童子切との絆語り
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天上に弦月が鎮座する夜。

吐息が白く霞む程の寒さの中、仄かな月明かりが差し込む庭で誰かが得物を振るっていた。

 

ひゅんひゅんと鋭い風切り音が、静かに庭先から響いてくる。

廊下に立ち尽くしてその様を眺めていると、先に向こうから声をかけてきた。

「おや、起こしてしまいましたか」

 

童子切が刀を収めながら、こちらへ歩いてくる。

「気にするな、厠の帰りだ。誰かと思えば、珍しい顔だな」

「何言ってるんですかー。私が刀を振るう様など特に珍しくもありませんよ」

「こんな時間に刀を振るっているのが珍しい、と言ったんだ。いつもみたいに晩酌じゃないのか?」

「ご心配なく、ほらそこに」

童子切が指さす先には、暗がりで気付かなかった熱燗とおぼしき酒器一式が。

 

「ね、珍しくないでしょう?よかったら、オガミ様も一緒にどうです?いい頃合いですよ」

「……用意周到だな」

「お褒めに預かり光栄です」

「呆れてるんだよ」

 

口では嫌味を言いつつ、なんだかんだで俺も相伴する事にした。

一旦部屋に戻り、上着を羽織って座布団を二枚を小脇に抱え、足早に童子切の元へ戻る。

 

「ほれ。この時期は寒いから」

座布団を一枚童子切に投げてよこす。

「なあに、呑んでいれば寒さなんて忘れますよー」

「生憎、寒いのは苦手なんでね。用意周到、備えあれば嬉しいなってヤツだ」

「備えあれば憂いなし、ですよ」

「雰囲気が冷めるような事言うんじゃあない。せっかくのお酒が不味くなるだろうが」

「では、不味くなったお酒は私が全部頂いても?」

「…………」

「あっはっは、冗談ですよ。ほら座って下さい、注ぎますよー」

 

さっきまで体を動かしていたからだろうか。

今夜の童子切は呑む前からテンションが高い。

 

「では、オガミ様の少々不機嫌な顔に祝して、乾杯」

「おい」

ダメだ、童子切は既に杯を傾けている。

勝手に変なモノを祝すな、と言おうとした俺の言葉は喉元まで出かかった後――。

「……乾杯」

結局、酒と共に流し込まれた。

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「オガミ様、未来へ戻りたいと思った事はありませんか?」

空気が落ち着いてくると、童子切が切り出してきた。

「ん?んー……まぁそう思う事もあったなぁ。でも今はここにいる方が楽しいかな」

もう帰りたいんで帰ります、なんて言える空気じゃなかったし。

「男は諦めが肝心、どうにもならない時はどうにもならないもんだ」

「あらら、弱気ですねー」

「でも、式姫達がいればどうにもならない事もどうにかなる気がするよ」

……違うな。気、というのは余計だ。

実際、今の今までどうにかやってこれたのは紛れもなく彼女達の力あってこそ。

俺一人では、何も――。

 

「…………」

「そんな顔しないで下さいよ、オガミ様。お酒が不味くなってしまうじゃないですかー」

「ん、うん……」

「気分屋さんですね」

「へっ、悪うござんしたね気分屋な主で」

ふくれながら、お猪口を口元へ運ぶ。

「誰も悪いなんて言ってませんよー。流されず、自分に忠実なのもいいと思います」

「そうかな?そう言ってくれると――」

「子供っぽくて、意地っ張りで」

「おい、やめてくれ」

「今だって、美味しそうにお酒を呑んでいますしねー」

俺、そんなに顔に出やすいのかな。

 

「まぁ、美味いものは美味いからな。不味い顔しながら美味いもん食ってたら、それこそバチが当たっちまう」

「飾り気がない、というのもそれはそれでいいじゃないですか」

「あんまり褒められた気がしないんだが」

「お酒は美味しく呑んでなんぼ、ですよ」

「……そうだな、刀は斬ってなんぼ、だな。口達者な刀なんぞ倉庫に放り込んでやる」

そこそこ長い付き合いになるが、こいつのこの性格だけは変わらないな。

いや、お互い様かも。

 

