被膜の向こう側へ |
思い返せば、その年の夏は不思議なことが多かった。
自宅への帰り道の途中、名前の分からない真っ赤な花が、ある家の花壇から道路へと飛び出して咲いていた。そこら一帯を赤のペンキで塗り潰すかの様に。その光景が珍しかったこともあって、その花をいくつか触ったり、弾いたりと少し遊んだ。
翌日、また遊ぼうとその道を通った時、真っ赤な花は全て地面に落ちていて、道が紅く染められていた。
テレビは、梅雨が思ったより早く明けたことを異常気象と言い続けて止めなかったし、母は、今年の夏は変ね、と呟くのが口癖になっていた。
一番に奇妙だったのは海へ二日連続で出掛けたことだった。
休日や時間があるとき、数人の友達と共に僕はある友達の家に遊びに行く。理由は騒げるから。
自分の家で騒ぐと父親が不機嫌な顔をして、とても遊ぶような雰囲気になれない。他の友人達もそうらしい。
だからその友人の家へ遊びに行く。友人の親父さんは僕達が騒ぐことに軽く注意するだけで、自由にさせてくれる。それが一番大きかった。
親父さんは、昼から缶ビールを開けていて、何の仕事をしているのか分からなかったがとても気さくな人で笑顔を絶やすことを見たことがなかった。
夏休み中、親父さんの都合が良ければ、海へ涼みに行くか、と言ってくる。
海は車で三時間程。海と言っても浜辺とか砂浜はなくて、森を抜けた先に短い波止場があるだけ。
各々がその日に行けるか行けないかだけを話し合うと、トントン拍子で話が進んでいった。
海へ行く日。
僕は寝坊して集合時間に少し遅れて友人の家に着いた。幸い、親父さんは丁度寝起きらしく、今、朝ご飯を食べているらしい。遅れたことを馬鹿にしてくる友人らと一緒に外で待って、持ってきた遊び道具を互いに見せ合った。
親父さんの用事が終わったのか、家から出てくると、行くぞ、と僕らに声を掛けてきた。遠足を前にした子供のように、ワクワクした気持ちを抑えきれていない声で僕達は返事をした。
車の運転は親父さんに任せ、後部座席で騒いでいると、早起きしたのもあってか、いつの間にか僕達は睡魔に襲われていて、あっという間に海へ着いていた。
車が止まり、親父さんに起こされると、皆、慌てるように外へ出て着替え始めた。
森に囲まれて、タイヤの跡が残った土の道を抜けると、コンクリートの床が少し続いて、小さな波止場が凹の字のようにあるだけの海。船も泊まっていなければ、船を繋ぎ止めるロープを引っ掛けるものもない。親父さん曰く、穴場らしい。
潮が引いているせいか、壁に張り付いたフジツボと濡れたコンクリートがごっそりと顔を見せている。波止場の上から海面までは二階から飛び降りるほどの高さだろうか。
ここに来ると、皆は待ってました、と言わんばかりに飛び込みをする。ただ、僕はそこから飛び込むことに勇気がなくて、波止場に一個だけある梯子からゆっくりと降りて、海を楽しんでいた。
朝から少し時間が経ったとはいえ、邪魔するものが何もなく照り続ける陽を受けてか、辺りはもう、薄い陽炎に覆われていた。それは、裸足でコンクリートを踏み続けようものなら、飛び上がって靴を踏み潰さなくてはならない程だ。
親父さんは車から降りると、準備がいいのか既に厚めのサンダルを履いていた。そして、大きな木陰が出来ている場所へビールとジュースが入ったクーラーボックスと簡易ベッドを運んでいた。設置が終わると簡易ベッドで横になっていた。親父さんは気が向いたら海に入るらしい。
森から聞こえる蝉の音か、頭に射す熱い光か、海を楽しみたい気持ちか。どれかが僕達に早く、早く、と着替えるのを急かしてきた。
全員が着替え終わったのを見るや否や、僕は我慢できなくなって仲間内の誰よりも先に駆けだして、海へと飛び込んだ。
ひんやりとした冷たさが僕を覆って、暫く海の中を彷徨う。
下は深い青だけで何も見えない。
浮き始めて海面へ上がると、陽が刺す暑さを忘れていた。
友人達は先に飛んだ者のことなんて考えず、次々と飛び込んだ場所の近くへ遠慮なしに飛び込んでくる。目が合うと、互いに笑いあい、もう一度飛び込もうと梯子へと泳ぐ。
こんなに楽しいことを何故、去年やらなかったのだろう。
昼頃、飛び込んだり、泳いだりを繰り返していく内に、ある者は親父さんと一緒に木の陰に涼んで軽めの昼食をとったり、ある者はどこまで潜れるか競い合ったりと各々で好きなことをするようになった。僕は波止場の先に座り込んでその様子を眺めていた。
陽の暑さにやられそうになったら飛び込めばいい。そして、暫く涼むと定位置に戻る、を繰り返す。
そうやって、ふと海を眺めた時だった。
海の上に人が立っていた。
いや海の上に人影があったのが見えた。忍者の水遁の術でも試しているのだろうか。ただ、周囲に船のようなものはない。
ダイバー、ではないか。
水上スキーに乗っているような、人影の下は膨れている様子はなく、細い二本の脚のようなものも見える。
だんだんと近づいてきているのか、その人影が大きくなっているような気がした。
「ちょっとどいてくれ。」
木の陰で涼んでいた友人が助走をつけて海に飛び込む為に声を掛けてきた。
近付いてくる「それ」から視線を逸らさずに、乾いた返事をして横へとずれた。
「どうかしたか。」
その行動を不審に思ってか、友人が尋ねてきた。
「それ」に向けて指を指す。少しずつ大きくなってきている。色が着いてきた。
何だと思う、と聞いてみた。
「何って。」
再び強く指を指した。
「なんかいるのか。」
見えてない?
