孤剣 二 |
後を追いながら、童子切は次第に落胆を覚え始めていた。
(これはどうも外れですかねー)
氏神の祭りに向かう人々なら、浮き浮きした気配や、抑えても内から滲む一種の華やかさや楽しさという物があるはずだが、この一団からはそれを全く感じない。
寧ろ、一団の気配から察すると、弔いに近いようにすら感じる。
祭りのどさくさに紛れ込んで、酒にありつくのは難しい話でも無いが、顔見知りが素面で集まる中に紛れ込むのは、中々に難しい。
無駄足かと思い出した童子切だったが、急ぐ旅でも無いし、何よりこの一団が一体何なのかも気になる。
好奇心は猫を殺すと言う言葉も、ちらりと頭をよぎったが、そんな警句で抑えられる程度なら、そもそも好奇心は猫を殺さないのである。
油断なく、後を付けていた童子切の前で、一団が足を止めた。
(何でしょう?)
一同が整列し、首を垂れる中、やや年かさの二人が前に出て、何やら藪に向かって短く祝詞のようなものを唸りだした。
自身では使えないが、様々な修法や祀り、呪術に通じている童子切も聞いた事のないそれは、恐らくこの辺り独自の物なのだろう。
(地方には地方の陰陽道や祀りがあるし、その地方じゃそれが正しいんだよ……京のそれだけが正しいと思ってる奴が多いのが、実に困った物だが)
呪だって神様だってお国言葉があるさ、と旧主は笑っていたが、これも恐らくそうなんだろう。
山神……それも、どちらかというと祟る方の。
そういう事ならば、 酒や供物を用意しつつ、厳粛な空気を纏う一団も頷ける話ではある。
(さて、どうしますか)
恐らく、今の唱え言は、結界に立ち入る事の許しを乞う為の物であろう……その結界に自分のようなよそ者が紛れ込むというのは、色々な意味で危険な話。
いかに酒のためとはいえ、そこまでやるほど馬鹿では無い。
ご縁が無かったようで……侘しげに、そう口の中で呟いて、踝を返そうとした童子切の目が、一瞬鋭い光を放った。
高い木の梢が僅かに揺れた。
(……あれは)
木から跳躍した、その体を覆う白い毛が、月明かりの中で銀に輝く。
猿神……。
神と自称するが、多くは歳経て若干の通力を得ただけの猿の妖怪。
祝詞を終えた年かさの二人が、控えている一団を手招いて、藪の中に分け入って行った。
一団が分け入って行った藪を睨む。
道を行くだけの旅人にはまず気が付かれない程度に、柱とも言えない、枝の残る木が二本立てられている。
これが一種の結界の入り口なのだろう。
さて、どうした物か。
猿神はさまで邪悪な妖怪では無い。
多少の供物を取って、人と共存しているなら、旅人である童子切が関わるような話では無い。
そう、童子切がただの旅人なら。
実の所、三日月を探しに行く旅を始めるにあたって、彼女は旧主と一つの約束をしていた。
朝廷や地方領主の目が届かないような僻地で、妖怪の禍に苦しむ人が居るなら、それを助けてやってほしい。
(まあ、そういう口実だと、朝廷からこういう便利な物を貰って来やすいんだよ)
気が向いた時だけでも良いからさ、頼むよ、童子切。
そう言いながら、あの方が差し出してくれた、一枚の札。
神人札(じにんふだ)
本来、お伊勢様や宮中などに、供物を納める為に旅をする、特別な一部の人々に与えらえた、いかなる関所にも妨げられない、移動の自由を保障する、一種の通行手形のような物。
此れのお蔭で、旅の先々で神社仏閣に立ち寄り、そこでお神酒の調達に与れた事は一再ならずあるし、神人達に助けて貰えた事も多い。
衰えたりとはいえ、流石の朝廷や伊勢の神の権威である。この手の書き物の力は、未だに世間で彼女の身分の確かさを証てくれている。
旅で一番かさばらずに役に立つ物として、餞別にこれをくれた旧主の先見の明には、驚嘆するしかない。
それだけの義理がある以上、それを無碍にするというのでは、この先の酒の味が大層不味くなるであろう。
「見定めますかね」
やれやれ、厄介な。
そう呟きながら、童子切も一団の後を追って、けもの道のような細い道に分け入った。
暫し藪を掻き分けると、存外広く、そして定期的に人の手が入っていると思しき道が眼前に開けた。
僅かに先に見える松明の明りが、ややあって止まる。
遮る物の少ない道を外れ、木陰に身を隠しながら童子切はそこに近づいていった。
森の中にぽかりと開かれた、猫の額程度の空き地。
その少し奥まった所にある、古寂びた社。
その前に、酒樽と、筵の上に並んだ作物の数々。
ここまでなら、まだ放っておけた。
だが。
(おやおや……)
集団の中から一人の娘が歩き出し、ぎいと耳障りな音を立てて扉を開き、社の中に入り、内側から扉を閉ざした。
その後、また年かさの二人が社の前に出て、ひとしきりなにやらむにゃむにゃと唱えてから、娘を置いて一団は去って行った。
人身御供。
猿神は時に人の娘を攫い、子を為す事もある。
それとも、若い乙女を喰らうのか。
まぁ、何れにせよ……。
ふぅ。
童子切は、諦めをため息の形で吐きだした。
酒や食事のみならず、人の身を供物に望んだ以上は、神とは呼べぬ。
已むを得ませんね。
役儀により、この童子切。
「斬らねばなりますまいね」
幕間
「今はどうなんだ?」
その妖怪退治の役儀を負っているのか?
「元より、気が向いたらと言われても居ますし、ここにいる時点で……ね」
若干の嫌味が籠もる童子切の視線に、男は苦笑して、自分の猪口を干した。
「違いないな」
妖怪退治や、時には戦と呼べるような規模の戦いに奔走する、この庭での生活である。
旅の途次で、時々に妖怪退治をしていた頃とでは比較にもならない。
「まぁ、今でも札は持っていますけどね」
暗に、今でもその役儀を負っている事を肯定し、童子切はすっと懐からそれを取り出した。
「見せて貰っても?」
「どうぞー」
酒の肴になるような、面白い物でもないですけどねー。
そんな言葉と共に渡された、渋い辛子色の絹布に包まれたそれを、男は開いてみた。
「ふむ」
男は低く唸って、その札を眺めた。
数百年を閲しているとは、とても思えない美しい姿。
角々が擦れていたり、汚れも多少はある……だが、童子切の歩んできた年月を考えると、それは驚くほどに美しく。
いかに、童子切がこれを大事にしてきたか……男にはそれを見ただけで判るような気がした。
伊勢神人。
鮮やかな達筆。
基本を完全に踏まえつつ、尚、内面の闊達さが字の面に現れた、力のある書。
これは、彼女の旧主という人の書なんだろうか。
本来は、神官が書く物なのだろうが、男には何となくそう思えた。
旅立つ彼女を案じ、その旅の安寧と、目的が果たされる願いを込めた。
「ありがとうよ、良い肴になった」
そう言いながら、丁寧に絹布にくるみ直して、それを童子切に返す。
「ふふ」
静かにほほ笑んで、童子切は、それを丁寧に懐に納め、酒杯を手にした。
この札を手に旅をする中で、旧主との約束を果たす場面は何度かあった。
妖怪と人身御供。
始終ある話ではないが、珍しい訳でも無い。
そんなどこにでもある。
「ありふれた、妖怪退治だと……思っていたんですよ」
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式姫プロジェクトの二次創作小説です。 童子切の昔語り |
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