さくら 4
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 春だというに、その山は死のような静けさだけが支配していた。

 時折微かに、彼女がいちいち捉えきれない程度の生き物が立てる音が、微かな命の存在を示す。

 

 お前は、アレが何か判るか、呪い師?

 

 山中の道を行きながら、傍らの武者が低く声を発した。

「何?とは」

 私には、彼が何を言いたいのか、何となく判ってはいた。

 だがはぐらかした。

「アレは、鬼では無い」

「……そうですね」

 術や妖の専門家でも無い彼の断定に、私は反論できなかった。

 恐らく彼は、何度も鬼と呼ばれる存在と対峙し、ああやって切結んだのだろう。

 刃を合わせる時とは、すなわち相手と気を合わせる事でもある。

 その彼が言う、彼女は鬼では無いと言う言葉には、それだけの重みがあった。

 

 そして、それは私も思っていた事。

 角が無かったとか、そういうのは些末な問題。

 妙な言い方だが、彼女には、いわゆる鬼と呼ばれる妖の持つ特有の「人くささ」という物が無かった。

 並はずれた暴力、色欲、権勢欲、悲しみ、怒り、恨み、そして愛。

 人の器を溢れる程の、こころ。

 そのあふれ出した心を抱えた存在が鬼となる……そんな伝承があるように。

 鬼とは、人以上に人らしい存在なのだ。

 

 だが、彼女には、何もなかった。

「変な言い方だがな……俺は人形と戦ってるんじゃないかと思ってしまったよ」

 その声に、若干の戸惑いと、更に微量の恐怖を、私は感じ取った。

 それは怯懦とは違う、生き物として当然感じる感覚。

「人形では、ありませんよ」

 人形なら、もっと。

「動く人形なら、それを作った人の想念が多かれ少なかれ籠もりますから」

 

 もっと、人らしい。

 

「彼女は、人形ですら無いですよ」

 彼女には、それすら無かった。

「……そうか……薄気味悪いな」

「そうですね」

 薄気味悪い。

 確かにその通り。

 だが、それは余りに哀し過ぎる命ではあるまいか。

 

「それで……結局あれは何なんだろうな」

 

 そこに、再び疑問は還る。

 彼女は何なのか。

 何故、あんな命が産まれてしまったのか。

 色々考えあわせ、私の持つ神仏、妖魔、幻獣、それらの知識と、彼女を実見した結果を私なりに考えた。

 答えは多分。

「多分ですけど」

 嫌な事実を、自分の中にだけ飲み込む事が嫌で、私はそれを表に放り出す事にした。

「うむ」

 彼の返事も、何かを予感しているのか、どこか重い。

 

「人ですよ……紛れも無い」

 

「……そうか」

 彼は、静かにそれだけ呟いて前を向いた。

 驚きは無かった。

 彼もまた、彼女と戦う中で私と同じ結論に至り。

 

「ならば、やはり止めねてやらねばならぬな」

 

 私と同じ決意を抱いて、この山道を登っていた。

 

「はい」

 

 恨みならば晴らしてやる事も叶おう。

 願いならかなえてやれる事もあるだろう。

 欲ならば満たしてやる事も出来よう。

 だが……彼女の抱えた、全ての命を求め、なお埋まらぬ深淵のような虚無を埋める術は、恐らく、存在しないから。

 

 せめてこれ以上、あの虚ろな魂が彷徨うのを止めるしか、出来る事は無いと。

 二人とも、悟っていた。

 

