夜摩天料理始末 24 |
「みんな大丈夫かなー……」
あの領主の城が有った所に降り立って、おつのは廃墟の陰に身を隠した。
「私、こんな所に居て良いのかなー」
(ねぇ……ハバキリさん)
「奴が上空に逃げ、雲で空を覆った目的は二つ考えられます、一つは自らの傷を癒す時間を稼ぐ事、もう一つがこちらの戦力の分断」
「地上と空中にって事だよね?」
「ええ、こちらの視界を通さないあの雲の上では、地上からは支援すらできません」
「まぁ……そうだよねぇ、ハバキリさんは止めるけどさ、やっぱりおつのちゃん偵察に行ってこようか、最速で行けば、見つかっても何とかなると思うけど?」
現状では、奴の位置の把握を優先したいと考えるのは、おつのならずとも自然な事。
だからこそ。
「いえ、奴は私たちがそう考えるだろう事まで見越して、上空を取ったと考えるのが妥当。そこに飛び込むのは、飛んで火に入るなんとやら……です」
「むー、おつのちゃんが偵察に行くのは、奴の思惑通りのぐこーをやらかす羽虫やろーだと、ハバキリさんは言いたい訳ですかねー」
ぷくーと可愛らしく頬を膨らませるおつのに苦笑しながら、天羽々斬は言葉を継いだ。
「あくまで、その可能性を考慮すると危険だと言っているだけです、とは言えですね」
「ん?」
「先ほどの奴を見る限り、飛ぶと言うよりは浮くという程度の物ですから、空中での移動速度は知れた物、おつのさんの比較にもならないでしょう、その強みを生かさない手はありません」
「でしょ、だからね」
更に喋り出そうとするおつのを、天羽々斬は制して、その思考を確認し、検討するように口を開いた。
奴を挑発し、何らか行動を起こさせる。
その隙に、おつのはあの山城に入って待機していて欲しい。
なるべく息を潜め。
何もせず、じっと。
「空を飛べる私が、偵察とか、牽制とかしなくて良いの?」
「奴が恐れているのは、今やおつのさんだけでしょう……それだけに、空に対して何らか網を張り、全力で待ち構えていると考えるのが至当」
「むむー」
明敏なおつのには、天羽々斬の言葉が良く判る……判るが納得しがたいのもまた事実。
「そして、奴の見立ては正しい。おつのさんは、私たちの切り札、故に動くのは、私たちが奴の隙を作る、その一度だけ」
切り札を切る。
それは、相手を確実に仕留める時。
奴の姿さえ、一度見出してしまえば……奴など、空を自在に舞うおつのの敵では無い。
あの隠れ場所から奴をあぶりだすのが、自分たちの戦い。
「でも、あの黒雲の中に身を隠したあいつの位置なんて判るの?」
「何とかしてみますよ……毎度の事ですし」
奴は挑発に乗って、攻撃を再開した。
その間隙を突いて、おつのは奴の黒雲を迂回して、無事にこの山城に身を隠した。
そこまでは、天羽々斬の目論見通りに事は進んでいる。
でも……。
こうして見ると、あの雲の厚みと拡がりの大きさが良く判る。
この雲の海の中では、あの巨体と言えど、大湖の中の魚一匹に等しい。
おつのが見つめる先で、黒雲に絡みつくように、白い光を発して、無数の雷が走り出す。
ああやって、雲間に雷の力を集め、巨大な雷を束ね、地上も空も焼き払う。
また、あの術を使う気だ。
あんなのを何度も使われたら、いくら皆でも無事では済むまい。
それでも、私はここで機を待たなければ駄目なの。
「……どうするつもりなの、みんな、ハバキリさん」
私は、どうしたら。
溶けた氷の壁の隙間から、熱風と焼け焦げた木の葉が舞い込む。
せいせいと荒い息をつきながら、おゆきが膝を付くと同時に、彼女たちを覆い、恐るべき炎と雷から守っていた氷の半球が溶け崩れ、彼女たちを濡らした。
「おゆき!」
「……何とか防げた」
氷の色を宿した、鋭い目を昏い空に向ける。
「でも、次は保障できないわ、紅葉、童子切、仙狸と羅刹を連れて散って、私は鈴鹿を連れて行くから」
「おう、それじゃ羅刹、動けるか?」
「わりぃ、姐さん、辛うじて歩ける程度だ」
「んじゃ担いでくわ、適当な所で放り出すからそのつもりで……」
「いえー、寧ろ怪我してるみなさんはここに居た方が良いかと思いますよー」
