孤剣 五
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(何処へ行くんでしょうか)

 完全に気配を消して、童子切は密やかに木々の間を縫って歩いていた。

 そこから、少し離れた細い道を、人身御供だった少女がふらふらと歩いて行く。

 白無垢か白装束のつもりだったのか、白い姿が、淡い月明かりの中でぼんやりと光を纏う。

 彼女が歩いているのは、あの社の有った場所から街道に戻る道とは逆。

 あの猿神達がやって来た方角。

 つまり「お方様」とやらも、そこに居るのだろう。

 枝を揺らさないように、頭を低くした拍子に、傍らでじっとして、童子切をやり過ごそうとしていた狸の光る眼と眼が合った。

 じーっと見上げて来るつぶらな瞳に負けたように、童子切は軽く頭を下げた。

「……どうも、お騒がせして失礼」

(お前さんも大変そうだな)

 実際にそんな意識が通じ合ったかどうか知らないが、狸は童子切を最後に一瞥してから、危険では無いと判断したのか、のっそりと身を起こして、藪の奥の方にトコトコと歩いて行った。

 その、夏毛で痩せて見える背を見送って、童子切はため息を吐いた。

(本当、我ながら……一体何やってんでしょうねー)

 一体何をしているのか。

 その自問自体が、彼女の迷いその物。

 そのお方様とやらを斬るのか?

 

 正直、それは面倒な話でしかない。

 酒の一杯にもなると言うなら、旧主との約定もある、退治てやろうが、礫以て追われる事が見えているような状況で、こういう妖とも神ともつかない程度の代物を斬って歩こうと思う程、童子切には人を守ろうという気は更々ない。

 目が利かずに、偽物を掴まされるのも人生の裡、なれば、化け物を神だと思って崇めるのも、人の生の裡であろう。

 

 とはいえ、今宵は実際に、童子切が手を出してしまったという事情がある。

 あの人身御供の少女の言い種から見て、村の連中に知られれば、厄介ごとになるのは必定。

 下手をすれば、童子切の首をお方様とやらに差し出して詫びを乞おう、などと考えられかねない。

 人を斬るのを忌む気も無いが、斬ると面倒なのも確か。今は、さっさと逃げ出した方が良いのは判っている。

 判ってはいるのだ。

 だが、そういう理で己を納得させ、自分の旅に戻れるのか、といえば、魚の小骨が喉に引っかかった時のような、割り切れない苛立ちが残る。

 詰まる所、次に己がどうするかという、明確な行動をとるほどの動機が、どちらの道にも見いだせない。

 それ故の、この半端な行動。

「お酒が切れたのが悪いんですよ、お酒が」

 私が素面で下した判断なんて、正しい訳がないじゃないですか。

 小声でそうぼやきながらも、童子切には、自分の行動が定まらない、本当の理由が良く判っていた。

 

 今の童子切は、おのれを納める場所無き孤剣。

 

 主と認めた人を喪い、友を見失い。

 だが、その、余りの鋭利さ故に、並の鞘では彼女を納める事は叶わず……。

 結局、彼女は抜き身の己を抱えて、当てのない、友を探す旅を続けるしかなかった。

 寄る辺は酒と、懐中に抱く旧主の餞別と、旧友への想いのみ。

 私は……何の為に彷徨っているのか。

 

 想いとは別に、卓越した剣士の体は動く。

 複雑にうねる木の根方に脚を取られる事も無く、軽やかな足取りで密やかに森の中を移動していく。

 程なくして、少女の脚が止まった。

(これはこれは)

 こちらは山中故に隠す気も無かったのか、小ぶりだが、真新しい白木の鳥居が立っていた。

 そのまっさらな白さを眺める童子切の目に、不審の光が凝る。

(丹塗(にぬ)りではない……ですか)

 丹(朱色)は装飾用でもあるが、木の腐食を食い止める役割もある、塗った方が良いのは言うを俟たない。

 とはいえ、神によっては塗らない場合もあるし、丹砂を熱して作る丹は、こんな山中では容易に手にも入らないだろう事情もある……。

 丹塗りでは無いというだけでは、何かを決めつける事は出来ない。

 だが。

 そう思いつつ、童子切はどうしても、もう一つの考えが頭を占めるのを止められなかった。

 

 丹は魔除けの色。

 

