Nursery White 〜 天使に触れる方法 3章 2節 |
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普通に歩いていると、歩幅が広く、歩くスピード自体が速い私は、どんどん悠里を置いていってしまう。
だから、悠里に前を歩いてもらおうにも、道がわからないと言うし、結局、かなり気を遣いながら私が前を歩く形になった。
「それにしても、ゆた先輩」
「うん、どうしたの?」
「ゆた先輩って、でっかいですよね……」
いやまあ、悠里に比べれば大多数がでっかいですよ、と思いながら、羨望の眼差しを向ける彼女を振り返る。
「こんだけ身長あるって、割りと邪魔だよ?服のサイズとかすごい困るし」
「でも、ゆうよりずっと高い景色を見ているって、羨ましいです。腕も長いから、遠くのものも立ち上がらなくても取れそうですし」
「……なんか、地味に悠里のものぐささが垣間見える気がして、その評価基準イヤなんだけど」
「そうですか?けど、背は低いよりは高い方がいいですよ、きっと」
「……悠里」
「はい?」
「悠里はでっかくならないで。お願いだから」
がしっと肩を掴みながら言わせてもらいました。ここで彼女というお姫様を失ったら、どうするんですか、わちき。
「は、はぁ。まあ、ゆうはたぶん、でっかくはなれないです。母も背が低いですし、父も並程度。兄もやっぱりそんなものなので」
「そ、そっか……」
「でも、手に入らないからこそ、ゆた先輩が羨ましくて……」
「まあ、そういうものかな……」
私も、小さくて可愛い悠里に惹かれた訳だし。
しかし、冷静に考えると、子どもと大人みたいな体格差だ……周りからはどう見えているんだろう。
オタクってやつは面倒なもので、自分の趣味に没頭している間は、他人からの見え方なんてどうでもいいのに、それから少し離れた瞬間、自分がものすごく目立っているんじゃないか、という変な自意識過剰を発動させてしまうものだ……と、私は思う。
「ゆた先輩、どうかしたんですか?」
「いや……やっぱり休日は人多いね。みんながみんな、同じようなことを考えつつ、それでもこんな時ぐらいしか遊べないから、外に出ているんだろうけど」
「そうですね。ゆうはあまり外出しないので、今日が特別多いように感じますが、いつもこんなものですか?」
「まあ、これが普通かな。連休とかはもっと多くなるよ。その時に来たら、悠里は目を回しそうだね」
「でも、ゆうは割りと人が多いことには慣れてますよ。広いコンサートホールが人で埋まっている中、演奏したこともありますから」
「ああ、そっか」
悠里は少し誇らしげに胸を張りながら言う。
……やっぱり、悠里にとってフルートというのは、自分を縛り付けるものである一方で、間違いなく彼女のアイデンティティに関わるもので、誇りなんだと思う。それを実感することができて、少し安心した。
「でも、音楽の聴衆というのは、客層が決まりきっているので、趣味も何もかも違う人たちが、こうして広い街を覆い尽くしているというのは、ちょっと不思議な感覚です。みんながみんな、それぞれの行きたいところに、行きたい人と向かっているんですね」
「そうだね。よく迷わずに行けるな、って思うよ」
「ゆた先輩、方向音痴なんですか?」
「…………あのさ、そこはこう、比喩表現といいますか、ですね?」
まあ、わかってはいましたけどね。そんなもんなんですよ、このお方って。
「まあいいや。カラオケボックスはすぐそこだよ。とりあえず初めてだし、一時間でいい?休日ちょい高いし……」
別にカラオケ代も払えないほど困窮している訳じゃないけど、趣味以外には極力お金を使わない性分なのである。ああ、仮にも後輩の前でみみっちぃなぁ、私。
「はい。お任せします。ご飯も食べられるんですよね?」
「食べられはするけど……ぶっちゃけ、値段の割に味も量もそんなに、だよ?」
「じゃあやめておきます」
「そうだね」
カラオケ屋の店先でしていい会話なんですかね……。
そういえば、悠里ってご飯はどれぐらい食べるんだろう。私は……まあ、見た目通りによく食べる方だと思うんだけど、やっぱり悠里は少食なんだろうか。
お店に入り、受付は私が済ませて個室へと向かう。まるで慣れているような感じだけど、正直、そんなに利用していないので、前と大きくシステムが変わってなくてよかった。きっと、サイトを開けばお得なクーポンでもあったんだろうけど、長居する訳じゃないし、何も食べないからいいか。
「そういえば、飲み物とかはないんですね?」
「……あっ。ドリンクバー」
こういうことをやらかす辺り、実ににわからしい。
「私が淹れてくるよ。悠里は何がいい?アイスティーとか、ジンジャーエールとか、コーラとかあったと思うけど……」
「ジンジャーエールってなんですか?」
思わず頭を抱えました。
「ジンジャーのエールなんで、ビールです」
なんで私もさらっとウソつくんでしょうかね。
「じゃあ、子どもはダメですね。えっと……あんまりジュースって飲まないので、お水でも?」
「お水は……逆にないかな」
「では、アイスティーで。お砂糖もレモンもミルクもいりません」
「おっ、通だ。私もあんまり甘いの入れないけど」
「どうしても、甘ったるいのが残ってしまってイヤですよね」
「うんうん、すごいわかる」
こういうところで味覚が一致すると、妙に安心できてしまうのは、世間知らずを炸裂させられた後だからだろうな……。
