飯綱との絆語り |
「ねーねー、ご主人様」
夕飯の後の洗い物をしていると、飯綱が戸口からひょっこり顔を出した。
「ん?どうした?」
「えへへ、ちょっとお願いがあるんだけど」
どうやら言いにくいような頼みではないらしく、飯綱はニコニコしている。
「言ってみそ」
「あのねー」
軽い調子で促すと、飯綱はそのままてててっと駆けてきて忙しく動く俺の腕にちょこんと両手を乗せた。
「今度、新しく出来た甘味処に一緒に行かない?」
キュッと水道の栓を閉めて、飯綱の顔を見る。
「甘味処?」
「うん、ダメかな……?」
返事をする前からそんなキラキラした目をされては、断れるワケがない。
「よし、じゃあ今度一緒に行こうか」
「やったー、ありがとうご主人様!」
はしゃぐ様は、さながら遠足前日の小学生を彷彿とさせる。素直で可愛らしい、飯綱の魅力の一つだ。
甘党という程ではないが、俺とて人並に甘いモノは好きだ。
たまには息抜きに出かけるのもいいだろう。
そして迎えた当日。
「…………」
「…………」
どしゃぶりの雨。早朝から一向に収まる気配のない雨足は、楽しみにしていた飯綱の顔から笑みを押し流すのに十分な勢いだった。
前日から降りそうな気はしていたが、こういう時に限って悪い予感はよく当たる。
「はぁ……」
飯綱の口から残念そうな溜め息が漏れる。
「どうする?飯綱」
「うーん……」
「こういう天候が悪い日は、逆に客が少ないだろうし並ばなくて済むかもしれんが」
俺としてはどちらでも良かったので、可否を飯綱に委ねた。
場所は烏天狗から聞いていたのでその気になればいつだって行けるし、代わりに部屋の中で飯綱と遊ぶのもそれはそれで良い。
流石に甘味処が押し流されるワケでもないし。
「…………」
問われた本人は、目を瞑って腕組みをしている。
彼女の頭の中では、二大勢力が合戦を始めているに違いない。
「やっぱり行く!」
どうやら、甘味への執念が勝ったようだ。
「よし、じゃあ支度をして三十分後に行こうか」
「はーい」
先に玄関先で待っていた飯綱は、可愛いらしい雨合羽を羽織っていた。長靴と傘も装備している。
初めて目にする衣装だ。
「えへへー」
俺が目を丸くするのを見て、飯綱も上機嫌である。さっきまでのしおらしさが嘘のようだ。
「へぇ、似合ってるじゃないか。可愛いさ三割増し、だな」
「もうー、ご主人様ったら。そんなに褒めても何も出ないよ」
そう言ってる割に、褒められて嬉しそうな態度は隠そうとしない。見ていて、実に微笑ましい。
軽装なら型紙に戻して懐で一時お留守番してもらおうと思っていたが、その必要はなさそうだ。
「飯綱、その傘は置いていった方がいいと思うぞ」
「え、どうして?」
「ちょっと広げてみ」
バサッ。
「ほら、そんな大きさだと尻尾が濡れるだろう」
「あー……そうだね」
「こっちへ来い。俺の傘に入れてやるよ」
「うん」
流石に、型紙に戻れとは言えなかった。
大きい番傘といえど多少は濡れるだろうが、まぁそこは仕方ない。
俺は空いた手で飯綱の小さな手を握りしめ、二人して雨の中へ歩きだした。
程なくして、噂の甘味処へ辿り着く。
飯綱に手ぬぐいを渡して、店の入口から中身をチラリと伺う。案の定、客はまばらである。
そりゃそうだ、こんな悪天候の中わざわざ甘味処へ足を運ぶ物好きは少ない。
「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」
「はい」
「では、お好きな席にどうぞ」
天候の影響もあって店内は薄暗かったが、女中さんの対応や店の雰囲気は悪くない感じだ。
これで音楽でも流れていたら、完全に現代の喫茶店だろう。
入口は冷えるので、俺は飯綱の手を引いて奥の方へと向かう。と――