 顔をしかめた童子切の眼前で、鳥居に向かい一礼した少女が更に奥に進む。

「ふむ……」

 周囲の気配を探り、何らかの結界や見張りの存在を警戒した童子切だったが、拍子抜けするほどに、そういった物は全く感じられなかった。

(何ですかね、豪胆なのか、それとも)

 近寄って、鳥居の礎石に目を向ける。

 鳥居の新しさに比して、苔むし、すり減ったそれは、かなりの古さを示していた。

 何かに得心したように、童子切は一つ頷いて、辺りを警戒しつつ、奥に進んだ。

 妖気を漂わせる、森が左右に拡がる。

 そう、恐らくは、あの猿神共の、住処だった森。

 鳥居から続く道の左右のこれは、鎮守の森の戯画のつもりででもあるのだろうか。

 この、神社を醜悪に模した空間からは何処となく、この奥に住まうお方様とやらの心が透けて見えるような気がした。

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「……お方様」

 細く、震える声が、参道の奥から聞こえて来た。

 周囲に拡がる森の中に身を隠しつつ、童子切はその声に近づいて行った。

「お方様、小夜でございます」

 その声の後、ややあってから、きい、と、こちらは随分と手入れの良い様子の扉が開く音が静寂の中で微かに響く。

「小夜姫ではありませんか、如何なされたな、今頃は猿神様との交合の時と思うたが」

(姫ね……)

 少女を、ある程度身分ある者と見た、私の目は、どうやら間違っては居なかったようだ。

 に、してもだ。

 彼女を姫と呼んだ声。

 気品ありげな、そして、ねっとりした練り香を薫(くす)べたような。

 

 いけ好かないですね。

 

 諸々の先入観込ではあるが、声を聴いた時の第一印象は、余り間違えた事は無い。

「お方様、申し訳……申し訳ございません」

 それ以上は声にならなかった。

 小夜姫と呼ばれた少女の押し殺したような泣き声が、微かに耳に届く。

 先ほどもそうだったが、余りぎゃーぎゃーと泣かない辺りは、育ちの良さだろうか。

「これこれ、泣いていては判りませぬ、何が有ったか、妾に教えてたも」

 その声に、無理に涙を押さえたのか、時折しゃくりあげるような声が混じりながらも、少女は口を開いた。

 

「猿神様は……殺されました」

「何と、猿神様が!」

「……はい」

 

 その後に、思ったより簡にして要を得た、しっかりした言葉が続く。

 年若く、なおかつ動転しているだろうに、これだけしっかり見聞きしたことを纏めて報告できる人はそう居ない。

 この少女、童子切が最初に思ったより、中々に出来るのかもしれない。

 そんな事を思いながら、二人が話に身を入れ出したのを感じ、童子切は更に二人に近づくことにした。

 森が途切れた先にそれはあった。

 世辞にも洗練された建物では無かったが、真新しく建てられた社。

 その中に立つ、巫女の服装をした美女。

 あいつは……まさか?

 姿かたちは童子切の知るあれでは無い。

 だが、その身に纏った気配は間違えようが無かった。

 ……何故、この様な場所に。

 

 少女の報告、時折混じるお方様とやらの問い、それに対する答えが続く。

 つつがなく自分が祠に着いた事、時が来て、現れた猿神様が貢物を嘉納した事、そして、猿神様が彼女に向かおうとした時に、旅の剣客が現れて……。

「止める暇も無く、瞬時に猿神様が……」

「旅の剣客、しかし猿神様を、三柱斬り倒すとは……何たる豪傑か」

「……女性で、ございました」

「何と!」

 驚きの声が更に高い。

 それはそうだろう、曲がりなりにも猿神はそれなりに力ある妖怪である。

 それを三体斬り伏せるなど、並の剣客では無い。

 しかも、それが女性だとは……。

 