「サメが見えたら教えてくれよ。」
笑いながら僕の肩を叩き、その友人は後ろへと下がり助走をつけると、潜水で競っている仲間たちの周辺へ、脅かすように飛び込んだ。
そこにいる全員が顔を出すとお互いの顔を見て、笑い合っていた。
下にいる皆も、誰も、「それ」には気づいていないようだ。
指を指したことに気づいたのか、「それ」はさっきよりも速さを増してだんだんと近づき、少し離れた沖で止まった。
「それ」は、女の子のように見えた。
とても海へと出るには不格好で簡易的な、制服?、を着ているようだった。
目を凝らしつつ見ていると、「それ」は腕を上げて、大きく手を振ってきた。
人なのか。
そして、僕に向かってだろうか。
周りを見渡し、誰も自分を見ていないことを、手を振る人が他にいないことを確認して、小さく、窓ガラスの小さな埃を拭くように、手を振り返した。
その仕草が見えたのか、「それ」は手を振るのを止めると、振り返って水平線へと走り?出した。
下半身にヒレが生えているわけでもないし、何か楽器を持っている様にも見えなかった。
あれは一体、なんだったんだろう。
影が伸び始めた頃、
「おーい、帰るぞ。」
と、親父さんが声を上げた。
皆、遊び疲れたようで動きが遅く、ダランと腕をぶら下げ、猫背のまま歩いてきたのもいた。車の前に集まり、自身の荷物を取り出すとお構いなしにその場で水着を脱いで、着替えはじめた。
親父さんはもう着替え終わっていて、
「明日も来るか。」
と、着替え中の僕達に聞いてきた。
海にいくのは夏休み期間中だけで親父さんの都合があって二、三回。一度行けば二週間ぐらい空くのが当たり前で、二日連続はこの時が初めてだった。
着替える手の動きが止まっていた僕達は互いの顔を見て、にやけだした。答えはもう決まっていた。
皆と喜ぶ中で、僕はあれが現れた海をちらと目に入れた。
その日の夜。
また海に遊びに行くことを母親に言うと、六本入りの缶ビール一箱を持っていきなさい、と言ってきた。
親父さんに海へ連れていってもらったり、お世話になると、そのお礼にと親父さんへ缶ビールを持っていくのが決まっていた。どれだけ缶ビールが好きなのだろう。苦いだけなのに。
母親は親父さんとその奥さんに感謝の電話を入れた後、忘れちゃだめよ、と念押された。それと楽しむのはいいけど迷惑はかけないこと、とも念深く注意された。同じ部屋にいた父親はその缶ビールが最後の一箱だったのを知っていたのか、少し不機嫌そうだった。
翌日。
集合時間前に着いて、親父さんに缶ビールを渡すとわざわざすまんな、と言って受け取った後、すぐバラして車の中のクーラーボックスへと突っ込んだようだ。車から出てきたと思うと缶ビールを一本、もう開けていた。
集合時間が近づいて皆が集ると、また海へと向かった。
昨日の夜、ぐっすり寝たせいか僕は移動中あまり寝れなかった。他の皆は寝ていた。
ふと、疑問に思ったことを親父さんに聞いてみた。どうして二日連続海に行けたのか。
親父さんは、
「暇が出来たからよ。」
、と笑いながら、さっき持っていた缶ビールとは違う缶ビールを片手に運転していた。
海に着くと、誰が一番最初に着替え終わって飛びこめるか、という競争が始まった。
僕が一番最初に着替え終わって駆け出したが、足が遅く、追い抜かれそうになりながら海へと跳びこんだ。
全員が飛び込んだ後で、遅れたであろう一人が、俺が遠くまで飛んだから俺が一位、と言ってきた。もう一人が、じゃあ飛距離で競って一番遠い奴が一位な、と言う。僕らが遊び疲れるのに時間はかからなかった。
二日連続なのもあってか、皆木陰で休憩する時間が多かった。飽きていた、というのもあったかもしれない。それを見越して、ある友人は慣れない釣り道具を持ってきて暇を潰そうとしていたが、予想以上に釣れない事と陽の暑さにうんざりして木陰に向かっていった。魚がいないのは、多分、僕達が遊んでいるからだろう。
僕はまた、波止場の先に座って海を眺めていた。
遊んでいる最中も「それ」が現れるのでは、と気になっていた。
「それ」は、妖怪だとか物の怪、幽霊の類ではないような気がした。
人の姿でくっきりとしていたから?
