Nursery White 〜 天使に触れる方法 4章 4節
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「ボイスドラマって……それ、もちろん自分たちで楽しむためだけのものよね?」

「はい。さすがに動画サイトに上げて反応を見る、なんて酷なことはしません。でも、私の思う基準を満たしていれば……それも、いいと思っています」

「そ、それはちょっといきなり、ハードルが高すぎるって言うか……あたし、未来と比べたら全然だし……」

「それを言ってしまったら、新人声優なんて演技力で言えば、ベテランには遠く及ばないんです。だから、新しい声優はいらないんですか?ギャラを制限なく払える環境であるなら、ベテランだけで固めてアニメを作ってしまえばいい、と?」

「……それはまあ、違うけど……。でも、未来っていうプロとあたしじゃ、絶対にその差がはっきりと出ちゃうじゃない。なんていうか……あたしが耐えられないっていうか……」

 その言葉を聞いて、喜んでいる私がいました。

 いえ、常葉さんを困らせるのが好きだとか、そういうサドい理由からではありません。

 ……常葉さんがこんな顔を見せてくれる相手は、きっと私だけでしょう。月町先輩とは旧知の仲で、いわゆる親友という関係にありますが、それでもきっと、こんな風に弱い自分を見せるということを、常葉さんはしない。

 私は常葉さんの先生で、友達で、同志でもあります。常葉さんは私といる時だけ、本気で声優になりたいのだという気持ちを見せてくれる。そして、それゆえに、何一つ隠し事をすることなく、弱い自分も、情けない自分も。かっこ悪い怒りも、見ていて痛々しいほどの悲しみ、苦しみも。全てを見せてくれます。

 ある時、常葉さんは泣きながら私に言いました。「あたしはここで、一瞬だけテレビで目立った子役として忘れ去られたくはない」……私のような、テレビに顔を出したことのない人間は、一瞬だけでも自分を「個」として認識してもらえたのなら、それでいいじゃないか。私がナレーションだけを仕事としている関係もあって、そう思ってしまいます。

 結局、常葉さんは自分がスターであった時代を忘れられない、プライドばかり高い自己顕示欲の塊なのだと……そう一蹴することもできるでしょう。

 ですが、私は同時に思いました。彼女は普段、学校で強い自分を。完全無欠の自分を演じています。学校の彼女は、決して本気で怒らず、涙を流さず、笑いもどこか虚しい、上辺だけのものです。しかし、そんな彼女が素顔を見せて、感情を爆発させてまで、求めるもの。……そんな、本気の夢を、どうしてただの自己顕示欲だと、切り捨てられるのでしょう?

 少なくとも私には無理でした。

 彼女をダイヤの原石と呼ぶには、中途半端に。それもあまりよくない方向に研磨され過ぎていて、私が今からどう手を付ければいいのか、悩むところが大いにあります。私が下手に手を加えてしまうと、傷つけてはならない輝きまで削り取り、ただでさえエッジの立ったカットをされている彼女を、より鋭利な凶器のようなものに変えてしまうのではないか。……そんな恐れがあります。

 触らぬ神に、なんとやら。我が身が可愛ければ、そして、常葉さんを少なくとも今のままで「保管」しておくためには、手を伸ばさない方がいいのです。

 ところが、私は震える彼女の手を取りました。自分ではきっと、いつか限界が来てしまう。そうわかっているのに、バカを承知でバカにならなければならなかったのです。

「では、公開は考えません。完全に私と常葉さんの間だけのものにします。それでもダメですか?」

「……後から、再生するんでしょ?それはやっぱり、きついけど……まあ、公開しないなら、とりあえずやってみるのは……」

「常葉さんがイヤって言うなら、私一人で聴きますよ。録るだけ録って、それっきりじゃ意味がないですし」

「ねぇ、今更だけど、未来は録音した自分の声を聴くのに抵抗ってないの?あたしは、自分が出てたテレビ番組すら、後から見るのに抵抗があったんだけど……自分の姿と声をした別人が映っているみたいで、すごく気持ち悪くて」

「ほう……?」

 こんなことを聞かれたのも初めてなら、そんなことを聞いたのも初めてでした。

 てっきり、常葉さんは当然のこととして、自分の出た番組を受け止めているものとばかり思っていましたが……まあ、常葉さんが実は恥ずかしがりで、自己評価も低いということは知っています。そんな人が自分の映ったテレビを見るのは、相当に辛いことでしょうね。

