夜摩天料理始末 6 |
「さて、医者としての務めも果たした、私は帰らせてもらって良いかな?」
何やら良く判らない器具を、器用に外套の裡に納め、熊野は廊下に出た。
その隣にすっと並ばれて、向けた顔の先には、古い知り合いである鞍馬の顔があった。
「見送ってくれるのは嬉しいが、あの子らに付いてて上げた方が良くないかな?」
「泣き疲れて眠ってしまったから大丈夫さ、ご足労願った礼代わりに、酒など献上したいと思ってね」
そういえば、意外に酒豪だったっけ……と想いながら、熊野は肩を竦めた。
「ありがたい申し出だけど、今回の件を少し備忘録に纏めつつ、二三実験したい事も出来たので、お暇したいな」
「纏めるなら、早い方が良いだろう、紙と硯位は提供するよ」
「あのね、私は……」
珍しく物わかりの悪い旧友の様子に、熊野は足を止めて、鞍馬の顔を正面から見た。
普段穏やかなその顔が険しい。
「……もう少しここに居た方が良いのかな?」
「ああ、手を借りたい」
「ふむ、医者としてでは無いようだね」
神軍の先導者を配下に従える、熊野の力か。
「そう、私の杞憂だったら良いんだが」
そこで、鞍馬は手短だが熊野に、この庭の事を語った。
この庭は大地の龍を封じるために、途方もない力を持っており、その力は主と一体化している事。
だが、今その主が無力化した事で、庭の守りが弱くなっている事。
「普段なら、この庭は大妖怪すら寄せ付けない最高峰の霊域で、防衛に関しては考慮する必要も殆どないんだが」
そして今回の件、判りやすい野心と欲望から為された陰謀、その発覚、そして、それに乗ってしまった形の主力の不在。
「……陽動?」
旧友の頭が、相変わらず鋭い事に満足しながら、鞍馬は軽く頷いた。
「うむ」
「私が拙い事言ってしまったかな?」
蠱毒を盛られた件を、ついつい何も考えずに言ってしまったのは……あの人間が、それ程に式姫達から大事に思われているとは思ってもいなかったとはいえ、軽率だったか。
「いいや、私の考えが正しければ、遅かれ早かれ、準備の整った相手の方から何かしらの動きが起きた筈さ。そして、それに対応してのでは、後手に回った可能性が高い。寧ろ君のお蔭で、こちらが相手の思惑より先に動けたとも言える、その意味では助かったよ」
「ふむ、だが彼女たちを手元に留めて置いた方が、あらゆる状況に対処はしやすかっただろう、そこまで考えていて、何故彼女たちを引き留めなかった?」
その熊野の言葉に、鞍馬はわずかに苦い表情を浮かべた。
「私たちは将棋や囲碁の駒を操ってる訳じゃ無い、理性での説得が通じる時と、そうでない時はどうしてもある……」
「成程……式姫は力ある、個が確立した神に近しい存在だけに、そういう点では人より融通が利かないかもしれないね、まして君は彼女らの主ではない」
「そういう事さ」
自分の計算通りに動いてくれたら、勝てていたのに。
漢の国を三つに割った戦の時も、何度そう思った事か。
だが、そうではない。
そう思ってしまったが故に、自分は最後の勝利を掴むことが出来なかった……今の鞍馬はそう思っている。
思考も判断基準も異なる他者と共に何かを成し遂げようとする時、そういう感情を抜きにした計算だけで組み上げた計画というのはどこかで破綻する。
今回もそう、彼女たちが恣(ほしいまま)に動く事を認めるわけではない……ただ、今回は彼女たちの怒りを留められる物では無い事も、鞍馬は何処かで悟っていた。
ならば、多少危ない橋を渡る事になっても、相手の思惑を乱す可能性に、鞍馬は賭けた。
「……まぁ、言いたい事は判った。つまり今回の件では、この庭が本丸だと、君は考えているわけだな」
「ああ……だから手を貸してほしい、頼む」
そう言いながらこちらに向けられた鞍馬の眼光に、熊野は少しだけ嬉しそうに目を細めた。
少し前に隠者のように暮らしていた旧友とは、その目に宿る力が違う。
何かを成し遂げようという、明確な意思の力。
彼女にこの目を取り戻させた人ならば、自分も少し言葉を交わしてみたい……な。
「では、暫し逗留させて貰う事にしよう、酒は何処にあるかな?」
「……ありがとう」
「おつの君に引っ張り出された時点で、何となく面倒事になる気はしてたよ……彼女らが戻ってきて、私の役目はこない事を祈りながら、酒でも呑んでいるさ」