「あ、葛の葉様!」
飯綱の元気な声が店内に響いた。
呼ばれた本人は昼間の幽霊にでも遭遇したかのように目を見開いていたが、俺の手を離してたたっと駆けていく飯綱に応えるべく、すぐに笑顔になった。
「ご主人様ー、こっちこっち!」
なんて間の悪い巡り合わせだろう。これなら日を改めた方が良かった。
俺にとっては楽しいデートになるはずの予定が御破算となり、
葛の葉にとっては一人でのんびり甘味を楽しむはずの予定がぶち壊しになってしまった。
俺は内心ため息をつきながら、席に着いた。机の向こう側には、悪魔と天使が仲良く並んでいる。
飯綱の手前、雰囲気をぶち壊すような事は言わないだろうが、葛の葉の俺を見る目は降りしきる雨にも負けない程に冷たい。
いやいや、そんな目で見られても困りますよ。俺は飯綱に付き添って来ただけでして……。
しかしこちらの無言の抗議がそう易々と聞き入れてもらえずハズもなく、結局俺は冷たい視線から逃れるように飯綱を見た。
「〜♪〜♪」
鼻歌混じりにお品書きを眺めている。隣の悪魔――葛の葉との温度差がひどい。
「ねー、どれがいいかな?」
「ん?」
飯綱が開いて見せたお品書き。ぱふぇ、あいす、ぷりん……この時期にアイスとか、誰が食べるんだ。
葛の葉は澄まし顔でお茶を啜っている。
「そうだな……」
あー、店の場所は聞いておいたのに肝心のオススメを聞いておくのを忘れてた。
「どれになさいますか?」
迷っている間に、さっきの女中さんが盆に二人分のお茶を乗せてやってきた。
悠長に品定めしている余裕はない、ここは直感で。
「じゃあ、ぷりんで。僕はみたらし団子」
「葛の葉様、どうして一人で来たの?」
女中さんが引っ込むと、飯綱が何の前触れもなく核心に触れた。
釣られて、俺も葛の葉を見やった。飯綱に悪気はないのだろうが、それはあまり言うべき事ではないと思うのだが……。
「ちょっと、他に出かける用事があってね。帰りに雨に降られたから、慌てて雨宿りにと寄ってみたのよ」
「そうなんだ」
お、うまくかわした。まぁ主の手前、まさか一人で甘味を食べに来たなんて言えるワケがない。
「雨、止まないねー」
「そうね」
葛の葉は少し体位を変えると、もふもふの尻尾で飯綱を包み込んだ。
「わわっ」
「ふふっ、どうかしら?」
「あははっ、くすぐったーい」
「今日は少し寒いからね、風邪を引くといけないわ」
ぐぬぬ、羨ましい……飯綱、代わってくれ。
何見てるのよ。羨望の眼差しで見つめていると、葛の葉の睨みがまた飛んできた。
「うっ……」
その、俺にだけ冷たい視線をよこすのやめて下さいお願いします。
「ご主人様、ぷりんって何?」
「ん?うーん……牛乳と卵とカラメルソースで作ったお菓子で……まぁ、食べてみれば分かる」
「美味しい?」
「美味しいよ。俺が保証する」
「えへへ、早く来ないかなー」
甘味にも当たりハズレはあるが、プリンにおいてはハズレを引く事はまず無いだろう。
まぁ初めて訪れる店なので、絶対とは言い切れないが……。注文が済んだら、後は祈るのみ。
「葛の葉さんは、何を頼んだんです?」
さりげなく聞いてみたつもりが、また睨まれた。仲良くする気がねーのかいこの人は。
「はーい、お待たせしました」
「あ、来た来た」
「こちら、ご注文の三品です。ごゆっくりどうぞ」
「わぁ、どれも美味しそうだねー!」
葛の葉の前に置かれたのは……ふむ、パフェか。本人の尻尾のように真っ白い生クリームがふんだんに使われている。
定番の苺や蜜柑といったフルーツも見える。流石にコーンフレークはない、か。
「いっただきまーす」
飯綱のプリンも中々美味そうだ。器に盛られたそれは、見た目だけなら現代のそれとほぼ同じ。
さて、お味の方は……?
