真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第百三十六話 |
一刀が詠達の追撃部隊と合流して魏の本隊へと戻り始めて暫く。
不測の事態が起こることも無く、無事に本隊へと辿り着いた。
そうして帰り着いた―― 一刀とその部隊の兵はようやく合流した、だが―― 一刀たちを真っ先に出迎えたのは、走り込んで来た春蘭であった。
「おお、一刀!久しぶりだな!
やっと来たのだな!」
「やあ、春蘭。ごめんな、長いこと空けていて」
「気にするな!だが、あれだ。手合わせしてくれ!
お前がいない間も恋に挑んで私も強くなったのだぞ!」
前のめりにならんばかりに勢い込む春蘭だったが、その後ろから聞こえた声で一度自制することになる。
「姉者、そう急くな。別に一刀はいなくなったりはせんぞ?
合流したのだな、一刀。もう、準備は万端と言う事か?」
「久しぶり、秋蘭。
準備は元より出来る限りのことはしていたさ。
後は細かいところをいつ、どうやって動かすか、だな」
「そうか。詳しくは聞かないが、私にも手伝えることがあれば遠慮なく言ってくれ。
元とは言え、私も長く関わっていたのだからな。
っと、そうだ。一刀、早々に桂花のところへ行った方が良いかも知れないぞ?」
最後に付け足された秋蘭の警告に、一刀はそうだよな、と首肯で答えた。
「取り敢えず詠達の報告の件もあるし、一緒に行ってくるよ。
それじゃあ、秋蘭、春蘭。また後で」
「うむ」
「おお!」
久しぶりの再開ではあれど、二人とも無駄に一刀を引き留めようとはしない。
そこはしっかりと将として、この戦を優位に進めるための行動を第一に据えているからだった。
そして一刀は桂花の下へと足を進める。
「やあ、桂花。久しぶり」
「一刀!?あんたはよくもまた、勝手なことをしてくれたわね……!」
一刀が桂花の下に辿り着いてみれば、やはりと言うか桂花の怒りが一刀にぶつけられた。
しかし、一刀は伝令にも告げた内容を繰り返す。
「いや、どうせ俺や俺が連れていた部隊の兵は最初の戦では使わなかったろ?
だったら、少しでも移動距離が短くなるような合流経路を進んだ方が効率はいいって話じゃないか」
「理屈ではそうだけれども!……いえ、もういいわ」
桂花はそれ以上言い募ることを諦める。ただ、口の中でポツリと呟いた内容だけは誰にも聞かれることは無かった。
「それで、詠、貴女達の方はどうだったのかしら?」
「悪かったわね、桂花。ボク達の方は被害は無かったけれども、代わりにめぼしい成果も無かったわよ」
そう切り出して詠は桂花に追撃の顛末について報告する。
連合の対応を聞くに、一刀も驚く点があった。それは桂花も同様だったようで、詠の報告が終わるや、質問を投げる。
「菖蒲、恋、霞がいて?余程の相手だったということかしら?
それとも、孫堅か馬騰でも出てきたの?」
「その二人は出て来なかったわ。将自体はさっきの報告の中に出てきた奴らだけよ。今にして考えれば、それが不幸中の幸いかもしれないわね。
周瑜か?統か、こちらの追撃は悉くいなされてしまったわよ」
真正面からぶつかり合ったわけでは無いものの、武勇に特に優れた将三人を引き連れての追撃。
それが不発に終わった。中々に衝撃的な結果だろう。
しかし、それでも桂花に動揺の様子は見られなかった。
「先の戦でも結局こちらの想定よりも戦力を削れなかったのよね。
後ろから全体を見ていた限りでは、敵の吶喊部隊は予め決めていただけの行動を取っていたわけでは無さそうなのよ。
あれは、戦場の動きを臨機応変に感じ取り、その場その場で適切な部隊運用を行っている様子だったわ。
何等かの伝達手段を持っているのか、或いは――――」
「軍師級の者が部隊に混ざっていたんだろうな。と言っても、そんなことが可能なのは呉くらいなわけだが。
あそこは周瑜にしろ、陸遜、呂蒙にしろ、軍師であるのに武将としても運用出来てしまうようなところだ。
まあ、周瑜は呉側の頭となっているんだろうし、陸遜は後方で待機していたわけだから、消去法で呂蒙がいたんだろうな」
桂花たちの話を聞いて、一刀が推測を話す。
これには詠も桂花も同意した。
後方で指示を飛ばすだけでなく、最前線にまで飛び込んでこれる軍師という存在は、共通して厄介だとの認識を得られていたのだった。
「それにしても、呂蒙、か……
あれは見たとこ……報告書を見たところ、暗器使いのようだからな。
それだけでも厄介な相手だ。呉に加わって何年経っているのか、どれだけ勉学に励んだのかがわからないが……
既に軍師としての頭脳が周瑜や陸遜に並ぶほどに成長しているのだとすれば、今の呉で最も警戒すべきなのは孫堅を除けば呂蒙なのかも知れないな」
「あんたがそこまで言うのね。
というか、暗器使いってだけでそれほどに厄介なの?