「私も昔は苦手でしたが、今はもうなんとも思いませんよ。まあ、録った後に粗が目立って、でも今の自分の実力では、それ以上のものは録れなくって……という力不足に悩むことはありますが、聴くこと自体はイヤじゃないです」

「未来ですら、自分の実力不足を感じたりするの!?」

「……私はまだまだ、道半ばの身ですよ。私はまだまだプロの入り口にようやく立ったところなのですから、これからどんどん成長していく必要があります。だからこそ、今の自分とちゃんと向き合っていく必要があります。わかっていることだとは思いますが、自分自身が聴く自分の声と、録音した自分の声は違います。初めて聴いた時は、想像以上に稚拙な喋りに、げんなりしますよね。……でも、だからこそ、それをよりよいものに押し上げる特訓が必要なのだと思います。自分の声が嫌いだったら、だからこそ、何度だって聴いていかないと」

 常葉さんは、黙ってしまいました。

 そして、申し訳なさそうな、ばつの悪そうな顔で、私を見ます。

「……生半可な気持ちでこの道を志したつもりはないけど。でも、まだ未来ほどの覚悟があたしにはないのかも」

「覚悟なんて、大げさな言葉で表すことじゃないですよ。もっと単純な、今よりもっと上手くなりたい、多くの人に喜んでもらいたい、という向上心です。それだけを原動力にすれば、いつの間にかに前へと進めているものですよ。――でも、それも難しいなら、好奇心を持ってみてはどうですか?」

「好奇心?」

「はい。別に常葉さんの知識をバカにする訳ではないですが、常葉さんが知っているアニメなんて、ほんの一握りですよね。声で表現する世界は、アニメだけではなくゲームもありますし、ボイスドラマの台本も、ネットで軽く検索すればいくつも出てきます。それはプロの作家のものではありませんが、たとえシナリオとしては稚拙であったとしても、ある人の“本気”の集大成です。実力のない声優であれば、どんなに素敵な台本も演じきれず、凡作という評価を下されてしまいます。逆に実力のある声優であれば、台本がまずくとも、一定の力を持った作品を作ることができるかもしれません」

 私は、少しオーバーなぐらいの手の振りを付けながら話しました。

「常葉さんは、RPGを遊んだことはありますか?世界を救う勇者だとか言われている主人公も、最初はただの弱い少年でしかありませんよね。それが、自分自身が強くなり、自分にはない力を持った仲間を増やすことで、どんどん新しい土地へと冒険を進めることができるようになっていきます。その原動力は、この先の景色を見てみたい、どんなシナリオが、どんな街が、どんな人が、どんなボスが。物語を彩る、どんな役者が現れるのかを知りたいという、好奇心です。

 それと同じように、少しずつ自分を育てるつもりで前へ進むというのはどうでしょう。今、常葉さんの仲間は私しかいませんけど。でも、そこらのザコ敵にいいようにやられる程度の実力しかないつもりはありませんよ」

「……未来。あたしも、未来みたいになれるのかな…………」

「私のようにはならないでくださいよ。常葉さんはもっともっとすごい人になれます。私が知る時澤常葉とは、そういうすごい役者さんでしたよ。子役としての成功だけではない。もう一度、名のある人物として、世界にその名を轟かせてください」

 常葉さんは、まだ浮かない顔でした。ですが。

「……やってみる。上手くできないと思うけど、うん……あたしも、もっと前に進みたい。今はまだ知ることができないものを、知ってみたい。今まで見てきた景色は、決して奇麗じゃなかった。だから、この先にある景色も、同じようなものかもしれない。……でも、実際にそこに行ってないのに、勝手に奇麗じゃないって決めつけるって、負け犬みたいじゃない。……あたしは、成功者、時澤常葉よ。あたしは、あたしが勝ち続けてきた相手のためにも、絶対に勝ち続けていないといけないの」

 そう言って、学校で見せているような、根拠のない自信に溢れた顔をしました。

 それはお芝居で作ったものなのか、心の底から、そんな表情をできる心境に至ったのか。……声の世界しか知らない私に、判断はつきません。

 だけれど、今の常葉さんのことを、かっこよく感じていました。

「では、早速台本をお見せしますね。常葉さんには是非、この女の子の役をしてもらいたいのです。少年役は、私がします」

 私が見つけてきた台本とは、高校生三年生の男女の短いかけあいのものでした。

 女の子は箱入りのお嬢様で、幼い頃から結婚相手が決まっている。相手は決して悪い人ではないと思うのですが、ほとんど会ったこともない大企業の御曹司。ところが、女の子は高校で、結婚相手はこの人しかいない、という男の子と知り合ってしまいました。

