孤剣 四 |
「お怪我は無いですかー?」
刀を懐紙で拭いながら、童子切は祠の戸口で震える少女の元に歩み寄った。
粗末だが、清潔な衣を纏った少女が、童子切の方に顔を向けた
「何という……」
「はい?」
「何という事をしてくれたのです!」
幼さに似ぬ、殺気と言っても良い程の怒りがその目と言葉に籠もって居るのを見て、童子切は鼻白んだ。
頼まれた訳では無い以上、感謝してくれとは言わないが、いきなりこれでは、さすがに彼女も気が悪い。
僅かに乱れた前髪を直しながら、童子切は少女に嫌味な視線を返した。
「それは失礼、アレが好みとは、随分と変わった閨(ねや)のご趣味をお持ちのようで……」
「戯言を!」
祠の階を降り、月明かりに照らされた広場に現れた少女の顔を見て、童子切は僅かに目を細めた。
言葉遣いに、目元の涼しさ、挙措の折り目正しさ。
身に纏う物は粗末なれど、その気品は隠し切れていない。
これは、その辺の山の娘では無いですね。
「貴方のような旅の剣客はご存じないでしょうが、猿神様のお授け下さるややこは、素晴らしい力を持っているのです……私はそれを今宵授かる栄を浴したと言うのに……」
肩を震わせながら睨みつけてくる少女に向かって、童子切は肩を竦めた。
「……空気の読めなかった阿呆な剣客ですが、白猿伝程度は承知してるんですけどね」
唐の国の伝承に曰く。
白き毛を持つ歳経た妖猿、時に人の女性を攫い、その間に子を為す。
その子、外見人なれど、力強く、身体頑健、知勇に優れ、学びの力衆に勝れり……と。
唐の国でそれと知られた書家や武将で、そのような出生の噂を持つ人物は少なくない。
「ならば……ご自分が何をしたか、判っておいででしょうに!」
「判ってないのはそちらですよ……伝承は伝承に過ぎません」
童子切の目が更に細くなり、表情を隠す。
猿が変じてそれと知られた神になる例は無論ある。
というより、何人か知己も居る。
斉天大聖、孫麗、そしてカク。
いずれ劣らぬ、絶大な力を秘めた神霊が姿を取った式姫。
だが、逆に言えば、神に至る存在はそれこそ稀なのだ。
あの程度の妖猿共では、この少女は散々に弄ばれた揚句に食い殺されるのが関の山。
「その社の中で、アレが飲み食いする様を見ていたでしょうに、あんな畜生に毛が生えた程度の輩の子を授かって、まともなのが産まれるとでも?」
「黙れ!黙れ!黙れ!」
その目の端に涙が浮かんだかと思ったら、不意に彼女はわっと泣き出した。
大人に随分と言い含められてでも居るのか、童子切の言を受け付けぬ頑なさを見て、彼女はそれと知れぬ程度にため息をついた。
自分が絶対に正しいなどと言う気は無いが、この少女があの猿共から、まともに子を授かれたとは、童子切には到底思えなかった。
とはいえ……だ。
気の毒だと思う気持ちも無いでもないが、ここで長々と彼女を説得する程、童子切は面倒見が良い訳でも、暇でも無かった。
ややあって泣き止んだ少女に、童子切は疲れたような声を掛けた。
「それで、どうします?あなたの素敵な旦那達を斬殺した事はお詫びを言いますが、生憎と生き返らせる術の心得は無いんですよ」
「……どう……する?」
泣いた事で、一時の狂騒が去ったのだろう。
どこか虚脱した様子でぺたりと座ったまま、童子切の嫌味も聞こえぬげに、少女は虚ろな目を上げた。
「わたし……どうすれば」
「まぁ、人身御供が、やぁどうも、只今、って帰る訳にも行きませんよね……」
「かえる……」
「麓の町まで位なら送りますよ、娘を人身御供に差し出す所よりは、どこか奉公先でも探した方が、まだ多少は良いと思いますけどね」
「……わたし、帰らないと」
「そうですか?まぁ、もう止めませんけど」
「帰って、お方様に……お詫びしなければ」
(お方様?)
童子切の目が、一瞬鋭い光を放った。
それが、この娘に、妙な知恵を吹き込んだ奴なのか……。
「お方様、申し訳ありません」
ふらふらと歩き出した少女の、華奢な背中を見送ってから、童子切は一つため息を吐いて天を見上げた。
空には、どこかぼんやり浮かぶ三日月。
私の行方を、指し示してはくれない月。
「……まぁ、首を突っ込んだ以上、顛末を見届けないと気持ち悪いですよね」
幕間
「猿と人の間に……ねぇ」
ぞっとしねえな。
そう言いながら、杯を干した男に、童子切も頷いた。
「全くですね、愛の形が色々有るのは知ってますが、いい気はしないですよ」
「理性とは別に、それが人情ってもんだ」
ふぅと一息ついて、彼は自分がつまみに持参した大根の漬け物を一つつまんだ。
「ところで、白猿伝を知らんわけじゃ無いが……ありゃ本当に有る話なのか?」
「我が朝の陰陽道の大家の出生伝説を見れば、まぁお察しでは無いですかねー」
「……それもそうか」
土御門流の祖たる、大陰陽師。
妖狐、葛の葉と人の間に生まれたと。
「折角ご本人がいるんですし、噂の真偽を聞いてみたら如何です?」
淡く高貴の紫がかった白き毛皮纏う、大妖狐、葛の葉が、彼の助力をしてくれるようになって暫く経つ。
未だに、その意図を含め謎多い式姫ではあるが、確かな事は一つ。
「止してくれ、俺はまだ死にたくねぇ」
「いっそ死ねれば幸いじゃ無いですかね?」
「判ってて焚き付けるなよ、趣味が悪いな」
そう、彼女が極度の加虐趣味の持ち主である事。
「ふふ、一つの真実の為に命を賭けるのも、中々有意義だとは思いますよ」
「否定はしねぇが、俺は別の使い方の方が良いなぁ」
「あら、決めてるんですか?」
「さて、どうだかな」
しらっとした顔で酒杯に口を付けた主の顔をちらりと見てから、童子切も盃に口を付けた。
「聞くだけ野暮でしたか?」
「そういう訳でも無いが、自分の命を決めて使えりゃ、有る意味、それ以上に楽な話はねぇからなぁ」
「全くですね」
本当に、己の命を賭さねばならぬ時、人には覚悟を決める時間が与えられる事など無くて。
皆、右往左往する内に、その命を散らす。
だからこそ。
その、生死の狭間に見える刹那の中で、決断を下せる人の、何と希有なるや。
(ああ)
私が主と認めた、たった三人の人よ。
貴方達の魂は、やはり、よく似ている。
説明 | ||
式姫プロジェクトの二次創作小説です。 童子切の昔語り。 |
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式姫 童子切 | ||
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