ミラーズウィザーズ第三章「二人の記憶、二人の願い」13
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   *

 草木も眠るという宵闇時。

 毎夜、魔法の特訓に出掛けるエディも疲れた体をベッドに押し込める、そんな静かな夜という時間だった。ただ、今日に限っては魔法の修練はせずに、泣きながら帰ってきたことを知るのは幽体の魔女一人だけだ。

 エディのベッドの上で漂うユーシーズは、寝具にくるまる少女の寝息を静かに感じていた。

〔なんという無防備な寝顔じゃ。ほんに子供じゃの。……子供か。こういうのを我が懐かしがるのは筋違いかもしれんの〕

 窓から夜空を見上げる不死の魔女は、珍しく悲しそうな表情を浮かべていた。エディが見ている手前、余裕の笑みをして見せることが多いが、それが彼女の感情の全てではない。

 こうして空を見上げるくせも、その証拠なのかもしれない。月を見ていると落ち着くのだ。月はずっとかわらない。自分が魔女になる前も、魔女として人々から追われる立場になった後も、そして、人として僅かな間だが幸せだったときも、月はずっと同じ顔でユーシーズを見下ろしていた。

〔月が闇に消える……。明日は朔月かえ、また月が巡るか〕

 藍の夜空に僅かな線弧を残した黒い月。ユーシーズの見つめる月が漆黒の陰に浸蝕されようとしていた。

〔いつの世になっても月の奴は変わらんの……。くくく。それは我とて同じか。姿形はいつまで経ってもあのときのままじゃ〕

 そうして遠い目で、どことも知れぬ何かを見るようなユーシーズ。

〔少しは変われたかの、中身ぐらいは。我も早うそちらに逝きたいわ、シイナ……〕

 ユーシーズは窓から空を望むそのままに、窓ガラスをすり抜け野外へと出て行った。実体を持たぬ今のユーシーズに、壁や窓は何の障害にもならない。そして、この女子寮に張られている結界も、濃度の低い投影体であるユーシーズには何の役には立たないのである。今のユーシーズを隔絶したければ、対幽体用の結界でも張らなければ意味はない。元々女子寮に忍び寄る不審者を想定した結界だ。幽体の魔女にはあまりに不適なのだ。

 ユーシーズの幽体は風に流されるかのように夜空に浮かんで真夜中の散歩と洒落込んだ。

 実体とは異なり、今のユーシーズでは風を肌で感じることは出来ない。大地に立って足を踏みしめることも出来ない。ただただ浮かび、その投影魔術の式越しのざわついた感覚で世界を視ることしか出来はしない。

〔エディの奴と、同じものが我に見えているのじゃろうか、この我が目に映る世界は本物かえ……。我も同じ世界に生きたかった。同じ時代に生き、共に死ぬ……。我の無いものねだりにも困ったものじゃ〕

 既に遙か過去となった魔女戦争の時代に思いを馳せた幽体の魔女は、喉を鳴らす笑い声を漏らす。まるでその声を夜風に乗せるかのようだった。

 しばらく学園の上空を漂ったユーシーズは、何かを見付け地上に急降下する。そして、体を護紋が刻まれた学舎の壁ににじませ、一つの灯りのついた部屋へと降り立った。魔法学園の校舎を強固に守る秘儀(ルーン)の護紋も彼女の侵入を妨げる様子はなかった。いや、元から幽体のユーシーズを拒絶する魔術など組み込まれていない。

〔何じゃ、こんな夜更けにご苦労なことじゃ〕

 ユーシーズが躊躇いなく声を掛けた。

「あなたも少しは眠られてはどうですか?」

 落ち着いた男の声だった。エディ以外には聞こえぬはずのユーシーズの声に、しっかりとした返事が返ってきた。

 ユーシーズが侵入した部屋には、たった一つの書斎机と書類の詰め込まれた本棚が並ぶ大きな部屋だった。

 その机に深く腰掛けた男が一人。学舎の魔法学校としては特殊な部屋であることは一目でわかる。

〔くくく、我の身体はずっと陽の届かぬ地下にあるのじゃ、昼も夜も我にはとんと久しい些事じゃて〕

「ほっほっほ。確かにそうですな。……しかし、今回の件はどうなさるおつもりで? さすがに些事とはいかぬでしょうに。学内であなたの目撃情報が多数出ているとの報告も受けていますよ」

 落ち着いた声を返す男が席を立つ。そうして部屋に入ってきた幽体の魔女を出迎える。そのことが確実にユーシーズが見えているという異常を物語っていた。

 男は白髪の老人。しかし背はピンと伸びて、老いの中にも精力的な印象を受ける。更に着ている黒の背広が、彼を引き締めた力強い風体としていた。

〔うむ、我を意識して視られるのは主とエディだけのようじゃが、さすがに魔道を教える場じゃ。『霊感』がよい者が多いらしいのう。我を微かに見てしまう者がこれほどおるとは驚きじゃ。どうやって、そこいら中の者共を、ここまで魔道の血を濃くしたのやら。まぁしかし、学園だけでなく街中でも我を見た気がする者は幾人かいたようじゃがの、心配あるまい〕

「えぇ、創立から二百と二十年。着々と人々の魔道の才を持つ者は増えていますよ。それは学内に限らすニルバストの街全体が、魔道都市としての発展を見ている。学園を創りし本懐を遂げる日も近いのかもしれませんな」

 と、男は誇らしげだった。

〔しかしのぅ、幽体の我が見えたところで何かの役に立つわけでもなし。それに誰に我が見えたとして、どうせエディと見間違うのじゃろ。我はエディと相当に似ておるらしいからのぅ〕

「ええ、知らぬ者が見れば見分けがつかぬほどに」

 姿がはっきりと見えるらしい男が大きく頷く。エディ本人でさえ似ていると思うのだ。他人が端から見れば全くの同一人物のようにさえ見える。

〔どうにも我には似ておるのか、ようわからん〕

「あなたは何百年、鏡を見ていないのですか?」

 嘲笑うでもなく、老いた男はただ純粋に問うた。

〔うむぅ。痛いところをつきよる。投影体では鏡に映らんしのぅ。我は地下に眠るモグラ姫じゃて〕

「誰よりも長く生きたあなたが『姫』ですと?」

〔くっくっく。主も言いよるようになったのぅ。昔はあんなにも可愛いらしかったガキが〕

 ユーシーズ・ファルキンが笑う。エディの側に居るときとは少し違う、ただ純粋に笑って見せた。

説明
魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第三章の13
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タグ
魔法 魔女 魔術 ラノベ ファンタジー 

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