 お嬢様が通う学校ですから、相手もそれなりのお金持ち……と思いきや、学費免除で入ってきた特待生。頭はいいですが、生き方がとても不器用で、家も貧乏とまでは言いませんが、平凡なものでした。当然、結婚が認められるはずもありません。

 それでも愛し合う二人は、卒業式の日、最後のお別れをします。

 涙ながらの「さようなら」ではなく、互いの将来を期待し、激励し、前向きに別れる。そんなシーン。もう二人は生涯、会うことはありません。

 学校というのは、考えてもみれば不思議な空間です。ただ、最大で二歳の年齢差で、学力が同じぐらいというだけで、絶対に出会うはずがない人同士が出会い、同じ場所で勉強をする。

 私も、常葉さんと出会えたのは奇跡と言う他はありません。私はかなりがんばってこの高校を受験し、合格しましたし、既に受かっていた私立校に通う可能性もありました。そもそもこの公立校自体、割りと土壇場で受験を決めたのです。

 そんないくつもの偶然の果てに、私はここにいます。状況こそ劇的ですが、ありえるはずのない出会いというのは、学生にとっては当たり前のこととしてあることなのです。だからこそ、私たちが演じるのに相応しい物語だと思いました。

「中々難しい役ね……感情の振れ幅がすごく大きい……」

「微妙な変化を演じるよりは、激しく怒り、悲しんでいるぐらいがやりやすいですよ。……では、軽く合わせてみましょうか」

 

 

「ごめんなさい。あなたとは、笑顔で別れようと思っていたのに……」

「いいんだ。……俺も、笑って別れたかった。でも、俺が君を幸せにできないと思うと、辛くって、苦しくって……ああっ、くそっ…………」

「……ね、最後に一度だけ、いい?」

「今まで俺は、一度もそんなことを求めなかった。君に許嫁がいるからじゃない。ただ話して、一緒の時間を過ごすだけで十分だったからだ」

「でも。……それでも、どうしても…………」

「最後だから、か……」

「うん…………」

「わかった。これが最初で、最後だ。そして、この後はもう、笑顔だ。俺は泣かない。君も、泣かないでくれ」

「うん、うん…………」

 

 

 キスシーンの演技はありません。場面は飛んで、最後のお別れのシーンに移ります。

 ……一通り合わせ終わって、常葉さんは顔を真っ赤にしていました。子役ではありますが、役者として働いていた以上、キスシーンやラブシーンに大きな抵抗はないはずです。

 それなのに赤面するのは、彼女の性格を考えると――。

「あたしって、ここまで演技できてなかったのね……。未来は、普段やっている物真似やナレーションとは全然違う、少年役なのにすごく上手かった……。でも、あたしはっ…………」

「あえて気休めは言いません。私も、想像以上に常葉さんの演技はまずかったと思います。……恐らく、私の演技を意識し過ぎて、それに引っ張られる形で、自分ひとりの演技よりも上手くできなかったのでしょう。

 多くの場合、ドラマCDなんかの収録はキャラごとにしますよね。ですが、常葉さんは役者経験がありますし、あえてアニメのアフレコのような、かけ合いの形にしましたが……これがよくなかったみたいです」

「でもっ……あたしはドラマの演技はちゃんとできてたわ。子役っていうバイアスがかかっていたかもしれないけど、演技力も買われていた。ブランクもそれほどない。……あたしがまだ、声の演技に適応しきれていないんだ。ちゃんと未来に教えてもらってたのにっ……」

 常葉さんは、真っ赤な顔をくしゃくしゃにして、悔し泣きをしていました。

 ……残念ながらその表情や声は、さっきの演技のそれと比べると、大きく違います。いわば常葉さんは「演じられた悲しみ」を演じていたような形です。そんな二重の演技が、真に迫ったものになるはずがありません。

「まだたった一度、練習でしかありません。次は、一人で演じてみましょう。常葉さんには、確かに土台が出来上がっています。後はそれをそのまま発揮し、実戦経験の中で磨いていくだけです。私のことは考えないでください。演じるのはあなた自身です。ヒロインを演じるのではなく、ヒロインになってください。常葉さんなら、できるはずです」