ボクが言うのもなんだけれど、あんたはあの恋とも互角以上に戦えるわけじゃない。
暗器なんて暗殺の道具なんでしょう?まともに正面からぶつかる戦いの場では有効には思えないのだけれど」
呉の軍師勢は厄介だ、との認識は共通していても、一刀は特に危険視していることがその発言から分かる。
それに対して、逆に魏の軍師勢は一刀ほどは危険視していなかったようだ。
いずれ挙がっている報告からも分かる通り、軍師勢の武器は他の将が持つようなものでは無い。
周瑜は鞭、陸遜は多節棍、そして呂蒙は先ほどから会話に出ている通り、暗器。
重量や鋭さによって破壊力、殺傷能力の高い大剣や戟、槍のような、他の武将とは全く異なるそれらの武器は、結局のところ最前線では戦わないのだろうと魏の軍師勢に思わせていたのだった。
むしろ、今その”勘違い”を知れて良かった。一刀はそう思う。
この認識に食い違いを生じさせていては、重大な局面で些細な、けれども致命的な読み違いをしてしまいかねないのだから。
「呉の軍師連中とは正直、個人的にはまともにやり合いたくないな。
例えばさっきから話に出ている呂蒙だが、一口に暗器と言っても様々あり過ぎて万全に有効な対策が取れない。
鎖鎌なんかが出て来て、しかもそれを使いこなされでもすれば、中・近距離が危なすぎて近寄れなくなる。
だが、鎖鎌はまだマシな方で、例えば投擲武器の中に致命的な液体攻撃が混ざっていたりなんかすれば、撃ち落した瞬間に負けが確定したりするかも知れない。
対峙している間中、ずっと相手の全身に対して神経を張り続けろ、なんて無謀にも程がある事を要求されてしまうよ」
桂花や詠は戦闘行為は不得手だとは言っても、こうして説明されればその厄介具合はよく分かる。
菖蒲の方を伺ってみれば、肯定するように頷いているのだから尚更だった。
「それに周瑜の鞭もマズい。ただでさえ速度と動きが異常で避けづらいことこの上ないのに、先端の形状によってはものの数発食らえば簡単に絶命しかねない。
いや、一発くらった時点で足を止められて、そのまま追い詰められて終わり、か。
陸遜の多節棍にしても、防いだと思ったら武器に回り込まれて攻撃を食らい、その上に拘束までされてしまい兼ねない代物だ。
これと言って全員に出来る対策が無いんだが……敢えて言えば、短期決戦で仕留める、ってことくらいか」
「……ってことは、あんたと恋、それに霞と……あとは春蘭、菖蒲くらいならともかく、それ以外の将には当てるな、ということ?」
一刀の説明が警告であると認識し、桂花がそれに対する答えを提示する。
そこまで瞬時に対応してくれると、一刀としても考える手間が省けて楽だった。
「そうだな……あと凪も大丈夫だと思う。その他は、可能性があるとすれば、鶸か。
まあ、鶸は速度よりも変則に寄った強さだから、出来れば外しておきたいところだな。
逆に絶対当てて欲しくないのは梅と斗詩だ。
防御型のあの二人では一方的にやられかねないからな」
「分かったわ。配置を見直して修正を加えておきましょう。
それはそれとして、話が逸れたわね。
取り敢えず、追撃でのめぼしい成果は無し、ということで良かったわね?」
「ええ、そうよ」
「お互いに将を一人ずつ重傷に追い込まれたことと言い……緒戦にも関わらず、色々と予想が外されてしまったわね」
ふぅ、と桂花は溜め息を吐く。
余程想定からズレてしまったのだろうか。
今後の策の大幅な修正が必要な今の状況が、桂花の気分を憂鬱にさせているのかも知れない。
「あの、桂花さん。蒲公英さんの容態の方は……?」
「おっと、そうだった。
でもま、”あいつ”がいるんだし、大丈夫だとは思っているけど。
