夜摩天料理始末 9 |
「いやー、斬りも斬ったり……だねぇ」
面倒そうな顔で、刀に付いた血脂を懐紙で拭っていた童子切の傍らに、おつのが珍しく言葉少なに降りてくる。
周りに散らばる、かって人だったものを見ないように、視線を曖昧に泳がせるおつのに苦笑しながら、童子切は刀を鞘に納めた。
「まぁ、こんなの私にとっては腹いせ以上の意味はありませんけどね」
(よく言うよねー)
内心でだが、おつのは苦笑した。
伝説には色々語られ、恐れ敬われる式姫ではあるが、実際にこうして式姫数人で一つの大勢力が一夜で壊滅する様を示して置けば、今後、安っぽい野心に駆られて彼女たちの邪魔をしようと思う輩は随分減るだろう。
主は、式姫が人を相手に戦をする事を好まない。
(おめぇさんたちの力で、人の戦を片付ければ、確かに楽だし、俺の思い通りに世の中動くだろうよ……ただなぁ、それをやっちまったら、俺はあの狐と何が違うんだ……って話じゃねぇか?)
人は人同士でちゃんと殺しあうからこそ、和解も出来るってもんだ……。
そう呟いて、主はそれ以上は語らなかった。
至極まっとうな心構えではあるし、彼女たちを使って世界に覇を唱えようなどと策する輩なら、そもそもおつのも童子切もこんな所に居はしない。
ただ、彼らが妖怪から解放した土地は、彼が式姫の力で得た領地として内外から見られるのも、また事実。
彼と領地を接している領主たちからすれば、人を超越する力を多数従える彼は、ある意味妖怪より恐ろしいだろう。
そして、自分が恐れられる存在であることを自覚しているからこそ、主は式姫達の反対を押し切って、人間との協力関係構築の一歩として周辺の領主に同盟を呼びかけ、その交渉に一人で出向き……そして、罠に落ちた。
この事の顛末は、他の領主たちも固唾を飲んで見守っているだろう。
だからこそ、彼を裏切ったり敵対する事の代償がいかほどになるか、世に知らしめておく必要がある。
そして、それは主が命を下せない今だからこそ出来る事ではある。
(童子切さんも、ご主人様が戻ってくると信じてる……って事かなー)
「所でおつのさん……」
「よーおつのん、逃げた奴はいたかい?」
何か言いかけた、童子切の低い言葉を、後ろから響いた大声がかき消す。
紅葉御前と鈴鹿御前が、こちらに歩み寄ってくるのを見て、おつのはこっちだと言うように、手を振った。
「追うなら早い方が良いわ、あちこちから火の手が上がりだしてるわよ」
言葉は静かだが、鈴鹿の目が据わっている。
まだその胸で燃える怒りは納まる処では無いのだろう。
「本当に……ずいぶんと煙が上がってきてますねー」
「夜戦だーって随分慌てて松明や篝火を用意しだしたところに、丸太や岩が降ってきて慌てたんだろうねー、倒れた篝火が柱に移ったりして、あちこちから火が出だしてたよ」
「火が回りだすと兵が踏みとどまる気力を完全に失うわ、逃げ出す雑兵に紛れてしまう前に、あの外道を取り押さえないと」
「って訳だけど、おつのんよ、どうなんだい? いち早くスタコラ逃げた奴を見落としたりはしてないだろうね?」
「もー、もみっちゃんてば酷いよー、心外だなーもー、ちゃんと千里眼で見張ってたよー、大体だねー私たち天狗の使う千里眼の術と言うのはね」
「……で?」
おつのの話が長くなりそうになる、その絶妙な間合いで、鈴鹿は低く言葉を挟んだ。
「あ、んっと抜け道は二つだね、一つは地下を通る奴っぽいね、そっち側の斜面のどこかに出口があって、山の中腹に出る奴があったよ。で、そこから多分だけど、領主と側近っぽい二人が出て来たんだけどねー、そこにハバキリさんが待ち構えてて……」
「あん、ハバキリが?」
思わず声を上げた紅葉御前に、おつのも同意を示すように驚いた顔を向けた。
「うん、びっくりだよー、どうやってあの道の事を見つけたのか知らないけどさー、まぁハバキリさんが待ち構えてたなら、あの二人どころか、あの道から逃げようとした人は助からないだろうとは思うけどねー、だから私も相談したくて慌てて降りて来たんだけど」
