夜摩天料理始末 16
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「わー、緊急だよ、大変だよ、一大事だよー、えらい事だよ、これはやばいよー!!」

 山を揺るがす天狗声に、紅葉御前と童子切は足を止め、互いの顔を見合わせた。

「おつのんよー、一大事は判ったから、どこで何が起きてるか言いやがれー!」

 紅葉御前が夜空に向かって声を張り上げる。

「えっとねー、らせっちゃんと仙狸ちゃんがなんかでっかいモノノケに苦戦中だよー、位置は麓の村に行く道の途中で、もみっちゃん達が進んでる方向だよ。私は二人の救援に向かうから監視から外れるね、それじゃおつのちゃん突撃っスー!」

 どこぞの狛犬のような言葉を最後に、上空で空気を引き裂くような音が鳴り渡る。

「行っちまったか、元々落着きない奴だけど、かなり慌ててたな」

「それはさておき、何故羅刹さんまでがここに?」

「そういやそうだな。あんにゃろは大将にくっ付いてってた筈なのによ」

 紅葉御前の言葉に、童子切の切れ長の目が、更に眠っているように細められる。

「……どうも気に入らないですね」

「全くな、羅刹の奴ぁ、何しにこっちに来てるんだか」

「いえ、そちらでは無く」

 童子切は、紅葉御前の前に手を出して、一つ一つ指を繰りだした。

「ご主人様の謀殺、判明した犯人、私たちによる襲撃、そしてその場所に、お誂えに現れた強大な物の怪」

 出来過ぎでは? と目で問いかける童子切に、紅葉御前が頷いた。

「言われてみりゃ、確かに館が手薄になっちまってるね……しかしどうする、おつのんがあれだけ焦るって事は、相当ヤバい奴だろうし、そんなの相手にあたしら二人が抜けるわけにゃいかない気がするんだよねぇ、どっちかだけでも戻るかい?」

「それはそれで、更に無駄に分散する事になるだけでしょう、今は私たち全員で可能な限り早くその物の怪を倒し、館に急ぐのが上策だと思いますが」

「それが良さそうだね、それじゃ急ごうかい」

 頷く童子切の顔を見てから、紅葉は斜面をぐるりと見渡した。

「人を追って道を辿る必要が無くなったんなら、ちょい無理してでも突っ切るか、童子切もそれで良いかい?」

 紅葉御前は元々が山の民の長。

 山を知り、山を行く事、猿(ましら)の如し。

「ええ、最短でお願いします」

「最短ね」

 そう呟いて、紅葉はにまっと笑った。

「んじゃ、頑張って着いて来な」

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 珍しく、冥府の廷内に、どこか弛緩した空気が漂う。

 それを表面に表すような不調法者は居ないが、その表情や態度の僅かな緩みが、上位者から下位の鬼に伝染していく様子が、夜摩天には何となしに感じられる。

 そんな空気を感じたのだろう、夜摩天の近くに居並ぶ人の列から、抑えた声が上がる。

「一件の審理にどれだけ時間を費やすおつもりかな、夜摩天殿」

「事前に申しあげたように、今日一杯は必要と見ていますが、問題ありますか、宋帝殿」

「私は別に良いのだがね、冥府の裁判長とは、それ程暇でも無いと思ってたのでね」

「まぁまぁ、宋帝殿、夜摩天殿が此度の裁きに時間を取るのも、人界への影響を思えば無理からぬ事でございましょう」

「都市王か……」

 納得しきれないが、仲裁者を無下にしてまで続けるほどの難癖でも無いと思ったのだろうか、宋帝と呼ばれた男は顔をしかめて言葉を飲み込んだ。

 夜摩天も、仲裁に感謝するように、都市王に向かって軽く会釈をして、顔を正面に戻した。

 その戻す刹那に、傍らに居並ぶ者達を視線で一撫でする。

 

 冥府十王。

 

 かつては冥府の裁きを分担していた鬼神の王達。

 だが、現在の冥府の裁きは、彼らの中から選ばれた二人が閻魔と夜摩天の名を継ぎ、その任に当たる事となっている。

 かつて、権限の分散によって生じていた判断の不統一や、そこから生じた十王の確執を憂い、何代か前の冥府の王たちによって改革した結果。

 だが、いわば格下に落とされる事になった他の十王には、それぞれにしこりを残す事となった。

 当然の話だが、閻魔も夜摩天も、彼ら他の八人と競った先に、今の地位を得ている。

 