ただ、菖蒲はまだ知らないみたいだし、折角ならあいつの腕の程も見ておいてもらいたいな、と」
菖蒲がおずおずと切り出したのは、ここへ向かう道中でも話題となった蒲公英の容態について。
百聞は一見に如かず、一刀は兎にも角にもまずは見てからの方が説明が早いと考え、そのように行動していたのだった。
それ故に、菖蒲はここまで蒲公英は重傷を負っていると思ったままなのである。
「ああ……話には聞いていたのだけれど、実際に目の当たりにしてみれば……あれは正真正銘の反則級ね。
あんたがあれだけの条件と引き換えてでも、この一戦だけでも参戦に持ち込んだのはこれ以上無い好判断だったというわけね。
菖蒲、あんたの懸念も分かるけれど、まずは蒲公英の様子を実際に見てみなさい。話はそれからの方が効率がいいわ」
「は、はい。分かりました」
「今は医療班の天幕、でいいのか?」
「ええ、そうよ。まだ安静の指示だそうよ」
既に一通りの報告は終わっていたとあって、桂花は退出して良いと態度で示していた。
その言葉に甘えて、一刀は天幕を出ようとする。
その間際に振り返り、桂花にこう告げた。
「ああ、そうそう。後でちょっと相談がある。
また戻って来るよ」
「そう……分かったわ」
わざわざとも言える一刀の行動に、桂花もどういった類かを察して短く答えた。
一度桂花の天幕を辞した一刀は菖蒲を連れて医療班の天幕に向かう。
声を掛けて中に入れば、まず出迎えたのは暑苦しいとすら言える熱血漢の言葉だった。
「誰かと思えば一刀じゃないか!戦が始まっても姿が見えないから少し心配していたぞ!
どこぞの砦に出て行ってから一月ほどだが、元気にしていたのか?」
「やあ、華佗。久しぶり。
ああ、おかげ様で元気一杯だよ。
ところで、今回の件は本当にありがとう。華佗が力になってくれるってだけで怖いものが何も無くなりそうだ」
「何を言う!俺は一刀のことは同じ志を持つ親友だと思っている!
その友が助力を求めているとなれば、手を貸すのが人として当然だろう!」
「そうか。そうだな。
ありがとう、華佗。お前という親友を持てて、俺はこの上無い幸運者だよ」
華佗との間に魏として結んだ契約は半ば名目だけのようなものだった。
場合によっては形だけ従う方法も華佗には取ることが出来た。
しかし、許昌に来てくれてからも、そして今の様子にも、後ろ向きな気配は感じられない。
それはつまり、一刀の、華琳の、魏の理念に賛同してくれているのだろう。
同じ志。大陸の民に平穏を。
思わぬところでまた一つ、負けられない理由が増えた瞬間であった。
「あの。蒲公英さんがこちらにいらっしゃると聞いたのですが?」
「おお、徐晃殿!
馬岱殿ならば今は奥にいるぞ。
怪我は治したとは言え、暫くは安静にするように言ったのだが、中々聞き入れてくれようとしなくてな」
「えっ?も、もう治ったのですか?」
あまりにもあっさりと告げられた内容に、菖蒲は思わず聞き間違いかとすら思ったほどだった。
が、直後、話し声を聞き付けたのだろう、奥から現れた蒲公英の姿が菖蒲の疑念を綺麗さっぱりに流し去ってしまうことになる。
「あっ、やっぱりお兄さんだ!やっほー、おっ久〜!」
「え?ええっ?!蒲公英さん、お怪我の方は大丈夫なんですかっ?!」
「うん、大丈夫だよっ!
華佗さんが、こう、ピカーッとやってくれたら傷がふさがっちゃった」
蒲公英の様子を見れば、やせ我慢の類では無いことは一目瞭然だった。
ただ、その説明は菖蒲には意味が分からない。
様々な事柄に対して頭上に浮かべた疑問符は周囲の人間にも見えんばかりであった。
「華佗も氣を扱える、って話はしたことがあったかな?
