信濃・薬研の極修行(完成)
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信濃藤四郎編

 

(^信濃^)主様、俺もそろそろ極になろうと思うんだ!

(^審^)あ、そうねーそろそろいいんじゃねーの?行って来い行って来い

(;光世;)うわああーいやだあー!!信濃俺をおいていくなー!!マトモな刀剣が全くなくなっちまうじゃねーか!!!

(^審^)うるせーぞメンヘラ。部隊に空きが一時的に出来るから、その淫乱ぶりを発揮して適当な刀剣誑し込むとかしてきやがれks

(^平野^)主君、このすばのダークネス嬢がヨダレ垂らしそうなお見事なクズっぷりですね。

(^信濃^)それで、俺は信濃守だから永井 尚政殿の治めてた史跡などを観に行こうとおもっております!!

(^審^)そうねー、酒井家だと親戚まみれでややこしいからなあ。いいんじゃねーの。ホモ将軍の小姓だっけ?

(^信濃^)はい、小姓から老中まで成り上がったその人生が興味があります。

 

 

〜京都〜

(^信濃^)というわけで京都に到着いたしました!!しかし永井 尚政殿の史跡がまったくありません・・・・・・・とりあえず京都所司代の史跡にでも行きましょう!!

(^役人^)あ、極発行は君信濃守だから信濃行かないと発行されないよ。

(^信濃^;)えっ

(^役人^)永井 尚政の史跡だと本人とは全く無関係だけど昇進の切っ掛けになった宇都宮城釣天井事件の現場に行ってね、宇都宮ね。

(^信濃^;;)えっ

(^役人^)えっじゃなくて、君は科野守だから発行がめんどくさいんだよ。

(;信濃;)そ、そんな、ではどこをどう回ればよいのでしょう?宇都宮なんて遠すぎます

(^役人^)じゃあ京都所司代を巡って信濃に行くしかないかなあ増上寺(東京)ならそのまま発行されるけど・・・

(;信濃;)距離ほぼ変わりません!!!!

(^役人^)所司代巡って長野県庁行くしかないね。まあこれも修行の一つだよ。各地に飛ばされた武将なんてザラだからね。

(;信濃;)なんてリアリティ・・歴史とか史跡とかよりも距離がモノを言うなんて・・とほほ・・・

 

(^信濃^)京都所司代上屋敷跡に付きましたが、史跡があるだけで単なる道です。小学校があるから人が多くて見学者が割りと居るなあ

(^観光客^)こんにちわあなたも史跡をみに来ましたか?私は幕末について調べているのですよ。

(^信濃^)俺は永井 尚政殿について調べています。京都所司代と協力して島原の乱中京都守護した方です。

(^観光客^)ああ、歴代勤めた人史料とかで名前載ってますよ。お子さんが6代目みたいですね。京都所司代は3代目の板倉重宗が有名みたいですね。永井 尚政を訪ねる人なんて珍しいですよ

(^信濃^)今は京都所司代の歴代で名前が残るのみなんだあ・・老中って地味だからなあ・・

(^観光客^)老中って今で言う大臣か総理大臣でしょうか?

(^信濃^)そうだと思います。

 

(^信濃^)やっぱり今は京都守護職の方が有名なのかなあ?信濃国に行って見ましょう。

 

 

 

〜信濃国〜

 

(^信濃^)さて長野県庁に着きました。発行所はどこでしょう?

(^役人^)あ、刀剣の方ですか?お疲れ様です。歴代信濃守の刀剣ですね。小笠原家の刀剣が多いのですが、永井家の刀剣は珍しいですね。

(^信濃^)はい、でも俺が信濃藤四郎なのは永井尚政殿の刀剣だからなので調べる事にしました。

(^役人^)では信濃守として信濃を知ってください。

まず信濃は語源的には『日本書紀通證』に「科の木この国に出ず」と記し、賀茂真淵の『冠辞考』にも「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり。」と記しており、「科の木」に由来する説が古くから有力とされている。また賀茂真淵は「名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」とも記しており、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」や「級」に由来する説を残している。他に「シナとは鉄に関連する言葉」とする説もある。また風神(シナトヘノミコト)説も

(◎信濃◎)

(^役人^)平安時代末期から鎌倉時代初期の禅宗の僧によって「信州」と称されるように。

7世紀の大化元年(645年)の大化の改新の後の令制国発足により、科野国造の領域の佐久、伊那、高井、埴科、小県、水内、筑摩、更級、諏訪、安曇の十郡を以って成立し、現在の長野県のうち木曽地方を欠く大部分を領域

(^信濃^;)あ、あの、ええ…?たぶんこれ長野県民も知らないと思うんですがそんな古代史からの信濃国を俺覚えないといけないのでしょうか?