「なるほど……」
おつのには判らなかったようだが、童子切には何となく判った。
天羽々斬は、普段の寺院で孤児を扶養する慈母の顔とは別に、暗殺者としての顔も持っている。
この近在で『金になる』相手に、密かに近づく手段としての、城の抜け穴を把握していても不思議ではない。
「あの子供と金の為にしか戦わない奴がねぇ……どういう風の吹き回しだか」
紅葉御前が解しかねる、といった風情で軽く首を振ってから、おつのに顔を向けた。
「って事は、あたしらはもう一本の道の方を追っかけた方が良いのかな?」
「そだねー、そっちは塀の一部が外れるように細工してある奴で、裏の藪の中にひょいっと飛び込んで、身を隠しながら逃げられるようになってたよ。雑兵っぽいのが一人逃げ込んだのは見たんだけどねー」
「雑兵っぽいとはいえ、身分が高くても逃げる時に変装するのは普通にやりますからねー、尤も、今回は奇襲だったからその暇も無かったという解釈も出来ますけど」
童子切がほっそりした顎に指を当てて、暫し考えに沈む。
「考えるよりは、手分けするべきじゃないかしら?私は天羽々斬が居る方に向かうから、二人はもう一方の道を追う」
どう、と言う鈴鹿に、紅葉と童子切は頷いた。
「二手に分かれるのに依存は無いけど、ハバキリに助太刀要る?」
「あの側近の方は、多分だけど陰陽師よ、私たちの手を掻い潜って逃げる可能性は十分あるわ」
鈴鹿の言に、童子切も賛同を示すように軽く頷く。
「りょうかーい、それじゃ私は空から引き続き監視してるね、何かあったら天狗声で知らせるからよろしくねー」
「あんな大声出されたら、逃げる奴にまでばれちまうじゃねぇか……」
「とはいえ、他に手も無いでしょうね、ではその抜け道に案内を」
そう言いかけた童子切が頬に手を当てて黙り込んだ。
「どしたい……って冷てぇ」
「雪?」
低く呟く鈴鹿御前の白い手に、更に白い、綿のような雪がふわりと落ちる。
「まさか……」
「夏だってのに一気に冷え込んで来やがったぞ。これって」
見上げる夜空がみるみる白く染まっていく。
「あ、ごめんねー、言ってなかったっけ、おゆきさんと仙狸さんも近くに来てたよー」
「それを先に言え!」
怒声を上げながらおつのをせっついて走り出す紅葉御前と、それとは別の方に無表情で走り出す鈴鹿御前。
それをちらりと見て、童子切は視線を落とした。
「つまり、今ここには、主力が殆ど集まっているということですか」
どうも嫌な感じですね。
そう呟きながら、童子切も三人の後を追って走り出した。
藪をかき分けていた指が、熊笹に引っかかり、鋭く裂ける。
それに痛みを感じた男は、足を止めた。
人の体というのは良く出来ていて、戦場の興奮状態では、敵と切り結ぶ中で、大けがをしたり、指が数本落ちた所で、痛みを感じない。
今、それが去った……という事は、随分と逃げて来た事になる。
彼は、戦場なれした様子で、手早く、粗末な胴鎧に、左右違いの脛当てを付けただけの自分の体を検めた。
戦場を生き延びて置きながら、傷から病毒が入って頓死というのは珍しくも無い。
幸い、山道を遮二無二下って来た事での浅い傷はあるようだが、深手は無いようだ。
傷を洗うように指を口に含みながら、彼は城を見上げた。
松明の火が移りでもしたのか、赤々と燃え上がった炎に呑まれ、かつて栄華を誇った城館が崩れていく。
「いやはや、諸行無常だな」
他人事のように呟きながら、どこか皮肉そうに一瞥してから、彼は里の方に目を向けた。
何とか逃げ切れた。
その彼の額に何か冷たい物が当たった。
雨か……と思い見上げる彼の視界を、白くはらはらと舞う物が覆った。
そんな馬鹿な……この季節に。
「雪?!」
山の上。
城館のあった場所。
そこにしらしらと雪が降り、積もっていく。
静かに、その燃え盛る紅蓮すら押し包み、立ち上る煙すら取り込んで白く染めていく。
あり得ない光景に魅入られたように足が止まる。
「不自然な光景だが、中々美しいのう……そう思わぬか?」