華佗はその氣を怪我人や病人の治療に用いるんだ。その治癒能力は見ての通り凄まじい。
……正直、死んでさえいなければ何とかなるんじゃないかとすら思うよ」
「何を言うか、一刀!俺にも治療出来ないものは余りに多いのだぞ!
それに、理論上は治療できたとしても、患者側の問題で不可能となる場合もよくある。
前にも言ったが、お前が生きていることもかなり奇跡的なんだからな」
「ああ……その節は本当に世話になった。
まあ、あの時は死を覚悟して行動を起こした分、生きてると分かった時の衝撃は半端じゃ無かったよ。
さすがに、今後はあんな風に毒をくらうことは無いと思う。せいぜい斬られたり突かれたりの大怪我程度だろうさ」
「それでも十分問題なんだがなぁ」
説明の途中からいつの間にか男友達同士の会話のようになってしまっていたが、それでも菖蒲には大方伝わっていた。
要するに、華佗は普通の医者には出来ないような治療が出来る。そう理解したのである。
そして、それは細かい点では間違っている部分はあれど、今回の戦においてはその理解で十分であった。
ただ、菖蒲にもこの短期間で無理矢理詰め込まれた情報を整理する時間が必要になるだろう。
そう考えた一刀はそのついでにと別の話題を振る。
「っと、そうだ。
蒲公英、一つ言っておきたい、というかお願いしたいことがある。それと確認したいことも」
「なになに?お兄さんからそう言ってくるのって珍しいよね」
「そうだな。まずは確認事項だが、蒲公英はまだ前線に出られるか?」
一刀のその質問に、蒲公英は一瞬ポカンとした。
それは予想外の質問が投げ掛けられたからであって、すぐに怪訝な表情で言葉を返す。
「当たり前じゃん?せっかく華佗さんに治してもらったんだし、今度はもっと活躍しちゃうよ〜」
強がっている様子は無い。無理をしているとも見られない。蒲公英はまだ心を折られていない。
だからこそ、一刀は蒲公英に告げる。
「よし。それじゃあ、暫くは包帯でも巻いて重傷を装っておいてくれ。
ここぞという機が来るまで、少しだけ我慢してほしい」
「え〜、何で何で?蒲公英はまだ戦えるよ?」
「うん、だからこそ、だよ。
ほら、華佗がいなければさすがに蒲公英はこの先の戦に参戦することは出来なかったろう?
それは誰しもがそう思うことだし、これからの策はその前提で組まれることになるわけだ。
つまり、逆に言えば蒲公英の存在は相手の意表を確実に突ける切り札の一枚となったってことだな。
その効果的な切り方は桂花たちに任せるけど、少なくとも今すぐ戻すことに利は少ない。
我慢してもらう分、その時が来たら重要な役を担ってもらうことになるんだが、どうだ?受けてくれないか?」
「う〜ん……
お兄さんがそこまで言うってことは、それが魏にとって最良ってことなんだよね?
分かった、暫くは我慢するよ。でも、あんまり長くは待たせないでよね?」
「意気込んでるところ、すまないな。ありがとう。
桂花にはそう伝えておくよ」
血気に逸りがちな面子が多い中、蒲公英はこうしてすぐに納得してくれる分説得が楽であった。
この場での一刀の用事はこれで全て済んだ。
残るは桂花のところで済ますべきもののみ。
「それじゃあ、俺はちょっと桂花のところへ戻ることにする。
皆、また後で」
軽く声を掛け、一刀はその場を後にした。
一刀が桂花に天幕に戻ると、そこには桂花しかいない状態となっていた。
桂花が意図して作ってくれたようで、尋ねてみればはっきりするだろうが、暫くは誰も近寄らないようにもしているだろう。
つまり、今から黒衣隊に関する話をするということに彼女も気付いてくれていた。
「準備してくれたんだな。すまない」
「別にいいわよ。けれど、防音対策が無いから注意はしなさいよ」
「ああ、そうだな。
それじゃあ、早速一つ目の内容だが……さっき蒲公英には言って来たんだが、彼女を前線に戻すのは後にした方がいい」
「それはどういう……いえ、そうね。そういう考え方もあるわね。
けれど、それが有効なのは前提が必要よね?連合側が華佗を知らない、という前提が。
少なくとも呉は知っているでしょう?その辺りはどうなの?」
「蜀も知ってはいるだろうな。馬騰の病気を知らせて診てもらった経緯があるから。
けど、華佗はどこにも属さない姿勢を貫いてきた。そのことも両国は知っているだろう。
だからこそ、今ここにいる華佗の存在は敵の計算外になる。
どんな場面で戻すのが最も効果的なのかまでは分からないが、それはきっと桂花の方が最適を導けるだろう」
「許昌での情報封殺が利いていれば、何も問題は無いわね。
こちらにとっての想定外、周泰が許昌で長期に渡って潜んでいたりしていなければ確かに有効ではあるわね。
…………分かったわ。零と相談して戻す時期を決めることにするわ」
桂花が納得を示してくれた。
実は内心で見落としが無いかを心配していた一刀はそっと胸を撫で下ろす。
そして話題は次へと移る。
「それで?二つ目の内容は何なの?
