川はながれ 声はひびく |
川はながれ 声はひびく
川のながれが、ひびいてる。
うなるように途切れずに、絶えず川から、ひびいてる。
((水面|みなも))にうつる、その影は、かたちを成しては、流されて。
なかったように、流されて、ただそれだけが、ひびいてる。
川のながれは、透きとおり、((水底|みなぞこ))をうつし、流れてる。
川からひびく、水の音。
岩をつたい、流れおち、澄んだ水が、はじけ飛び、途切れることなく、ひび
いてる。
音ともにはじける川が、日のひかりを反射して、ぎらっとひかりが差してい
く。
澄んだながれは、((水底|みなぞこ))を、隠すことなく、うつし出す。
澄んだ水の、その底に、黒い影が、しずんでる。
その奥底に、見えないものが、そこに佇んで、いるように。
((川面|かわも))をわたる、((涼風|すずかぜ))が、川岸の赤い花をゆらして
る。
ゆらりゆらり花がゆれ、葉っぱが上下に手招いて。
川岸の水がゆれる中、花がゆれて、手招いて。
河原で遊ぶ人たちの、笑い声のその裏で、川のながれがひびいてる。
笑いはしゃぐその声に、掻き消されるとも消え去らず。
笑顔で語らう人間の、後ろで流れるその川に、振りかえられることもなく、
その少年はたっている。
((水面|みなも))にしずんだ影のよう、見てもらえる人もなく、たったひと
りで佇んで。
人間は、影も気にもせず、ただ遊ぶ。
浮かれた人間、楽しげに、ただ自分の事ばかり、川の流れは見ていない。
笑い遊ぶ人間は、自分の声に惑わされ、そのひびく音を聞きはしない。
楽しく笑う人間は、振りかえることもなく、たたずむ少年、見もせずに。
笑い遊ぶ、その先で、川がながれをひびかせる。
澄んだながれのその中に、しずむ影をうつしつつ、ただ音をひびかせる。
((水面|みなも))に佇む、その少年。
足首までしずみつつ、冷たい水のその上で、ただじっと、見つめてる。
川のながれのひびく中、ただじっと見つめてる。
その少年を、振りかえるものは、いない。
人間たちは、自分達が楽しく遊べば、みんなそうだと思ってる。
人間たちは、そうじゃないものがいることを、意識しない。
人間たちは、そうじゃないものを、見ても流し消していく。
意識の底に沈めて、なかったことにしていく。
水面に佇む、その少年。
ただ、じっと、たっている。
ひびく川のながれのように、意識の外にはじかれて。
楽しく笑う人のそば、その少年は、たっている。
泣いているのも気づかれず、笑っていると思われて。
たったひとりで立ったまま、笑った顔でたっている。
黒野ミコは、見つめてた。
川を見わたす橋の上、((水面|みなも))にうつるその影に、ただ静かに目を
むけて、その光景を見つめてた。
「本当に。すくわれないわね」
黒野ミコが、つぶやく。
ただ自分たちの幸せが、すべての人に同じように訪れると、そんな幻想にと
らわれた人間たちには、その少年は、見えない。
その少年が、((水面|みなも))にうつる影のような、もろく崩れ去るだけの
必死の思いをかかえていることも、見えない。
その少年が、必死の思いを、叫び、伝えようとも、その人間たちには、聞こ
えない。
自分達の普通が、いつも、どこでも、だれにでも普通であるとしか思わな
い。
黒野ミコは、橋の上から、無表情に、その光景を見つめていた。
黒野ミコだけが、その少年を見ていた。
今時めずらしい、刺繍がはいっただけの真っ黒いセーラー服。
真っ黒のスクールバック。
真っ黒の、ハイソックス。
真っ黒の、ながい黒髪。
黒一色の、黒野ミコだけが、そこにあるものを見ていた。
黒野ミコは、歩きだす。
黒髪を、ゆらりゆらりとゆらしつつ、水面に影を揺らめかせ、ゆらりゆらり
と歩いていった。
川のながれは途切れずに、ただ、ながれをひびかせる。
澄んだながれが、川原の砂を、揺らめくように、ながしてる。
((水面|みなも))に黒い影が浮く。
川原にたって、黒野ミコ、静かに((川面|かわも))を見つめてる。
澄んだ水は鏡のように、黒一色の黒野ミコ、静かに静かに、うつしてる。
澄んだ水、川のながれと、ひびく音。
その中に、その少年はたっていた。
((水面|みなも))にたつ、その少年。
やせた体を、灰色の、きれいなブレザーの制服に、包むように隠しつつ、短
い髪が、かきむしられたように乱されて。
きれいな服のその下は、継ぎはぎのように、ぼろぼろで。
川原にたつ、黒野ミコ、静かに静かに見つめてる。
黒野ミコが、その少年を、見つめてた。
「あなた。どうするの」
「ぼくは…」
「わたしは、みる者」
「ぼくは…」
「わたしは、きく者」
「ぼくは…」
「わたしは、いる者。あなたのそばに」
その少年は、((川面|かわも))のながれのように揺らめいていた。
「ぼくは。ただそれだけだったのに。いつも、見てくれる人はいなくて…。わ
かってくれる人はいなくて…」
「わたしは、いるわ」
「見てくれたら、よかったな。わかってくれたら、よかったな」
「見て、いるわ」
「見えないよ。見えるはずないよ」
「そばに、いるわ」
「…ないよ。そばにいるなんて…。その場所がないんだ!」
「なにも。なかったのね」