低く落ち着いた声と共に、濃い臙脂の着物を纏った、美しい女性が藪の中から歩みだしてきた。
だが、その頭の上から飛び出す獣の耳と、その背でふわふわと揺れる尾が、彼女が人ではない事を教えてくれる。
「……これも、あんたらの力なのか?」
「お主らの巣が焼けようが崩れようがどうでも良いが、あの火が山に回っては、住まいしておる獣たちに気の毒じゃでな」
この超常の力すら、彼女たちにしてみると珍しくも無い。
事も無げな彼女の言葉には、そんな響きがあった。
「式姫……」
「いかにも……さて、お主の首を頂こうか」
無造作な動きだったが、彼に向けられた槍には一分の隙も無い。
「な、なぁ、助けてくれよ、俺は見ての通り雑兵だ、手柄首でも何でもねぇぞ」
そう言いながら、粗末な刀を鞘ごと投げ捨てた男に、だが仙狸は常に似ない、皮肉で冷酷な視線を向けた。
「ほう、最近の雑兵は学があるのう、諸行無常などという洒落た言葉を何処で覚えて来たのじゃ」
暗に、名のある武士ではないか、と言われて、男は狼狽えた。
「それはほれ、つ……辻説法だよ」
「ふむ、辻説法のう」
辻、道の交差する間に生じる、狭間の空間。
そんな、世界の境界が曖昧な場所に立ち、ある者は救いを説き、ある者は末法の世を説く。
己の行先を見失った者たちを呼び集める魔性の場所は、このような修羅と人の境に身を置く男には相応しい場所なのか。
「お主の稼業では、仏の教えに縋りたくもなるのも人情というべきか」
「俺みたいな奴でも地獄行きは怖いんだよ……それで、暇があれば」
そう言い募る男を一瞥して、仙狸は雪の降り続ける山上に目を向けた。
「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦」
「へ?」
「その坊主は教えてくれなんだか?釈尊の前世が、このような雪降る中で求めていた真理を得たという、雪山童子(せっせんどうじ)の無常偈(むじょうげ)じゃよ」
仙狸は足軽の男に、いや、その姿を透して誰かを見晴るかすように、どこか寂しい視線を向けた。
「雪山で得たというのは、実に象徴的じゃな……どこか冷たく、どこか温かい。そして、その域に至るには人を選ぶ、ちと透き通り過ぎた寂しい言葉」
「へぇ?」
仙狸の言葉の意味が解らないのか、あいまいな顔で頷く男に頓着せず、仙狸は言葉を継いだ。
「知っておるか、釈尊はこの言葉を得るために、己の身を鬼に食わせたそうじゃ……人はただ、魂に刻む数文字の為に、自ら死ぬる事ができるのじゃよ」
「……あの」
そう言いながらこちらを見る男の、情けない顔。
こうして話しながら探ってみたが、あの領主や側近の化けた姿でない事は匂いで確認した。
あの城の主だった者の一人が、足軽に化けて逃げようとしているのは間違いないだろうが、あの領主や毒を盛った側近でも無ければ、彼女にとっては別に生きていようが死んでいようが、どうでもいい人間に過ぎない。
(この道だと思ったのだが……わっちの勘も鈍くなったかの)
落胆を払うように、仙狸は軽く頭を振った。
「お主には難しかったか、良い良い、失せるがよい」
仙狸は肩を竦めて槍を下した。
「もう、殺生を生業とするような真似はするでないぞ」
「へい、肝に銘じて」
男が麓に下ろうと背を向けて歩き出す。
「仙狸姐さん、そいつを逃がすな!」
「羅刹?!」
慌てて槍を構え直した仙狸が振り向き様に、男の背を薙ぐ。
だが、槍を下げていた、その一瞬の遅滞の故か、慌てて駆け出した男の背を僅かに捉え切れなかった。
空しく熊笹を刈り払った槍を掻い込んで走り出す仙狸の隣に、駆け下りて来た羅刹が並んだ。
「羅刹、お主は主殿に付いていたのではないのか?!」
仙狸がちらりと見やった羅刹は、右手に愛用の斧、そして左手には、何やら不思議な力を感じる札を翳していた。
「話は後だ姐さん、あいつが大将を殺した奴だ!ウチはあいつを冥府に連れて行かなきゃならねぇ」
「何じゃと!」
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