「おーいしー!」
言葉以上に、飯綱の満面の笑みが雄弁に語っている。
気に入ってもらえたようで、俺はほっと胸をなでおろした。
「もぐもぐ……」
みたらし団子も美味い。流石は噂の店、甘味好きな式姫達が賞賛するわけだ。
「ねー、ご主人様、見て見て!ぷるぷるしてるー」
「ははっ、すごい揺れてるなー」
飯綱がスプーンで食べかけのプリンをつつく様を微笑ましく眺めながら、俺はお茶を啜った。
「葛の葉様のおっぱいみたい!」
「ぶふぁっ!?」
「ゲホッ、ゴホゴホッ、ゴホッゴホッ……」
「大丈夫?」
「ぜぇ、ぜぇ……あぁ、大丈夫、ゲホッゲホッ、大丈夫だ飯綱」
急にとんでもない事を言い出しやがって。
喩えられた本人は、無表情のまま黙々とパフェを口に運んでいる。
「…………」
てっきり雷が落ちるかと思っていたのだが、そうでもなかった。ならば、こちらも食べる方に専念しようではないか。
「もぐもぐ……」
口を動かしながら、一瞬だけ葛の葉の胸に目をやった。
流石に誇張表現だろうが、飯綱の言を信じるなら割と大きい……のか。
そういやこの二人、一緒に風呂に入っていた事もあったっけ。
今度は飯綱の胸に目をやる。
この子も顔に似合わず、なかなかいいモノを持っているんだけどね。
「ご主人様」
「んー?」
一本目の団子を食い終わった所で、飯綱がにっこり笑いながらプリンの乗ったスプーンを差し出してきた。
「あーん」
「!?」
穏便に楽しみたい俺の目前に、再び天使と悪魔が降臨した。
「一口、あげる。ほら、あーん」
反射的に葛の葉の方を見ると、額に怒りの四つ角マークでも浮き出そうな顔をしている。
怖い怖い怖い。この人、そのうち視線だけで人殺せるようになるんじゃないか。
店内は薄暗いのに、何故か溢れんばかりのドス黒いオーラが出ているのは気のせいだろうか。
くうっ……なんて残酷な二択。
食べたい。美味そうとかそんなのはどうでもいい、ただ食べたい。
本心がこれを食せと猛烈に叫んでいる。膝の上で握りしめた手が震える程に。
が、それを阻むように白髪の修羅が烈火の如く睨んでいる。
汝、これを食す事を禁ずる。食してはならぬ。口にしたが最後、今日が貴様の命日である。
食べるな。
食べたい。
食べるな。
食べたい。
食べるな。
食べたい――――!。
「あー……んっ」
無意識のうちに、俺は身を乗り出していた。
「美味しい?」
「うん、美味しいよ。ありがとう飯綱」
俺はもう、葛の葉の方を見る勇気がなかった。
「お返しに、みたらしを一本あげよう」
「わーい」
皿ごと飯綱の方に押し出すと、抗議の声が飛んできた。
「むー、ご主人様違うでしょー」
「え?」
「あー……」
ぱっくり口を開けて、飯綱が待ち構えている。
「…………」
震える手で、その口に団子を差し入れた。
「あむっ。もぐもぐ……うん、お団子も美味しいねー」
「だろ?」
「葛の葉様も食べてみなよ。美味しいよ?」
おい飯綱。これ以上余計な事を言うんじゃあない。
「…………」
「…………」
俺がゆっくりと団子を差し出すと、目にも止まらぬ勢いで葛の葉にもぎ取られた。
「もぐもぐ……まぁ、なかなかね」
空になった串をおずおずと受け取る。
おかしいな、今日はそんなに寒いわけでもないのになんだか胃が痛くなってきたぞ。
「ご馳走さま」
三人とも食事を終えると、出しぬけに葛の葉が先に席を立った。
「さて、私は先に帰ろうかしら」
「あ、じゃあ私も――」
「飯綱。貴方は、この人とのんびり帰ってらっしゃい」
こういう場合は、引き止めた方がいいのだろうか。迷っていると、葛の葉が紙切れを差し出してきた。
「勿論、払ってくれるわよね?ご主人様」
「へいへい、言われなくてもそのつもりですよ」
「また後でねー」
「はああぁぁ……」
葛の葉が店を出ていくと、俺は大きく息をついた。
「どうしたの?」
「いや、団子があまりにも美味かったんでな。満足のため息さ」
「私もまた来たいなぁ」
「そうだな、いつかまた来ようか」
勘定を済ませて店を出る。雨は、小降りになっていた。
「あれ?ご主人様、その包みは……?」
「ん?これは、お土産だ」
こんなもので機嫌が直るとは思えないけれど……。
甘味を無下に扱う程、葛の葉も馬鹿じゃあないだろうよ。
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