そう言いつつも、いざドリンクバーの前に来ると、メロンソーダがあったのでそれを注いでいる私がいたのであった。いや、なんかたまに飲みたくならない?あのわざとらしい、香料マシマシのメロン味が妙に愛おしくなるっていうか。
「ゆた先輩、それ、奇麗な色ですね」
「……ご存知、ない?」
「はい」
「これ、カクテルだよ」
息をつくようにウソをつく。
「ゆ、ゆた先輩は、ワルでしたっ……」
「というか、ジンジャーエールもそうだけど、ドリンクバーにお酒はないからね。これはメロンソーダ。名前の通り、メロンの風味がついただけのソーダだよ」
そもそも、学割のために学生証を提示したんだから、その時点でお酒を出してもらえるはずがないでしょうに。
まあ、私まで学生証を出すと、ちょっと驚かれるのは慣れているから気にしない。小学校高学年の時点で、ランドセル背負ってるのを不思議に思われることがあったんだから、そりゃ慣れもする。
「なるほど……ゆた先輩はなんでも知ってますね」
「悠里は、自分の常識があまりにも狭い世界のそれだということを、自覚した方がいいと思うんだ……」
「でも、主要なフルートの演奏曲は全部言えますよ、ゆうは」
「だからそれがめちゃくちゃ特殊な界隈の知識なんだって」
ドヤ顔をする悠里は、ちょっと……いや、かなり可愛かったけど。
「メロンソーダ、美味しいんですか?」
「……飲みたい?」
「でも、ゆた先輩のなので……」
「いいよ、ちょっとぐらい。はい」
そう言ってコップを悠里の方へと近づける。すると、一瞬だけためらった後、そのままストローに口を付けた。あっ、自分のは使わないんだ。いや、別に気にしないけど、女同士だし。
「んっ……美味しいです。すっごく甘いですね」
「まあ、ソーダだしね。もっと飲みたいなら、ちゃんと注いでこよっか?」
「いえ、いいです。それより、歌ってみていいですか?」
「いいけど、曲の入れ方ってわかる?」
何せ、相手はスマホどころかガラケーも持ってないんだ。あんまりハイテクが得意には思えない。
それでも、目録を手に取って、しばらく、ぴっ、ぴっ、と動かしていて……無事に入ったみたいだ。
タイトルは……「雨の夕日」。ギリギリ曲名は知っていたけど、確かかなり古い歌謡曲だ。懐かしの名曲、みたいな感じのテレビ番組で流れているのを聴いた記憶がある。
「し、渋いね」
「最近の曲は知らなくって。でも、この曲は父と母の思い出の曲というので、何度も聴いて覚えていました」
前奏が終わり、歌詞が表示されると、悠里はほとんど画面を見ることもなく、歌い始めた。
さすがに音感については言うことなしで、ほんの少しもずれることなく、完璧に歌い上げている。さすがに声量はあまりないけど、普段の声通りに涼やかで、同時に優しげな歌声で……昔ちょっと聴いた頃は、理解できなかった歌詞が、胸に染みていくのがわかった。
悠里はきっと、フルートに限らず音楽の天才なんだろう。だけど、あんまりに周りがフルートばかりを求めすぎて、逆にそれがイヤになってしまっている。彼女の歌声もこんなに魅力的で。独特過ぎて少し疲れてしまうけど、普段話しているのもすごく楽しい。でも、誰もそれには注目してくれない。
両親の思い出の曲だというから、切ないながらもラブソングだと思っていたら、結局、曲中のカップルはそのまま別れてしまう、悲恋の曲だった。それを歌い上げた悠里の目に、涙が見えたように思えたのは、気のせいだろうか。
「よく知っているとはいえ、久しぶりなので音程、外してしまいました」
「えっ、そうなの?」
「やっぱりゆうには少し、低すぎました。調整ってできるものなんでしたっけ?」
「うん、できるよ」
「むぅっ……でも、原キーで覚えているので、下手に上げると難しそうですね。あっ、次はゆた先輩がどうぞ」
「なんか、悠里がここまで上手く歌った後だと、プレッシャーだなぁ……」
「ゆた先輩の歌、聴いてみたいです」
「あんまり期待しないでよ……」
悠里が顔に似合わず、すごく大人な曲を歌ったところだけど、私もまた見た目に似合わず、思いっきりのアニソンを入れさせてもらう。いわゆる女児向けアニメの曲なんだから、それはもう、キラッキラの曲な訳ですよ。顔と体に似合わず。
とはいえ歌い慣れているので、どんな感じだったのかは割愛。無難に歌えて、そこまで酷くなかったと思う。
「ゆた先輩、すっごく上手です。歌声、可愛いですね」
「い、いやぁ……」
「ゆた先輩、普段の話し声も甘い感じなんで、可愛い曲がすごく合うと思います」
「あっ、甘くはないでしょ、私の声」
「そうですか?すごくこう、鼓膜を震わせるいい感じの声に思えますけど」
「悠里、たぶん人より耳がいいからそう思うんじゃないかな……」
まあ、見た目の割には普通というか、女子高生としてそんなにおかしくはないかな、と思ってる。でも別にすごく高い訳じゃないし、世間一般に甘いと言われるような、とろっとした声という自覚はない。……とろっとした声って表現、初めてしたかも。
「うーん、そんなことはないですよ。ゆた先輩の声は、すごくスイーツ系です」
「……それは褒めてくれているんだろうか」
「褒めてますよ、もちろん」
「じゃあ、悠里の声は何系?」
「ゆうは空気系です」
「……なぜか納得できてしまう」
やっぱり、悠里の耳は正確なのかもしれない。
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