「飛鳥尽きて良弓蔵れ、狡兎死して走狗烹らる」

「ひちょうつきてりょうきゅう……何?」

「古いことわざですよー。飛ぶ鳥がいなくなれば、優れた弓も蔵に仕舞われて――」

「獲物がいなくなれば、道具も用無しってか?」

「そういう事ですね。妖がいなくなれば、私達式姫もお役御免というワケです」

 

式姫がお役御免になる頃には、俺も陰陽師としての肩書きが外れているだろう。

これまでも、これからも大事にしていきたい、この絆も全て。

 

お猪口が空になると童子切が徳利を差し出してきたが、俺は首を横に振った。

「少し、寂しくなるな……」

口に出すと、余計に寂寥感が増した気がする。

「私は所詮、刀ですから。斬るモノがなくなるというのは嬉しくも寂しくもありますね」

「ご主人をからかうのが趣味の刀、だろ?」

「…………私は所詮、ご主人様をからかうのが――」

「いちいち言いなおさんでいい、全く。斬るモノがなくなったら、白無垢でも着てみたらどうだ」

「あはは、私は刀ですってー」

童子切は高笑いした後、声の調子を下げて続ける。

 

「人には成れません」

「刀が酒を呑むか」

「私にとっては油のようなものですよ」

「なるほど、言われてみれば確かに立派な脂が二つある」

「……オガミ様」

童子切が杯を静かに置いた。しまった、言い過ぎたかな。

 

「抱いてみますか?」

 

ドクン、と心臓が跳ねた。きっとお酒のせいだろう。

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「怖い怖い。抜き身の刃ほど、危ないモノはないな」

「そんなに私が怖いですかー?」

「あぁ、怖いよ」

冗談抜きにして、これは本当だった。正真正銘の本音。刀を巧みに扱う童子切が、俺には怖い。

弓や斧といった武器よりなにより、刀はどうしても殺人を連想させる。

互いに軽口を叩くくらいの仲ではあるが、彼女に対する恐怖心は未だに払拭できないでいた。

 

童子切は俺に聞こえる程のため息をつくと、

「オガミ様は冷たいですねー」

「気分屋なもんで」

「むー、つれないですねぇ」

 

もしかして、酔ってるのか?童子切を見たが、表情は普通だった。

特に顔が赤いようには見えない。

 

「どうしましたー?」

「いや、酔ってるのかなと」

「酔ってませんよー」

「じゃあ、試してみようか」

「何をです?」

 

 

 

なでなで。なでなで。

 

 

 

驚いているのか呆れているのか、童子切はされるがままに俺を見つめている。

子供ならともかく、見た目は立派な大人の童子切にこんな事をするのは少々恥ずかしかった。

シラフではまず出来ないだろう。

 

「はい、これで分かったでしょ。俺は冷たくないです」

「…………」

「…………?」

「ぷっ。あっはっはっは!」

 

やっぱり酔ってるんじゃないかな、この人。

 

「いやー、まさかオガミ様から撫でられる日が来ようとは」

「何も笑う事はないだろうが」

「いえいえ、滅多にない事なのでどうぞお許しを。人の手に握られる事には慣れてますが、撫でられるというのは中々新鮮だったので」

まして私は小さくありませんしね、と童子切が付け加える。

気のせいかな、頬が少し赤く染まっているように見えるのは。きっとお酒のせいだろう。

まぁ沈んだ空気を払拭する事ができたし、いいや。

 

お酒は美味しく呑んでなんぼ。そうだったよな、童子切。

 

「さて、俺はここいらでおいとまするかな」

「えー、まだまだお酒残ってますよ」

「こっちは酔いが回ってきたんでね。潰れる前に布団に戻らせてもらうよ。ごちそうさん」

 

「オガミ様」

童子切の呼びかけに、廊下を歩きかけた俺の足が止まった。

「もしお役御免になったら、私を蔵に入れて頂けますかー」

「……さっきも言っただろう、お喋りな刀は蔵に放り込むって。そんじゃ、おやすみ」

 

ちゃんと放り込んでやるよ。心という名の蔵に、ね。

説明
童子切さんと晩酌するお話です。

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