どちらかと言えばそちらが本題なのでしょう?」
桂花からそう切り出される。
確かに、今の話だけであれば、適当に言葉を濁しておけばさっきの場でも十分に話は可能であった。
それをわざわざ改めて場を設けたのは、黒衣隊にがっつり関わる話をするからに他ならない。
「ああ、そうだな。
桂花、今この本陣の周囲に隊員を散らしているか?」
「ええ、可能な限りで情報封殺は行っているわ」
「やっぱりそうか。
なら、桂花。本陣の外に展開している隊員は呼び戻そう」
「はぁ?!あんた、何言ってんのよ?
それはつまり、情報封殺を放棄するってこと?」
一刀の提案に桂花は驚声を上げた。だが、それも無理はないだろう。
今まで黒衣隊は魏の情報を守り抜くことで徹底していた。
それが様々な場面で魏に優位に働くのだから、行って当然なのだ。
それをここに来て放棄するという一刀の提案は、言い換えれば利を放棄すると言っているも同然なのだから。
「ああ、そうだ。いや、少し違うか。
正確には、一部放棄する、ってところだな」
「…………ちょっと、一刀。詳しく聞かせなさいよ」
桂花も、一刀がこのようなことを考え無しに言い出すとは考えていない。
となれば当然、そこには一刀が考える大きな利があるからこそ、そのようなことを言い出すのだろうと考えたのだった。
「放棄するのは我等の軍の規模に関する情報。
つまり、外から見て分かる現在の全体の兵数、及び今後合流してくる部隊数に関しては連合側に全て情報を抜いてもらう。
理由は――」
「示威行為、かしら?」
「そうだ。ひょっとして既に考慮していたか?」
余計なことだったろうか、と一刀は桂花に問う。
すぐに一刀の案の理由に思い至るということは、桂花の中では既に破棄された考えの可能性もあったからだ。
しかし、それは杞憂だったようで。
「いいえ、違うわ。でも、あんたの提案内容を聞けばすぐに分かることでしょう?
逆に基本の事に過ぎるあまり見落としてしまっていたわね。
陣の外は放棄……なら、中の情報はより警戒網を厚くして捕殺を完全にする方向かしら?」
「そうだな。そう考えていた。
この案はどうだろうか?」
「これも実施するわ。三姉妹の働きが想像以上で、兵数は膨大なものになっているから、示威行為の威力も高いでしょうし。
どこまで連合に通用するかは不明だけど」
確かに、と桂花の言葉に同意する。
張三姉妹の働きは誰の想像も超えていた。それは企画・プロデュースした一刀さえも。
それだけ彼女たちは天性のアイドルであり、人心を掴むことに長けているのだろう。
と、ここまで話題が二つ、どちらもすんなりと話が通った。
一刀が持って来た話題は三つ。つまり、残りは一つ。
ただ、残る一つに関しては一刀と桂花だけでは少し手に余るものである。
「桂花。実は後一つ、話があるんだが、それには他にも人を呼んでおきたい」
「構わないわよ。それで、誰を」
「そうだな……零に秋蘭、それと華琳、だな」
「そう。なら、すぐに零と秋蘭を呼びに行かせるわ。
揃ったら華琳様の天幕へ向かいましょう」
「すまない、助かる」
理由も内容も聞くことなく、桂花はすぐに手配に移ってくれたのであった。
暫くの後、零と秋蘭がやってくる。
「ちょっと、一刀!あんた、いきなり合流してきたと思ったらこの私を呼び出して、一体どういうつもりなのかしら?」
「ふむ。これから華琳様の下へ向かうのだったな?
