姿で発見された
責任を感じて救助を呼びに行こうと
1人で下山しようとしたのだろうと思われた
俺はその日大切な友人を失った
そして立ち入り禁止区域に入っての事故
当然サークルは解散
その日に参加していなかった連中は
とばっちりを恐れて離れていった
大手企業の内定も取り消しとなった
自業自得、その通りだった
誰に責められても仕方のない事だ
沢山の人に迷惑をかけた俺達は何度も謝り続けた
若気の至りでは済まされないほど
俺達は一瞬で沢山のものを失ってしまっていた
なんとか小さな企業に入社が決まった時は
大手の内定が出た時とは
比べ物にならない安堵感に包まれたものだった
俺の中ではもうこれ以上何も失いたくない
そんな気持ちばかりが強まっていた
3通目の手紙が届くと
結末はあっさりとやってきた
「いつまで逃げているつもりだ」
そう新聞を切り貼りした手紙が届いた数日後
晴彦から電話がきた
壮一が自首したって
泣きじゃくりながら俺にそう伝えると
後はもう言葉にならず
何を言っているのか分からなかった
その日の内に
俺、晴彦、智、晋二の4人は集まったのだが
暫く黙り込んだまま皆うつむいていた
最初に口を開いたのは晴彦だった
「まさか壮一が守を……だなんて
そんな事考えたくも無かった……」
そう涙声で話し始めた
「僕……あの雪山の日の夜
誰かが2人、小屋を出て行くのに気付いていたんだ
だってあんな状況の中
眠れるわけないじゃないか
そしてその後誰かが戻ってきて……
朝には守がいなかった
戻ってきたのがいったい誰なのかは分からなかった
あの時は怖くて顔を上げる事も出来なかったんだ
何かあったのかもしれない
そう考えたら余計に怖くなって
……ホントに怖くて
次の日に守はいないし
何かあったのかもと考えたらとても怖くて
誰にも言えなかった
あんな状況で眠れなかったのが
僕だけなんてとても思えない
きっと他の人も分かってて黙ってるんだ
だから僕も何も言わなくてもいい
そうずっと、ずっと自分に言い訳してた
でも心がずっともやもやしてて
ちゃんとこの事を話す事が出来れば
気持ちも晴れるんじゃないか
そう思いながらも何も出来なくて
結局、見たくないものから目を背け続けていたんだ
このままじゃ守の為にも
きっといけないんだって分かっていたのに」
そう泣きながら話す晴彦に
誰も何も言わなかった
静かな時間が流れる
沈黙を破ったのは智だった
「清仁に届いていた手紙
あれは最後に喧嘩をしていた清仁が怪しいと
勘違いして出されたものなのかな?」
小さな声でそう言うと
「そうかもしれません
そしてそれを分かっていた
壮一が何か取り返しのつかない事が
起こってしまう前にと自首を決意した
そんな所でしょうかね」
と晋二が言った
そして
「手紙の事どうするんですか?
警察に……」
晋二の言葉の途中で俺は
「いや」
とだけ答えた
「そうですね」
と晋二は下を向く
俺の言葉に何か意見を言う者はいなかった
何かを失う事に臆病になっている俺達は
見たくないものから
また目を背けた
その日俺達はまた大事な
友人を失ってしまった
壮一と守に何があったのかは分からない
でもこんな結末を決して望んでいたわけじゃなかった
朝、玄関のドアを開ける
いつもより早くに目が覚めてしまったので
電車の時間にはまだ少し余裕があった
俺は溜まっていた新聞をゴミに出すと
薄曇りの空を見上げた
「晴れねぇな」
そう独り言を言うと会社への
道のりを歩き始めた
説明 | ||
現代短編ノベル 少し重めのストーリーなので 苦手な方はご注意下さい |
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