「ないんだよ。なかったんだよ。いる場所も、いられる場所も、ありのままで
いられるなんて…。自分自身がそのままだなんて…。そんな場所。なかったん
だよ!」
「わたしには見える。ありのままの、そのままの、あなた自身が」
「ありのまま…」
「わたしには聞こえる。あなたのかかえた、そのままの、あなたの声が」
「そのまま…」
「ここにいるわ。ありのままの、そのままの。あなたのそばに」
「ぼくは…。そのままで、いいの。ありのままで、ここにいていいの!」
「ここにいていいのよ。わたしには、そのままでいいのよ」
「ぼくは…」
その少年は、黒野ミコを見ていた。
((水面|みなも))に影が、ゆれていた。
清い水が、ひかりをうつし、必死に影を残してた。
その少年は、さけぶように、口を開けた。
その少年は、黒野ミコに、必死に、さけぼうとしていた。
その少年は…。
「なんでなかったんだ!それだけだったのに!…もうイヤだ…タ…ス…ケ…テ
…」
その瞬間、その少年の姿は、消えていた。
黒野ミコは、((水底|みなぞこ))まで透きとおる、清い((水面|みなも))を見
つめてた。
川のながれは途切れずに、清いながれをひびかせる。
うなるように途切れずに、絶えず川から、ひびいてる。
ながれは、清く輝いて、その((水音|みなおと))は、ひびき往く。
黒野ミコは、それを聞く。
途切れることない、ながれのひびき。
とどめることのできない、清い川のながれ。
くり返し、くり返しひびかせて、川は、いつも、いつまでも、ながれつづけ
る。
幾年、幾年月たとうとも、そこにある川は、そこにある川のながれは、音を
ひびかせつづける。
絶えることない、川のながれと、音のひびき。
黒野ミコは、それを見て、そこにいて、それを聞く。
あの子のこころを((抱|いだ))きつつ、黒野ミコはそれを聞く。
「おかえり…。せめて、安らぎを」
日のひかりをきらきらと、((水面|みなも))にうつして、川はながれ続けて
いた。
川のながれが、ひびいてる。
絶えず川から、ひびいてる。
澄んだながれは、途絶えずに、日のひかりにきらめいて。
((水面|みなも))を見つめるものにしか、((水底|みなぞこ))の影を現さず。
目を向けるものにしか、影を見せることはない。
川原にあるのは、ひびく音。
川のながれのひびく音。
聞かぬものにも、その裏で、その音はひびいてる。
清いながれがひびかせる、消えることない、その叫びのようなひびき。
いつまでも、きえることのない、あの少年の声。
「…もうイヤだ…」
あの子が天に帰っても、この叫びは消えはしない。
この、見てもらえない、聞いてもらえない、分かってもらえない声は。
「…もうイヤだ…」
その子の声は、引きずり込まれる。沈められる。投げ込まれる。
「…もうイヤだ…」
その子の声は、そうでありたいと、願っただけで、流される。
「…もうイヤだ…」
その子の声は、底の底まで落とし込まれ、なかったことにされる。
「…もうイヤだ…」
そこで、ひとりでこころを殺される、その子は。
「…もうイヤだ…」
想うことを許されない、ありのままを抹殺される、その子は。
「…もうイヤだ…」
感じたことを引きちぎられ、想ったことを沈み込められる、その子は。
「…もうイヤだ…」
ありのままが、歪められ、無視されつづける、その子の声は、消えはしな
い。
ただ、水面にうつる揺らぐ影のような、その声。
黒野ミコは、ただ、((抱|いだ))きつづける。
ひとが、受けいれることを、自分と違うものが、存在していいと、許しを与
えることを待ちながら。
黒野ミコは、その声を、ただ、((抱|いだ))きつづける。
たとえ、それが、消えゆくだけの声だとしても。
「…もうイヤだ…」
声ではなく、こころの叫びとしか、発することを許されない、声。
いつか、この声が…。
安らぎのうちに、ただ存在を許されることを、待ちながら…。
黒野ミコが見る、ゆらめき、あることさえ疑わしい、この世界。
人間の共存という、言葉だけの、ながれ往くひびき。
黒野ミコは、虚無のながれの中で、ただ、立ちつづける。
「本当に。すくわれないわね。世界も…。わたしも…」
絶えずひびく、そのながれ、意識の外へと、消えていく。
ひびくうちに小さくなって、ゆらりゆらりと、消えていく。
黒野ミコは、見つめつつ、ながれとともに、歩きだす。
ながれを渡ったその風が、黒野ミコの髪ゆらす。
ゆらりゆらりとゆれる髪、流れにひびくその音と、同じように揺れている。
ひびくながれと、黒野ミコ、ゆらりゆらりと、揺らいでる。
揺らめく((水面|みなも))の影のよう、黒野ミコの黒い影、ゆらりゆらりと
揺らいでく。
川のながれはとどまらず、揺らめく影をながしてく。
黒野ミコのその影が、ゆらり、ゆらりと、かすんでく。
黒野ミコの黒い影、川にゆがんで、かすんでく。
人間の景色の中へ、景色に揺らぐ人間の中に、かすんで、見えなくなった。
説明 | ||
「ひびいてくる 声」第3話 受けいれられないものが、残した、発した、その声が、川の流れと響く。 (グロテスク表現はありません) |
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