「し、して、その剣客は?」

「私が妖に襲われていると勘違いしていたようです、私が礼も言わずに、逆に文句を言いました所、呆れたのでしょう……おそらくは、怒って立ち去った物と」

 その言葉に、明らかにお方様と呼ばれた女性の顔に安堵が浮かぶ。

「おお、左様か左様か……」

 ぐっと拳を握って、少女は顔を上げぬままに声を振り絞った。

「猿神様よりお子種を授かり、我が一族の大願を果たさんとした……その望みは潰えました」

「そうですね」

「お方様……私はどうしたら」

「そう……ですなぁ」

 言葉は変わらなかったが、その声音に変化があった。

 頭を下げていた少女には見えなかったろう。

 だが、童子切の鋭い目にははっきりと見えた。

 その顔が浮かべた嘲笑を。

 下品に吊り上がった唇を。

 ぬたりと細まった目を。

「残念ですね」

「……はい、無念です」

「そう、私も残念」

 にいと歪んだ口の端から、ちろりと青い火が見えた。

「小夜姫は、私の百話目の物語の主役でしたのにねぇ」

「……え?」

「ホンに、その剣客は余計な事をしてくれました」

 周囲が不意に、白々とした光に照らされて明るくなる。

 不審に思い、顔を上げた少女は見た。

 青白い炎の中で、髪を纏めていた大麻(おおあさ)が燃え上がり、豊かな髪がふわりと拡がり、妖しい色を帯びる。

「お方……様?」

 品よく纏っていた巫女の衣が、内側から溢れた青白い炎の中で燃え尽き、変わって、その豊麗な体を誇示するように肌蹴た着物を纏う姿を露わにする。

「男を知らぬ高貴なる姫が、猿共の嬲り者となって、若い命を散らす……これ程、下衆共が喜ぶお話もありませんのにねぇ」

「何を……仰って……」

「ああ、つまらない……」

 社の中に、無数の光が灯る。

 ぎらりぎらりと、卑しく輝く獣の瞳。

「……ひっ」

「あの三匹は、私の妖気を浴びて最初に猿神になった奴らでねぇ」

 ぎぃぎぃ、ぎゃーぎゃーと猿が喚く。

「ようやく、人がましい程度の知恵も付いてきたから、色々かわゆかったのに」

 すっと掲げた手に、この様な山里に似つかわしくない、精緻な細工の施された行灯が掲げられていた。

「その行灯……」

 辺りを照らす、青白い灯りの中に、凶暴さを剥き出しにした、妖猿共の顔が無数に浮かぶ

「こいつらはまだ、喋ったり相手を辱めたり嬲るなんて知恵が無くて」

 その顔が一斉に歯を剥き出し、笑った。

「食うか犯すかしか出来ないのよ」

「あ……あぁ」

 少女を、蔑むように見て、お方様と呼ばれていた女性は行灯を持っていない方の手を振った。

「小夜姫も、つまらない百話目の主になってしまいましたなあ……」

「では……猿神に子を授かると言うのは……」

「運が良ければ、そんな事もありましょうなぁ」

 しらっとした顔で、そう呟く顔を、少女は睨み据えた。

「お方様……貴女は、私たちを騙して」

「人聞きの悪い」

 艶と笑って。

「随分と利を授けてもやりましたに、妾がその対価に退屈しのぎを求めて、何がわるいやら」

 ほほほ、と笑う女性に、少女は立ち上がり、懐剣を構えた。

「よくも!」

「おお、流石高貴の姫君じゃ、良いお顔良いお顔……それが苦痛と屈辱に歪む様はさぞや美しいでしょうなぁ」

 にまりと笑って、彼女は空いた方の腕を振った。

「それだけでも、妾の語る百話目に添える、多少の華となりましょう……さ、お前たち、好きになさいな」

 その声に応じて、無数の猿が、社から飛び出す。

 ぎゃあと悲鳴が上がった。

 

 人では無い、獣のそれが。

 

「何じゃ!」

 その飛び出した勢いそのままに……猿の四肢が千切れて、辺りに散らばった。

 無数の悲鳴と血煙が上がる。

「相も変らぬ悪趣味ですねー」

 青白い炎を弾いて、地上に銀の月が一瞬だけ煌めいた。

「何奴!」

 きり……。

 静かに刀を鞘に納める音が、猿神達の絶鳴の中に消える。

「お久しぶりですね」

「貴様、まさか!?」

「お互い都育ちなのに、こんな山里で遭えるとは、奇縁と言うべきですか……」

「……式姫!」

 童子切が目を僅かに開いて、社の主を見据えた。

 

「ねぇ、青行灯」

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り。

実は、舞台のモデルは式姫の庭の1MAP討伐地「山頂の石切り場」です。
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