船頭を探して
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 島へ行って新鮮な魚が食べたいと思って船に乗った。島は目と鼻の先にあるのだけれども、泳いでいこうとすると途中に渦巻きがあって飲み込まれてしまって危ないから陸の人間はみんな船に乗っていくことにしていた。渦巻きに飲み込まれてしまう人は年間何人もいて、今もその遺体は水の底でぐるぐる回っているんだということだった。

 千円の運賃を払って船に乗り込んで待っていると、船は一向に出る様子がなく桟橋の端で留まっていて、私はいつ出るんだろうと思って運転席の方を覗いたりするけれども船頭はいない。今日はもう出ないのかしらと思って時刻表を見たけれども、時刻表は日の光ですっかり褪せて見えなくなっていて、何時に出るのかもよく分からなかった。渦巻きの起こす波がゆっくりと船を上下に揺らして、私は足の裏で波の感触を味わいながらまだかなまだかなと思っていた。

 三十分ほど待ったけれども船頭は来なくて、私は次第にじれて来てターミナルの建物まで行った。ターミナルには島へ帰るらしい人たちが干物やアワビの入った籠を持ってうろうろしていた。それらは島で採れたものを売りに行った行商人らしかった。籠の底を見ると見たことのないような魚が何匹もいて、それらはどうやって食べるんだろうと思った。

 私は船頭を探しに行かなければならないと思い、ターミナルを出て運河の方へ行って、船頭はそのあたりで時間を潰しているんじゃないかと思ってきょろきょろしていると、運河の岸に腰を掛けて魚を釣っている人がいた。この辺りで釣れる魚は淡水魚だろうか海水魚だろうかとぼんやり思って通りがかると、クーラーボックスの中には見たことのないような脚の八本ある魚が二三匹入っていて、白い暗い箱のそこでじっとこちらを見て生きているんだか死んでいるんだか分からない様子で止まっていた。私はついつい「この魚は何ですか」と聞いてしまうと、魚釣りは「欲しければあげようか」と言って手際よくビニール袋に魚を一匹捕まえて入れてしまって、それで私に「はいっ」と言って渡してくる。私はそんな得体のしれない魚はどうしたらいいか分からなかったからいりませんと言って返そうとしたけれども、魚釣りはニコニコと笑ってとてもよい顔をしていたからとうとう言い出せなくなってしまって、どうやって料理したらよいですかと心にもないことを尋ねてしまうと、脚を取って脚を食べるのがいいんだよと言う。

 身は皮ばかりでとても食べられたものじゃないから、脚の中に詰まっている身を食べるんだよと魚釣りは言った。ほらこうやって、と言いながら魚釣りはクーラーボックスの中の魚の脚を一本取って、その折れたところに口を付けて中身をちゅるちゅると吸い出して美味しそうな顔をした。私は生きたまま脚を取られた魚が暴れだすんじゃないかと思ってハラハラしてクーラーボックスの中を眺めていたけれども、魚は落ち着いた澄ました様子で水の中でぷかぷか浮いているだけだった。私は「なんだか蟹みたいですねえ」と魚釣りの人に言うと、「これは魚だよ」と言って魚釣りの人は冗談が分からない人みたいな顔をして私に指摘した。私はそのもらったビニール袋をぶら下げながら歩いて行った。

 だんだん時刻が夕方になってきて潮が満ちていくらしい気配がして、さっき私の歩いてきた運河の岸を振り返ってみたらひたひたと波が来て歩いてきたところがみんな水漬くになっていてびっくりした。その向こうのターミナルの方は頭だけ波の上に出ていて白い塗装に夕日の色が照り映えて真っ黄色に染まっていた。そして船着き場も桟橋もみんな波の下に沈んでしまっているらしく、白い波頭がちりちりと立っている向こうに微かに小さくぽっつりと見えるのが私の乗ろうとしていた船らしかった。

 私は慌ててターミナルへ戻ろうと思ったけれども、手の中のビニール袋の魚がかさかさと動いて、「おれは早く食べないと腐ってしまうよ、腐ってしまったら悪い臭いがして胃にも鼻にも悪いからよしたほうがいいよ」と言って、しきりに食べるのを催促していた。私は行こうか戻ろうか迷って心ここにあらずといった調子で周囲をぐるぐる回っていたけれども、満ち潮がざーっとこっちの方へ馳せってくるから戻ることはできなくなった。岸に生えている草の穂が波に呑まれて一斉になぎ倒されていくのを見ているとなんだか恐ろしく、子供の頃荒川の岸で遊んでいる時、モーターボートが通りかかると大きな波が打ち寄せて来てそれに呑まれてしまうんじゃないかと思って怖くなったのを思い出していた。

 私は運河のコンクリのぼろぼろになった岸伝いに歩いて上流の方へ再び船頭を探しに行った。けれどもこうなると船頭はどこにもいないような気がした。私は二度と島には行けないような気がして、払った千円は一体どうなってしまうんだろうと思って心の底からがっかりした。

 魚がかさかさと音を立て、早く食べてしまいなよと言って催促するので、私は歩きながら魚の脚を一本もぎとって、口をつけてちゅるちゅると吸った。魚はうまく、私は一本、また一本と魚の脚をもぎ取りながら、見つかる見込みのない船頭を探して、延々とぼろぼろになった運河の岸を歩いていった。

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オリジナル小説です
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