心を繋ぐ紋章 前編 |
「こんなはずじゃなかった…。」
薄れ行く意識の中、ロキシスは悔やむように呟いた。
先ほどまで激痛を与え続けていた腹部の深い傷も、今ではもう何も感じなくなっている。
横たわり地面に押し付けた頬は、地面のごつごつとした感触さえ伝えてはこなかった。
ぼやける視界には、少しずつ、だが確実に広がる自分の鮮血が映る。
―――そう、こんなはずじゃなかった。
小さな村に現れた、雑多な魔物を狩るだけの簡単な依頼だった。
幾度と無く巨大な魔物と対峙し、打ち倒してきた自分達なら虫を踏み潰すようなものだったはずだ。
それがどうしてこんなことになったのだろうか。
考えようとしても思考が巡らない。
先ほどまで視界を覆っていた真紅の地面も、もう見ることが出来なくなっている。
死は、すぐそこまで来ていた。
「女神様、助けてくれよ…。俺、まだ死にたくねぇよ…。」
柄にもなく神頼みをしたものの、何も起こることはなかった。
もっと、普段から神様に祈りを捧げておくべきだった。
消え行く意識の奥底で、不意に暖かさを感じた。
これが天国に昇る感覚なのだろうか。
『あのー。私の声聞こえますか?』
突然頭の中に女性の、いや女の子のと言ったほうが正しいだろう声が話しかけてきた。
これが女神様の声なのだろう、自然にそう思えた。想像していたより幼いが、この世のものとは思えない、まるで歌うようにきれいに響く声だ。
「はは、不信心者の俺の為に女神様がわざわざ迎えに来てくれるとはな。」
『め、女神様って、私のことですか?』
女神様はうろたえている。
ロキシスの想像していた女神はもっと凛々しく、何事にも動揺しない絶対的な存在だった。
「そうだよ、あんた女神様だろう。紋章の女神、レクエンシェル様。頭の中に直接話しかけるなんて出来るの女神様位なもんだ。」
『そ、そんな、私なんかとレクエンシェル様を比較したら、失礼ですよぅ。私の名前はミルトっていうんです。』
「ミルト様か、レクエンシェル様以外にも女神っていたんだな。俺、知らなかったよ。」
『で、ですから、私は女神様では無くて、普通の人間ですよー。』
ロキシスはミルトの言っていることが理解できなかった。
彼女の言うことが正しければ、普通の人間が直接自分の頭に話しかけてきているということになる。
人間がそんな力を持っているなんて聞いたことが無い。
本当にそんなことが出来るのだろうか、それとも死にそうな自分が作り出した幻覚なのだろうか。
ただ、この際、そんなことどうでもよかった。
ミルトと話していると、不思議と先ほどまで感じていた死への恐怖が薄れていた。
人間であろうと幻覚であろうと今の自分にとっては救いの女神であることに変わりなかった。
「女神様、もう少しだけ話していられるか?」
『私は女神様じゃないんですが…。それでも、いいなら。』
「そうか、良かった。それじゃそうだな、うーん。」
何を話せばいいものか。
ロキシスは、むさ苦しい男達に囲まれた生活を送って来たためか、女性と話しをする機会がほとんど無かった。
どうしたものかと悩んでいると、先にミルトが質問してきた。
『そういえば、あなたのお名前を聞いていませんでした。お名前教えていただけますか?』
「あ、ああ。そういや、名前言ってなかったな。俺はロキシス。生まれてこの方25年、ずっと冒険者をやってる。」
『ロキシスさん、いいお名前ですね。たしか、古代神語で<追い求めるもの>という意味ですよね。冒険者さんにぴったりです。』
「えっ。あ、あぁ、いい名前だろう。」
ロキシスは、情けないことにこのとき始めて自分の名前の由来を知った。
まさか、自分の名前にそんな大層な意味があるなんて知らなかったし、両親にそんな学があるとは思わなかった。
「へぇー、さすが女神様。賢いんだな。」
『そんなことないです…。私の持ってる知識なんて、本の中の世界だけですから…。』
ミルトの歌うような声が一瞬、悲しげに歪んだように聞こえた。
「どうした?なんか悩みでもあんのか。」
『い、いえっ。そ、それより、生まれてずっと冒険者さんしてる方がずっと、ずっとすごいですよ。』
「ん?そ、そうか。」
その話には触れられたくなかったのだろうか、ミルトは少し強引に話を逸らしてしまった。
ミルトが気にはなったが、ロキシスもそれ以上言及することしなかった。
出来る限り長い時間、彼女のきれいな声を聞いていたいと感じたからだ。
それから少しの間、2人はたわいの無い会話を繰り返した。
ミルトは、ロキシスの話1つ1つに興味を示してくれた。
ロキシスもそんなミルトが楽しそうに話しを聞いてくれることが堪らなく嬉しかった。
この時間が無限に続けばいいとさえ感じるようになっていた。
『ロキシスさん、そのときどうしたんですか?』
「そのとき、俺はな仲間達を先に逃がし一人で、―――!?」
『どうかしました?』
「い、いや、何でもねぇよ…。」
何でもなくは、無かった。
今まで、感じていなかった腹部の痛みが突然戻ってきたのだ。
本物の女神様が与えてくれた猶予時間にもそろそろ、本当の本当に終わりが来たようだ。
ロキシスは今、初めて神様に心のそこから感謝していた。
人生最後の瞬間にこんな暖かい時間を送ることが出来たのだ、これ以上贅沢なんて言えない。
言えないけど…。
「女神様、すまない。もう時間のようだ。」
『そんな、まだお話の途中ですよ。それにお聞きしたいことが他にも―――。』
ロキシスは彼女の言葉を遮り、話を続けた。
どうしても、彼女に聞きたい事があったのだ。
「この頭の中の会話って、またいつか出来るのか?」
『それは…、残念ですが、出来ないと思います。今日この瞬間。何千人、何万人の中から偶然ロキシスさんが選ばれたんです。』
「…そうか。」
ロキシスはどうしても、またミルトと話したかった。
生き残れる可能性なんて、無いとは分かっている。
でも、もし生き延びてその後、ミルトの声を2度と聞くことが出来ないのだとしたら―――。
「最後に、ひとつだけ。いいか。」
『…はい。』
「女神様、いや、ミルト。君に、君に会いに行きたい。」
『―――え!?』
ミルトは、動揺し沈黙してしまった。
相手は女の子だ。
会った事もない、それもこの短い時間話しただけの男に突然会いたいなんて言われたら、困惑してしまうだろう。
良い回答は期待していなかった。
少しの間続いた沈黙を破り、ミルトの声が頭の中に響いた。
『カルサンドラのハームゼン邸。それが私の住んでいるところです。』
「―――!?」
『私も、ロキシスさんに会いたい。絶対に会いに来てください。絶対ですよ!』
「あぁ、絶対に会いに行く!」
ロキシスの意識はその言葉を最後に完全に闇へと呑まれていった。
続く
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オリジナルファンタジー作品の短編です。 2話構成になっています。 偶然であった二人。 ひとときの邂逅が二人の運命を大きく変えて行きます。 |
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紋章の女神 オリジナル ファンタジー 短編 小説 紋章術 | ||
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