「童子切?!」
「何言ってんだ、ここでむざむざ次の一撃喰らえってのかよ?」
「いや、わっちも同意見じゃ」
あれだけの一撃のただ中でも、鵺の前脚に何か書き付けるのを止めずに居た仙狸が、今も筆を動かしながら声だけを皆に向ける。
「おつの殿に挑発されて、頭に血が上ったという事も大きかろうが、見よ、わっちらの攻撃された位置は、中心から随分外れておる、その割に、これだけ広範囲を薙ぎ払ったという事は、逆に言えばこちらの細かい位置は把握しておらんという事じゃよ」
童子切が頷き、皆の顔に理解の色が浮かぶ。
「一度焼き払われた場所の方が、今は安全……って事?」
「まぁ、当面の話じゃし、しかも気持ち程度の差でしかないがの」
奴が手当たり次第に攻撃を仕掛ける程に逆上していれば、そもそも成り立たない話ではあるが、それは言っても詮無い事。
相手の理性と打算が残っている事に期待するしかないとは、何とも皮肉な……。
ふぅ、と息をついて、仙狸は自分を大いに傷つけた、自分より巨大な鵺の前脚を軽く叩いた。
こんな物でぶん殴られて、ようわっちは生きておられた物じゃな。
全く……このでかぶつめが。
忌々しそうにそう呟いて、ようやく仙狸は顔を上げた。
「とはいえ、戦場ではその多少が明暗を分けるのは、今更言うまでも無いじゃろ……後は、その稼いだ時間で、お主らが始末をつけてくれる事を期待するだけじゃ」
「では……」
「うむ、準備は出来た、奴に落とし物を返してやるが良い……全く我らは親切者じゃよ」
皮肉にほほ笑んだ仙狸に、童子切が刃にも似た鋭い笑みを返す。
「そうですねー、利子もきっちり付けて返してきますよ」
童子切が刀を腰に差して立ち上がる。
「忝い、紅葉殿、手を離して貰って良いぞ」
「大丈夫かい?」
「後は呪を唱えるだけじゃでな」
ふ、と息をついてから、仙狸は鵺の脚に寄り掛かるように手を突いて、呪を唱えだした。
「汝、元の主より失われた物よ、そなたに仮初の命を与える」
びくり……と、巨獣の脚が震え、それが有ろうことか、上に見えない体を有しているかのように立ち上がった。
「……見てて気分の良い物じゃ無いわね」
「全くね、夢より現実の方が悪夢みたい」
「あら、お目覚め?」
声の方に目をやると、横たわる鈴鹿が顔をしかめていた。
「こう騒々しいと寝ても居られないわ」
多少ふらつくようだが、身を起こして額を覆う髪を掻き上げる様子を見ると、どうやら大丈夫らしい。
「減らず口が利けるようなら心配ないわね……痛い所とか無い?」
「今一番痛いのは心かしら」
「……あっそ、冗談口まで叩ける余裕があるなら、そっちは自分で治してね」
「冗談のつもりは無いんだけど、ね。まぁ、お陰で体は大丈夫よ、感謝してるわ、おゆき」
「それはどうも、というか、正直に言わせてもらうと、貴女が気絶するような怪我でも無かったと思うけど?」
「咄嗟の術だったから威力は大したこと無かったけど、四方から同時に攻撃されて、体と頭が混乱したみたいね」
不覚だったわ、と言いながら、既に薄くなってきているやけど跡を指でなぞって、鈴鹿は顔をしかめた。
「惚れた相手の敵だとはいえ、少し冷静に立ち回ってよね、仙狸といい羅刹といい、ホント、いい加減私の慈愛も底を付きそうよ」
「でも、その皆が無茶したから、辛うじて奴に対しての次手が繋がってるのよ」
「まぁ……ね」
ほんとにもう、この連中と来たら。
頼もしいのは良いけど、必要と感じた時に見せる、蛮勇にすら見える思い切りの良さは、傍から見てると胃が痛くなる。
全くもう。
ため息をつきながら、おゆきは鵺の脚の方に目を向けた。
「しかし童子切ってば、敵から斬りおとした脚を辿って本体を探そうとか、どこからああいうえげつない発想出てくるのかしら」
「戦場往来の経験の蓄積でしょうね」
童子切は詳らかに語りはしなかったが、人探しをして、ずっと旅して来たそうだ。
路銀と飲み代は用心棒で稼いでいた……とも。
「ああ……そういえば」
(戦場で一番使えるのはですね、実は敵の落とし物なんですよー)