そう言いながら台所に歩いていく熊野の背中を見送って、鞍馬は軽く頭を下げた。
早く戻って来てくれると良い、か。
……主殿。
「動くな、天羽々斬!」
言葉に力を込めて、呪言として放つ。
この名前……かって八岐大蛇を退治した英雄神の手にしていた剣の名。
それに偽りが無い事は、彼には何となく判る。
そして、その真の名を知った今、あるいは彼女を己の式姫にする事も叶うやもしれない。
「ふぅん……」
術によってこの世界に顕現した天羽々斬の体。
その体に、直接命令されるような力を感じる。
「成程、その辺の拝み屋とは違うようですね」
「動けまい、真名と言うのはそれだけ力を持つのだ、それを知れば天地すらも意のままに動かす事もかなう」
「そう……平安に都のあった御代に、私にこの姿を下さった方も同じような事を仰ってました」
ただ、内容は同じ筈なのに、その言葉に込められた感情は、真逆の物。
あの方の言葉には、言霊を扱う者の自制、そしてそれによって動くモノへの畏敬と讃嘆が。
この男の言葉からは、その言霊で、全てを自分の意のままにできるという傲慢の響きが。
(貴方様と同じ術を学んでも、その魂を継げる人は少ないようですね)
そして今、その魂を継いだのは、術の心得も無い青年と、陰陽師の孫ではあるが、幼い少女とは。
理を学ぶというのは、その心を一緒に継いでいく、そういう物では無いのだろうか。
人というのは……本当に。
「何がおかしい、貴様!」
「ああ、笑ってましたか」
悲しかったんですけどね……そう呟きながら、天羽々斬は刀を構えた。
それを見て、男が青ざめた。
「何故……」
「何故私が動けるか……そんなに不思議ですか?」
彼女は薄く笑みを浮かべた。
「私は天羽々斬ですが、同時に【私】でもあるんです、だから、貴方には私を縛れない、判ります?」
彼女は天羽々斬であるが、その神霊の一部に心を宿して生まれた別の命でもある。
彼女を支配したければ、彼女の名を知らねばならない……ある意味当然の事。
でも……実はそれすら問題の本質では無い。
(お前さんは、白兎達を守るために手を貸してくれるハバキリさん、それで良いじゃねぇか)
あの方は、私たちの真の名だとか、過去とか、そういった事を何も詮索しようとはしなかった。
誰を縛ろうともしない、誰を従えようともしない……でも、庭に集った皆を心底から大事にしていた。
ゆえに皆、あの方に、己の心の命じたままに従った。
「貴様は天羽々斬の式だ!それ以上でもそれ以下でもあるまいが?!」
「そうですか」
所詮、その程度ですか。
無造作に踏み出して、刃を突き出した。
心臓の僅か下、その拍動を支える筋肉を存分に引き裂きながら、鋭い刃が男の背中に抜ける。
「が……」
ぐっと手を返しながら、存分に抉って、刃を引き抜く。
「死になさい」
この世から消えろ、陰陽師の面汚し。
その醜悪な魂、黄泉に散らせ。
「どうも気に食わんのう」
丘を上るか下るか、珍しく迷う様子で、仙狸が足を止めた。
「どうかした?」
「ううむ……そうじゃの、おぬしの知恵を借りるか」
彼女の温厚さをそのまま表に出したかのような、丸いふわりとした尻尾が、夜目にも判るほどに逆立っている。
さらに、それが苛立たしげに振られているとなると、極めて珍しい。
(随分ご機嫌斜めねぇ……)
まぁ、無理もないか、と思いつつ、おゆきは肩を竦めた。
「私で判れば」
「うむ……ある程度の集団が作り上げたとおぼしき道と、たった一人で作ったような道……どちらが正しいと思う?」
「一人ね」
おゆきの答えに迷いはなかった。
「ああいうこすからい真似をするような奴はね、人に逃げ道を知られる真似もしないし、何より一人で逃げる物よ」
「そうか……そうじゃな」
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式姫の庭二次創作小説です。 羅刹の一人称に間違いがありましたので、過去投稿分の該当部を修正しました。 ……何を勘違いしてた、俺 o...rz |
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