「くぅっ……わかった。わかったわ。あたしは、時澤常葉なんだからっ……!」

 涙を拭いた常葉さんは、またすぐに台本と向き合って、悲劇の令嬢と自身を重ね合わせていきます。

 元来、役者である常葉さんは、体全体で演じるということを見事にできます。プロの声優さんのアフレコ現場というのは、たまにテレビで取材されます。人にもよるので、一概には言えませんが、多くの場合、体全体で感情を表現していることがわかると思います。

 怒った演技は、自身も鬼の形相となり、暴れる演技の時は、衣擦れの音が立たない範囲ではありますが、自身も荒々しい格好をしていたり……それを見ていれば、声優というのがそもそも、俳優から分化した職業であるということにも納得できます。本質的には何も変わらないのです。

 ところが、俳優が声優をするという、逆のパターンの場合。演技のやり方は同じはずなのに、どこか違うものが生まれてきます。

 俳優はその姿をテレビに映し出して演じます。声優の演技も、アニメに関しては、アニメキャラの姿が映し出されます。ところが、アニメキャラは生身の俳優ほどは、ダイレクトに感情を表してはくれません。そもそも、二次元というのは多分に象徴的な世界です。アニメキャラのような美少女は現実にはいませんし、目が大きすぎますし、鼻が小さすぎますし、声優とアニメキャラの容姿はあまりにもかけ離れています。

 つまり、俳優は自分自身を表現するのだから、自分にとっての感情表現をすれば、それが俳優の演技になります。ところが声優は、キャラに合わせた演技をする必要が出てきます。五十歳の女優は、十歳児を演じられません。しかし、五十歳の女性声優は、十歳児でも五歳児でも演じられるのです。

 ――常葉さんの演技は、女優として見た時、見事なものでしょう。ところが、そこから容姿を抜き取って、音声だけで聴いてしまった場合。彼女の演技は、十七歳の時澤常葉の演技ではありますが、同じく十七歳の悲恋の令嬢の演技とは、ズレが生じて来てしまっているのです。

 常葉さんは、正直に言って臆病な人です。ただ、同時にパワフルな人です。とても堂々としていて、声にもその気迫、溌剌さが表れています。ですが、深窓の令嬢にその声は力強すぎるのです。そして、そこを修正しようとする中で、本来の常葉さんができていた演技が崩れてきて、結果として、棒とは言いません。言いませんが、無理して作っているのが透けて見える演技になってしまうのでした。

「……お疲れ様です。しばらく、こういった形で練習を続けましょうか」

「もちろん……あたしは、絶対にこの役をものにして見せるわ。正直、難しいけど……でも、未来はあたしがやりきれると信じて、この役を選んでくれたんでしょ?……だったら、期待に応えないと」

「常葉さん。……お願いします」

 私は一瞬、難しいならやめてもいいですよ、と言いかけました。ですが、引き締まった常葉さんの顔を見ると、そう言うことは彼女の決意、覚悟への冒涜であると感じました。

 そして、私は理解します。……常葉さん自身はまだ気づいていないかもしれませんが、既に彼女は立派な役者です。ただ、演技力がそれに伴わないだけ。そんな腹の決まった相手にかけるべき言葉は、甘い、情けの言葉ではありません。

 私自身、もう一度気持ちを引き締め直しました。

「私は、常葉さんを信じています。だからこそ、見事に演じきってください」

 ストレス、プレッシャーをかけるという言葉は、基本的にネガティブに使われます。

 ですが、私は思いました。今の常葉さんに必要なものは、プレッシャーだと。まだ未熟な人にストレスをかけると、そのままぽっきりと折れてしまうという危険性があります。でも、常葉さんならそれを背負って尚、歩き続けることができる。そう確信しました。

 それに、今回のボイスドラマは、実はまだ計画の第一段階でしかないのです。……既に、この台本を書いた作者さんとの交渉は進んでいて、しばらくすれば新たな台本が。私と常葉さんのためだけに書かれた台本が出来上がります。そして、それで声優、時澤常葉の確かな第一歩を踏み出させる。

 私自身は声優ではありません。ですが、常葉さんの指導をしている身として、即席ではありますが、プロデューサーも兼ねようとしています。

 決してブリリアントカットではない、荒々しいカットだけど、確かに輝く女の子。時澤常葉の名を、もう一度。世間に知らしめるために。

説明
演じるとはどういうことかしら

※原則として、毎週金曜日の21時以降に更新されます
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