 尤も、閻魔に関しては、本人のやる気が乏しかったものの、その才能を惜しんだ先代の強い推挙の結果が大きかったという特別な事情があって、今代に関しては、夜摩天の地位のみを九人で争ったというのが、猶更面倒な訳だが……。

 

 夜摩天は、彼女に向けられる嫉視と反感を、常にその背中に感じて来た。

 そして、事あらば、彼女を蹴落とそうとする、密やかな動きの影も。

 そんな、彼女に向けられる悪意が、ようやく僅かだが顕在化してきたのを、夜摩天は敏感に感じ取っていた。

 良い事だとは欠片も思わないが、こういう駆け引きは、裁判官として勤める中で、自然と覚えた。

 ここまで行って来た、異例尽くめの審理は、いわば、ピンと糸を張りつめた状態。

 異常を感じ、緊張状態が続けば、人は内心を伺わせないように心を鎧う。

 だが、その鎧の中では、表に出せない疑念や不満が渦巻き、揣摩臆測を呼び起こし、それがさらなる疑念を自分で育てる。

 そんな緊張状態を、中だるみの形で一度緩める。

 それにより、抑圧された感情というのは、どれ程の自制心を以てしても、どうしても表に現れてくる。

 表情の変化、僅かな吐息、視線。

 そんな、吹き出して来た空気の中に、夜摩天は僅かながら、初めて確かな当たりを感じた。

 

 そして、当たりが来た事で、疑惑が、ある程度確信になった。

 正直に言えば、そうであって欲しくなかったが、恐らく間違いない。

 

 十王の中の一人が、あの陰陽師の協力者。

 

 夜摩天の審判に瑕疵が積み重なれば、それは当然彼女が地位を追われる理由足りうる。

 人の足を引っ張ろうとする時、その仕事を妨害するのは、どの世界でも当たり前に行われる事ではある。

 実力を以て彼女を夜摩天の地位から追うというなら、それは、彼女としては寧ろ望む所。

 己よりも、厳格公正に事に当たれる人が居るなら、この地位を譲るに、彼女に何の不満も無い。

 だが、実力に依らない、こんな汚い謀略で陥れられては、夜摩天としてはやりきれない。

 

 人を裁く神である彼女らとて、完璧な存在では無い。

 天部と呼ばれる神々。

 だが、彼女たちにも、感情はある。

 楽しみも、恋慕も……当然、自己顕示欲も悩みも野心も、嫉妬も、悲しみも、そして憎悪も。

 だが、だからこそ、それを制御しながら、歴代の冥府の裁判官たちは、苦悩しながら裁きを積み重ねてきた。

 そして、それらを踏まえ、更なる公正厳格な裁きを行う次代の存在が、彼女の跡を継いで行く。

 ……自分は、そんな礎の一つで良い。

 礎は、誰もその存在を記憶しないかもしれない、けど、その上に何かを正しく建てたいと思った時、自ら望んで、その礎となる意味はあるのだ。

 

 彼女は夜摩天の地位を、そんな風に思っている。

 それを、今回のように、他者の生を己の謀略の為に弄ぶ輩に委ねるなど、彼女には、到底許せる話では無かった。

 例え、今回の件の決着がいかに根が深く、それを掘り起こす事によって深い禍根を残す事になろうと。

 よし、それを追及する中で、わが身に危険が迫る事となろうと。

 夜摩天は今回の件、灰色の決着で終わらせる気は無かった。

 

 今、ようやく、その端緒を掴めた気がする。

 だが、竿先に当たりが来た事で焦って竿を引いては、魚を逃がす。

 相手もまだ、こちらを探っている状況には違いない……では、更に深く餌を飲ませるには。

 その、次の手。

「そう、確かに、死者に次の行先を告げる事を、余り長引かせるのも良い話でないですね」

 ちらりと手元の調べ書きに視線を落とす。

 あの青年のそれでは無く、もう一方の。

「では先に領主殿……貴方の審判を行いましょうか」

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 彼女の眼前に、それは静寂の裡に蟠っていた。。

 城館と言ってもおかしくない土塀を建て巡らし、、少し広めの水路程度の物だが、堀に囲まれた広壮な館。

 人を阻むには少々足りない、無いよりは良い程度の浅い堀。

 だが、そこに満々と湛えられた清水が、人ならざるモノには、千尋の谷より深い、越えがたい守りとして立ちはだかる。

 周囲の霊山や霊穴より注ぐ雪解け水を集めた川の流れを一度庭内に引き入れ、霊樹の元に満々と湛えた池の下に集め、それを再び館の周囲の堀に流し込む。

 これだけでは無い、鞍馬の考えを受けて整備された庭は、今や妖怪では立ち入るどころか接近すら困難な、強大無比な守りの力を備えるに至っていた。

 