単純に物資の補充として。
敵陣の様子、装備や糧食は足りてるか、規律は維持されているか、そんな事を探る一助として。
さらには、敵兵に偽装して潜り込み、混乱を呼ぶ策の一手として。
敵からの鹵獲品は常に使い途があるのだ……と。
(まぁ、これを当てにして戦争始めるならただの阿呆ですけど、使わないというのは、もっとあり得ませんからねー、格好良く言えば、機に臨んでなんとやら、まぁぶっちゃけちゃうと、大体が行き当たりばったりなんですけどね)
あっはっはーと笑って酒を呑みながら、そんな事を語っていた姿をふと思い出す。
成程……こういう事か。
肩を竦めて、自身の周囲に視線を巡らせた鈴鹿の眉間に軽く皺が寄る。
流石に、彼女の愛用する斧まで持ってくる余裕は無かったか。
あの厳しい状況の中、彼女を担いで来てくれただけでも感謝すべき話である事は当然理解している……第一、徒手で戦えぬ訳でも無い、軽く首を振って鈴鹿は立ち上がった。
「行くの?」
「当然よ、まだ全然殴り足りないわ」
そう言いながら、自分が斬りおとした代物に目を向ける。
仙狸の呪言が進むにつれ、弛緩していた鵺の脚の筋肉が張りを帯びていく。
薄気味悪い、おぞましい光景。
だが、この気持ちの悪い代物が、彼女たちの死命を握る、次の一手への導である事も、また紛れも無い事実。
「命満ちたり、今こそ、縁の糸を辿り、汝、その正しき主を求むべし」
仙狸の呪が終わるか終らないかという内に。
だん。
地を蹴って、その脚が猛然と動き出した。
「……無駄に活きが良い野郎だね」
「やれやれ、空飛ぶ心臓の次は動く脚を追っかけて右往左往とは」
「案内してくれると言うんですから、文句は言いっこなしですよー」
三人が、それを追って走り出す。
「武運を……」
支えにしていた鵺の足が失われ、仙狸の体が揺れる。
その倒れそうになる所を、今度はおゆきが支えた。
「大丈夫?」
「正直に言うがのう……もう限界じゃ」
歳じゃの、などと言いながら低く笑って、仙狸は木の根方に腰を下ろした。
「しかし、活きが良い脚だったわね……失せ物探しって、あんな術だったっけ?」
おゆきの言葉に、仙狸は否定するように手を振った。
「まさかよ、本来なれば、手で持って運びつつ、物が方角だけ指し示す……その程度の術じゃ」
「それじゃ、さっきのは」
「あ奴自身が、失った体を呼び、脚もまた主を求めていた。わっちの呪によって、その行先を求める力が方向を得た故、あのような事になった……そんな所じゃろ」
普通の命……いや妖でもありえぬよ。
悍ましいバケモノが。
そう吐き捨てるように呟いて、仙狸は目を閉ざした。
「些か疲れた、わっちは寝て果報を待つとしよう」
「……そうね、ゆっくり寝てて頂戴。あの人が帰って来るか、あの妖を始末したら起こして上げる」
「ふ、楽しみにしておるよ」
ぽてんと丸くなった仙狸から、すぐにすやすやと寝息が響きだす。
「さっきも思ったけど、仙狸姐さんの寝つきの良さが羨ましいぜ……」
「寝子(ねこ)に寝る事で敵わないのは至極当然よ、さ、羅刹、力抜いて」
「おう……まだ掛かりそうかい?」
「もう少しで動ける程度にはなるでしょうけど……」
ちょん、と羅刹の右腕をおゆきの白魚のような指が軽く弾く。
「うぐぐぐぐぐぎぎぎ」
「その様子じゃ、まだ駄目そうよね」
「な……なんのこれしき」
痛みに耐える羅刹に苦笑しながら、おゆきは手を翳した。
「無理しないの……っ?」
羅刹に慈愛の光を注ごうとして、おゆきはふと、自身もめまいに近い感覚を覚えた。
頭が重い……術に集中しきれない。
「……姐さんもな、あんま無理するんじゃねぇよ」
気づかわしげな羅刹に笑いかけて、おゆきは再度その手に光を集めた。
「なんのこれしき……だっけ?」
羅刹も仙狸も……そして先ほどの一撃を防いだ自分も、もう限界が近い。
後は、あの脚を追って行った彼女たちに任すしかない。
それでも……。
それでも、牙を研ぐ事だけは。
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