孤剣 三
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 静かに息をひそめて、童子切は待った。

 月が次第に上っていく。

 微動だにせず、わが身を山川草木の如くして、ただ待った。

 かさ、かさ、かさ。

 月が中天に差し掛かる頃、葉や草を踏み、枝を撓ませ、跳ねる音が、静かな山中に響いた。

 狸にあらず、狐にあらず、熊にあらず、鹿にあらず、猪にあらず。

 ……来たか。

 すう、と、童子切の目が、殺気を帯びた眼光を内に閉ざす様に、更に細められる。

 ぴょいと、広場にそれは、唐突に姿を現した。

 先ず、目に入ったのは長い頭、ひらりと翻る長い腕、丸い脚。

 いかなる妖かと見返して、その正体を見定めた童子切は苦笑を浮かべた。

 それは、狒々と呼んで良いほどに巨大な三匹の猿神であった。

 ある者は烏帽子を被り、ある者は装束を、ある者は女物の衣装を纏っていた。

 剽軽な人の戯画が山中で踊る。

 本来、高貴な装束を乱雑に纏い、野中で踊り狂う、中々に愉快な道化。

 だが……と思い直した、童子切の表情が僅かに険しさを増す。

 このような山中で、あのような装束を得る手段は一つ。

 地方に赴く旅か、それとも京の騒乱を嫌い、逃げ出した貴族を狩った……。

 そんな所だろう。

 

「供物じゃ」

 野菜を、肉を、米をぼりぼりぐちゃぐちゃと噛む音が響く。

「酒じゃ」

 ずずう、ぞぞお、じゅるじゅると啜る音が木霊する。

(ああもう……何と勿体ない)

 蚤や虱だらけだろう顔や、碌に磨いた事も無いだろう口を、樽に突っ込んで直に啜る様を見て、童子切は天を仰いだ。

 あれでは、流石の童子切も、あの酒のご相伴に与ろうという気にもなれない。

 暫し、聞いているだけで食欲が失せてくるような音が、広場に響く。

 暫し後、ぺちゃぺちゃと、意地汚く、何かをなめずる音の後、満足げな唸りが聞こえて来た。

 