この人選にどういう意味があるのか、私にもよく分からないぞ、一刀」
「まあまあ、その辺は華琳も交えて話すよ。あまり外で話したくない内容だし、ね」
聡い二人はそれだけで大凡を察してくれる。
ただ、それでも人選の意味を見出すには至っていなかった。
四人は揃って華琳の天幕へとむかう。
既に桂花が人を遣っていたようで、華琳の天幕へは待つことなく入ることを許可された。
「久しぶりね、一刀。
どうも、話があるそうね?」
「挨拶が遅れてすまない。色々と先にやっておきたいことがあったんでね」
「別に構わないわ。貴方は既に、名実ともに我が魏国の柱の一本となっているのだから。
それで、貴方の話とやらはここの四人だけにしか話せないことなのかしら?」
華琳がそこに集う面々を見渡す。
軍師だけを呼んだわけでも知者を選りすぐったというわけでも無い面子。
一体どんな理由で呼んだのか、まずはそこを知りたいと思ってもおかしくは無いだろう。
零も秋蘭もそうだったし、桂花もその様子を見せている。
であるので、一刀はまずそこから説明を始めることにした。
「話というのは”天の知識”についてだ。
但し、赤壁で起こるだろう戦の趨勢を大きく左右するかも知れない情報だ。
絶対に漏れないように、そして敵方の者にこちらの動きを悟られないようにするために。
そういった考えの下で、極力人数を絞り、今から知る情報について表情に一切出さないでいられる者を集めさせてもらった」
一刀の”天の知識”について疑いを持っている者は既にいない。
非常に重要な情報なのだと、即座に皆が理解した。
「随分と慎重なのね。
余程注意しなくてはならない情報だということかしら?」
「ああ、そうだ」
華琳の問い掛けに一刀は短く肯定する。
それ以上は華琳も余計な口を挟むつもりは無いようで、視線で一刀に先を促した。
「これから赤壁の戦が終わるまでのどこかで、蜀の?統か呉の黄蓋、あるいはその両方が寝返って来るかも知れない。
だが、それは偽りの寝返りだ。例え、こちらに多大な利を齎す策や働きを見せても、最終的にこちらの寝首を掻くのが目的なはずだ」
「これはまた……随分ととんでもない情報を出してくれたものね。
しかも、今までの”天の知識”の中でも相当確度が高いものなのかしら?」
「そう思ってくれていい。
何を隠そう、これから起こる赤壁の戦いは、俺がいた世界に伝わる中でも有名な、魏が大敗北を喫した戦なんだ。
その切っ掛けとなるのが、さっき言った?統と黄蓋。そして、そこにあるのは周瑜と諸葛亮の策。
さすがに細かいところまでは俺も知らないんだが、最終的にどうなったのかくらいは知っている」
「……どうなったというのだ?」
魏の大敗北の戦。そう聞いて、その場の四人は息を呑んだ。
一刀がいなければ必ずそうなっていた、というわけでは無い。
だが、そうなっていた可能性は高い。それは今まで一刀と共に過ごして来たから四人だからこそ、よく理解していた。
一刀の世界、正史での赤壁の戦いがどんな終わりを迎えたのか。
恐る恐るといった様子で秋蘭が問う。
「東南の風が吹いて魏の艦隊は火に包まれる。
敵の策によって魏軍は炎から逃げられず、陣まで焼かれて潰走する。
魏の国力は一気に衰退し、大陸統一の機を失うことになる」
しんと静まり返る。
それだけ衝撃が大きかった。
聞くだけでも分かる。
そのような事態を許せば、魏は今時点で他の二国に対して有しているアドバンテージのほとんどを失うことになる、と。
「…………なるほど、ね。確かに、それは避けなければならないわね。
つまり、貴方は?統或いは黄蓋が降伏を申し出てきたら、それを受けずに捕縛しろ、と言いたいのかしら?」
「いや、違う」
一刀の口から出た否定の言葉に、四人は三度驚かされる。
「ちょっと、一刀!あんた言ってることが無茶苦茶よ?!」
桂花が声を荒らげる。零も同じようにしそうな雰囲気であった。
一刀は調子を変えることなく、桂花に静止の声を掛ける。
「まあ、待ってくれ、桂花。
確かに、完全に放置で見過ごすことは出来ない。
だけど、折角敵の策が透けているんだ、これを利用しない手は無いだろう?」
「確かに、一刀の言いたいことは分かるわ。
けれど、それは敵の策が完全に透けている場合に限るでしょう?