「相変わらず来客に優しくない家ですナァ」

 目を押さえながら、藻は遠間から館の門を睨みつけた。

 偵察も兼ねて、館の中の愁嘆場でもあざ笑ってやろうかと、『目』を飛ばしてみたが、それが凄まじい霊気に阻まれ、一瞬で焼き払われた。

 大した術では無いから、恐らくあちらも気が付かないだろうし、術の返し自体もちくりと痛む程度。

 だが、それ以上に、不快感が彼女の端正な顔を歪めていた。

 

 強大無比な力で護られた、式姫の庭。

 彼女たちの邪魔をし続ける、あの男と式姫共の本拠地。

 妖怪には手出しどころか、近寄るのも難しい結界。

 それを、あの領土欲に燃える領主と、式姫達の主に収まる凡人に対して嫉妬に狂う陰陽師を唆して、人間どもの手で破壊させる計画だった。

 現在、この日ノ本の国で、恐らく最強たる人の守護者を、人自身の手で破壊させる。

 そんな彼女の皮肉な計画は、予想以上に早く真相に気が付き、怒りに燃えた式姫達に先手を打たれた事で失敗に終わった。

 ならばと、次善の策として、彼女たちを足止めし、戦力を分断した上で、主を失い力の半減した庭を彼女自身が襲う事にしたのだが、多少弱まったとはいえ、未だに予想外に強力な守りの力が、この庭を守護していた。

 これは、あの小賢しい鞍馬山の天狗の張り巡らせた陣による防御の力。

 だが、何よりこの、彼女すら恐怖させる力は間違いない。

 

 あの男は、まだ死に切ってはいない。

 

 誤算。

 いや、一流の陰陽師が怨念込めて作り上げた強力な蠱毒を、奴が確かに飲み、昏倒した所までは見届けている。

 あれに蝕まれれば、肉体は確実に滅ぶ、その上で、冥府の協力者を使って寿命を書き換えさせるという手まで打った。

 あの男の肉体と魂、双方を完全に亡ぼせば、あの結界は力の大半を失う。

 後は、悠々とこの庭を手中に収める。

 

 その予定だった。

 彼女が周到に巡らせた計画に、何故か齟齬が生じている。

 いままで これで殺し切れなかった奴は居なかった、いかな高僧も陰陽師でも殺してきたと言うに……。

 あの男は、そこまで特別な存在だと言うか。

 

「忌々しいナァ」

 潔く死んでくれない男は、私、いけすかんわァ。

 そう呟きながら、藻は懐紙に何やらを書き付け、畳んだそれを、二筋引き抜いた己の髪で真ん中辺りを、強く縛った。

「魂は胡蝶となり、胡蝶は魂となる、なればわが言霊も胡蝶なるべし」

 藻の掌の上で、それが、軽く身震いするように震えた。

 中央で結ばれ、二筋伸びた毛が、触角のようにぴくぴくと動く。

 強く縛られた事で、中央がくびれ、翅のように伸びた紙の両端が緩やかに上下に打ち振られる。

「行きや」

 ぽんと藻がそれを投げ上げると、それは空にひらりと舞い上がった。

 舞い上がった時には、すでにそれは紙と毛で作られた、不格好なそれでは無く、淡い燐光に包まれた、蝶の姿となって、月光を浴びながら、夜空の中に漂い出した。

「あン人、亡者一匹処分するのに、何を愚図愚図やっておるのやァ」

 気に食わないナァ。

 彼女の思い通りにならない物は、気に食わない、何もかも。

 この清浄な気に守られた庭も。

 あの方たちを封じる、忌々しい大樹も。

 そして、この庭の主の元に、愛情だの信頼だのという、下らない情に従い集った式姫どもも。

 

 破壊したい。

 汚したい。

 蹂躙したい。

 弄びたい。

 

 嗚呼。

 ねっとりした吐息が、濡れ濡れと紅い唇から洩れ、豊かな胸乳に、毒液のように零れる。

 

「早ゥ、あの庭で遊びたいわァ」

説明
式姫の庭、二次創作小説です。
承前:http://www.tinami.com/view/892392
1話:http://www.tinami.com/view/894626
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