(^役人^)信濃守ですから当然かと

(◎信濃◎)

(^役人^)推古天皇35年(627年)5月には、蝿の集団が信濃坂を越えて東の方へ行き、上野国で散り失せるとあることから、蝿に関して対応する特徴的な記述がされている。奈良時代末期から平安時代初期にかけては、信濃国内の高句麗人の改姓が続々と進んだ。延暦8年(789年)に筑摩郡人の外少初位下後部牛養が田河造を、延暦16年(797年)には外從八位下前部綱麻呂が安坂姓を下賜、

(◎信濃◎)どうしよう極化ってこんなに大変な事だとは・・・・・・・・・・・

(^役人^)強大な強化をされるので、心臓を公に捧げろ下さいという事らしいです。郷土愛にめざめよの一環です。

平安時代の中期には桓武平氏の平将門が、東山道を京に向かう平貞盛に追撃の兵を差し向け、小県郡国分寺付近で貞盛に助勢した滋野氏や小県郡の郡司他田氏と合戦に及ぶなど(938年2月29日)、この時代における平氏内紛の舞台ともなった。また清和源氏は経基王以来、信濃守に任官される者が多く、源氏の土着が相次いで見られた(信濃源氏)。この頃には古今和歌集や大和物語集、今昔物語集によって信濃に姨捨伝説の存在することが知られ月見の名所としても姨捨の名を高める。 院政の時代になると、院分国として白河法皇や鳥羽法皇の知行国となり、その後は公卿に引き継がれた。また11世紀後半以降、最高権力者である院や摂関家への寄進地系荘園の立荘が本格化

(;信濃;)ああああああああああ

 

 

 

 

(^信濃^)主、ただいま戻りました!

(;光世;)うわああー!!信濃ー!!まってたぜー!!!(抱きつく)

(^審^)おー、わりと速かったなあ

(^平野^)お帰りなさいませ

(^信濃^)俺は信濃守の刀剣だという自覚を叩き込まれる修行でした。

(^審^)まあ身体の強化は独自でやれって方針だからなあ。ある程度強くなったから発行されるわけだ。許可証は貰えたか?

(^信濃^)はい、ここに

(^審^)じゃー俺明日役所に届けだしてくるわ。ごくろーさん

(^信濃^)主、強化はいつになるのでしょうか?

(^審^)んー、手持ちの刀剣では初めてだけど、大体他の部隊だと一週間前後らしいぜ。まあそれまで手入れしたりして体調整えておけよ。そういや、修行内容ってどうだった?

(^信濃^)はい、信濃国は科の木の国でクルミの国でした

(^審^)?

(^審^)なにそれ?

 

おわり。

 

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薬研編

 

(^薬研^)本能寺跡地についたぜ!!のぶぶが奉られてる寺がここかー・・・のぶぶの墓がねえぜ。どういうことだぜ?

(^僧侶^)信長様の遺体は現代でも在りません。生死不明であられます。

(◎薬研◎)

(^薬研^;)ま、まあドリフターズでもよくあるネタだぜ!それで俺が信長をグサー!!

(^僧侶^)介錯の無い場合は切腹じゃなくて首を自刃するのではないでしょうか?あと薬研様は二字国俊、不動国行と共に堀秀政に保護されて豊臣秀頼様と共に炎上した記録が

(◎薬研◎)

(^蜻蛉^;)薬研殿ー!!!!

 

(^僧侶^)そういうわけで当寺では特に極化許可証を発行していないのです。ここは京都管轄で大阪城は大阪の管轄ですからね。それに薬研藤四郎は元々の持ち主の畠山政長殿の史跡を訪ねる慣わしですよ。応仁の乱の引き金の人物です。

(^薬研^;)そ、そうかい、わかった。ありがとうな。

(^蜻蛉切^;)ひょっとして蘭丸殿の刀剣やピカチュー殿の兄弟くらいしか本能寺で炎上していないのでは・・

(^薬研^)まあ大合戦じゃなく単なる闇討ちだからなあ。しかし畠山政長って・・そりゃそうだけどよ〜

 