「次はおなごじゃ」

「喰らうか」

「待て待て、喰らうはいつでもできる」

「では何とする」

「わかいおんなじゃ」

「子を為して貰おうぞ」

「それは良い」

「良いな」

「ひとのおんなは良い」

「よい」

「それに、ひとの間に出来た子はつよいでな」

「つよい」

「つよい」

「では、沢山われらの子を」

「為して貰おうぞ」

「孕んでもらおうぞ」

 祠の中の娘に聞かせるように、卑猥な言葉がそれに続く。

 舌なめずりをする音。

 猿の身には合わぬ装束を、慣れぬ様子で脱ごうとする音。

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 その中で、童子切は静かに動き出した。

 男もこの手の助平猿も似たようなものだが、女に目が眩んでいる時が、一番仕留めやすい。

 まして鱈腹飲み食いした後など、まともに戦えるものでは無い。

 卑怯と思われようが、肝要なのは人身御供の娘に危害が及ばない事と、こいつらを生かして返さない事である。

 童子切には、こんな手合い相手に、名乗って斬りかかる類の自己満足的な武士道の持ち合わせは欠片も無かった。

 忍び寄って、後ろから、袴を脱ぎ掛けた猿の赤い尻を思い切り蹴飛ばす。

 足に袴が絡み、前にのめった猿の顔が、祠の階(きざはし)にめり込んだ。

「何じゃ!」

 きぃと喚いた、烏帽子を被った猿の首が、後ろを向こうとした勢いで、血を引いて胴から離れる。

 目にも留まらぬ処では無い。

 余りの切れ味と速さ故に、斬られた者も、それと気付けぬ居合の神技。

「さむらいじゃ!」

 ぱちり。

 猿の叫びの中に、小さな金属音が掻き消える。

 飛んで逃げようとした、女物の衣装を纏った猿の脚が膝から斬れ、腹が横に裂けた。

 脚を失い、跳躍に失敗して地に転がった猿が、血と臓物を振りまいて、苦痛にのたうち回る。

「おのれ!」

 足に絡む袴を引きちぎり、こちらに向き直ろうと身を起こした、その猿の眉間に、するりと刃が潜り込んだ。

 ぎいと唸って、刃を掴んで止めようとした、その猿の太く節くれ立った指がするすると斬れ、地に落ちた。

 鬼神の首を斬り落としたる名刀、童子切安綱に宿りし神霊の式姫。

 この程度の小妖が、まして不意を打たれては、抗しえる相手では無い。

「無駄だから、諦めて下さいねー」

 僅かに力を込めただけで、その刃が猿の頭の後ろに突き抜けた。

 止めにその刃を僅かに捻ると、猿の目が、ぐるりと白目を剥いて、痙攣しながら後ろにどうと倒れた。

「はい、御仕舞」

 その拍子に抜けた刃を手に、童子切は、最後に残る、未だに痛みにのたうち回る猿の方に顔を向けた。

「最後はあなたですよー」

「あああ、いたい!いたい!いたいいいいい!」

「そりゃ痛いでしょうよ、痛いように斬ったんですから」

「何故じゃぁ!何故わしらにこんな酷い事をするぅ!」

 あなた方の犠牲になった人らも、同じように言いたかったでしょうねー。

 そう口の中だけで呟いて、童子切は肩を竦めてから、別の言葉を口にした。

「世の中理不尽な事だらけ、一々理由を求めちゃ駄目ですよー。でもまぁ、強いていえば」

 刃を猿神に向ける。

「私の前で、酒を雑に飲んだ咎だとでも思って置いて下さいな」

「呪ううぅ、お前もあの村も、この世の全部を呪ってやる!」

「おお怖い」

 そう口にしながら、童子切は刀の束に手を掛けた。

「まぁ、そう怖い事言わずに、そろそろ楽になるといいですよー」

 

「お待ちを!猿神様に手を出してはなりません!」

 

 その時、祠から、甲高い少女の声が響いた。

 何事かと童子切が訝る前に、その刃は一閃してしまっていた。

「ああっ!」

 喚いた形に口を開き、涎と血に塗れた牙を剥いて。

「……手遅れでしたねー」

 醜悪な表情を浮かべたその首が、ころりと落ちた。

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幕間

 

「雄の性はいかんともし難し……か」

 美女や財貨を暴力で自由にできると思ったとき、猿であれ人であれ、それに抗しえるか。

 人という奴に課せられた、それは永遠の命題であろう。

「ご主人様もああなるんですかねー?」

 童子切の言葉に、男は苦笑を浮かべた。

「無いと言いたいが、無縁の話だとも思えんな」

「おやおや、私に主を斬らせるような真似だけは止めて下さいねー」

「まぁな、そう在りたいとは自戒してるし、たぶん大丈夫だと思うが……」

 ふっと苦笑して、男は月を見上げた。

「乱心ってのは、いつ来るか判ったもんじゃねぇさ」

 徳を積んだ坊主だろうが、凡夫であろうが……。

 人の中には無数の善人と無数の悪人が住んでいるような物。

 どちらが顔を出すかは、訓練と心がけで、ある程度は何とか出来るが、それとても、完璧は無い。

 人など、所詮その程度の生き物なのだ。

「……ふふ、良いお心掛けで」

 正直な所、童子切は主の答えに安堵していた。

 自分は絶対に何かをしない、それに比べて他の奴らは……などと言えてしまう人間は、己の中をしかと覗き込み、その中からこちらを見返す鬼や獣を見た事が無いだけの事。

 そういう輩こそが、何かのはずみに、いともたやすく、コロリと獣に堕ちる……そんな口だけ聖人を、童子切は佃煮にするほど見て来た。

「まぁ、安心してくださいねー」

 童子切が、嫌な話題を吹き飛ばす様に、あっはっはと笑う。

「ご主人様が獣に堕ちそうになったら、私たちが総出で止めますから」

「……ああ、そん時は頼むわ」

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り。
今回は若干グロテスクな描写があります。
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