手を振ってきたから?
幽霊にも妖怪にもあったことはないけれど、そこだけは妙な自信があった。
色々と考えている内に、背中に陽の熱さが刺さるのが我慢できなくなって、波止場から飛び降りた。
体温が下がるのを感じる。頭の中は、空っぽに出来そうになかった。
体の火照りがなくなったのを感じると、直ぐに梯子へと向かった。波止場へと上がっても何の隔たりもない水平線が見えるだけで、「それ」は現れてこなかった。
長い時間、波止場の先にいたのもあって、喉が渇いてきた。昨日と同じように、親父さんが休んでいる木陰の場所にクーラーボックスが置いてある。休んでいる親父さんに一言断りを入れて、好きなジュースを一本取り出し、また波止場へと向かった。
「海眺めるの好きなんか。」
向かおうとした時、親父さんが声を掛けてきた。
特に好きという感情はないけど、うん、とだけ答えた。
「そうか。」
「気を付けてな。」
海は危ないからな、とも注意された気がした。
僕は、また軽い返事だけをして、波止場へと向かった。
見える風景に特に変化はない。
「それ」がいないことを残念だと思ってため息でもつこうかとした時、何か声が聞こえた気がした。下を見ると、「それ」がいた。さっきはいなかったのに。
「それ」は下から僕を見上げて、手を振っていた。
昨日のように小さく、手を振り返した。
やっぱり女の子だった。歳は僕等と変わらないぐらいかそれより下だろうか。
一体何者だろうか。聞いてみた。
(私です。 です。覚えていませんか。)
口を開いて話したようだが声は聞こえなかった。けれど、何を言ったかは頭の中に流れ込んできた。
どういう原理なのだろう。聴こえなかった部分は何なのだろう。そして、覚えていないとは何なのだろう。
こちらが頭にハテナを浮かべる中、初めて顔を見る彼女は笑顔を見せてきた。
ただ、なんとなくだった。
昨日の友人達が脅かすように他の友人達の付近へと飛び込んだこと。
それが楽しそうだったこと。
彼女なら平気だろうと思ったこと
彼女の近くへ行きたいと思ったこと。
そうすれば話せるだろう、と思ったこと。
彼女の元へと波止場の先から僕は落ちた。もしかしたら、意図して落ちたのではなくて、不思議な力で彼女に引っ張られたのかもしれない。そのせいか、彼女は僕を受け止めるように両腕を開いていた。まるで落ちてくることが分かっていたかのように。
彼女に受け止められ、共に海へと落ちた。
海に落ちた時の爽快な音は聞こえず、海に包まれる感覚とは別に、何か、薄い膜のようなものを破って海に入ったような感覚があった。海の奥は依然変わりなく、深い青が僕らを飲み込もうと待ち構えている。
いつものように暫く海中を漂ってから浮力に身を任せて海面へと上がろうと思っていると、彼女が手を差し伸ばしてきた。差し出された手を握ると、彼女に引っ張られて海面へと向かう。
彼女の背中に、煙突と、船の一部のようなものがあるのが見えた。さっきまではなかったはずなのに。
彼女に連れられ海面へと上がると、友人たちと、珍しく親父さんが波止場の先から顔を出していた。
鬼気迫った表情で皆、何か叫んでいるようだったが声は聞こえない。次々と友人たちが僕の周囲の海へ飛び込み、潜っていく。親父さんは暫く頭を抱えたかと思うと、思い出したかのように車へと走っていった。
皆の必死の形相に何事だろうと、梯子へ向かって泳ごうとした時、後ろから僕を引き留めるように両腕が伸びて、抱きしめてきた。そして、
「おかえりなさい、司令官。」
初めて声を聴く、彼女はそう言った。
それから先のことは君達がよく知っているだろう。
説明 | ||
よく分からないけど艦これの二次創作です | ||
総閲覧数 | 閲覧ユーザー | 支援 |
531 | 530 | 1 |
タグ | ||
艦隊これくしょん | ||
クサトシさんの作品一覧 |
MY メニュー |
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。 |
(c)2018 - tinamini.com |