密やかなる想い
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「あの、先生? どうしたんですかそれ」

「どうしたって……地球出身でしょ? クリスマス、知らないの?」

「知ってます、けど。ここは地球じゃないですから。ちょっ、それはそうやって使う物じゃないですってば!」宿木を掲げつつ迫って来る先生を躱す。

「なんで? これの下の男女はキスしていいんじゃなかったっけ」

「そんなこともあるらしいですね、西洋では。でもそうやって脅迫めいて使わないのだけは確かです。それに今日はイヴであってクリスマスじゃありません。更に付け加えるなら私の正確な出身地は日本で、宿木関連の習慣はなかったはずです。だからしまって下さい」

 先生が頬を膨らませる。「反応がつめたーい」

「可愛く言っても可愛くありません。年、考えて下さい」

「お前と四つしか違わないけど」

「立場を考えて下さい」

「お前の婚約者だけど」

「お父さんと叔父さんが酔っ払いながら冗談として話しただけでしょう」

「わたし、同意してるけど」

 しつこいので睨み付けると先生は軽く肩を竦めた。「はいはい、分かったってば。お前と四つも離れたお年寄り教師ですー」手をひらひらさせ扉に向かう。「してくれないんなら他の女の子とするよ。代わりにそこにあるプリントの採点やっておいて」

「生徒にやらせるんですか?」

「わたし、先生ですから。教師は生徒に命令出来るの。というわけでよろしくねー」

 ウインクをし宿木片手に出て行く先生。残されたプリントは、ここ一週間彼が採点をさぼっていた為にデスクに山となっている。しかもそれが四つ!

 なにが悲しくて従兄の仕事を代わりに引き受けねばならないんだろう。本当だったら今頃は家にいて、お祭り騒ぎが大好きなお母さんがイヴに便乗して作らせた豪勢なお夕飯を頂いていたはずなのに。

 けど先生のあの笑顔。あれは無視して帰宅したら確実に痛い目を見ることになるな……。学園は明後日から冬休みだし、多分、いや絶対に明日中にはこれを生徒に返さなくちゃいけないはず。とすればやっぱり、今帰ってしまったら確実にお仕置きコース決定だ。

 溜息を吐く。きっちり仕事を始めてしまう自分がとても悲しい。きっとこれが、惚れた弱みっていうやつなんだろう。

 

 採点を始めて二刻が過ぎた頃。いい加減に我慢の限界だった。あの後すぐに戻って来たはいいけれど、どうやら宿木効果について大宣伝をして回ったらしい。学園中の先生ファンが押し掛けての接吻合戦が繰り広げられていた。甘いセリフと、文字通りのリップサービスをたっぷり与えられた女の子たちがうっとりした表情で部屋から出て行く。

 二山までは耐えた。三山からは怒りに震え始め、四山の半分まで来ている今はそろそろなにかのスイッチが入りそうだった。

「あれ、君の唇、なんか甘いねー? なんだろう……イチゴかな」

「うわあ、さすが先生っ。当たりです〜」彼好みの綺麗な女の子が先生の膝の上で嬉しそうに答える。「出たばかりのリップなんですよ〜」

「なるほどー。私イチゴ好きだからねー、君のことまで好きになっちゃいそう」

「ホントですか!?」

「んー、ホントホント。ほら、こっち、ちゃーんと向いて? 美味しいイチゴを味わえないよ」

 ああもう!

「欲張りさんだねぇ。もう一回、して欲しいの?」

「うん――」

「可愛いね。ふふ、ほら。目、閉じて? ん、いい子だね……」

「お邪魔してすみません。もう帰ってもいいですか?」

「ん?」デスクを見遣り先生は視線をこちらに戻す。「まだ終わってないじゃない、あとちょっとなんだから終わらせてよ」

「嫌です」

「お願いだから、ね? いい子だからさー」

「すみませんけど」さっきその子に言ったセリフを、私に向かって吐かないで。「もういい加減帰ります」

「終わらせてから、ね」

 先生の瞳が鋭く光った。思わずごくりと喉を鳴らす。でもここで引き下がったら立場がまるでない。「最後ぐらいご自分でどうぞ。教師なんですから生徒にさせっ放しは良くないと思います。それじゃあ失礼します」

「先生ぇ、そんな子いいから早く〜」

 彼の膝に乗った生徒が強請る。向き直って素早くキスを与えると、「はいおしまい。ほら、もう出て行って。君たちもね」

 順番を待っている群れにも声を掛けた。一斉に上がるブーイング。無視して彼が続ける。

「わたしの命令を聞かないあの子にお仕置きしなくちゃいけないからね。忙しいの」

「ええ〜?」膝に鎮座した女の子が口を尖らせた。

「聞き分けの悪い子は好きじゃないんだ。君、わたしに嫌われたい?」

「え……イヤ、です……」

「なら分かるよね? 出て行って」

「はぁい」

 おとなしく出て行くも、直前にこちらを睨むだけの余裕が彼女たちにはあった。さすが、というべきか。

「さて、と」

 ちょ、まさか本気で?!

 先生が笑う。「なんて顔してるの? 冗談でしょ、さっきのなんて。あの子たちを追い払う口実だよ。それより、よくまぁここまで終わらせたね?」

「え」

「適当で良かったのに。ま・助かったよ。ありがとねー」机に置かれた山の間に先生がとすっと座る。「疲れたー。學術祭のキスコンテスト以来だよ、あんなに大勢の女の子相手にしたの。もっと早く助けてくれるかと思ったのに全然無視なんだもん、どうやってあの子たちを捌こうか内心焦ってたんだからね」

「そもそもどうして、したくもないことしたんですか?」

「……だって、お前が言ったじゃない――」ぽつんとなにごとか呟く。

「え?」なに? 聞き取れなかった。

「あ、別に。なんでも。ま・もういいじゃない」んーっと伸びをする。「ほら帰ろ。お腹空いちゃった。早く帰って伯母さん提供のご馳走と仲良くしよう」

「採点は?」

「明日の朝にでもやるさ。あ・なんだったら残りもやってくれる? せっかくだし、全部やり終えて達成感を味わいたくない?」

「遠慮しておきます。さっきも言いましたけど、最後ぐらい自分でやって下さい」

「いいじゃなーい。どうせ明日も一緒に登校するんだしさー。朝のひと時を共に過ごそうよ」

「先生、年と立場を考えて発言して下さい」

 鞄を掴む。それを見て先生がデスクから滑り降りた。

「四つ年上の婚約者でしょ」

「だから、婚約の部分は自称でしょう」

「照れちゃって。いいよいいよ、お前が受け入れるまで何度だって思い出させてあげるからね」

 頭にぽんっと乗せられる手。自分にはないその余裕が、そのまま私たちの立場の差に思えて不安になる。

「いつまで――」

「ん?」

「いつまで、それ、言ってくれますか?」

 頭上で息を呑む音。離される手。視線を上げると、私だけを見つめる瞳がそこにあった。

「お前が望むなら、いつまででも」

 静かに指を絡め取られる。嬉しくなって握り返した。

 柔らかい微笑みが私に降り注ぐ。物心付いた時から見慣れてはいるけれど、やっぱり先生の笑顔は格別に素敵。どう足掻いてもこの微笑からは逃れられない。

説明
地球と交流のある異世界の学園が舞台。常に余裕のある年上の教師兼婚約者に振り回されつつも、彼のことが好きな少女の短い物語。

2010/6/12公開
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