なのに、あんたさっき自分で言ってたでしょう?細かいところまでは知らない、って。
だったらそれは危険な賭けよ」
零が待ったを掛ける。
その判断も間違いでは無いだろう。
最大最後の大戦だからこそ、今まで以上に慎重を期すことは当然なのだから。
ただ、零にはまだ情報が不足している。
一刀だけが知っている情報がまだあるのだ。
「いや、十分に勝算の高い賭けだと思っている。
実はすでに、朧気な知識からではあるが、対応策の一つは打ってある。
俺が知っている通りの策を仕掛けてくるのであれば、それで無効化出来るはずだ。
後は、実際の敵の動きに合わせて細かいところを随時読んでいく。
こちらには桂花と零がいる。大陸でも最高の頭脳を持つ二人がいれば問題は無いだろう?
将の力が秘密裡に欲しい場合は俺や秋蘭を使ってくれればいい。
それと、悪いが華琳にも協力をお願いしたい。美味しいところだけを取って敵の策を完璧に潰そうとすると、上の立場から働きかけることが必要な場面も出て来るかも知れないからな。
俺はそんな風に考えてこの面子を集めて話をさせてもらったわけだが、どうだろうか、零?やっぱり無理そうか?」
一刀の言葉を受けて、零は俯き、肩を震わせる。
よほど馬鹿な策を口走ってしまったのだろうか、と一刀は思った。
が、それは完全に勘違いであった。
「一刀、あんたそこまでお膳立てしておいて、普通、それをここまで隠す?
その上で私にその口ぶりって……それは私への挑戦と受け取っていいのかしら?」
「え?いや、そんなつもりは無いんだが……」
「私が反対しようとしたのは、敵の策への十分な対策を打つのに時間が無いと判断したから!
それが既に解決しているようなものなのであれば、当然、敵を手玉に取る方を選ぶわ!
いいじゃない、やってやるわよ!諸葛亮の策も周瑜の策も全て読み切って、奴らに泡を吹かせてやるわ!」
どうも、スイッチが入ったようで、零が燃えている。
桂花も反対はしないようだ。
秋蘭と目を合わせれば、こちらは軽く頷いてくれた。
全てを任せてくれる、とその瞳が語っている。
最後に華琳に視線を移動する。
一刀の視線が己に来たことを見てから、華琳はゆっくりと口を開いた。
「一刀、貴方の策を採用しましょう。
非常に有益な情報の提供と策の立案に、改めて感謝するわ。
さて。桂花、零。万事において問題の無いようになさい」
『はっ!』
「当面、私は例の二人が来たらいつものように話を聞いて、納得すれば受け入れればいいのね?」
「ああ、それで頼む」
華琳の問い掛けに一刀が答え、それを以て当面の対応が決定した。
華琳はニヤリと笑みを浮かべる。
「この策が成れば最早魏の大陸統一は王手を掛けたも同然の状態となるわね。
皆、決して注意を怠らないようになさい。その上で……完遂なさい」
『はっ!!』
ここに、誰にも知られることの無い極秘の策が静かに始動した。
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第百三十六話の投稿です。 赤壁へ向けて着々と準備をば。 |
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コメント | ||
>>nao様 策を使って来るか来ないか、実はこれまでの話の中に伏線を張ってます。私の文章力が低くて伏線になってないかも知れませんがw(ムカミ) >>本郷 刃様 真正面からの戦いと裏での戦い、全ての力を出し切る戦いになることでしょう。(ムカミ) さて孫堅と馬騰がいて状況が違うけど苦肉の策を使ってくるのかな?(nao) これで敵の策に対してはほぼほぼ準備は完了という形になりましたか、残すは真正面からの戦いということですね(本郷 刃) |
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