 私たちの少し前を行く鬼火が、怯えたようにぴくりと震えて、私の手元に戻る。

 よしよしと撫でてやると、安心したようにまた少し私たちの前に戻ってくれた。

 この狐火はまだ未熟な私に似つかわしく、臆病な性質をしている。

 まぁ、それが良い警告になる事が多いので、寧ろ重宝なのだが

「むぅ……」

 狐火がおそるおそる照らしてくれた光景に、期せずして同じ唸りが口から零れた。

 狐火が怯えたのも無理はない、青白い光に照らされ、後詰隊の隊長と、彼に従っていた陰陽法師が、原型を留めぬほどに切り刻まれて転がっていた。

 何れ、彼も私もこうなるのだろうか。

「……南無」

 悪いとは思ったが、供養は後にさせて貰うしかない……私は二人を片手拝みにしつつ、転がっていた太刀を拾った。

 剣は得手ではないが、どうもこの先、丸腰では心許ない。

 すっと抜いてみると、驚くほどするすると、まるで自ら抜けるかのように、刃が夜気の下に姿を現す。

 鞘に収まったままの、刃こぼれ一つない太刀は、彼が不意を打たれた一撃でやられた事を意味していた。

「ほう、業物だな」

「銘までは判りませんが、かなり古い物ですね」

 しかも、何やらただならぬ気配を感じる。

 まだ確とは定まっていないが、何らかの神霊が宿る気配。

 いずれにせよ、彼の家に伝わる重宝だろう。

「ふぅむ、実に切れそうだ、しかも丈夫そうな……」

 使います? と差しだしたが、彼は苦笑して頭を振り、陰陽法師の持っていた、どちらかと言うと枝を掃う為のような山刀を手にした。

「俺のようながさつ者にはこちらが似合いだ、それはお主が持っておれ」

「私の腕では勿体ない気もしますが……」

「こういう神がかりの顔をした道具なら、ヌシの方が向いていようさ」

「そんな物ですかね」

 相変わらずの、彼の勘の良さに舌を巻きながら、腰に佩いてみると、長さの割にすんなりと収まった。

 長さと反りと重さが絶妙に調和しているのだろう。

「……申し訳ない、お借りしますよ」

 我が生あらば、彼の家にお返しする事も叶いましょうから。

 そう呟いて、再び歩き出す。

「何人、生きて居ると思います?」

「さてな……」

 望み薄だ、という、彼の口の中だけの小さな呟きも、私の耳に届いてしまう静寂の中。

 私たちは、不意に広い場所に出た。

 登り初めた、淡い月光の中。。

 立派な老桜が、拡がる枝一杯に付けた花に月の光を受け止めて、その広場をほの白く照らしていた。

「……居たぞ」

 その老桜の下に、彼女は佇んでいた。

 両手に刀を構え。

 全身を紅に染めて。

 

 私たちに、あの虚ろな目を向けていた。

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「ご主人様」

 さくらの声が涙に濡れていた。

「お別れ……なのですね」

「そうだよ」

 逃れられない、人という脆い器の限界。

 ずっと悩んだけど。

 私は、この命の終わりを、受け入れる事にした。

 だからね。

「最後は、君と、一番良い景色の中で迎えたかった」

 最後まで、我儘な主で、すまない。

「……」

 無言のさくらに、私は言葉を続けた。

「そして、君は」

 私という、君を縛り続けた桎梏から。

 

「解放される」

 

「……嫌です」

 やだ……。

 幼子のような嗚咽が零れる。

 すまないな、さくら。

 私は、君を悲しませてばかりだ。

 でもね。

「必要な事なんだよ、さくら」

 私の声に、何かを感じたのか。

「……はい」

 俯いたまま、さくらは私の手を離し、私に背を向け、一歩一歩、その広場に歩み出した。

 大きな金の月に照らされ、老桜の木は、花を散らしだしている。

 その中に、彼女は一歩、また一歩と。

 時を踏みしめるように、ゆっくりと歩いて行った。

 私は、その光の中に歩む後ろ姿をじっと見ていた。

 さくら……やはり君は美しい。

 

 この世界で、初めて式姫となりし君よ。

 

 老桜の下に佇み、彼女は何を思うのか、暫し、その巨木を見上げていた。

 値千金と詩われた春宵の終わりを告げるように、風に僅かな寒さが混じりだす。

 月の輝きが銀の色を帯び、桜の花が白い光を帯びる。

 あの時のように……。

 その光の中。

 さくらが振り向いた。

 手に何を携えている訳でも無く。

 傷一つない滑らかな頬を、今は虚ろでは無い、澄んだ目から零れた、自身の涙で濡らしていたが。

 

「陰陽師」

「何だ?」

 

 私は今、あの時と同じ、破壊の女神と対峙していた。

 

説明
式姫草子の二次創作小説になります。
……と言いつつ、式姫出てこないってマズいよね、アハハハノハー
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式姫草子 平安さん さくら 

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