 

 

(;薬研;)上御霊社の戦い〜明応の政変河内正覚寺城だから、京都→大阪か・・くっそーわりと距離あるぜ

(^蜻蛉^;)そうですか、その位の距離なら近いと思いますが・・

(^薬研^)まあお前の場合ほぼ日本一周するからなあそれに比べればちょろいけどよお

(;蜻蛉;)そうです、有名武将は大体日本一周レベルになってしまいます。はっきり言って苦痛です。旅費は部隊の自腹だし主に負担をかけるのも心苦しいです

(^薬研^)真面目な奴だなあ

 

〜上御霊社〜

(^薬研^)でけー神社だなあ

(^宮司^)ようこそいらっしゃいませ薬研様。御霊合戦の舞台へようこそ。ここでは応仁の乱ゆかりの刀剣が来訪される事がおおいですね。参拝などどうでしょう?

(^薬研^)そうだな、ここでは主に何をしたらいいんだぜ?

(^宮司^)過去の人々の営みに学びながら、善悪の分別や価値観を磨いていくのが歴史という我々の共有財産です。御霊合戦の史料などを閲覧しろ下さい。あと例祭の御霊祭は明治までは8月18日(旧暦)に行われていたが、現在では5月18日(新暦)に行われています。御霊祭は京都(洛中)で最も古い祭りといわれてます。参加してください。

(◎薬研◎)

(^蜻蛉^)ははあ、そういう祭日を期に巡る修行もあるのですなあ。そして境内史跡を巡ると

(^薬研^;)祭りに刀剣がどう参加するんだぜ?

(^宮司^)基本的に治安維持です。町内の氏子のおっさんが提灯持ってウロウロしてるあれです。

(◎薬研◎)

(^蜻蛉^;)薬研殿ー!!

 

 

〜河内正覚寺城〜

 

(^薬研^;)はあはあ、結局数日滞在になっちまった。たいへんだったぜ…普通の神社だな、史跡が残ってるだけだぜ

(^蜻蛉^)ある日突然理由もなく恥辱を受け、自らの名は自らの力で守る。そんな戦いだったようですね。

(^薬研^)まったく一緒に飯食う儀式をすっぽかされたのが発端なんてなあ

(^蜻蛉^)形式ではなく儀礼というのが問題でしょう。主従関係の破棄って事ですね。

(^観光客^)こんにちわ、私は室町幕府を観光しているものです。あなたも室町派ですか?

(^薬研^)ああ、いや、応仁の乱の発端の明応の政変を調べている者だぜ

(^観光客^)なかなか通ですね。戦乱は両方の立場から見ることをお勧めしますが、好きな武将の方の気持ちになってみると共感し易いですね。私は正直、畠山家は二人とも好きなので困るところです。

(^薬研^)そうかい

 

 

 

(^薬研^)大将!戻ったぜ世話かけたな!

(^審^)おやおや速いお帰りだね。どうですか、修行は?

(^薬研^)おう、そうだな、マイナーな室町時代ってもんを学んだぜ!譲渡先の多い刀剣は有名武将に惑わされがちだが、俺の薬研って名前の由来は畠山政長にちげぇねえ!

(^審^)そうですね、室町時代は礼節の時代と言われております。その後の戦国時代の武将の先祖も数多く登場しますから学んで損は無いでしょう。蜻蛉切はまだ修行中ですか?

(^薬研^)おう、俺は京都→大阪方面だけだが、奴はその後九州までは行くつもりとか言ってたぜ移動が苦痛で泣いてたなあ

(^審^)まあ長期休暇を利用して細切れに行くのが有名武将の刀剣の修行ですからね。移動時間の苦労もよい修行になるでしょう。

(^薬研^)それじゃあこれが極の許可証だぜ

(^審^)はい、ご苦労様でした。それでは強化までの間疲れた身体を回復させる事に全力を傾けてください。手入れもしましょう。

(^薬研^)歴史ってえのは『結果』を知ることが終わりなのではなく、『流れ』の中から法を導き出すことに、その最終目標が有るんだな。「今」をたどれば、途切れることのない軌跡が「過去」に繋がっているって判ったぜ。

 

おわり

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無意味なBLのページです。

 

 

説明
とりあえず完成したので上げておきます。
残りは内容と無関係なサービスです。
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薬研藤四郎 信濃藤四郎 時事ネタ 刀剣乱舞 三次創作 

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